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2014年03月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
いよいよ市民文化ホール建設へ、設計業者決まる、本格ホールも  3月21日号
 中心市街地活性化の中核事業となる市民文化ホール・中央公民館の設計業者が決った。先月28日、2社による公開プレゼンテーションを行い、設計業者選定委員会(委員長・村山潤副市長、委員15人)が点数評価で審査し、同委員会が選定した方針通り、関口市長は「選定委員会の方針を尊重」し、設計は「梓・塚田設計共同企業体」に決った。今年5月15日までに基本設計を作り、来年1月31日までに実施設計。来年から2年継続で建設し、3年後2017年秋に開館する方針だ。

 審査は1次審査で7社から2社を選定。公開プレゼンテーションでは項目ごとに点数評価。関係者によると2社の差は小差という。関口市長は「素晴しい内容だ。最終選考の公開プレゼンも好評だった。ホールの区切りなどいろいろ工夫している点などが良かった」と評価。選定委員長の村山副市長は「拮抗した内容だった。総合的に判断した結果」としている。
 計画では、十日町高校と法務局・税務署合同庁舎隣の約1万4千平方bを用地取得し、建設事業費(用地取得・外溝工事除く)約30億円で建設する。設計業者に決った梓・塚田設計共同企業体の公開プレゼンの構想によると、ホールと中央公民館を「だんだんプラザ」で結合。768席ホールは、1階席(346)、2階席(256)、3階席(166)の構造で、公演の規模により各階を遮蔽板で区切ることができる。

 さらに建設地の段差を活用し、国道側からの玄関は2階、高校側から入ると1階で、この段差を大きな階段に活用し、1階部分に設置予定の「楽屋」の壁が開閉し、楽屋がステージ、階段が客席となるにもう一つのコンサートホールになる。この階段エリアを「だんだんプラザ」として交流拠点にしている。
 構想では、雪冷房や太陽光発電などエコエネルギーを導入する一方、ホールはガス利用の空調を採用し、災害発生時の防災拠点としての機能も備える方針だ。同構想は「今後市民との市行政や市民との意見交換で設計の熟度をあげる」としている。

 5月の基本設計、来年1月の実施設計づくりへの過程で、市民との意見交換の場を設ける計画。現在100を超える公民館利用団体などと意見交換する方針だ。

インサイドリポート「津南ゴミ焼却委託申し入れ、受けるか十日町」  3月21日号
 老朽化するゴミ焼却施設の更新か、それとも委託か―。津南地域衛生施設組合(津南町・十日町市・栄村)の管理者・上村津南町長は先月28日の同組合議会で「可燃ごみの焼却委託について、十日町市に協議を申し入れる」と、焼却委託を視野に協議を始める方針を初めて示した。同組合では近く公式文書で協議を申し入れる方針で、大きな行政コストになっているゴミ焼却は、大きな広域課題として協議、研究がいよいよスタートする。

 今年1月24日。十日町市直営のゴミ焼却施設「エコクリーンセンター」で、大規模改修の起工式を行った。平成5年建設の現施設の老朽化に伴い、焼却炉など施設の主要設備を更新する。これにより従来の5割アップの日量135d(現施設日量90d)の焼却が可能になる。2年後の2016年3月末までに完了する。これを機に同年4月から、現在は津南地域衛生施設組合に入る中里、松之山地域は、十日町市エコクリーンセンターでの焼却に移行する。
 大規模改修は、建屋改修を含め事業費約28億円。現在の2炉を更新、排ガス処理(バグフィルター)、粗大ゴミ破砕機も更新し、給排水設備を新設するなど21年ぶりの大規模改修を行う。改修で従来の16時間焼却から24時間運転が可能となり焼却量が増加する。
今回の大規模改修は、2005年の市町村合併を機に、現在、津南地域衛生施設組合に入る旧中里村、旧松之山町が十日町市となり、ゴミ処理も新市で行う方針を決め、ようやく実現する。計画では大規模改修後の2016年4月から実施。今年から両地域への説明に入る。中里、松之山地域のゴミ処理全般が、エコクリーンセンターに移行する。
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 ここで大きな課題が表出する。現在の津南地域衛生施設組合から中里、松之山地域が抜けた後、同組合は津南町と栄村だけで運営することになる。当然、両町村の運営管理費の負担が大きくなる。 
 このため同組合は『現在の施設を維持する』、『十日町市に可燃ゴミ焼却を委託する』の2つのシミュレーションを実施。結果を今月14日、津南町議会に説明した。
 向こう12年間での予測だ。同期間は現施設の更新期を想定。結論的には2016年以降、現施設使用より委託の方が、毎年3千万円余のコストダウンになる試算が出た。さらに「施設更新には、大変な財源が必要」(同組合事務局)として、行政コスト的には焼却委託が経費節減になるとしている。
 だが課題もある。14日の津南町議会への説明に対し、議員からは「委託費が問題。将来的な問題も含む」、「最終処分場の見通しとの関係もあり、十日町市の最終処分場が2019年までと聞く。津南との関係が出てくるのではないか」、あるいは焼却灰は津南組合分は持ち帰るとの方針に対し、「それはどういうことか。焼却委託ではないのか」など、課題が表出した。
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 この焼却委託の研究は事務レベル(十日町市・津南町・栄村・津南地域衛生施設組合)で協議する検討委員会が4年前から始まっているが、地震で中断し、一昨年から再開している。今回の津南地域衛生施設組合の管理者、上村津南町長の「協議申し入れ」で、いよいよ広域行政のあり方を含めた具体的な協議、研究が始まる。

写真・焼却委託が自立維持か迫られる津南衛生施設組合の焼却場

10代のまなざし「久保田ちひろさん・十日町中学2年」 吹奏楽で全国へ  3月21日号
 毎日のように音楽室から重厚でかつリズミカルな音が流れる。中越地区ナンバー1と評価は高く、さぞかし厳しい練習の毎日なのだろう思われるが、厳しさより以上に、楽しく明るい雰囲気が目立つのが特徴だ。
 「先生もやさしいし、一日中練習していても、楽しいんです」
 一人ひとり、誰もが欠かせない役割を果たしながら、ひとつのハーモニー、音楽を作り上げていく吹奏楽。
 「新年度からは新1年生を迎え、最上級生として新たなスタートを切ります。1年生の中には初めて楽器を持つという初心者も多いんです。お互いにレベルアップしていきたいです」

 県代表として3年連続、西関東大会に出場。新年度は最上級生として4年連続西関東大会出場をめざす。
 「目標は西関東大会よりさらに上の東日本大会に出場することです。でも先ず楽しく演奏することが一番。十中ならではのハーモニーを奏でたい」
 1歳上の姉の後についてピアノ教室に通い始めたのが小学1年の時。以来、ずっと続けている。吹奏楽は小学4年から。その時からのアルトサックスを今も担当している。時間に余裕があれば練習曲などをCDで聴くなど、音楽が分身のように寄り添っている。

 「いつも音楽があります。今は吹奏楽が第一かな。きものまつりなどで演奏していますが、もっと演奏する機会と場所がほしいです」。部員は現在15人。新1年生からは15人以上の入部を期待している。「出場は35人以下編成のB部。一緒に西関東、東日本大会をめざしませんか」              (村山栄一)

25年間尽力、石川眞一郎院長(町立津南病院)退任   3月21日号
「いつも笑顔の石川院長、ありがとうございました」。1992年から院長に就き、その前の副院長時代を含めると25年間、町立津南病院で地域医療に尽力した石川眞一郎院長(65)。「疫学研究で、医療の根拠を見出します。それに基づく予防医療、地味ですが成果をあげています」。3月で定年退任する。

 20年前、一つの仮説を立てた。「自律神経やホルモンに関係する神経系で、死亡につながるホルモンを抑制することで、死亡率低下ができる」。その主因として『食後高血糖』に大きなリスクがあることが分かった。食生活の大切さは当然だが、「食事の仕方、何を食べるか、食べた後どうするか」など具体的な指導に効果が出ている。
 「ここ10年くらいですね、効果が見られるようになったのは」。それは『主食は最後に食べる』『酢の物は必ず食べる』『食後休みはしない』。この食後高血糖は、実は心筋梗塞の誘因にもなっている。「高血圧と食後高血糖の合併症の場合、非常に高い確率で心筋梗塞を発症します」。
 こうした講話を院長在職中、地域や職場など各所で行った。その資料は院長室にある大きなダンボール箱3つに収まっている。「でも、依然として喫煙率が高いですね」。先日、町内の職場で健康講話をした。喫煙者は、の問いに「半分が手を上げました。喫煙は3大疾病の最大要因です」。禁煙外来も開設し、「たばこ害」を周知。数週間でタバコをやめた人もおり、成果を上げている。

 疫学研究の効果を話す。地域住民にとっては健康寿命を伸ばし、「研究のためには医師が必要。つまり継続的な医師確保ができます。さらに医師派遣する大学にとっても、その疫学研究が貴重な研究データになります」。
 昨年11月、町立津南病院開設50周年記念で講演した田嶋尚子医師。東京慈恵医大の名誉教授で、糖尿病研究の第一人者。田嶋教授の退官後、後任に就いたのが宇都宮一典教授。4年前から町立津南病院に勤務する佐野浩斎医師は、宇都宮教授の医局から来ている。「しっかりつながっています。糖尿病の疫学研究のデータが集まっています。その整理、研究は次の院長が担ってくれます」。後任院長は、石川院長が就任した同時期に津南病院で3年間勤務した。「津南が大好きな方です。しっかり引き継いでくれます」。

 石川院長は今月末で退任するが、4月以降も毎週火曜、水曜、外来診療を担当。「僕がいなくなると知って、泣いてくれた方がいました。医師冥利に尽きますね。津南は第二のふるさとです」。

四季の食材を医局会議に提供、妻有の味さしあげ隊、十日町病院へ  3月21日号
 住民の側から地域の病院を支えていこうと3年前に結成された「妻有の里・地域医療、地域ケアを支え隊」(高橋孝男代表)。同隊の構成組織のひとつで、県立十日町病院(塚田芳久院長)の医局会議に地元の食材を生かした弁当を提供している「妻有の味さしあげ隊」(小幡敏男代表)に24日、十日町病院が表彰状を贈り、感謝を伝える。

 妻有の味さしあげ隊は、医師らに感謝の気持ちを伝える「ありがとうポスト」などの活動を続ける「病院を応援し隊」の中に所属。昨年3月に設立し、月1回開かれる十日町病院の医局会議に合わせ、昼食時に地元素材を生かした弁当20食余りを届けている。高橋工務所の橋政徳社長が資金を援助、十日町市内の「入舟」や「松喜屋」「まえじま」「豊吉」「文よし」の5飲食店が協力して作っている。

 塚田院長は「大変ありがたい。支援への気持ちが伝わってきます」と感謝。小幡代表は「自分たちでできることをやっています。地域医療を支える一助になってもらえれば」と話している。

ソチ五輪出場の小林・中島選手、母校に凱旋  3月21日号
 目標だった大舞台に立ってきました―。ソチ冬季五輪・女子バイアスロンに出場した自衛隊・冬戦教の小林美貴選手(26、下条中―十日町総合高―日大)と中島由貴選手(23、中里中―十日町総合高)が14日、母校の十日町総合高(古俣英樹校長)を訪れ、五輪出場を報告した。

 大きな拍手を受けて体育館に入場した両選手は、在校生から花束を受けるなど歓迎。小林選手は「応援していただきありがとうございました」と感謝の言葉を伝え、「レースでは緊張しすぎて納得できる成績が出せませんでした。悔しい思いをした分、目標を持ち直して自分の目標を達成できるよう頑張っていきたいです」と次の韓国・ピョンチャン五輪をめざす意欲を示した。一方、中島選手は「みなさんの応援が力になりました。悔いのないレースができ、とてもうれしい。楽しく走れました」と報告。しかし次期五輪については「今シーズンで引退します。地元に帰って後輩の指導に当たるなど、恩返しをしたいです」と引退を表明。若手選手育成に取り組む意向を語った。

 報告会で同校の古俣校長は「学校、地域に勇気と希望を与えてくれた」と感謝、同高後援会の西方勝一郎会長は「努力に努力を重ねて栄光の座をつかんだ。選手生活を終えたら後輩の指導に当たってほしい」と第二の五輪選手育成を要望した。

自治医大進学者も、津南中等校卒業式  3月21日号
 ◎…「タイムマシンは完成しない。過去には戻れない。今やるべきこと、今しかできないこと、今したいことを逃さないこと」。医師をめざし自治医大に進学する丹野侑斗さんは、答辞で後輩たちに熱きメッセージを贈った。14日、県立津南中等校卒業式を開き、3期生68人(男子25、女子43)が学び舎を後にした。同校が目標とする国公立大進学5割以上には達しないが、医大進学者が出るなど、『夢の実現』への一歩は、着実に進んでいるようだ。

 ◎…進学先では国公立が北海道、秋田、埼玉、千葉、横浜国立、新潟、富山、金沢の各大学のほか千葉県立保健医療大、新潟県立大など専門職への進学。私立では早稲田、立教、津田塾、立命館や東洋、専修、日本、東海などが見られる。卒業式で吉原満校長は「飛ぶためには抵抗が必要。めざすものが高ければ高いほど抵抗は高く強い。野球のイチロー選手も言っている。3割バッターは7割の悔しさと向き合っている。苦しい時は決してスマートで美しくはない。だがじっと向き合っている姿は必ずや認められる」と励まし、「時代は若きリーダーを求めている」と68人を母校から送り出した。

雪上で彼岸参り、津南町で  3月21日号
 ○…九州・四国地方では桜開花の便りが届いているが、雪国妻有の里は、春めいてはまた冬に逆戻りという三寒四温が続いている。彼岸の入りの18日、未だ1b以上の雪に覆われている墓地では、雪を掘ってお墓を出したり、雪の上に花を捧げ、線香をあげて先祖を供養する姿が見られた。雪国の風物詩でもある。

 ○…ニュー・グリーンピア津南に続く津南町貝坂地区でも、線香や花を持ったお年よりなど地区住民が次々にお墓を訪れ、先祖の霊に手を合わせていた。彼岸を過ぎると、妻有の地にも本格的な春がやってくる。

今季は60万尾放流、JRと新潟水辺の会も放流  3月21日号
 ◎…「3千倍から4千倍になって帰ってくるんだよ」。1a余のサケ稚魚を川に放流する子たちに、新潟大名誉教授の大熊孝さんは語りかけた。5年目になる「宮中取水ダム・サケ稚魚放流」を15日、JR東とNPO新潟水辺の会(大熊孝共同代表)主催で行い、親子ら150人余がバケツに入った稚魚をやさしく放流した。「子どもたちは一生、忘れないだろうね。川の環境を良くしたい」と初参加の関口市長。中魚漁協の協力で実施し、今回は全体で18万尾を放流。子どもたちは「大きくなって帰ってきてねー」と稚魚を見送った。

 ◎…この日の稚魚放流は、上流の降雨や雪解けで増水のため、せせらぎ魚道下流で放流。田沢小3年の中澤春花さんは「小さくて可愛いです。大きくなって帰ってきてほしいです」。大熊名誉教授は「1cの稚魚が3年から5年、アラスカ沖で成長し、3`から4`の大きさに育って帰ってきます。ミネラルなど海の栄養分を上流に運んできてくれます。それにより山や森の土が豊かになります」とサケの役割を分かりやすく語った。中魚漁協では今期、担当エリアの信濃川流域で60万尾の放流を計画している。

やっとマイホーム、県境地震から3年、家族に笑顔  3月14日号
 震度6強の激震が長野・新潟県境を襲った震災から3年。大きな被害が出た栄村は住宅全半壊202棟。災害関連死2人。隣接の津南町も53棟、十日町市松之山では124棟が全半壊。寸断された道路や崩落した農地は復旧したが、地震の爪痕はいまだ残る。3年の時間が流れるが、津南町にはいまだ仮住まいの家族がいる。今春、大部のマイホームが完成する。

 県境を接する津南町寺石の石沢吉充さん(47)。小学生と高校生の家族4人で暮らしていた自宅は、県境地震で基礎ば陥没し大規模半壊。住めなくなり、町が用意した地元の教員住宅に仮住まい。農地転用の許認可の遅れなどで再建が遅れた。3年経過するなか、ようやく今春5月に同地内にマイホームが実現し、3年間の仮設住まいから抜け出せる。石沢さんは「ようやくです。震災の影響の大きさを改めて痛感しています。やっと自分たちにとっての震災から復旧できます」と話す。

 一方で、農地被害を乗り越え、営農への思いを新たにしている人もいる。 
水田約25f、被害総額1億7千万円余だった津南町。農地復旧し、元に戻ったかに見えるが、農家の心情は複雑だ。
被害が大きかった上野集落の専業農家、石澤春義さん(66)は昨春、驚いた。「雪下ニンジンの春の収穫時、グズグズと水が畑から湧き出て来たんだ。田植え長靴を履いて収穫した」。地震後、表面的には異常に気がつかなかった。「見えない亀裂が畑の各所にあったようだ。雪下ニンジンを作らなければ分からなかった」。農地は復旧したが今後、豪雨などで震災の隠れた爪跡が出ないか、不安は拭い去れていない。

 震災関連の国震災農地復旧(工費40万以上、被害額約1億4315万円)、町単小規模被害(同40万円未満、同2643万円)は2年前に終了している。だが、豪雨災害、豪雪の融雪災害が発生し、震災との因果関係も不明。 
「町長は『復旧は終わった』というが、現実には終わっていない。雨が降ると用水路に今まではなかった水が流れ込む。今後どんな影響があるか分からないが、やるしかない」と石澤さん。前を見る目は厳しい。
 
写真・3年前の県境地震で被災した田んぼ。復旧したが、かつての田んぼには、まだ戻っていなし(2011年4月、津南町上野で)

ようやく川西後援会結成、旧田口派との連携課題   3月14日号
 市長就任5年目、2期目がまもなく1年経過する十日町市の関口芳史市長。全市に後援会を組織化しているなか、唯一後援会がなかった旧川西に先月25日、「川西後援会」が誕生した。5年前の市長選で争った旧川西町長で現職市長だった田口直人後援会をベースに組織化された今回の川西後援会。会長には田口後援会の副会長を努めた元市議・北村公男氏が就任。同氏は「市政報告会などを地元で開き、枝葉を広げていきたい」と今後の活動方針を話している。
川西後援会は、関口市長誕生後の懸案事項だった。後援会連合会本部では、2期目をスタート後、川西後援会立ち上げに取り組み、旧田口後援会幹部らに協力要請し、同組織をベースに立ち上げを進めた。

 先月25日、川西商工会館に90人余が参加し設立総会を開き結成。北村会長、副会長に古澤実氏、吉楽幸子氏、幹事長は金子澄男氏などの役員構成で、地元市議が顧問に就いた。だが旧田口支持者からは「田口後援会がベースというが、部分的だ」との声もあり、今後、田口直人氏が同後援会顧問などの役員入りが焦点と見られる。

    ◇◇◇
 関口市長後援会の恒例、女性の集いを9日、十日町クロス10で開き、大ホールいっぱいの7百人余が参加し、関口市長と紀子夫人を囲み、2期目の関口市政への全面的な支持を確認し合った。
会場は女性一色。5年前の関口市長誕生パワーの勢いを示した。関口後援会の田村恭子副会長は「仕事がないのか、自分に合う職がないのか、働けない人が増えている」と働く場の創出を要望し、「子育てなど教育の中でも市長の意見が出せる場があってもいいのでは」と女性の視点を代弁した。

 市政報告で関口市長は「十日町市の人口は5万8千人。現状は毎日1人生まれ、2人が亡くなっている。毎日3人が転入し、4人が転出している、そんなイメージ。市職員は来年から増やしていく」と話し、今秋開業のJR工場、そば工場実現など雇用の場の拡大を語った。

10代のまなざし「桑原快青さん・津南中等校6学年」 三国志に導かれ  3月14日号
 4月から独り暮らし、自炊生活が始まる。「これまで、何から何まで親に任せてきましたから、ちょっと不安ですね。でも期待感も大きいです」。小学入学前から『三国志』に魅かれ、その思いに導かれ東洋史を勉強するため東洋大文学部・東洋思想文化学科に進む。三国志の『諸葛孔明』に魅かれ、彼の地、中国の大地に立つ我が姿をイメージしている。

 父の影響で見始めた『三国志』。就学前に手にしたのは『漫画・三国志』。「そうですね、小学校時代を含めて30回ほど読みました。父から本に『折り目をつけるな』と言われていましたから、大事に大事に読みました」。本で読んだのは津南中等校に入ってから。学校図書室で借り何回も読破。「諸葛孔明は軍師ですが、カリスマ性と洞察力、それでいて人間味があり、魅かれます」。三国志から入った中国思想。読むうちに中国の歴史、特に思想史に魅かれる。「もっと知りたい、勉強したい」。

 受験は『自己推薦』でチャレンジ。8百字の自己アピールは、三国志で抱いた中国への関心を書いた。「今の中国はマイナスイメージが強いですが、時代の変遷を知ることで中国の見方も変わるはず。将来、中国と日本の架け橋となる存在になりたい」。面接では、志望した東洋思想文化学科の教授が面接官で、三国志など中国話で盛り上がった。「この先生に学びたいと強く思いました」。きょう14日、卒業式。4年間担任の須田拓朗先生。「本当にお世話になりました」。   (恩田昌美)

明日へ「あの歌、あの日、あの時を」 妻有オールウェイズ・宮政広さん  3月14日号
 ギターのわきには焼酎のお湯割り。忌野清志郎の「スローバラード」。思いたっぷりに口ずさむ。宮政広さん(58)は、今日もギターを抱える。
 ふと、20歳の時の東北独り旅を思い出す。「車で、行きあたりばったりの旅だった。あの時は、高木麻早の曲をずっと車の中に流していました。なんとなく、あの時の気持ちに合っていたんでしょうね」。東日本大震災。東北の惨状を見ると、独り旅の記憶がよみがえる。「いわきも松島も本当にきれいだった。今の姿を見ると、せつないね」。
 
 『妻有ALWAYS(オールウェイズ)』。60年代、70年代フォーク全盛期に、多感な時間を過ごした仲間たちと毎年春と秋、『畳の上で歌おう会』を十日町市内の飲食店で開く。メンバー29人が準備や呼びかけを行い、毎回70人余が参加。メンバーの「父辛子」、「和―SABI」、自分たちの「パピエ」などがライブを行う。時間と共に会場はあの頃にタイムスリップ。『春の歌おう会』は、来月13日、市内「まえじま」で開く。

 中学2年の時。「フォーク・クルセダース」の楽曲に衝撃を受けた。あの『帰ってきたヨッパライ』。なかでも加藤和彦。無性にギターがほしくなり、来る日も来る日も父親に願った。
 当時はクラシックギターが一般的。だが、息子の懇願に応え、父親が買ってきたのは「フォークギター」。このギターとの出会いが、その後に導く。井上揚水、古井戸、かぐや姫、泉谷しげる、などなど歌った。
働き始めて手に入れた憧れの12弦ギター、

 同年の蕪木保男さんとフォークグループ『風鈴』を結成。初出場した長岡市厚生会館での「フォークロックフェスティバル」で準優勝。さらにエレキギターに持ち替え、「M(エム)」というロックバンド結成。そして県内外で高い評価を受けた伝説のバンドで、ヤマハ・ポプコンに出場した「鵺(ぬえ)」に加わる。ギターはいつも、そばにいた。そして今も、そばにいる。

 「なんなんでしょうね、あの頃の音楽は。あの時代、あの時間を一緒に過ごした者だけが分かる感覚かもしれません。あの頃の楽曲を聴き、歌うと、あの頃を思い出しますが、元気になりますね」。心地よい『魔法の時間』がやみ付きになる。
2人の我が子は独立、夫婦だけの時間。「好きな音楽を続けられるのは、かあちゃんのおかげ。感謝しています」。先日もギターを一本購入。『かあちゃんの協力』があった。アコースティック6本、エレキギター3本は、家族の一員だ。
             (恩田昌美)

山間地に鮮魚届け34年、津南の藤木正也さん  3月14日号
 十日町市高山の地方卸売市場には、市内、津南町の約400人の買受人(セリ人)が登録している。その中の一人、津南町正面の「藤木商店」はトラックによる移動販売を専門にする。
 店主の藤木正也さん(56)は、釣り好き、魚好きをきっかけに21歳の時(昭和54年)に鮮魚を中心にした移動販売を開業した。トラック荷台に販売用の箱を付けて改造したが、冷蔵性能や手洗いタンクの容量などが不十分でなかなか十日町保健所の許可がおりず、直しては何度も足を運んだという。さらに旧南魚沼郡の保健所の許可も得た。

 当時は近隣には同業者が多く、スキー場で景気の良かった塩沢に目を付けて足を延ばす。週に3〜4日通い、見ず知らずの家庭に飛び込んだ。「しかし思うようには売れず、お得意さんのでき始め頃は本当に嬉しかった」と語る。豪雪の時は行ける所まで車で行き、箱に魚を詰めて背負って売りに歩く、文字通り「そい商い」をした。今では津南町を中心に販売しているが、週1回は塩沢にも足を運ぶ。お客からの注文の数も増えた。

 毎朝、十日町市場に飛んで行き、お客を喜ばせ、客単価が上がるよう「できる限りいい魚を仕入れる」という。市場から戻るとすぐに魚をさばき、トラックに積んで販売に向かい、1日当たり40軒ほど売りに歩く。34年間続けているが「3年前の大震災や異常気象で欲しい魚が入ってこないことがある。また、どの商売にも関わるが、少子高齢化が進み家族が減って影響がある」との現況。しかし「お客さんの要望に応えることに重点を置き、1軒当たりの単価を落とさない工夫をしていきたい」と意気込みを語った。

のっとれ松代城、全国から390人  3月14日号
 ○…「冬将軍の手にある松代城を取戻し、城下に春を呼べ」―。松代城一番乗りを競う雪中鉄人レース「のっとれ!松代城」が快晴に恵まれた9日、松代総合グラウンド周辺で開かれた。越後まつだい冬の陣として今回が27回目。全国から390人の戦士が参加、高さ7b余りの網を乗り越える「騎馬止め破り」や垂直に近い「雪砦」などの難関を乗り越えながら松代城をめざした。

 ○…出場した戦士は18歳から67歳まで男287人、女103人。高知や会津大トライアスロン部などからの「援軍」も。城下町から山頂の松代城まで、標高差約200b、延長約3`の雪上に10箇所余りの難関があり、これを乗り越えて、山頂の松代城一番乗りを競った。

 ○…レースの結果、見事一番で入城を果たした田崎友康さん(35、新潟市)が第25、27代に続き3度目の城主に。また女子1位の荒井佳子さん(43、魚沼市)も女侍大将に任命され、それぞれ魚沼コシヒカリなどが贈られた。また完走者の中から抽選で姫野友紀子さん(31、十日町市)ら5人にハワイ遠島の刑が言い渡され、参加者たちは大喜びで刑を受けていた。

雪原に輝く20000万本の光、雪原カーニバル  3月14日号
 ○…キャンドルの光が春を呼ぶ―。2万本のスノーキャンドルが雪原に幻想的な雰囲気を演出する雪原カーニバルなかさと2014が26回目を迎え8日、なかさと清津スキー場で開かれた。当日は雪が降る寒の戻りのような天候だったが、ゲレンデいっぱいに灯されたキャンドルの明かりに、訪れた人たちは「とってもきれい」と歓声をあげていた。

 ○…夕闇が会場を包んだ午後6時、5百人余りの来場者が、雪原に並べられた2万本のキャンドルに次々に火をつけるとゲレンデは炎の波に。その中でタイマツ滑降やメモリー花火が上がり、大勢のカメラマンがシャッターを切っていた。

ほくほく線、普通列車を快速化、北陸新幹線開業後の対応策  3月7日号
 来年3月に延伸開業の北陸新幹線により、首都圏と北陸を最短時間で結ぶルートの「ほくほく線」を走る「特急はくたか」の廃止が確実視されるなか、上越新幹線・越後湯沢駅と日本海の工業地帯・直江津駅を結ぶ同線の『生き残り策』に関心が集まる。開業以来、黒字経営を維持し、累計内部留保が130億円になる見込みの同社。現在売上の9割以上を占める特急はくたか廃止後は、この内部留保を活用する方針だが、さらに現在の車両をそのまま使った「快速化」に取り組む方針が明らかになった。大熊孝夫社長は「我々は淡々と経営に取り組むだけ」と、北陸新幹線の延伸開業後を話すが、「ローカル列車の利便性をさらに高める」と、さらに『地元密着』をめざし、普通列車の快速化など新たな経営方針を打ち出す準備を進めている。

 17年前の開業当初から黒字経営を維持する第3セクター北越急行・ほくほく線。全国の3セク鉄道37社の中でも、群を抜く営業成績を維持する。その主因は、首都圏と北陸を最短時間で結ぶルートを持つため。越後湯沢駅でほくほく線・特急はくたかに乗り換える利用者は毎日7千人余。はくたか効果で年間乗車客数は3年連続で100万人を突破し、昨年決算で開業以来の内部留保を約105億円に伸ばしている。
 だが、来年3月に長野から金沢まで北陸新幹線が延伸開業するため、現在の特急はくたかは廃止される見通し。ほくほく線は年間46億9千万円(2013年決算)の売上が10分の1になると予想している。

 「開業前の当初計画では高規格化はなく、開業即赤字の予定だった。だが収益性を求め、内部留保できれば、その後に特急が廃止されても、一定期間は経営できると見ていた」と大熊社長。事実、その見通し通りなっている。開業以来、年々利用者が増え、来年の北陸新幹線の延伸開業時までには内部留保が130億円になる見通し。「特急がなくなっても、向こう30年間はなんとかやっていける」と見ている。

 同時に新たな取り組みも実施する。特急廃止後、今の普通車両の快速化をめざす。現在、越後湯沢駅―直江津駅間(84・2`)の普通列車は、7駅しか停車しない列車が67分、すれ違いを含む各駅停車は118分を要す。
 延伸開業後、特急はくたかの廃止で、「運行本数に余裕ができ、毎時同じ時刻に列車を走らせることができ、普通列車の高速化・快速化が実現できる」という。現在の普通列車で全国的にも普通列車では最速の時速110`による快速化が実現できる。さらに「看板的な列車も考えたい」と、快速以上の最速列車も構想している。

 一方で、沿線の地元自治体との連携も視野に入れる。「すぐには具体的な話し合いはできないが、ロングスパンでどう連携できるか話し合いたい」と話す。さらに大熊社長は「沿線の皆さんの利便性がさらに増す取り組みを研究したい。そこに、ほくほく線の将来が見えてくるはず」と具体論は今後だが、北陸新幹線開業後の姿を、すでに描き始めている。

写真・北陸新幹線の延伸開業後、廃止が濃厚な「ほくほく線・特急はくたか」(4日、十日町駅で)

市民文化ホール、いおいよ実現へ、設計公開プロポーザル開く  3月7日号
十日町市の中心市街地活性化事業の中核的な事業となる「市民文化ホール・中央公民館」の設計業者を決める公開プロポーザル(提案型入札)を28日、市民会館で開き、1次審査を通過した2社がプランを発表した。同文化ホール設計業務委託業者選定委員会(委員長・村山潤副市長)の委員15人、さらに一般市民150人余が参加するなか、2社が完成予想図などを示しながら、自社のプランをアピールした。参加市民からは「公開審査はとても良いこと。2つとも一長一短だった」と、どちらに決まるか関心を示している。10日前後には決まる見込みだ。

 プラン発表した「新居千秋都市建築設計・Salix&Associates.Architects」設計共同体は、棚田をイメージしたホール(774席)や交流の場となり、2万冊の図書やグッズ販売、調理室と飲食コーナーを備えた「アメニティ・ストア」を内包するなど、幅17b、長さ50bの3階建てで、隣接の十日町高側に建物を配置し、国道側に広いスペースを設ける設計を提案した。
 関心が高いホールは「残響1・9」という音楽公演に最適な音響をプラン。多目的ホールのため可動席導入でも固定席並みの音響を確保でき、シンプルな操作性を強調。リハーサル室は、そのまま小ホールに活用でき、周囲の回廊250bには、100号絵画を250点展示できるスペースを設ける。「冬でも歩けるルート化」として用地段差を活用し、建物に表裏を作らない構造。さらに運営面では、「音楽や芸術分野の専門家とのつながりでグループ化をはかり、ホールを活用していく」と著名デザイナーや音楽アーティストなどの名を上げていた。
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 一方、雪国の「雁木(がんぎ)」と入口ホールの交流エリア「だんだんテラス」を設けたプランを発表した「梓・塚田設計共同企業体」。国道本町通りから文化ホール、さらに市役所側へとすべて雁木でつなぐプラン。ホールは750席、客席に昇降壁が自動で設置できるシステムで、3百席、6百席と3タイプの利用ができる設備。「ホール残響1・4」の設計だが、「さらに残響アップはできる」という。用地段差を活用した建物で、その段差をそのまま大きな階段にし、正面のリハーサル室の壁が開閉し、この「だんだんテラス」が、そのままもう一つのホールになる設計だ。
 建物には太陽光発電、雪冷房システムを導入し、ホール空調はガスを使用。ペレットストーブ、井戸も設備し、「防災拠点」にも配慮している。
 建設位置は同様に十日町高側。構成的には公民館ゾーン、交流ゾーン、文化ホールゾーンの3つが合体した形だ。

 2社のプロポーザルを聞いた60代の女性は「最初の方が独創的で使い勝手が良さそうで、幅広く活用できそうです。十日町の顔になるわけだから、質的にも良いものがほしいです。審査会が何を基準に、どちらを選ぶか、とても関心があります」と話している。
 設計業者を決める選定委員会は、この日の公開プロポーザル後に開かれたが、今月10日前後に正式決定する見込み。今年9月頃までに市民参加で基本設計をつくり、来年3月末までに実施設計、同年に着工し、3年後の2017年秋には開館する方針だ。

写真・左前方が市民文化ホール建設予定地。十日町高屋上より

県境地震から3年、震災復興基金10億円、村民主導で  3月7日号
 あれから3年。長野新潟県境地震で震度6強の激震に襲われた栄村。「復興」の二文字を背負い、村民は前を向いている。その村民を支援する村行政。その支援の財源となるのが『栄村震災復興基金』。東日本大震災で全国から寄せられた支援金が、被災地・栄村にも長野県を通じて交付されている。その基金は10億円。村税1・7億円の同村にとって、この復興基金は大きな財源。震災から3年を向かえるなか、新年度事業を含め約5億円を2014年度までに使う計画だ。村民からは「大切なお金だ。復興にどう役立っているのか見えない。復興計画推進委員会が機能しているのか、それも見えてこない」と、震災から3年を向かえるが、村民感覚は、『いまだ復興の道半ば』。全国からの支援で集まった10億円、その使途に村民の目が注がれている。

 長野県が管理していた同基金10億円のうち、栄村は24年度に約9200万円を交付金として受け取り、昨年6月、4億円が県から栄村一般会計に繰り入れられた。残る5億円は県が保管する。
栄村が2年前の11月に策定した震災復興計画によると、計画実現への取り組みとして、役場職員係長クラスで作る「プロジェクトチーム(11人)」が復興基金活用の事業を策定し、復興計画推進委員会(相澤博文委員長・6人)が事業内容をチェック・検討。その事業を実施するのが「サポートセンター」。さらに事業予算を決めるのは村議会という構図だ。

 このシステムが現在、どう機能しているのか。事業を立案するプロジェクトチームは2ヵ月に一度開いてきたが、昨年10月以降は開かず、新年度事業に関しての検討はなく、同チームは休止状態になっている。

 立案事業は推進委員会が検討するが、これまではそのまま議会提案され、可決後、推進委員会に報告され、システムが逆の流れになっている。復興基金を使った新年度事業も、推進委員会を経ることなく3日開会の村議会にすでに提案されている。
 同推進委員会の相澤委員長は「栄村はひとつ、産業も一つという共有意識を作らない限り、復興計画の実現は進まないだろう。なんと言ってもトップのリーダーシップが欠如しており、そのシワ寄せが村民や集落に及んでいる」と話す。昨年11月の第3回復興推進委員会以降、同委員会は開かれず、復興計画を委員長として主導し、同推進委員会のアドバイザーである木村和弘信州大名誉教授への出席要請もしていない。

 だが一方で、意欲的に取り組む集落も現れてきている。
 小滝と大久保の両地区では、空家を活用し、交流施設に改造する計画を住民主導で立案。震災からの復興を自立の形で実現しようとしている。「こうした集落を復興のモデル地区として村が支援すれば、他の集落もその活動例に学び復興が進むはず。そこにこそ復興基金を有効活用すべきだろう」と相澤委員長は話す。

 復興基金を活用した新年度には、サポートセンター委託費5百万円、デマンドバス購入補助750万円、住宅リフォーム支援2百万円、若者定住促進5百万円、空家対策支援230●万円、防災計画策定230万円、集落集会所改修設計1千万円、地区避難所改修3千万円、古文書収蔵施設8300万円、水田畦保護緑化6百万円、農産物直売所4千万円など、新年度は約2・3億円を予定。なお前年度は1・2億円を事業化した。

写真・3年前の震災発生当日。役場に避難した村民たち(2011年3月12日午前10時ごろ、栄村役場で)

明日へ「金澤修二さん・竹細工に取り組む」  3月7日号
 幅3_の細い竹で、しっかり編まれた7_にも満たない六角形が規則正しく並ぶ手篭(かご)。「これは竹司さんが作ったものです。芸術品ですね」。竹細工職人として知られる十日町市北鐙坂の斎木竹司さん(82)に弟子入りし、4年間通った金澤修二さん(64、土市)は、この冬も竹細工に向かっているが、ますますその奥深さを感じている。
 「とてもとても。皆さんに見せられるものはまだまだです。それにしても、もう竹司さんから習えないのが残念です」。

 2年前の秋。竹司さんは、素材のネマガリタケを取りに行く途中で交通事故に遭い、以来、寝たきり状態。現在、福祉施設に入所している。この道70年余の技が、消えかかっている。
 竹司さんは県内でも知られる竹細工職人。4年前には、全国の手仕事師で作る「民藝」が十日町で民藝展を開き、招待作品として出品された。近隣の人たちが教えを請いに、時々訪れていた。だが弟子入りはいなかった。

 市役所を早期退職した金澤さん。「以前から気になっていました」。叔父でもある竹司さん。そこで『弟子入り』を頼み込んだ。「誰かに伝えたい」と竹司さんも思っていた所への申し出だった。
 2008年1月から通い始めた。月曜から金曜、冬の4ヵ月間、毎日通った。素材は、地域に自生する「根曲がり竹(ネマガリタケ)」。雪の下に鍛えられ、しなやかで弾力があり、生活民具の竹細工として重宝され、かつては各集落に職人が多くいた。だが、ワラ細工など多くの手作り職人と同じように、またひとり、またひとりと技人が消えている。竹司さん方は代々の職人で、今も見事な竹細工が残っている。
 
 竹細工は『竹割り』から。直径1a余のネマガリタケを特殊な『竹割り刀』で割る。さらに同じ幅に揃える『竹引き』。厚さ1_ほどに薄く削ぐ『しごき』を経て、ようやく編む材料が揃う。「竹司さんの作ったものを見れば分かりますが、この六角形と竹が交差してできる三角形が規則正しく、同じ大きさで並ぶように編む、これが難しい」。

 秋に竹採りを行い、製作は冬仕事。自宅地下が仕事場。「ひと冬に5、6個作るが。まだまだ」。ザルや手篭、時にはインテリアになる創作品も手がける。手本は、竹司さんが作った品々。「手本にしようにも、どう編んだのかさえ分からない所があります」。それほどの逸品揃いだ。
 「数を作るしかないんです。なんとか、この竹細工の技を伝えていきたいですね」。
               (恩田昌美)

ソチ五輪、スノーボード入賞の角野選手、津南まつりで技披露  3月7日号
 ○…ソチ五輪スノーボード・スロープスタイルで8位入賞の角野有基選手(17、兵庫・三木市出身。日産]-TRAIL)がストレートジャンプ大会・第8回スノーウェーブに出場。空中で3回転する大技など披露すると観客は「さすが五輪選手」と感嘆。4年前に続き2回目の優勝を飾り、賞金20万円を獲得し「津南、サイコーです。また来ます」と笑顔を見せた。

 ○…角野選手は当日、白馬での大会に出場予定だったが雪不足で中止となり、スノーウェーブに出場。交流ある津南町出身のプロスノーボーダーの佐藤夏生・亜耶姉妹らと共に招待選手で参加。なお角野選手は4年前の中学2年時、初出場で優勝している。競技後は記念写真に気軽に応じるなど、気さくな姿を見せていた。

4年間に自信、十日町高定時制卒業式  3月7日号
県立十日町高定時制(上村栄市校長)の卒業式が3日に開かれ、働きながら学んだ生徒など25人が様々な思いを胸に母校を巣立った。
 式辞で上村校長は「他の人をいたわる心がけを忘れず、感謝の思いを新たにして巣立って下さい」と呼びかけ、生徒を代表し小海大樹君が答辞で在校生に向け「将来に対する不安や人間関係などに悩んでいる人もいると思う。問題から逃げず、自分から行動してほしい」と呼びかけた。
 同定時制の志願者は新年度13人と減少しているが、存続を求める同窓会の庭野雅弘会長は「入学減少は少子化の影響。生徒がいる限り存続できるよう今後もアピールしていきたい」と話している。

被災地住民、雪まつりで元気交流、上郷しなちく雪まつり  3月7日号
 ○…十日町市、津南町、栄村で住宅全壊63棟、半壊334棟、一部損壊2068棟の甚大な被害が出た新潟長野県境地震から3年目を迎える。県境の上郷地区(493世帯)では被災後、防災意識の高まりから住民自治組織・上郷地区振興協議会(島田福男会長)を2年前に設立。2日は昨年に続き「第2回上郷しなちく雪まつり」を旧上郷中グラウンドで開催。雪上運動会や住民ライブ、さらに隣の栄村から栄ふるさと太鼓が出演。同会では各地区に無料の送迎バスを運行し高齢者も来やすいよう配慮、住民4百人余が集い雪上交流。町内寺石からの小林キクエさん(96)は「若い人が一生懸命やっている。上郷の懐かしい顔にも会えたよ」と嬉しそう。

 ○…昨年と同様、集落数と同じ17個の雪だるまを作り、地域の一体感をアピール。今年のテーマは『輪』。島田会長(63)は話す。「昨年は『絆』で、今年は一歩進んで『輪』。少子高齢化が進むなか、世代を超え住民が顔を合わせる機会を作る意味は防災面でも大きい。今後も雪まつりを続けたい」とする。同会メンバーは昨年11月に飯田市に赴き、緊急時の安否確認や避難所誘導方法を学ぶなど、県境地震を教訓に地域の防災力を高めている。会場には上村町長や尾身孝昭県議も姿を見せた。上村町長は「来年、北陸新幹線が開通すると関西からの新潟の窓口が上郷となる。上郷中をその拠点としたい」と構想。町では大地の芸術祭と連携、上郷中を全国の演劇集団が滞在するレジデンス化し、都市との交流拠点とする計画を進める。同協議会も協力する方針だ。


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