注目の候補予定者が動き出した。津南町長選に出馬を決めている前町議会副議長・桑原悠氏(31)。6月24日投票の町長選で、その座に就けば全国町村長で最年少トップになる。4年前の前回、出馬意欲を見せたが、「もっと勉強と経験が必要」とする周囲の声を受け、4年間待った。今月10日夜、桑原悠氏は町内上郷、加用集落センターで地元の人たちを迎えた。出馬表明後、初めての集落懇談会を開いた。
夜7時。地元民18人余が2階広間に集まった。用意された机には着かず、自ら住民のそばへ歩み寄り、立ったまま35分ほど出馬への思いや政策の一端を述べた。
政治への世界は長野新潟県境地震が契機だったと話す。「大学院生だったあの時、被災後、町役場の同年の人と一緒に上郷を回り、被害の大きさを知った」。生まれ、育ててくれた津南町のためにと思いが強まり、その年の町議選に出馬、初当選。「母として、子が大人になった時に、もっといい町にしたいと思い、町長選に挑戦する決意をした」。座談会で配布した資料には『未来をつくる子どもたちのために、いま、立ち上がろう』のメッセージがあり、桑原はるか後援会を『はる会』と表記している。
市町村合併に加わらず自立を決め15年が経過。「新潟市など県央に行くと、最近津南町の話を聞かないと言われる。農業といえば津南と言われた津南農業。まず稲作、コメ作りを考えたい」と津南米の外国への販売進出を政策に掲げる。
「大学院の同期や先輩が国の仕事をしている。OECD(経済協力開発機構・加盟35ヵ国)の中産階級は18億人いる。この層への営業戦略はどうか。1`1万円以上など高く購入する層である。国予算に市場調査の補助予算があり、調査やコンサル紹介など助言してくれる。狭まる国内市場から、外国への営業戦略を国予算を取って取り組みたい。農業がしっかりしていれば、この町は滅びない」と国省庁にいる大学院時代の人脈を津南町再生につなげたい意向だ。
さらに農業分野では、町役場内に農業専門家がいないことを指摘。「生産技術や販売など営農専任の人材を役場組織に配置する。JA津南町や県、普及センターなどと連携し、一体となってリーダーシップを取り、営農全般に目配りしていく」と農業振興に力点を置く。
政策資料には『希望』『愛』『参加』をキーワードに3分野20項目の政策を掲げる。農業分野では「未整備の水田基盤整備の農家負担ほぼゼロで実施」、観光では「町長直轄部局を創設し、雪国文化・縄文文化を軸に誘客アップ、UIターン促進、企業採用増加」、商工分野は「IT先端技術を支援し、年単位で人材区政、女性・若者の収入アップに」など掲げ、役場組織では商工と観光を分離し、「専任化を進め、両課長が直接産業に直結するシステムにする」。
地域医療では、介護度1、2の対応として「在宅介護を支援する訪問看護ステーションを24時間体制にし、医療・介護の連携を充実させる。独り暮らしの方々の居場所づくりにも取り組む」。町立津南病院は、存続維持を前提に「医師は自分のキャリアに関心がある。津南病院勤務の魅力的なプログラムを創設する。2、3年勤務後、医師の外国研修ニーズに応えるため、医師の身分保証するプログラムを立ち上げ、若い医師の意欲に応えたい。このサイクルで常勤医師を確保したい」。訪問看護ステーション24時間体制には内科医師1人増員が必要で、医師にとって魅力ある受入れ体制を創設する意向だ。
子育て支援では、現在の保育園6園を4園、さらに2園にする方針。「課題の未満児受入れや延長保育が実現できる。働く女性たちを支援したい」。さらに子育て仲間の居場所となる「子育てカフェ」開設の意向。教育分野では学力向上にも取り組み、「教員退職や大学生などによる現代版寺子屋塾を開設したい」と話す。
人口減少が進むなか津南町応援団となる『津南サポーター(第2町民制度)』を導入する方針。「町内の方々は様々なネットワークを持つ人が多く、その方々から津南サポーター登録していただき、将来に渡って津南町とつながる人を増やす」。この取り組みは観光分野に通じ、雪国観光圏が実施した日本版DMO(地域観光推進の法人組織)の、観光協会のあり方と共に津南・栄村版DMOの立ち上げる方針だ。さらに地域文化を産業・経済に結びつけ、「文化が目に見えるモデル集落を作り、観光事業化のモデル事業に取り組む」と秋山郷などの文化資源を産業・経済に繋げたいとする。
一方で地元産業育成では「東京電力や東北電力、中部電力など設備施設が老朽化している部分は更新するよう要請する。それが地域の産業になる」と、新たな公共事業化を視野に入れている。
桑原氏は、財源問題などの質問に対し、「国や県の予算の詳細は若手官僚が詳しく、その世代の仲間が私にはいる。国から予算を広く取り、財源が厳しい津南町に役立つ若手官僚を使っていきたいし、彼らも応援してくれる」と国県とのつながりを強調している。