あれから70年。「一強多弱」の政治構造が誕生してから、『平和』という言葉を、目や耳にすることが増えている。『平和という言葉を使うような時代は、平和ではない時代。あえて平和と言わなくてもよい時間が流れている時こそが、平和である』。あの戦争を体験した先人の言葉だ。戦後70年を迎えている。だが、その戦後はまだ続いている、いや、「平和」が多用される時代を迎えている。70年が経過する、いまを見る。
『女たちの宣戦布告なのです!』。編集委員の女性たちの精一杯の思いが込められた言葉で、この本は終っている。本のタイトルは『体験記・女たちの戦争―二度とあやまちをくり返せないためにー』。
北海道生まれ。26歳の結婚を機に、湧別町から津南町の住人になった石橋玲子さん(77)。東京五輪の3年前、昭和36年だった。公民館活動の草創期で、津南町でもさまざまな活動が萌芽しつつあった。その一つが『べんきょうするおかあさんのひろば』。
戦後色から、経済成長の時代を迎え、『もはや戦後ではない』の掛け声に踊らされるように、国中で経済を求める動きが始まった。『ひろば』は、自分たちの生活の足元を見据えた活動を行い、その思いを文字にした。長いタイトルの『べんきょうするお母さんのひろば』の会誌は、昭和36年に発行を始める。
今月15日、『ひろば』第345号を発行。各月発行で次号は「8月15日号」。あの日だ。今月末に編集会議を開く。
「ひろば」の足跡は、『女たちの歩み』でもある。その歩みは、激動という言葉でひと括りにはできない『昭和の時代』である。「みんな言葉では言えない苦労があったし、それを書き残すことには抵抗があったと思いますが、書かずにはいられなかったんだと思います」。
「ひろば」の歩みには3冊の『戦争』を語った体験記がある。結婚から1年余で夫を戦地に送った妻。敗戦から4年後に帰ってきた夫、抱きつきたい思いを押し殺して姑に従った妻。切々と思いを綴った体験記『女たちの戦争』(1988年刊)。娘として母への思いの丈を込めた『女たちのきずな』(1998年刊)。いま語らなければとビデオ収録もした戦争体験記『語りつくせねども』(2007年刊)。いずれも240ページから350ページの大作、ぎっしり思いが詰まっている。
「ありったけの声を出して言いたいです」。憲法解釈、集団的自衛権、自衛隊派兵…。連日、新聞やテレビで見るこの国のトップ・安倍晋三氏の言葉を聞くと、怒りが込み上げてくる。
「戦争は絶対だめと、誰も思っているはずなのに、どういうわけか国のトップは、その方向へ強く舵を切っています。なんで、どうして、なんですよ」。『ひろば』の編集会議では、自然とこうした話題が中心になる。集まる原稿も「なぜ、なぜ」と大きな疑問符が付く内容が多くなっている。
先日、人から聞かれた。「安倍首相、どう思う?」。答えは明確だが、「難しいからねぇ、言えないよぉ」と言葉を濁した。「いやな世の中になってきている」と感じていることは、自分が一番よく分かっている。「あの時代を知っている人は、だれも戦争がいいなんて思っていません。二度と…と強く思っています。だから『ひろば』の活動が続き、自分たちでも、大事な活動だよねと、会うたびに顔を見合わせています」。
だが、世代間の違いを最近、強く感じる。「関心がないのか、関心があっても関わりたくないのか、今の若い人たちは分かりませんね」。『ひろば』編集委員に大きな世代の開きがあり、40代、50代、60代の編集委員を求めている。
「いやな雰囲気」は、最近ますます感じるようになっている。「いつか来た道、と言いますが、あの戦時中・戦後、何か言ってはならない雰囲気に、とても似ているように感じます」。時々、3冊を手に取り、ペラペラとめくり、目に留まったページを読むと、ついつい次々と読み進んでしまう。「決して70年前のことではありません。いくら年月が流れても、戦争がいいなんて時代は絶対に来ませんし、来てはならないです。この本、安倍さんに読んでもらいたいですね」。
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『女たちの戦争』『女たちのきずな』『語りつくせねども』の問合せは津南町公民館рO25‐765‐3134。 (恩田昌美)