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2011年11月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
インサイドリポート「初出荷、津南町認証米、消費者評価はどうか」  11月25日号
 全国ブランドの魚沼コシヒカリ。さらに差別化し、津南ブランド確立をねらった「津南町認証米」。町が助成金を出し、奨励する県内初の取り組み。初年度の収穫期が終り、市場出荷後、小売店に認証米が並び、果たして消費者の評価は…。
 
 神奈川県内の小売店。津南産米を扱い10年余り。「津南町認証米」のチラシとPRのぼりを店頭に掲げた。「生産地が明記された認証米は大歓迎。高い米を買う消費者は先ず産地にこだわる。豪雪や地震、25歳の最年少町議誕生で、津南の名に目を留めるお客さんもいる」と取り組みを評価。

 ただ、「津南の認知度はまだまだ低い。1回食べれば旨いと分かる。3合パックでワンコイン(5百円)などお試し商品を作り、試食会などアピールすればもっと広まる。ただ認証米ができた、それだけでは弱い」と課題を話す。
 
 認証米のPR不足は否めない。公募愛称を6月に発表したが後日、類似名が判明し使用不可。急きょ「津南町認証米」に。町内外の集荷業者にチラシ、のぼりを配布、県内外小売店へは集荷業者を通しチラシ頒布。認証米の初出店は先月16日の葛飾区産業フェア。他は今月9日、銀座で開いた在京マスコミ懇談会のみ。22日、町役場で開いた試食会のマスコミ連絡はなかった。

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 津南町認証米は、栽培基準を特別栽培米(JAS基準、国のガイドライン、県認証基準適合)、1等米、選別基準1・9_以上網目使用、さらに最大特色は食味を重視で「タンパク値5・5〜6・0%」の条件合致が基準。適合米には町助成金1俵(60`)千5百円支給し、農家意欲の向上をはかった。計画では津南産米年間約10万俵の4割を町認証米にするのが目標だ。
 
 初年度は、農家145戸が申請。栽培面積256f(水田面積の約18%)。町認証米1万7088俵を生産。カメムシ被害の等級減、タンパク値不適合など除き1万4181俵(適合率83%)を認証。認定外17%は、等級外9%、タンパク値不適合8%。基準以上のタンパク値検出が多くを占めた。
 
 認証米の認定をめざし初めて特栽米作りに取り組んだ男性は話す。「津南の水田は高低差があり、栽培指針通りでは日照時間や地力が違いうまくいかず、基準に満たない米も多く出たが、収入増のチャンスでもある。他産地の品質向上、TPPを考えたブランド化は大切。ただもっと消費者や農家にアピールする必要がある」。

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 魚沼米が流通する新潟県内の小売業者は、評価する。「津南町認証米は公的な保障で信用度が高く、安心して取り扱える。ただ集荷業者により品質にバラつきがある。安定商品を提供したい我々としては品質のブレは一番困る。先ず安定化をはかるべきだ」と話す。
 
 津南町は、この認証米への助成を3年間継続する方針。だが、集荷業者は継続支援を求める。町内業者は「始まったばかりの認証米。市場評価はこれから。3年で支援終了では継続性から問題だ。町がリーダーシップを取らないと、生産者は増えず、品質向上につながらない」と話す。県内初、全国的にも関心を集める自治体保証の認証米。津南町の本気度が試される。

写真・22日開いた認証米の試食会(町役場で)

新連載「かあちゃん登場」 三浦富恵さん 「40種の野菜作り、とにかく植えてみる」  11月25日号
 「家の前の小川で魚釣りができるんだよ。すごいでしょう」。緩い段々の田んぼが広がり、初冬の陽射しをいっぱいに受ける三浦富恵さん(43)は、笑顔いっぱい。都会の中学生の農業体験を昨年から受け入れる。農家になんで釣竿があるの、不思議がる中学生を連れて、自宅前の小川で糸を垂れると、ググッと手ごたえ。「やったー」。歓声が上がる。

 東京・町田生まれの富恵さん。2歳上の夫、勝久さんは足立区生まれ。津南の住人となり10年。『求む、新規就農者』に応えた。「野沢温泉にはよくスキーに来ていましたが、津南は知りませんでした」。20代初め、北海道、礼文島で10ヶ月間、猟師の家で暮らした経験が、ここ津南でも役立っている。

 「津南は底力がありますよ。野菜は美味いし、人もすごい」。どんどん、地域に入り込んでいる。全く初めての農業。だが、果敢にチャレンジしている。最盛期には60種もの野菜を作った。今年は40種ほど。「ここは試験場か、と言われましたよ。失敗もいっぱいしましたが、その失敗が面白い」。インターネットで外国からも種を取り寄せる。「とにかく植えてみる、これですよ」。3年前から津南の農村地域アドバイザーを務める。

 「ロマネスコ」。ワイン銘柄のような名の野菜。今が旬だ。カリフラワーの外国種。緑が濃く、三角帽子の形が可愛い。栄養価も高い。直売所などに出している。町内では唯一の栽培農家だ。
40種の野菜で主力は「生食トマト」。「津南のトマトの美味しさは最高。実はトマトは、9月が一番美味いんですよ。農家の皆さんはよく知っていると思いますが」。ならば、『トマトの旬は9月』とアピールすべきと。かつて津南はトマト日本一だった。「その技術はまだ残っています。しっかり次に引き渡してほしいですね。津南トマトはもっと注目されますよ」。

 家人がいなくなった民家を昨年求めた。一緒に畑と田んぼも。中古農機具を求め、米作りに挑戦。「教科書通りに行かないことを1年目で実感し、今年はその奥深さを知りました。米を作ってます、なんて、とても言えないよ。新米の新米です」。

 東京時代。12年間ほど公立、私立の保育園で栄養士を務めた。「クッキング保育」や「味覚教室」を提案し、取り組んだ。塩辛さや甘味など、素材を知り、調理しながら味覚を体感。「津南はいっぱい美味しい農産物があるので、恵まれた環境にあると思いますよ」。
 昨年から受け入れる中学生の農村体験。高校進学を迷っていた中学生が、『農業高校に行きます』と手紙をくれた。「私たちの農業が楽そうだったのかな、なんて主人と話してます」。三浦家の農業は、『楽しむ』が基本の基本だ。最近、特に感じている。「何もないけど、いつも同じ、変わらない津南、そこが一番の魅力では」。

 小雨。なんとも趣がある響き。豪雨の日、三浦家にやってきた彼女。茶とら猫。お気に入りは薪ストーブ前の席。「いつも主人と取り合いっこなんですよ」。冬支度に忙しい日々だ。

新十日町病院、100億円で25年着工、開業は27年度  11月25日号
 県立十日町病院の改築計画が盛り込まれた新潟県地域医療再生計画は今月4日、国に提出され、地域医療再生基金活用の38億3198万円の使途内訳が発表された。関心が集まる中核病院化に伴う新十日町病院は、総事業費100億円(災害拠点病院の機能整備分除く)のうち10億円を同基金活用する方針が示された。これにより、同計画が義務付けている平成25年着工が確実となった。


 地域医療再生計画は、「救急医療ネットワークの整備」、「がん医療の均てん化とPET/CT検査体制の整備」、「医療人材の確保・育成」、「医療機関適正受診啓発事業」の4部門に分かれ、新十日町病院建設は救急医療ネットワーク整備に入る。

 新十日町病院の総事業費は100億円。ただ、災害拠点病院に関係する機能整備事業は除かれている。同再生基金から10億円、他の90億円は県負担と同計画には書かれている。この県負担が、地元関係市町村負担に細分化されるかどうか、今後注目される。

 同計画では、病床数275床、診療科17科として新設の「総合診療科」、「リハビリテーション科」、「漢方内科」も入っている。さらに、「地域医療連携センター」設置、慢性期人工透析実施の医療機関と連携した「急性期人工透析機能整備」、「がん治療・緩和センター的機能の整備」、さらに「周産期母子医療センターと連携の地域周産期医療機能の整備」などの施設整備も行う計画だ。

 一方、南魚沼市浦佐に建設が決まっている「魚沼基幹病院」は総事業費約227億9948万円。今回の同基金活用では充当されていない。同基幹病院は平成27年オープンで、新十日町病院も同年開業となっている。

 魚沼基幹病院を運営する財団法人設立への出資が具体化している。出資金は5千万円の予定。内訳は県4千万円。残る1千万円を南魚沼市、魚沼市、十日町市、湯沢町、津南町の5市町で分担する方針だ。

「来春は作付けできるのか」、震災の栄村で懇談会  11月25日号
 3月12日の県境地震後、初めてとなる被災地、栄村の集落懇談会が21日から始まっている。同会ではまとまった被災状況や義援金の配分方針、さらに全壊世帯などが入居予定の村営復興住宅の建設計画などが示された。島田茂樹村長は「この懇談を基に、来年12月までに復興計画を作ると共に、24年度から向こう5ヵ年計画mの策定する」と長期方針を語った。参加住民からは、農地災害復旧の遅れを心配する声が多く、「来春の田の作付けが出きるのかどうか」と不安視している。

 懇談会には、島田村長と各課長が出席。震災被害状況を説明し、行政分野別に課長が具体的な方針を説明した。関心が集まる震災義援金は、来年3月末まで口座継続を決め、これまでに1万6百件、約8億6928万円(11月10日現在、長野県配分含む)。すでに2次配分を完了し、3次配分について、「被災世帯(全壊から一部損壊)全戸に50万円、住宅新築加算50万円、村営住宅等の入居世帯見舞金10万円、地域コミュニティ分で全集落に総額3千万円」と決めた。被災し住宅新築世帯には新たに100万円配分となる。

 22日には、公民館が全壊し、仮設公民館で集落運営する青倉区で開いた。震災前58戸あった同区。仮設入居など27戸が区外で暮らし、今は31戸だけ。この日は20人余りが仮設公民館での懇談会に出席。震災の崩れた石垣や道路などの復旧見通しなどの質問が出たが、関心はやはり農地、特に水田の復旧状況。農業者のひとりは「来春、米が作れるのかどうか。その見通しを知りたい。農地の復旧がなかなか進まないと聞くなか、進み具合と見通しと聞きたい」と心配の声。担当の産業建設課、斎藤保課長は「被災農地は1100ヵ所以上あり、青倉だけで17ヵ所ある。来年の作付けに間に合うように取り組んでいる」と説明。だが、降雪との関係で困難性が出てきている箇所もある。

 さらに住民からは、村の取り組み姿勢への疑問も聞かれた。「復旧見通しを聞くと、県や国の対応待ちの回答しかしない。集落が知らないうちに工事に入ったり、突然測量に来るなど、もっと情報を小まめに伝えるべきだ。住民と共に震災復旧にあたるというが、まったくその姿勢が感じられない」と厳しい指摘もあった。

 報告では、延長要望が出ていた被災家屋、車庫などの解体、処分の補助期間を来年7月末まで延長。森地区の仮設スーパー店は、来年1月開設見通し、中条川上流の応急対策は減勢工と谷止工を年度内に完成させる見込み。森地区のか開田への通水は年内に実施する予定、被災のトマトの国は来月19日再開し、スキー場は計画通り来月23日オープンの計画。島田村長は「至らないところもあるが、行政も一生懸命にやっている」と理解を求めた。

再生可能エネルギーを、原発寿命は22年  11月25日号
 「化石燃料はいずれなくなる。時間はかかるが自然エネルギーを使うべき。原発事故があった今こそ見直しを」。元原子力機関研究者、現在環境エネルギー政策研究所所長で風力や太陽光発電など自然エネルギー利用を提唱する飯田哲也氏は強調した。19日、クロス10での環境講演会。予断を許さない状況が続く福島原発問題を間近にした今、新たなエネルギー政策転換を150人余に訴えた。

  明治維新、敗戦、「第3の日本の転換点が3・11だ」とする飯田氏。小規模分散型のエネルギー確保を提唱。ドイツなど欧州で進む風力発電や太陽光発電を例に挙げる。「実は自然エネルギーのドイツは、原発のあるフランスに売電している」と指摘。「10年前のドイツと日本は似ている。ドイツは今、自然エネルギーで雇用は37万人、このうち25万人はこの5年間に生まれた。自然エネルギーは地域の新産業となれる」。自然エネルギー普及で企業やメーカーが競争し安価提供が可能になるとし「はっきりとビジョンを持つ政治力、サポートする官僚や企業がいればできる。2世代先を考え、我々が頑張れば純国産の自然エネルギーが手に入る」。さらに「携帯電話、ネットは15年前にはほぼゼロ。この間犯罪やトラブルもあったが、今はみな持つ。できないはずない」と語る。
 
 脱原発依存、自然エネルギー活用、電力市場開放を唱える。「残念ながら原発事故があっても原発は安全と、政治家は上に行くほど変わっていない。世界の原発の平均寿命は22年、だが根拠なく百年でも使えるなどと言う。福島第一は40年使ったおじいちゃん」と言及。事故後、原発立地の大熊町などで黒い雨が降っても避難指示をすぐに出さず、外で幼児を遊ばせるなどを黙認した政府。「原子力保安院、経産省など誰一人責任をとっていない。これが原子力村の現実。回文で『保安院全員阿呆』と言われるくらい」などと糾弾し、エネルギー政策一新を訴えた。

 

柏崎刈羽原発、堤防15b、地層調査で再評価を  11月25日号
 東日本大震災後、堤防など津波対策に取り組んでいる東京電力・柏崎刈羽原発で22日、津波や地震対策の取り組み状況を十日町記者クラブなど報道機関に公開した。運転中の6号機内部の原子炉格納容器では、使用済み燃料貯蔵プールに、地震によるオーバーフローを防ぐフェンスが張られ、原子炉建では海水侵入防止板が取り付けられるなど、東日本大震災の津波被害を教訓に、津波高さ15bの想定した対策が講じられている。

 柏崎刈羽原発は、1号機が昭和60年9月に運転開始し、7号機は平成9年7月に運転を始め、同原発全体7基で総出力821万2千`hを発電する世界最大級の原発。現在、5号、6号機が運転しており、1号と7号は定期点検中で残る3基は停止している。
今回公開した原発内部は6号機。原子炉格納容器の真上や緊急時に燃料棒を挿入する制御室、原発全体を統括するサービスルームなど原発中枢が公開され、同時に津波対策や耐震補強などの取り組みを公開した。

 東日本大震災後、東京電力は11月から、海に面している1号から4号機を高さ15bの堤防で囲み、高台にある5号から7号機を高さ3bの盛土で囲む工事を進めている。なぜ15bなのかに対し、同原発・林勝彦副所長は、福島第一原発を襲った13bの津波を基本に検討したことを明らかにし、「根拠があって15bにしたものではないが、当地の地層に(津波の痕跡が)残っていないか、80`に渡って地層調査している。今後、地層調査などで新たな知見が出た場合、改めて評価することになる」と話している。

 福島第一原発で問題になった「全電源喪失」を想定し、海抜35bに非常用電源車14台とガスタービン車2台を設置し、その脇に軽油貯蔵施設も建設中。さらに海抜55bには2万d貯蔵できる貯水タンクを設置し、非常時に備えている。

 原発内部は、複雑な迷路のような構造で、各種配管が縦横に走る。原子炉格納容器上部は、福島第一で水素爆発が発生し、原子炉建屋上部が吹っ飛んだ場所。使用済み核燃料棒の貯蔵プールは青く淡いブルーで、4年前の中越沖地震では、激しい揺れでプールの水(放射性物質を含む)があふれ、一部が海に流れ出た事故も発生している。このため、周囲をフェンスで囲んだ。

 7基の原発を津波から守る堤防は全長1・5`。1号から4号機は高さ15bのコンクリート堤防。海抜12bに建つ5号から7号機は高さ3bの盛土堤防。24時間作業で取り組んでいる。

 一方、新潟県が示している緊急避難地域の30`圏について東京電力は「現在、県により該当市町村で研究会を作っている。この検討意見を踏まえ、対応したい。安全協定の具体的な話が来ていないが、しっかり対応したい」(富永卓広報部長)、さらに隣接の津南町、長野県栄村、飯山市などへの対応は、「情報提供など該当市町村に準じた形で対応したい」と方針を述べた。

写真・原子炉建屋への海水進入を防ぐ防潮板も設置(同原発で)

名物夫婦「みまさ食堂」、常連客が感謝の集い  11月25日号
 ◎…「お客さんも家族でした」。今年4月30日にのれんを下ろした津南町大割野「大衆食堂みまさ」。別れを惜しみ、常連客が世話人となり19日、綿屋旅館で感謝する会を開いた。元町議や元農協役員など縁ある50人余が集結。店主の山田三男さん(78)と妻のサタさん(同)、ひとり娘の河野真弓さん(52)と家族を招き、42年間町民の拠り所として親しまれた食堂を名残惜しみ、感謝した。
 
 ◎…まだ町役場庁舎が木造だった昭和44年4月開店。「みまさ」の名は家族3人の名前が由来。町中心部にある店は住民の集い場に。町内で初めてメニューに載せた、自家製味噌使用の味噌ラーメンが人気。だが昨年1月17日、三雄さんが脳梗塞で倒れ右半身に麻痺が。サタさん独りで店を1年余続けるも今春閉店。今はみさと苑に入所しリハビリを続ける三男さん。「当時は酒も出す大衆食堂はなく、子どもから大人まで来てくれた。町長や町議と一緒に議論したのが懐かしい。こんな会まで開いてくれ、本当に感謝したい」。夫を支え続けたサタさん。「思い出と感激でいっぱいです。皆さんは家族のようなもの。幸せな40年間でした。これからも笑って生きていきます」と感涙。
 
 ◎…みまさ伝説は数多い。『議会終了後に町議が来てさらに議論し、ちょこは飛ぶ、殴り合う、障子は壊す。でも翌日はケンカした議員が笑顔でまた店に来る』『店に入ったらオヤジにいきなり怒られ、土下座してようやく店に入れてもらった』『年中無休だが、のれんが出ていない日は夫婦に何かあった時』など。今でも2階一部は常連客が議論の果てに壊したままだ。世話役代表の桑原達也さん(77、前農協組合長)は「町政や農協に関わる人はみなオヤジにさべられた。そんな店は他にはない。閉店はショックだが早く元気になり、迷惑かけた母ちゃんに借りを返すように」と激励。囲む会後、常連客は通い慣れた食堂に足を運び、思い出話に華を咲かせた。

わさび 順調に生育、事業化を期待   11月18日号
 豊富な湧水を活用し、わさび栽培に、試験的に取り組む栄村の北野天満温泉では、9月に植えたわさび苗が順調に育ち、10日には技術指導する静岡・伊豆市のわさび農園経営、鈴木丑三さん(79、津南町出身)が現地を訪れ、生育具合を確認した。鈴木さんは「しっかり活着している。葉の生育もよく、来春には葉が茂るだろう。水も合い、栽培には適している」と青々の葉を広げるわさび苗を手に取っていた。

 同地でのわさび苗試作は、津南町や十日町市の関係者が栄村の協力を受けて実施。北野天満温泉わきで湧き出る湧水を使い、14平方メートルの試験田に約250本のわさび苗を9月13日、鈴木さんの指導で植えた。苗は、全国わさびマイスターである鈴木さんが自家開発した苗を使用。10日は、しっかり根を張り活着した苗と、青々と葉を広げるわさび苗を確認した。

 鈴木さんは「水が合うかどうかが一番の課題。この生育を見ると、水も合い、温度の最適だ。順調に育つだろう」と太鼓判。冬期間は、簡単な屋根をかけるが、湧水で寒さは心配ないという。「来春には、水面が見えないくらいに葉が茂るだろう。この苗は1年半で出荷できる。面積拡大を考えてはどうか」と同地での本格的なわさび栽培を進言した。

 地元栄村では、「今回は試験的な取り組みであり、用地と水を村が提供している。試験栽培の成果を見て、今後の取組みを検討したい」(産業建設課)と、事業化を視野に取り組みを模索している。

写真・全国わさびマイスターの鈴木丑三さんが成育を太鼓判(栄村北野で)

検証・津南町議会「定数問題、新議会の宿題」 前議会では二度否決  11月18日号
 16日、改選された新議会がスタート。25歳の東大院生町議、新人4人、女性町議4人と話題を集める。この議会には、スターと共に大きな宿題が課せられている。それは「定数問題」。
改選前の9月9日。9月議会最終日この日、「議員定数2人削減案」が議員提案された。審議は、そっけないものだった。質疑は2人だけ、討論も2人だけ。結局、削減賛成4、反対10と、あっけなく否決された。

 実は1年前にも、同様な論議を津南町議会は行っている。2010年の9月議会。同じように「2人削減案」が議員提案された。この時は、春5月から毎月1回の全議員月例協議会で定数問題を協議してきた。毎月話し合い、9月議会で決着。結果は削減賛成5、反対9、無効1で否決された。

 この時、「定数問題は、来年(2011年)の改選後の新しい議会に託そう」との意見が出て、一応の合意をした形になっていた。
だが今年9月、改選を目前に定数削減が出た。削減案の提案理由は、こうだ。「昨年の今と今年の今は違う。世の中がこれだけ変わっているなか、我々議員はこれでいいのか。次の世代にために、いま決断すべきだ」。東日本大震災、県境地震、さらにゲリラ豪雨災害、立て続けの災害で地方自治体のあり方が根底から問われている現実が目の前にある、と迫った。だが、結果は、否決。新しい議会に委ねられた。

 スタートしたばかりの津南町議会。いきなり宿題を背負ったことになる。これまでの通例では、議会運営委員会が取扱を具体化するが、根津勝幸議運委員長の取り組みに、関心が集まる。

 議員定数論議は、これまで議会主導で行ってきたが、過去の取り組みを見ると、住民代表による公聴会、住民アンケートなどを行っている。今議会が、定数問題にどうアプローチするのか。

 十日町市では議会改革特別委員会を設置し、来春を目途に定数問題、議会基本条例、政務調査費など議会のあり方全般に渡り、専門の特別委員会を設置し、取り組んでいる。

 新議会に託された定数問題。先の町議選では、定数に言及した候補はいなかった。だが、今回の開票結果を見る限り、住民の意思表示は「定数削減を」とも読み取れる。25歳効果もあるが、得票の集中化、さらには地域代表意識の薄れ、本社実施の投票日アンケートなどにも投票行動の変化が見られる。

 改選まもない新議会。4年後の改選に向け、定数問題が、スタートしたばかりの新議会の大きな宿題になっている。
(検証、津南町議選は今回で終了します)

世界の日本食研、津南産業経済に波及効果、グループ創業40周年  11月18日号
 津南町の頼もしきパートナー「日本食研ホールディングス」のグループ創業40周年記念式を先月28日、神戸国際展示場で開き、社員や海外拠点ナショナルスタッフ、グループ社員、さらに中村時広愛知県知事、菅良二今治市長など3千7百人余が参列、節目を祝った。大沢一彦は「創業40周年を契機に、さらに大きな夢と希望を持ち、日本食研グループが一体となって、21世紀の食文化の一層の向上のために誠心誠意努力していきたい」と感謝し、さらなる地域貢献への積極姿勢を見せた。

 津南町からは前町長で津南町森林組合・小林三喜男組合長が出席。同社と同組合の取引は20年前に始まり、2006年には「津南営業所」を開設。取引10億円突破で記念式を開き、町に多額寄付や小中学生に図書を送るなど支援活動を継続。さらに3年前には、マウンテンパーク津南アリアに保養所を確保し、同グループ社員を10人単位で1週間の津南研修に3年前から送り込み、地域交流を進める共に、津南経済への支援活動を積極的に行っている。

 40周年記念式では、貢献企業や社員表彰を行い、地元今治市に海外派遣事業支援に5千万円、千葉本社がある同県栄町に元気事業支援基金5百万円を寄付。同社は1971年(昭和46年)、社員6人でスタート。「食文化を通じて社会貢献を」と、消費者ニーズに合うように「健康、衛生、安全」な食品提供を行い、研究開発型企業として次々とヒット商品を開発している。

 東日本の拠点として1992年(平成4年)に千葉・栄町に千葉本社建設、95年には全都道府県に営業所設置、98年には主力商品「焼肉のたれ」「焼鳥のたれ」など液体調味料部門で国内1位の実績を達成。2001年には創業30周年で愛知本社建設、06年にKO宮殿工場建設など飛躍的な躍進を遂げている。同社は資本金3億8千8百万円、売上790億円(連結2010年9月期)、従業員3750人、国内201事業所、外国8ヵ国19事業所を持つ。2009年に分社化を行い、日本食研HD、日本食研、日本食研製造の3社体制をとっている。

 分社化した日本食研HD、日本食研、日本食研スマイルパートナーズの社長を務める大沢哲也社は記念式で一堂に会した社員3650人に語った。「私たち一人ひとりの貢献や成長があったからこそ、今日の感動を実感できた。さらに世の中への大きな貢献ができると確信し、未来への希望を強く実感している」と感謝し、さらなる躍進を呼びかけた。

 組合取扱額約23億円の半分余を日本食研が占める津南町森林組合の小林三喜男組合長は「大沢会長、大沢社長の津南への思いに改めて感謝したい。心強いパートナーであり、津南町にとって重要な存在。津南の農産物を活用いただき、今後も共に研究、開発に取り組み、さらに伸ばしたい」と40周年の節目を祝った。同組合との取引額は約12・5億円で「日本一の森林組合に」を合言葉に、パートナーシップを強めている。

25歳東大院生町議、桑原悠町議にマスコミ関心  11月18日号
 津南町議選後、一夜にして全国ネットになった初当選の25歳の東大院生、桑原悠氏は今月10日から町議の任期がスタート。11日には議員の初顔合わせの全議員協議会を開き、16日には議会人事を決める臨時会を開き、両日とも多数のマスコミが取材に入り、桑原議員の動きをカメラが追った。

 11日の顔合わせで桑原議員は、産業建設常任委員会への希望を話し、新人議員全員が入る議会報発行委員会への所属が決まるなど、全国注目の津南町議員の活動をスタートンしている。16日の臨時議会では、正副議長人事で投票し、そのたびにマスコミのカメラが光っていた。

 桑原氏は11日、全協の後、取材に答え、議員バッジを付け「議員になったと実感しています。町民の皆さんの息づかいが聞こえる場で、政策実現していきたい」と抱負。東大大学院で公共政策学を学ぶ増田寛也教授からは、『1期目から大胆にやりなさい』と言われている。「選挙中に訴えた議会改革の一つ、議会基本条例の来年3月議会での成立をめざしたい。12月定例会では一般質問します」と述べ、町議選史上、一般選挙では最多得票の1144票への期待に応えていく意向だ。

市職員「知恵だし会議」、十日町市で続々事業化 11月18日号
 職員提案を積極的に導入する十日町市は15日、昨年から実施の「職員知恵出し会議」プレゼンテーションを保健センターで行い、関口市長ら市幹部を前に公募参加の3グループ12人が、今回のテーマ「人口増加への挑戦」の実現プランを発表。移住希望の体験ツアーや世代間の子育てギャップ解消策、さらに男女の出会い演出など多分野の独自事業が発表され、審査会で4事業の新年度予算化が決った。


 「若手職員の企画、立案能力を高める」目的で行い、今回は「人口増加で十日町を○○に」がテーマ。人口増加の具体策と共に、それにより、どんな十日町を描くかが課題。3グループは、全国最多の「地域おこし協力隊」を受け入れる同市の特性を生かした「移住促進基盤事業」、移動人口をヒントに住宅確保に100万円支給や新婚世帯に家賃1万円助成など定住・子育て支援策事業、さらに多い未婚人口の婚姻促進で、登録制による携帯電話での出会いの場作り情報提供など、特色ある3プランを発表。

 審査会では、定住促進では「人財バンク」設立、集落暮らし体験ツアー、定住支援のホームページ開設の事業化が決った。定住・子育てでは「祖父母もための子育て教室」、男親の育児や家事への積極参加を促す「イクメン・カジダン」の紹介事業が採択。出会い事業では、市運営の出会いサークルを携帯電話登録により情報提供し、各種出会いイベント実施の事業化が決った。出会い事業を市営で行う伊豆市まで日帰り視察した同グループの五十嵐聡子班長(27、教育委員会)は「とても勉強になりました。改めて独身率の高さには驚きました。苦手だったディスカッションも、いろいろな人と話しができ、とても新鮮でした」と話し、知恵出し会議の効果を話している。

65年の伝統に幕、震災の上郷中学、来春で閉校  11月18日号
 「我が母校、たくさんの思い出をありがとう」―。65年の歴史に幕を閉じる津南町立上郷中(中川久男校長、生徒23人)の閉校記念式典は13日、県境地震の影響で同校から上郷小に会場を移して開き、同窓生や地元住民ら450人余りが参集して校舎に別れを告げた。昭和30年代の運動会での「タバコ吸い競争」などがスライド上映されると会場から歓声があがり、思わず涙する姿も見られるなど、参加者それぞれが思い出を胸に刻み込むように閉校を惜しんでいた。
 
 来年度、津南中に統合される同校は、昭和22年に上郷村立として創立。住民や生徒も参加してグラウンド造りを行うなど地域総出による学校運営が行われ、その精神は今も続いている。生徒数は昭和37年の395人を最高に、今年度は最少の23人。卒業生は今年度の10人を含め3330人となる。
 
 同校は3月12日の県境地震で被災。現在も津南中を間借りしての授業が続き、閉校式典も現在の耐震基準に満たないことから上郷小での実施となった。

  式典で上村町長は「小規模校ではあるが地域と一体となった活動で、キラリと光るものがあった。これからも伝統は受け継がれていくものと思う」と式辞。中川校長は「関わった全ての人が歴史の語り部として上郷中の灯を語り継ぎ、次の世代に生かしていってほしい」と呼びかけ、中沢源式典実行委員長は「上郷中で開けず残念だが、最後の年を悔いのないようにと元気に学校生活を送っている23人の生徒の姿は立派。誇りに感じている」と語った。
 
 別れの言葉は小林公介生徒会長が行い、「震災で校舎は大きな被害を受けた。しかし困難を乗り越えた時、お互いを認め合い、信頼し合い、絆が深まった。その時の笑顔を大切にしてきた。私たちの心の中にある赤く暖かい上郷の灯も、上郷の絆も永遠に消えることはない」と話し、参加者全員で校歌や「ふるさと」を合唱。会場からすすり泣く声も聞こえていた。
 
 千葉市から駆けつけた昭和46年度卒の中嶋由利さん(旧姓山本)は「当時の思い出は忘れない。人とのつながりも一生続くはず。中川校長は高校時代の同期生だったのでびっくりしている」と話し、昭和30年度卒の涌井昭吾さん(寺石)は「生徒会の費用にと夏はドクダミの薬草採り、秋はイナゴ取りをした思い出が昨日のことのように蘇る。閉校は寂しいが、希望ある新たな出発点としてほしい」と話していた。

懐かしい風物詩、だいこん干し   11月18日号
 ◎…冬本番を迎える津南地域。野菜が不足する冬用にと漬ける「たくあん漬」。大根を手で曲げられるくらいまで日干しするため各民家の軒下にすだれ状に吊るす。冬の訪れを告げる雪国の風物詩。今春4月オープンの野菜直売所の津南食彩館(桑原誠店長)では14日から約4百本余の大根日干しを開始。国道わきの木造建物の入口にずらりと並ぶ大根アート。「珍しい」と行楽客の関心を呼んでいる。
 
 ◎…干し大根は注文を受けた分を1週間から10日間吊るす。注文者の多くは50代から70代の女性たち。「今は漬物を買う時代だが、その世代は干し大根があるなら漬けようかな、と思うようだ。建物の軒下に吊るすのも、田舎っぽくて風流でしょ」と桑原店長。今年は9百本余の予約が入り、地元はじめ十日町や小千谷、遠くは所沢市からも注文が入っている。「試しに干柿も吊るしたら、欲しいと言う人が出てきた。やっぱり懐かしいんだろうね」。郷愁誘う、雪国の原風景のひとつ。

経営難の津南醸造、救世主現る、越路商事社長・古澤氏が新社長に  11月11日号
 津南町の酒米農家などが共同出資し、津南町やJA津南町も出資して酒造権を取得し、秋山郷入口に醸造工場を新設し、16年前から酒造りに取り組む「株式会社津南醸造」は、今月1日、臨時株主総会を開き、酒や加工品など国内外で幅広く事業展開する越路商事(本社・十日町市)代表取締役の古澤有三氏を新たに取締役に加え、同日の取締役会で社長に互選し、新体制での業務をスタートしている。

 「こだわりの酒造り」でスタートした同社だったが、多額の本社・醸造工場建設費を背負っての新会社スタートだったため、高い製造原価と建設費返済などが経営を圧迫。債務処理などで再三、社長交代を繰り返してきた。特に筆頭株主のJA津南町は、多額な貸付金を抱え、債務問題が浮上。このため昨年から取引がある越路商事と話し合いを進め、今秋、古澤社長が個人で取締役に入ることが決り、1日の臨時株主総会で承認された。同会では、同時に3千万円を越える増資も決った。

 古澤社長は、1918年(大正7年)創業の越路商事社長でもあるため、同社の事業展開による津南醸造の業績改善への期待が高まっている。特に、国内の酒造界や都市部の観光エージェント、文化人などとの幅広い人脈を持つ一方で、韓国、中国、アメリカ、ヨーロッパでの事業展開など、多彩な外交チャンネルを持つため、窮地にある津南醸造にとって、まさに「救世主現る」といったところだ。


 古澤氏は7日、前社長の根津勝幸取締役との引継ぎを行った後、本紙の取材に答え、今後の津南醸造の経営方針を語った。その基本的な経営方針は『観光酒蔵をめざす』である。

 「あのステイーブ・ジョブズ氏は、1%の可能性があるなら、やってみる、と話していた。その思いだ。この自然、野菜を初めとする農産物、津南にはいいものがある。良いものがあると人が来る。この津南醸造は、観光酒蔵としていけるのではないか」と古澤社長は、従来の伝統的な酒造りをベースにしながらも、大胆な新たな展開の必要性を強調する。

 「例えば、ワイン産地にはワイナリーがあり、食を含めて特色を出している。ここでも考えたい。日本酒も様々なものができる。古酒人気の中、ビンテージものもできる。その資源の一つに雪がある。雪室で新たな付加価値をつけたい」と地域資源を活用した事業展開をめざす。

 古澤社長は「観光酒蔵は受入れ体制も必要だが、都市部のエージェントとの連携で、この自然資源は大きな魅力になる。酒と食、それにこの自然ロケーション、まだまだやれることは多い。ジョブズ氏の言葉のように、1%の可能性に挑戦したい。当然、経営であり、単年度黒字をめざす」と積極姿勢を見せる。来月上旬、同社の通常株主総会を開く。古澤社長の経営方針の表明に関心が集まる。

 なお同社の出資内訳(9月決算期)は、資本金2億7560万円、JA津南町7千8百万円(出資比率28・3%)、津南町5千万円(同18・1%)。津南町の上村憲司町長は「実力ある経営実績を持つ方だけに、大いに期待できる」と期待感を寄せている。

越路商事株式会社=1918年創業、1975年越路商事開業、1989年法人化。資本金1千万円。業務用食材卸、酒類輸出入、酒類販売店運営、飲料水宅配、韓国商品輸入販売、微生物活用の業務用・家庭用生ゴミ処理機取扱。オーストラリア、スペイン、イタリア、韓国などと幅広い取引を行う。

写真・新社長を迎え、「観光酒蔵」をめざす津南醸造

検証・津南町議選「議員は選挙運動で裏ばれるのか」、「自転車選挙の」中山氏  11月11日号
「議員は、選挙で選ばれるのは事実だが、選挙運動で選ばれるのではないはず」。昨年の町議補選では「軽トラック選挙」を行い、今回、「自転車選挙」を行った中山弘氏(58)の主張は、明快だ。金がかかるという選挙運動。わずか5日間の選挙運動期間。「候補が何を考え、どんな政策を考えているのか、5日間では全く分からない」。有権者の本音だろう。中山氏の自転車選挙を、有権者はどう受けとめたのか。


 告示日の25日。中山氏の自宅前。朝8時頃から、1人、また1人と集まってきた。召集をかけたわけではない。昨年の補選で関わった人たちだ。「今回は、俺ひとりで選挙をする。わがままを聞いてくれ」。告示前、補選でお世話になった人たちに話した。

 告示日の朝、集まった人たちは、「それでも…」と様子を見に来た人たち。自宅前に一台の自転車。「これは昨日、ゴミ処理場のリサイクル場で見つけてきたもの。変則も付いてるから、坂道でも大丈夫だろう」。真っ赤なつなぎ服、自転車にくくりつけた小さな荷物。町選管許可ののぼり旗。「よーし、行くかー」。笑いのなか、朝陽を浴びて、自転車を漕ぎ出した。「頑張れよー」。かけ声に応え、手を挙げるとよろけ、また笑い。5日間、このスタイルを通した。


 最初の2日間は寒い雨。z全身ずぶ濡れになりながら秋山郷まで行った。3日目は快晴。再び秋山郷へ。「苗場山が真っ白だった」。4日目、同伴者が現れた。この4日間で全町を回った。最終日は大割野などを重点的に回った。「行く先々で、話しができた。皆、何か話したがっていたな」。名前の連呼、街宣車では見えない住民の暮らしが、よく見えたという。

 「自己満足かもしれない。だが、選挙運動で議員を選ぶのではないと思っている。選挙は、現職ならそれまでの議員活動を評価する場だし、新人はその人柄、考え方で評価するもの。自分は今回、こうしう方法で住民に訴えた。あとは有権者が判断するだけ」。投票日の30日午前、中山氏は話した。その夜、448票を獲得。2回目の当選が決った。

 この自転車選挙、他の候補はどう見たか。現職のひとりは、「あれはあれでいいのではないか。中山さんが言うように、後は有権者がどう判断するかだけ。彼らしいと思う」。一方で、「投票を頼む姿ではない。パフォーマンスでしかない。選挙運動はあれでいいが、議員活動、議会活動は、そうはいかない」と厳しい声もある。
中山氏は改選まで毎月7日、町内の同じ会場で懇談会を開いた。選挙中、『議会報告をします』と公約しながら、開かない議員が多い中で、定期開催を評価する住民はいる。「議員活動を評価してもらう、その一つである」と話す。今後の開く方針だ。

 今回、町選管に提出した選挙費用は、ポスター代の4万3千円だけ。「選挙に金がかかるというが、金をかけるやり方をするから、金がかかる」。金のかからない選挙を実践し、次世代の登場を促す中山氏。選挙のやり方に、一つの風穴を開けた。

写真・「自転車選挙」を行った中山氏。選挙費用はポスター代の4万3千円だけ(先月25日、町議選告示日)

振り込め詐欺、あわや198万円が、3日間で連続3件発生  11月11日号
 振り込め詐欺未遂事件が続発―。十日町署管内で先月末から4日にかけ、3件の振り込め詐欺誘導電話を確認。全件とも被害は免れたが、いずれも夜に自宅電話に息子を名乗る男から連絡があった。同署では「声が変わった、携帯番号を変えた、今日中にお金を振り込んで欲しい、という電話は振り込め詐欺の可能性が高い」と注意を呼びかける。
 
 2件は同様の手口。息子を名乗り「溶連菌で声が変わった」「携帯が壊れた」と伝え、翌日に「投資に失敗した。委託会社に電話を」と誘導。指示された番号にかけると「払わないと銀行のブラックリストにのる」などと脅す手口。十日町市の60代女性は現金98万5千円を要求されたが、ATM機に張られた振り込め詐欺チェックリスト見て思い留まり助かった。一方、津南町の50代男性は198万円5千円を要求され、指定された口座に70万円を振り込んだが不審に思い息子に再確認すると詐欺と発覚。警察に通報、口座組み戻しが間に合い被害を免れた。請求金額を半端にすることで、信憑性を高めようとする手口が増加中だ。
 
 窓口の機転で思い止まった事例は4日発生。北越銀行十日町支店(長谷川明夫支店長)に同市の70代男性が来訪。急ぎ現金150万円を振り込もうとするのを不審に思い通報。職員と署員で説得。男性は信じきっていたが息子と連絡が取れ、被害を免れた。手口は「風邪で声が変わった。携帯が壊れた」と新番号を伝え、「交際女性とトラブルになり、慰謝料がいる」と誘導。この男性の場合、実在する息子の名前を語る悪質なものだった。10日、詐欺を未然に防いだ功績を称え、同店と窓口担当の村山秀子さんに感謝状が贈られた。
 
 同署管内の振り込め詐欺被害は10日現在、1件95万円(昨年4件205万円)。だが「投資で失敗した」や「必ず上がる未公開株がある」、「ある国の通貨が儲かる」など前兆電話が多数発生。同署・岡崎信彦生活安全課長は「実在者の名を語る場合でも、焦らせお金を別名義の口座に振り込ませるのは怪しい。必ず一度、変わる前の携帯に電話するなど確認を」と話した。

写真・振り込め詐欺の未然防止訓練(北越銀行十日町支店で)

「霜月の表情」 佳き日、嫁ぐ、「道中迎え」復活   11月11日号
 ◎…真っ白な角隠し、白無垢や深紅の婚礼衣装。嫁ぐ姿は、それだけで華やぎ、送り出す家族の哀愁を感じる。秋の佳き日、5、6日、津南町で3組の花嫁さんが誕生した。「ムラからムラに嫁ぐのは、子どもの頃以来だなぁ」、80歳の地元民が話すくらいに久々な婚礼となった鹿渡地区。5日、約4百b離れた嫁ぎ先まで歩いて嫁ぐ「道中迎え」が行われた。錦織り成す里山を背に、深紅の婚礼衣装の花嫁、紋付袴の婿さん。沿道の人たちから「おめでとう」のかけ声。静々を歩く道中迎え。どの顔も、みな笑顔。「よくぞ、地元に嫁いでくれた」、地元民全員の思いだろう。


 ◎…道中迎えを行ったのは石沢拓さん、恩田麻由さん。「地元の皆さんのおかげです。これからも、お世話になります」とふたり。同日には卯ノ木でも花嫁さんが歩いた。宮沢拓也さん、谷内の井ノ上知晴さん。6日は、あいにくの雨の中、田中の清水敬子さん、十日町市の樋口衆人さんが、自宅前で地元の皆さんに挨拶した。

写真・「ムラからムラへ」嫁ぐ「道中迎え」が復活(5日、津南町鹿渡で)

200年守った味噌樽を開封、津南町岡の内山家  11月11日号
 ◎…2百年の味―。津南町岡の内山家。造り酒屋やしょう油、林業などで隆盛した、3百年余続く歴史ある家だ。その蔵に秘蔵していた、江戸の天明時代(約220年前)の味噌樽が7日開けられた。直径約94a、高さ90aの樽。薄暗い蔵に電灯を照らし、ふたを開ける。中身は杉葉が被せられ、ミニスコップで発酵し過ぎた黒い固まりを取り除くと、次第に蔵内に硫黄のような発酵臭が漂い、褐色の味噌がお目見え。「これが2百年前の味噌か」。この日集まった15人余は目を見開いた。
 
 ◎…内山家は天明の飢饉、続く天保の飢饉(約180年前)で地元や秋山郷などで私財を投げ打ち救援物資を用意するなど、篤志家でもあった。この味噌樽は天明の飢饉後に作られたという。先祖代々伝わる言い伝えは『飢饉の時に出すもの。決して食べてはいけない』。それを忠実に守り、2百年。だが蔵が7年前の中越地震、今年3月の県境地震で大きく破損。修繕が必要なため、蔵に眠る味噌樽の中身を確かめようと決意した。同家で生まれ育った内山緑さん(64)は話す。「祖父から何度も話を聞かされました。水が多い赤沢台地は飢饉の時、味噌があればしばらく生き延びられると考えたのかも。この味噌を食べる必要がなかったことが、一番幸せなのかもしれませんね」。
 
 ◎…取り除いた黒く変色した部分と褐色の味噌は調査機関に成分分析を依頼。食用になる場合、試食会も計画している。ちなみに参集の10人余が一舐めすると、強烈な味にみんな顔をしかめた。開樽の話を聞き訪れた関谷郁子さん(59、赤沢)は「しょっぱ味が強く、舌がしびれるぐらい。例えようのない味ですが、2百年前の味噌が未だにあるなんて凄いですね」と感慨深そうに話した。なお町なじょもん館でも味噌を一部保管している。

津南町老人給食ボランティア活動が知事表彰  11月11日号
 ◎…長年の福祉尽力を称え、津南町のボランティア団体が表彰を受けた。町老人給食ボランティアグループ(福原照男会長、170人)は3日、善行部門で県知事賞を受賞。同団体は昭和60年に発足。毎週2回、全町60世帯余の高齢者世帯や障がい者方に30年余継続し夕食弁当を提供。年間約6800食を調理、配達を行なう。1回2百円の低料金、年末は希望者におせち料理を8百円の格安料金で提供するなどを高評価。福原会長は「作る側も、受取る側も楽しみにしている活動。意欲ある人が多く皆の功績だ」と話す。なお十日町地域で県知事賞は善行で十日町朗読サークル(酒井智子代表、23人)、一般功労で津南郷土地改良区・小島輝一理事長、商工業で松代町商工会・中村公一会長が受賞した。
 

 ◎…一方、町内反里口で活動する「ひなたぼっこの会」(樋口チセ会長、8人)は先般、県社会福祉協議会長表彰を受賞。同会は平成5年に設立、町内で最も早く高齢者サロン事業をスタート。さらに地元児童を交えた共同料理作り、公民館での茶飲み会といった交流事業を積極展開。地域一帯で取り組む活動は現在ある町内14ボラグループすべての模範となっている。樋口会長は「ボランティアは相手の心を頂くもの。人生の先輩である高齢者から多くを教えて貰っています。地域が元気で住民を支え合い、ずっと住み慣れたこの地に生きられるよう活動を続けたい」と喜びを語った。

写真・長年の給食ボラが評価された(昨年のおせち料理作りの様子)

段丘アート、火柱の舞い  11月11日号
 ○…自然の織り成す国内最大級の9段の河岸段丘を彩るアート「第6回河岸段丘花火大会」は5日午後7時に点火。十日町市の程島からマウンテンパークまで36ポイントで光柱花火「虎の尾」と尺玉3発が上がり、直線で約10`の河岸段丘を扇形に照らし、夜空に浮かび上がらせた。
 
 ○…第3回大地の芸術祭を契機に始まり、地元活性化グループWa(福原章子代表)が引継ぎ、秋の恒例で定着。日本一短い約1分の花火大会としてアピールし、年々観衆は増加。この日は花火発案者の造形作家・景山健氏(50、鎌倉市在住)も来場。「花火が地元の方に引き継がれ、さらに定着し嬉しい。津南の大きな遊びを楽しみ、また一緒に面白いことをやりましょう」と感慨深そう。

検証・津南町議選「1144票、期待感が終結」、「浮動票削ぎ落とした」  11月4日号
「25歳」が全国ネットになった今回の津南町議選。加えて、補選を除き町議選史上最多の「1144票」という驚異的な得票。さらに、従来の選挙手法を真っ向から変える「単独自転車選挙」。今回の町議選は、これまでの慣習が問われ、さらには、これからの町議選のあり方を方向づける動きが見られた。「検証 津南町議選」では、その動きを振り返り、検証する。



 投票日の夜。開票作業が進む津南町役場3階の大会議室。開票テーブルの投票用紙がすべてなくなり、集計作業で得票枚数を数える紙の音だけが、会場に響く。

 午後8時29分。津南町選管、涌井政宏委員長が立ち、候補の得票を届け出順に発表した。「根津勝幸320票」に続き、「桑原悠1144票」と読み上げると、「おぉー」と会場に大きなどよめきが起こった。この驚異的な得票へのどよめきに、有権者が何を選んだか、その思いが詰まっている。

 告示1ヵ月前に出馬表明した桑原悠氏。8月4日の25歳の誕生日に、東京のアパートを引き払い、生まれ育った津南町に帰ってきた。それは3年前に、自分が描いたスケジュールでもある。
新聞報道が、「25歳出馬」にいっきに火をつけた。桑原氏は、町議選に臨むにあたり決意していた。「現職の後継ではない」、「どこの政党や団体にも頼らず、支援を受けない」、「いっさい物は受け取らない」。

 従来型の選対は組まず、津南に居る6、7人の中学時代の同級生、それに家族、親戚の一部だけでスタートした。告示直前の日曜日、地元公民館で初めての座談会を開く。全59戸のほぼ全戸から60人余が集まった。その人たちの目は、「我が娘、我が孫」を見守る眼差しだった。

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 選挙戦スタート。東大大学院で学ぶ公共政策学の教授は、最年少知事で話題になった元岩手県知事で総務大臣経験の増田寛也氏。「絶対に当選しなさい」と激励をもらった。
告示後の26日、個人演説会を開いた。国の地方交付税と津南町の財政事情を説明。経験不足を指摘するように、質問が飛んだ。「津南町の税収が増えれば、それだけ地方交付税が減る。どうしますか」。

 早大、今の東大大学院で学び、自分の理念として持つようになった『アイディアは地方から生まれる』を話し、答えた。「国のお金に頼ってばかりでは思考回路が停止します。なぜ税収が減るのか、少ないのかを考えるべきです」。

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 「1144票」の内実は何か。有効投票数7451票の実に15・4%を桑原氏は得票。この票は、どこから来たのか、まぜ集中したのか。

 4年前に比べ100票以上減少したのは4人の現職。前回トップ当選で今回次点の福原照男氏は395票減、最下位当選の草津進氏は174票減、根津勝幸氏162票減、大平謙一氏143票減。合わせると874票。この減票原因が、今回の1144票への「雪崩現象」を解くカギになる。

 津南新聞社は投票当日、各投票所で投票を終えた60人余の有権者に聞いた。そこから、1144票の集中現象の一端が見えてくる。
「議員の活動が見えない。議会は何をしているのかと思う」。40代女性の声は、実は有権者の多くが感じていること。「3期、4期というが、経験が経験になっていない。町民のために犠牲になれるかどうかだ」。70代男性は、選挙のたびに聞かされる『浮ついた言葉』に嫌悪感さえ抱いている。

 そこに登場した「社会経験ゼロ」で未知数の25歳。投票所で聞いた中に、様々な期待感が込められていた。「新しい風を起こしつつあるように感じる。ただ、津南町の人たちが若い人材を育てる気があるかどうか」と50代男性は指摘する。さらに40代女性「代わり映えのしない顔ぶれのなか、20代は新鮮で、何かやってくれるという期待感がある」、30代男性「期待感を抱かせただけでも、25歳の出馬は意味がある。町議選でこれほどワクワクしたことはない」と25歳効果を話す。


 一方、手厳しい指摘もある。選挙結果が出た翌日、50代男性が語った言葉が印象深い。「得票で大幅に減票した人がいるが、桑原さんの大量得票は、その人たちに入っていた『ふらふらした浮動票』をそぎ落としたのではないか。つまり今回の得票が、その人の『真水』ではないのか」。選挙のたびに動く浮動票。それをあらゆる手段で集票するのが選挙戦。それを今回、『25歳効果』がそぎ落としたという。

 期待感の集積の結果が1144票なら、大きなプレッシャーが25歳にかかる。だが、桑原氏は選挙中も話した。「税金も払っていない学生に何ができるのか」の質問に対し、「その通りです。私が出来ることから、一つひとつ実行していきます」。

 津南の人たちは、この若き芽を、どう育てるのか。津南町の今への直視が求められ、将来を問われることになる。

写真・桑原悠氏は同級生中心の選挙戦を行った。(29日、津南町大割野で)

新たな交流「むらたび」に期待、栄村のNPO、古道散策、伝統食に魅力 11月4日号
 新たな観光交流事業として栄村のNPO法人が3年前から取り組む「むらたび」。3月の県境地震以降、初の「むらたびツアー」を企画、募集したところ震災復興と相まって、県内外から50人余の参加で行い、震災復旧半ばの地区の古道や集落内を散策し、地元のお母さんたち手作りの郷土料理を味わった。受け入れた地元では、「今後の地域の方向性が、少し見えたような気がする」と、震災被害から復興へと、希望を抱き始めるきっかけになったようだ。


 NPO栄村ネットーワーク(樋口利行理事長)は、3年前から、「栄村のあるがままを、まるごと体験してもらい、都会では体感できない時間を過ごしてもらう」ねらいで、新たな旅プラン「むらたび」を打ち出した。震災前に、2回ほど実施、毎回20、30人ほどが都市部から参加。「栄村の新たな誘客活動になる」と、さらに旅の充実をはかり、今春以降のプランも計画していた。その矢先の3月12日の県境地震だった。

 震災後、同NPO理事で5年前から同村で暮らし、京都の大学に通う松尾眞さん(京都精華大准教授)がほぼ毎日、ブログ「レポート・被災地の今」を発信し続け、今も週3回発信。今回の「むらたび」参加募集は、このブログだけで呼びかけた。続々と参加申込みがあり、結局60人近くになった。

 今回の旅プランは、県境地震で一時は孤立化し、全戸数15戸のほぼすべての家が一部損壊以上の被害を受けた「小滝」地区で行った。同地区では3年前から、同NPOと連携し、「古道復活プロジェクト」に取り組み、住民が旧善光寺街道の整備を毎年実施するなど、「地域再発見」活動を進めている。その小滝での「むらたび」、関東圏などからの50人余は、小滝住民の「道先案内人」によるガイドで約3時間、旧街道を歩き、地域に伝わる伝説や沿道の植生、冬の地域の暮らしぶりなど聞きながら散策した。


 今回の「むらたび」のメインは、築後270年の古民家での郷土料理ランチ。小滝中央部の集落が見渡せる高台に立つ古民家の居間、座敷、奥座敷を一つの大広間にして、古来から同地に伝わる「お膳」や朱塗りの「お椀」など、ハレ行事に使う食器類を使用。大皿には「大根の煮物」や「イモナマス」、「サツマイモの白和え」、汁椀にはケンチン汁、小滝の新米など、おかわり自由で振る舞われた。

 震災後、支援ボランティアで同村を訪れた松本市からの石黒泉さん(23)は「村の様子が少しずつ変っています。こうした旅企画は新たな交流もでき、とてもいいですね」と、小滝のお母さんたち手作りの郷土料理を堪能。郷土料理を作った地元の樋口栄さん(65)は「私たちでは当たり前の料理をこんなに喜んでもらって嬉しいですね」と、忙しくお代わりに応じていた。

 むらたびを受け入れた小滝区長で、案内人役も務めた樋口正幸さんは「旧街道の整備を毎年してきたが、住民は何のためにと思っていたが、今日こうして多くの人が来てくれ、交流できたことで、なるほどと思ってくれたのではないか。今後、さらに地元民が多く関われる内容にしていきたい」と、住民が自ら、自分たちの地域の将来を考える「きっかけ」になったと感じている。

写真・古民家で伝統の朱塗りお膳、お椀で手作り郷土料理を堪能する参加者(30日、栄村小滝で)

震災の地、県境を越え元気作り、最後の「しなちく祭り」  11月4日号
 ○…最後は「伝統の負け」で―。県境を越えた交流として平成15年から続く新潟・上郷中と長野・栄中の生徒らが県境碑を基点に綱を引き合う「しなちくまつり」は7回目を迎え、先月30日に開催。上郷中は今年度で閉校となることから今回が最後の合戦。1勝5敗と大きく負け越している上郷中は今年も1対2、保護者の部も0対2で敗れ、伝統の「負け」で最後を締めくくった。
 
 ○…「しなちく」は信濃川と千曲川の名前から名付けた合戦。勇壮な榮太鼓を合図に、両校の生徒が騎馬を組むなどして出陣。初代実行委の栄村・斎藤文成さんは「川を利用した塩の拠点や、武田軍(長野)と上杉軍(新潟)など歴史的にも重要な場所での綱引き。橋の上での開催は叶わなかったが、最後の闘い、精一杯頑張ろう」と呼びかけた。
 
 ○…「絶対勝つぞー」「おー」と気合いを入れた勝負。1勝1敗の決戦で坂下側を陣取った上郷中だったが、掛け声と共に一挙に引いた栄中が坂上のハンディをものともせず圧勝。勝負は伝統を守る結果となった。上郷中の小林公介生徒会長は「最後も勝てなくて残念だったけど、とっても盛り上がり楽しかった。いい思い出になりました」と感慨深そうに話していた。

津南特産開発プロジェクトで市場調査、伝統の味人気  11月4日号
 地元食材を使った新たな津南名物をと、40代から60代の女性たちが取り組む「津南町特産品開発プロジェクト」。29日は試作品20品目を津南観光物産館、ニュー・グリーンピア津南、中深見ごっつぉ市で試食会を開き、行楽客を対象にアンケートを取り、味の感想や希望価格など尋ね市場調査。今回のデータを元に来夏試作品10品目を決め、2年後に具体化する方針だ。
 

 同プロジェクトは津南在住の県農村地域生活アドバイザー11人が取り組み、7月から活動を開始。月2回余会合、漬物系、スープ系、惣菜系、お菓子系の4部門で試作品を持ち寄り研究。「津南産食材」と「手作りだからこそできる味」に重点を置き開発を進める。
 
 この日は米粉ワッフル、ひまわり種の米粉クッキー、干しズイキの甘酢漬け、トウモロコシスープ、ラタトィユ、けんちん汁など、洋風から郷土食まで幅広い20品目の試作料理を準備。保育園児から70代まで90人余が試食。ワッフルを食べた千曲市の西澤健さん(35)は「優しい味でほっとする。ただシンプルなのでジャムとか付けて食べたい。触感がもちもちしているので海苔も合う味。色んな味があれば朝食にいいかも」。魚沼市の滝沢花子さん(69)は白瓜のてっぽう漬けがお気に入り。「お茶受けに最適。若い方はもう自分では漬物を作らないので、伝統の味を販売すれば人気が出ると思います」と感想。
 

 今回の調査で人気は、エゴマ味噌や保存用に一度干した野菜を使った昔ながらの漬物だったという。加工品販売免許を持ち、同代表を務める島田玲子さん(宮野原)は話す。「味は濃い方が好まれ、みんな安すぎるぐらいの価格を求めていることが分かりました。感覚が違う町外の方の意見は大きなヒント。研究を続け、津南素材、郷土の味をベースにこだわりの商品を開発したい」と話している。

90歳の現役理容師、津南町の高橋栄四郎さん  11月4日号
 「気分までさっぱりして喜んでもらえること、それが一番だな」―。シャキシャキと軽快なハサミの音が響く。昭和22年7月、当時の飯山線・越後外丸駅(現津南駅)前の民家を間借りして「高栄理容室」を開業したのが始まり。津南町押付の高橋栄四郎さん、今年10月29日で満90歳。「床屋のおやじ」と地域の高齢者らから親しまれ、今でもカミソリやハサミを手に持つ、十日町管内では最高齢の現役理容師だ。
 

 「いとこが床屋をしていた」という縁で17歳の時、東京に出て修行したのが理容との始まり。2年後に当時は警視庁の所管だった理容師免許を取得。「資格試験で俺の番号は202番。合格したのは14人だけだった」。しかし体の具合を悪くし、昭和18年に出身地の松之山に帰郷。腸の手術もした。戦争の激化に伴い新発田連隊、赤羽工兵隊に入隊したが、軍隊でも上官から「髪を切れ」などと頼まれ、『理髪兵』として優遇された方だったというなど、波乱の昭和時代の思い出はいっぱいある。


  旧外丸駅前の民家を借りて看板を掲げたのが昭和22年。翌年には、家を建てたばかりなのに都合で東京に移住した近くの家を購入、それが今につながっている。現在は長男夫婦も美容室を設けるなど家族経営の「高栄理美容室」として歩んでいる。
 
 「一番忙しかったのは外丸炭鉱があった開店間もない頃かな。現場まであるいて出張理髪をしたこともあった」と振り返る。「今は一日にひとりふたり来ればいい方」。特養老人ホーム恵福園のオープンとともに、入園者の理髪ボラを仲間と十年間続け、基礎作りも行った。「髪も気持ちもさっぱりしてもらえることが一番。それが自分の元気にもつながっている。もう少しは続けられるかな」。現役の腕は衰えていない。


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