あれから3年。長野新潟県境地震で震度6強の激震に襲われた栄村。「復興」の二文字を背負い、村民は前を向いている。その村民を支援する村行政。その支援の財源となるのが『栄村震災復興基金』。東日本大震災で全国から寄せられた支援金が、被災地・栄村にも長野県を通じて交付されている。その基金は10億円。村税1・7億円の同村にとって、この復興基金は大きな財源。震災から3年を向かえるなか、新年度事業を含め約5億円を2014年度までに使う計画だ。村民からは「大切なお金だ。復興にどう役立っているのか見えない。復興計画推進委員会が機能しているのか、それも見えてこない」と、震災から3年を向かえるが、村民感覚は、『いまだ復興の道半ば』。全国からの支援で集まった10億円、その使途に村民の目が注がれている。
長野県が管理していた同基金10億円のうち、栄村は24年度に約9200万円を交付金として受け取り、昨年6月、4億円が県から栄村一般会計に繰り入れられた。残る5億円は県が保管する。
栄村が2年前の11月に策定した震災復興計画によると、計画実現への取り組みとして、役場職員係長クラスで作る「プロジェクトチーム(11人)」が復興基金活用の事業を策定し、復興計画推進委員会(相澤博文委員長・6人)が事業内容をチェック・検討。その事業を実施するのが「サポートセンター」。さらに事業予算を決めるのは村議会という構図だ。
このシステムが現在、どう機能しているのか。事業を立案するプロジェクトチームは2ヵ月に一度開いてきたが、昨年10月以降は開かず、新年度事業に関しての検討はなく、同チームは休止状態になっている。
立案事業は推進委員会が検討するが、これまではそのまま議会提案され、可決後、推進委員会に報告され、システムが逆の流れになっている。復興基金を使った新年度事業も、推進委員会を経ることなく3日開会の村議会にすでに提案されている。
同推進委員会の相澤委員長は「栄村はひとつ、産業も一つという共有意識を作らない限り、復興計画の実現は進まないだろう。なんと言ってもトップのリーダーシップが欠如しており、そのシワ寄せが村民や集落に及んでいる」と話す。昨年11月の第3回復興推進委員会以降、同委員会は開かれず、復興計画を委員長として主導し、同推進委員会のアドバイザーである木村和弘信州大名誉教授への出席要請もしていない。
だが一方で、意欲的に取り組む集落も現れてきている。
小滝と大久保の両地区では、空家を活用し、交流施設に改造する計画を住民主導で立案。震災からの復興を自立の形で実現しようとしている。「こうした集落を復興のモデル地区として村が支援すれば、他の集落もその活動例に学び復興が進むはず。そこにこそ復興基金を有効活用すべきだろう」と相澤委員長は話す。
復興基金を活用した新年度には、サポートセンター委託費5百万円、デマンドバス購入補助750万円、住宅リフォーム支援2百万円、若者定住促進5百万円、空家対策支援230●万円、防災計画策定230万円、集落集会所改修設計1千万円、地区避難所改修3千万円、古文書収蔵施設8300万円、水田畦保護緑化6百万円、農産物直売所4千万円など、新年度は約2・3億円を予定。なお前年度は1・2億円を事業化した。
写真・3年前の震災発生当日。役場に避難した村民たち(2011年3月12日午前10時ごろ、栄村役場で)