明治期から営々と受け継がれた旅館が、新たな街の顔として生まれ変わった。松代で暮らし始め、まだ1年にもならない渡辺紗綾子さん(29)。「あれよ、あれよと、今日にいたりました」。雰囲気ある木造の旧旅館・松栄館に、カフェ&レストラン『澁い』の小さな看板を2日、掲げた。
『澁い』。この言葉を英語表記する単語はない。高校3年間、アメリカ留学した渡辺さんでも、思い至らない。「ビターでは、味の表現になりますが、そうではありませんよね。渋いは、侘び寂びのように日本独特の表現です。この表現できない雰囲気がいいですね」。
首都圏のど真ん中、東京渋谷に実家がある。東海大で理系の環境分野を専攻。特に水に関わる分野に取り組む。その萌芽は『母』にある。「母は食べ物に特に気をつけていて、妊娠時から子育て中も食品の安全性には特に気を使っていました」。そんな母を見て育つ。
イベント企画やマネジメント会社勤務の首都圏生活に疑問を抱き始めていた頃、農山村でのインターン募集を知る。「東日本大震災後でもあり、行くなら北」と決め、東北や信越地域などの情報を得る中で松代へ。ここでの出会いが定住への思いを決定づけた。
20年余り前にドイツから松代に移住した設計士のカール・ベンクスさんと出会う。農業インターンの一方でベンクスさんの事務所でお手伝い。事務所は旧旅館、松栄館の2階。毎日通う本格木造の旅館1階の空間が気になっていた。
「ベンクスさんも1階の活用を考えていたようです。ならば私が、となったわけです」。思い立ったらすぐに動く。食品衛生責任者の資格を取得。思いが通じるシェフを探し、看板を掲げるまで9ヵ月余。今月2日、プレオープン。
『澁い』。実は、ベンクスさんがドイツ時代に発刊したデザインブックのタイトルだ。「この感覚を取り入れたベンクスさんのセンスがすごいです。これだと、すぐに決めました」。店名『澁い』。まさに建物が醸し出す雰囲気そのもの。
プレオープンには意味がある。「大地の芸術祭前に予行演習したかったんです。いきなり来られても対応できませんから。グランドオープンの6月19日は、実は私の誕生日なんです」。誕生日に本格開店、自分への決意表明でもあるようだ。
食材はできる限り地元産にこだわる。酢やドレッシングも手作り、パンは市内知人が作る天然酵母パン。ベーコンはつなんポークで手作りなど、シェフもこだわりを持ち、スィーツも自家製だ。
店内外はベンクスさんがデザイン。「松代のこの街並みの雰囲気を感じていただきたいし、このお店をめざしてくるお客様を増やしたい。それが松代に人が来ることにつながるはずです」。
(恩田昌美)
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『澁い』、十日町市松代2074、午前11時〜午後4時、рO25‐594‐7944。