学校統合により使われない校舎が全国的に増加しているなか、津南町、十日町地域も空き校舎が増加している。民間工場や福祉施設に姿を変える例もあるが、多くはその活用策が大きな行政課題になっている。津南町三箇地区。2010年3月に閉校した三箇小学校。その校舎に、再び子たちの元気な声が響いている。戸数139世帯(436人)の限られた地域性の同地で、いま何が始まっているのか。閉校校舎を活用し、それを地域づくり活動に結び付けつつある三箇地域のいまを、3回に渡りリポートする。
男の子たちの寝場所は、広い体育館。女の子は教室。体育館に敷かれた40枚ほどの布団。「1、2年の時も学校に泊まった。でも、ここはなんか楽しいな」。小学5年の男の子たちは、ちょっと興奮気味だ。
3年前から三箇校舎を活用し、農業体験交流や自然体験活動に取り組む神奈川・横浜国立大付属の鎌倉小学校。今月17日から5年生120人の3クラスが、40人づつ順次2泊3日の計画で三箇地区を訪れ、地元農家で稲刈りやサツマイモ掘りなど体験交流。宿泊は校舎を使い、体育館や教室に分宿。鎌倉では体験できない3日間を過ごした。
「この時間の流れや、自然と共に暮らす地域の人たちとの交流で、学校を離れて、日頃体験できないことを、ここ三箇でできる。さらに地元の人たちの熱意、子どもたちにとって、とても良い環境です」。引率教諭の斎藤祐介さん(37)は話す。
三箇地区の中央、信濃川を見下ろす高台に建つ小学校。里山に抱かれるように集落の家並みが連なり、その家々を囲むように緩やかな棚田が広がる。どの家の軒先にも花が植えられ、里山独特の雰囲気を創る。
2010年3月で閉校した三箇小。その年の5月、横浜国立大付属・鎌倉小の甘利修副校長が、校舎活用について地元で説明した。「この自然の中で、子どもたちは、自分が生きている姿を実感するはずです」。聞いた地元民には、最初はピンと来なかった。目の前にあるのは、日常に溶け込んだ「当たり前の自然」。副校長は、三箇の自然を子どもたちにまるごと体験させたい、その強い思いを話し、協力を求めた。
副校長が地元説明した2年前、鎌倉在住で「大地の芸術祭」参加アーティストの作家を通じて、津南と鎌倉小との交流は始まった。その作家・景山健さんと交友していたのが、いま三箇地区で校舎活用に奔走する『三箇地区 都会と交流を進める会』の代表、恩田稔さん(61)。校舎を活用し、三箇地区の地域づくりに取り組む。
創立120年の三箇小。記念の年の2009年11月、閉校式は開かれた。今回鎌倉小の子たちが宿泊に使った体育館に卒業生ら4百人余が集い、在校生19人の最後のリコーダー演奏が体育館に響いた。その翌年3月、最後の卒業生5人を送り出し、三箇小学校は静かに歴史の幕を下した。
「地域の心の拠り所の小学校がなくなるのは誰もが寂しい。だが、多くの子たちを育てたこの三箇の自然や環境を、地域のために活用できるはず」。恩田稔さんは考え、仲間たちと動き始めた。その呼びかけに応えたのが鎌倉小学校。閉校後の6月、5、6年生80人がやって来た。その冬にも訪れ、豪雪の津南を体験した。
地元の人たちは、空き校舎を今も「小学校」と呼ぶ。児童数の減少で閉校となった校舎に、再び子たちの声が響いている。その原動力となる『三箇地区 都会と交流を進める会』は、どう生まれたのか。そこには、拠り所を失った地域の危機感があった。 (次号へ)
写真・三箇校舎の体育館で布団を敷く鎌倉小の男子たち(18日午後9時、津南町鹿渡で)