さまざまな理由で学校へ行けない子たち、社会との交流から遠ざかっている若者たち。「ひきこもり」という言葉で表現されているが、悩み続ける子たち、若者たち、そしてその親たちは、「居場所」を求めている。その辛い体験を10年余り経験した親たちが自ら動き、先月29日、十日町市の中央部、昭和町に「誰でも、いつでも気軽に寄れる場」となる『ねころんだ』を開所した。その名称の通り、「寝転んでいていいんだよ」と、親たち皆がいつも考えていたフリースペースを設けた。「まだまだできたばかり。ここに来る人たちで、これからを考えていけばいいのでは」。運営する親たちや協力するスタッフは話している。
親たちは2年前、思いを共有し、共に考え、時には講師を招き、時には歌や体操、工芸など楽しいことをしようと、親の会「フォルトネット」を立ち上げた。フォルターナ(未来)というイタリア語と、ネットワークという言葉を合わせた造語を皆で考えた。
関口美知江さん(58)は、息子が15歳から約10年間、ひきこもり状態だった。十日町高定時制から新潟大に進み、現在は小学校講師。同じように我が子が学校へ行けず、親子で10年余り悩んだ小林幸子さん(65)らが主体で作ったフォルトネット。毎月第1土曜午後と第3水曜夜、月2回、『お茶にしようじゃねえ会』を市民会館で開く。毎月の会報は十日町地域振興局が印刷を引き受けてくれている。
△△△
今年1月、フォルトネットの仲間たちは「ちょっと勇気を出して」、関口市長が毎週土曜に開く「サタデー市長室」に申し込んだ。1月24日、8人で市長室を訪問。「ひきこもり」の実情を話すなかで、「ひきこもりを担当するのはどこですか」とストレートに聞いた。保健福祉、教育委員会など年代に応じ、分野別での担当はいるが、学校卒業後の窓口はばらばら。実情を聞く中で『福祉課が担当します』。関口市長の即答に参加メンバーは驚き、喜んだ。
「ちょっと自信をもらいましたね。あのひと言が私たちの背中を押してくれました」。親たちは、そのささやかな自信で次なる行動に出た。福祉事務所などの情報として知っていた先進事例があった。それが秋田県藤里町の社会福祉協議会の活動だ。
3月、はやる思いを抑えられず関口さんは、ひきこもる若者を含め5人でひと足先に現地を訪れた。「これはぜひ皆に見て、感じてほしい」。予感は確信に変わった。
行政が用意したマイクロバスに17人が乗り込み4月23日、藤里町へ。親たち、地域活動グループ代表、障がい者支援センター関係者、市教育委員会、そして市議も参加。
藤里町は白神山地の山麓。日帰りは無理で1泊。東北電力の旧官舎施設を活用した『くまげら館』では宿泊5室のほか地元食材を調理提供する食堂、くつろぎルーム、共同事務所などがあり、隣接の遊休施設を活用した「こみっと」では、「白神まいたけ」を使った創作スイーツ「キッシュ」を製造する工房があり、若者たちが働いている。運営スタッフはボランティアを含め50人余り。
以前から考えていた「居場所」の具体的な姿を見た親たちは、さらに自信をつけた。その居場所づくりの第一歩が、先月29日に開所した『ねころんだ』。名称とデザインは、ひきこもる若者たちが話し合い作った。
十日町高校の近く、昭和町1丁目。関口さん自宅前の遊休室を活用。会計事務所が利用していただけにスペースは広い。親たちの思いに市教育委員会も動いた。閉校小学校の不要備品を提供。担当となった市福祉課も連携。「行政がなかなか手を出せない分野。活動に大きな関心を持っていますし、様子を見ながら支援していきたい」と、藤里町へ同行した水落久夫課長は話す。
開所の一報は県内を駆け巡った。妙高市で同様なフリースペース「ぷらっとほーむ」を設けるグループや、南魚沼市の親の会グループなどから、連携や励ましの連絡が入っている。
「自分の子が、社会とつながろうとした時に、行く所があるんだよ、その居場所があるんだよ、これが親の安心感につながり、その安心感が子たちに伝わるんです。その場がねころんだです」。関口さん、小林さんは顔を見合わせ、うなずき合った。
◎◎◎
十日町市が今年3月までに民生委員などを通じて把握した「ひきこもり」の人たちは約114人としている。だが、「実際の数は調べようがありません」(福祉課)が現実だ。居場所の誕生は、「未来」への一歩につながるだろう。『ねころんだ』連絡先・関口美智江さん090・4955・4169。 (恩田昌美)