「夏野菜カレー」が好評だった前回2009年の第4回芸術祭。「今回もカレーなんだって。ひと味違った特製カレーを出そうと思っているんだけどねぇ」。藤巻洋子66)は、昼食タイムが過ぎ、ひと段落して囲炉裏に腰を下し、向かいの小宮山マツノ(61)に話した。
06年第3回芸術祭の空家プロジェクトで、大人気を集めた「うぶすなの家」。十日町市願入(がんにゅう)にある。かつて24戸あったが今は5戸。中越地震で被災し、解体が決まっていた1924年建築の古民家が、5人の陶芸家(澤清嗣、鈴木五郎、中村卓夫、吉川水城、加藤亮太郎)の作品展開で甦った。
その年、うぶすなの家がTV「日曜美術館」で紹介されると翌週の土曜日、なんと1440人が訪れた。以降、週末や祭日、地元のお母さんたちが交代で食事提供などしている。
願入を含む「東下組地区」は7集落ある。うぶすなの家は、国道117号から約5`。深い緑の山あいに田が段々状に点在し、その中の家並みをぬうように道路がくねくねと走る。
市町村合併前、新潟県が中山間地の振興策で打ち出した「里創プラン・越後妻有アートネックレス構想」。越後妻有の6市町村から住民委員が参加し、「大地の芸術祭」の実現を協議した。
その一人に願入の水落静子(53)がいた。2000年、03年と芸術祭が開かれ、願入にとって、あの2004年10月23日の中越地震が契機になった。
翌24日の日曜は、東下組小学校の130周年記念式だった。前日の23日、PTAや青年団、老人クラブなど総出で式典の準備。「あとは本番を迎えるだけ」と帰宅し、台所で夕食の準備をしている午後6時ちょっと前、まさにその時だった。
突然の、経験したことがない激しい揺れ。幸い家族6人は皆家にいた。「祖母が、なみあむだぶつ、と唱えていたのを覚えています」。震源地は、願入の山一つ越えた旧川口町。わずか3`の距離。この地震で被災し住めなくなったのが「うぶすなの家」、水落丑松の家だ。
地震から2年後の06年、芸術祭の年。残雪が残る3月。東下組小学校で「東下組を考える会」を開いた。子からお年寄りまで2百人余が集まった。ここで初めて、願入など東下組に芸術祭作家が入り、作品展開する説明を受ける。
「私たちに何ができるのか、最初は分からなかった。でも、『いつも食べている、ごっつぉを食事メニューで出してほしい』と言われ、なんとなくイメージが湧いてきた」。静子は、各集落に声を掛け、「東下組おんなしょの会」を立ち上げる。
各地区から2、3人が出て、夜ごと集まりメニューの相談。だが、作品「うぶすなの家」作りは手間取った。「私たちが料理準備にうぶすなの家に入ったのは、開幕の前日ですよ」。そして芸術祭開幕。どっと人が押し寄せた。毎日12、13人で対応。「もう、てんやわんや。でも皆楽しそうでしたね」。陶芸家・鈴木五郎のかまどで炊くご飯は、極上の味。「4杯もお代わりした学生さんがいましたよ」。
家は、芸術祭プロデュサー・福武地域振興財団がオーナーとなり、「おんなしょの会」が週末や祭日、当番制で世話、食事提供する。
なぜ、こんなにも人が来るのか。喧騒の日々が過ぎ、お母さんらは考えた。「最初の年は地元の人たちが多かった。09年は圧倒的に地域外の人。最初の頃はアートを見に来るのかなと思ったが、訪れる人に聞くと、『この雰囲気が良いですね。また来たくなるんです』と話す人が結構いました」。
この雰囲気、とは。
今月13日、この日の当番は小宮山と藤巻。昼食時、メンバーの樋口タカ子(62)が顔を見せ、そこに孫を連れた静子も訪れた。
『なぜ、こんなにも人が来るのか』。藤巻が、お客さんから聞いた言葉を話した。「ここに来ると、ほっとする、と言っていたね」。うなずくメンバーたち。「私たちとおしゃべりするのが好きという人もいたね」、「ここの食事が気に入ったという常連もいるね」。次々と言葉が続く。
いよいよ29日、第5回芸術祭が開幕。「それまでに、特別メニューの特製カレーを作らなくちゃね」、担当の藤巻。何種類ものスパイスを取り寄せ、地元の夏野菜など地物を使った特製カレー。「今回、器が新しくなりますよ。29日にお披露目です。お楽しみに」。
「この山奥で、多くの人と会え、話ができることは、とっても嬉しいね。自分たちが活気づくし、元気になる。みんなの思いがつながっている、そんな感じだね」。おんなしょたちが顔を見合わせ、うなずいた。
(敬称略)