雪国らしくない、と思っていたら11日から本格的な雪になっている妻有地方。「これからだぜ」、古老が曇天の空を見上げる。冬はこれからが本番。『雪国今昔物語』では、昭和期の雪国の生活風県を記録した写真から、当時の冬の生活を想い、雪国に暮らす人たちのつぶやきをリポートする。
「あれは、職人技だ。俺たちがやっても、あんなふうには積めない」。あれとは、写真の『雪積み』。昭和38年の冬の記録写真だ。右上の看板には『カネス瀬戸物店』の看板が見える。現在の本町三丁目、国道117号と駅通りが交わるセンタークロスの角にあった商店だ。
家の高さを超える雪積み。隣の本町二丁目の昭和4年創業、山内新聞店は本町通りでも老舗。三代目の山内利男さん(79)は、本町通りの雪積みの光景を覚えている。
「あんなに垂直には積めない。どうしても先細りして、とんがった山になってしまう。あれはプロでなければできない雪積みだ。職人の技だな」。
本町通りは家並みは混み合い、屋根雪のやり場がない。結果、店の前などに積み上げる。平たいシャベル一本で積んでいく作業は、見た目以上に大変。雪山が高くなればなるほど垂直に積まないと積める量が限られ、雪積みの意味がなくなる。
「今のように流雪溝がないから本町通りは雪の始末ができず、雪を積み上げることが雪処理だった」。昭和30年代は雪が積もるに任せ、道は積雪と共に高くなり2階の高さを歩くようになる。
「道路向かいに行くには積もった雪に穴を開けてトンネルを作り、」行き来した」。思い出も多い。真冬の2月だった。道路向かいに市役所があった。いまは県信用金庫だが、その市役所が火災に遭った。だが「窓を開けても雪の壁で火事が分からなかったが、雪が壁になって延焼を免れた。子どもの頃で、火事で広くなった焼け跡を駆けずり回った記憶があるなぁ」。それほどの雪だった。
雪積み職人。「毎年同じ、職人にお願いしていたんだろうが、どこから来ていたのかは分からない。それにしても、すごい職人技だったね」。
消えてしまった雪国の光景だが、昭和の「56豪雪」「59豪雪」さらに「平成18年豪雪」では、本町通りの一部に「雪積み」が復活したが、すぐに除雪・排雪で姿を消した。
もう写真でしか見られない雪国の風物詩の一つだった。
写真・昭和38年、十日町市本町通り、山内景行氏所蔵