新しい年度に入り、様々な分野で新たな一歩を踏み出している人たちがいる。「明日へーさまざまな一歩」では、津南町、十日町市、栄村で新たな一歩を踏み出した人たちの思いを連載する。 (敬称略)
小学時代、母を病気で、父を事故で亡くした。「病院が身近でした。なにか人の役に立つことを」。そんな思いが、ずっと心の底にあった。
町立津南病院の作業療法士として田邊まゆみ(29)は、入院や外来者の身体の機能回復に取り組み、日常生活の支援など忙しい日々を送っている。
作業療法士。身体や精神の機能回復を専門の立場から取り組む。日常の動きの中に回復のための訓練メニューと取り入れ、動作に必要な補助具や動きをサポートする「自助具」を企画設計、製作まで行い、文字通り、日常の動きや作業を通じて、不自由な身体機能を回復していく国家資格の専門医療職。病院には理学療法士と共に欠くことのできない専門職だ。
あの3・11の被災地、福島県相馬市生まれ。親代わりで育ててくれた伯父の家も激震で被災。「幸い家は大丈夫でしたが、両親のお墓は倒れていました」。
中学、高校と、いつも心の奥底にあった医療関係への道。だが大学は美術関係の学芸員をめざし跡見学園女子大の文学部人文学科。専攻はイタリア美術史。ミケランジェロの時代の画家「カラパッチ」に魅かれる。卒業後は全く別の分野、東京のコンピューター関連企業へ。この職場で十日町市の企業から出張中のシステム・エンジニアの男性と出会う。結婚。4年前、夫の帰郷と共に十日町市へ。
ふと、考えた。心底あった「人の役に立ちたい」。小学時代、母の病気で病院が身近だった。「実は大学を卒業後、初めて作業療法士という仕事を知りました。これだ、と思いました」。その思いを、夫や家族に話した。『手に職を付けることは一生の財産』と理解してくれた。
資格取得のため入った長岡市の専門学校。3年間のアパート暮らし。朝から夕まで授業、夜はレポート準備、睡眠3時間の日々。2回の実習を経て国家試験に挑戦。「なにより家族理解があってここまでやれたのですから、第一条件は自宅から通える職場でした」。町立津南病院を見学した時の、職場や人の好印象が決め手になった。
内定を受けた。だが、採用条件は「国家試験合格」。3月30日の発表日。「自己採点では大丈夫と思いましたが、やはり発表の日は緊張しました」。採用決定。津南病院は不在だった人材がようやく確保できた。
手や指の筋力回復のため「ちぎり絵」などを取り入れ、日常の料理や食事では、手が不自由の人ために片手で料理できるまな板、片手で食事ができるスプーンなどを考え、製作する。「日常の中でどう生活していくか、あらゆる分野で作業を取り入れ、訓練により機能回復をめざします。例えば認知症の方で、編み物や縫い物は身体が覚えていますから、取り入れると改善が見られます」。
リハビリテーション科の理学療法士と連携し、身体の機能が不自由な人たちの訓練支援に取り組む。
「この地域の方々は我慢強いですね。それに皆さん、とても温かい。私がまず出来ることは笑顔で話しかけることです。積極的な声掛け、ここから始めています」。