十日町市(旧中里村)と湯沢町の境界線問題が再浮上している。昭和21年の公図には境界線が入っていたが、同28年公図から境界線が消えた。以来、国土地理院地図に境界線は描かれていない。その場所は、苗場山系の高石山から清津川の猿飛橋付近を挟んだ対岸の高津倉山(ガーラ湯沢スキー場山頂付近)までの直線約6・5`。清津川ダム計画で平成2年に湯沢町から当時の中里村に協議開始の申し入れがあり、資料収集や共同調査、意見交換などを行ったが、清津川ダム計画の中止決定により、境界線協議は中断。市町村合併後の平成24年12月、湯沢町からの申し出により協議を再開。今月2日の担当者会議を含め、これまで11回、協議の場を持っている。湯沢町は「年度内決着を」求め、十日町市は「慎重な対応が必要」とする。自治体の面積に関係する問題で、交付税算定要素にも影響することから、境界線問題の成り行きに関心が集まる。
両市町とも、「交渉事なので詳しくは話せない」とするが、中里村時代の資料によると、戦後の昭和21年公図には、境界未定地には境界線が入っていたが、その後の地形図調査で精度差が生じ、同28年公図から境界線は消えた。昭和の合併後の32年、当時の中里村、湯沢町の両職員立会いで当時の建設省が現地調査を行ったが、根拠となる資料が乏しく、調査は未定に終わっている。
再熱したのは清津川ダム計画。流域調査の中で「境界線が不明」に直面し、平成2年、湯沢町と中里村との協議が再開。両町村独自に資料収集や調査を行い、当時の営林署など関係機関への共同調査などを行い、担当者レベルで意見交換している。だが、平成14年にダム計画の中止決定により、調査・協議は中断した。
平成の合併を経た同24年12月、湯沢町からの申し出で協議を再開。十日町市は総務課行政管理係が、湯沢町は同課財政管財班が担当し、担当者会議を今月2日を含め、11回の協議を重ねている。
湯沢町の関秋光総務課長は「デリケートな事なので慎重に進めているが、両自治体にとって長引かせるべきではない問題であり、早急に解決したい」と年度内の決着を求めている。一方、十日町市の中村亨総務課長は「拙速な判断で将来に禍根を残すことがあってはならない。長い歴史のある課題であり、お互いに譲れない所があり、これまで決められなかった経過があり、慎重に対応していきたい」と話す。
境界線問題は、未定部分は最終的には県知事が決定。地元関係市町村に意見を求める。この地元意見は市町村議会の議決が必要となる。これを受け知事が総務省に申請し大臣告示で決定となる。一方、境界線変更は、地元市町村議会の議決後、県知事に申請し、県議会議決により決定する。今回の境界線未定は直線で約5`、一方、湯沢町が求める境界線変更は約1・5`。この全長約6・5`が争点になっている。
一方、この境界線問題に関係し、十日町市に「標高2010bの山」の存在が明らかになった。この山には、まだ公式の名前はない。山頂は十日町市、津南町、湯沢町の境界点になっている。愛称はあり、旧中里村倉俣地域では「大日陰山」と呼び、湯沢町の三俣地区では「雁ノ倉」と呼ぶ。津南町はその手前に「日陰山(三ノ山・みつのやま)があり、愛称はない。
「十日町市に2千b級の山がある」。この指摘は9月市議会で太田祐子氏が取り上げた。命名し、新たな山岳観光になると取り組みを促した。だが、この山の命名をめぐっては、過去の歴史は困難性を物語っている。
当時の中里村時代、国土地理院に「大日陰山」を申請しようとしたが、湯沢町が難色を示し断念。一方、湯沢町も「雁ノ倉」で命名を試みたが、今度は中里村が難色を示し、これも断念。以降、「名無しの山頂」になっている。
この境界点の山頂は、小松原湿原と日本百名山・苗場山(2145b)を結ぶ縦走ルート上にあり、苗場山から神楽峰、無名の山頂、霧の塔を経由し小松原湿原に通じる。縦走では、秋山郷・小赤沢―苗場山―神楽峰―霧の塔―小松原湿原が人気ルートになっている。
命名には、境界点に関係する自治体の合意が前提になる。つまり命名を求める場合、十日町市、津南町、湯沢町の3市町の合意を受け、国土地理院に申請することが求められる。十日町市、湯沢町ともに「境界線問題が先決」として、決着後に命名に取り組む方針だ。毎年、小松原湿原を清掃登山している「清津山の会」事務局の桐生正芳さん(58)は「中里に2千b級の山があるとは聞いていたが、命名の話は初めて聞いた」と今月の同会例会で話題にしたいとしている。 (恩田昌美)