「25歳」が全国ネットになった今回の津南町議選。加えて、補選を除き町議選史上最多の「1144票」という驚異的な得票。さらに、従来の選挙手法を真っ向から変える「単独自転車選挙」。今回の町議選は、これまでの慣習が問われ、さらには、これからの町議選のあり方を方向づける動きが見られた。「検証 津南町議選」では、その動きを振り返り、検証する。
投票日の夜。開票作業が進む津南町役場3階の大会議室。開票テーブルの投票用紙がすべてなくなり、集計作業で得票枚数を数える紙の音だけが、会場に響く。
午後8時29分。津南町選管、涌井政宏委員長が立ち、候補の得票を届け出順に発表した。「根津勝幸320票」に続き、「桑原悠1144票」と読み上げると、「おぉー」と会場に大きなどよめきが起こった。この驚異的な得票へのどよめきに、有権者が何を選んだか、その思いが詰まっている。
告示1ヵ月前に出馬表明した桑原悠氏。8月4日の25歳の誕生日に、東京のアパートを引き払い、生まれ育った津南町に帰ってきた。それは3年前に、自分が描いたスケジュールでもある。
新聞報道が、「25歳出馬」にいっきに火をつけた。桑原氏は、町議選に臨むにあたり決意していた。「現職の後継ではない」、「どこの政党や団体にも頼らず、支援を受けない」、「いっさい物は受け取らない」。
従来型の選対は組まず、津南に居る6、7人の中学時代の同級生、それに家族、親戚の一部だけでスタートした。告示直前の日曜日、地元公民館で初めての座談会を開く。全59戸のほぼ全戸から60人余が集まった。その人たちの目は、「我が娘、我が孫」を見守る眼差しだった。
◇◇◇
選挙戦スタート。東大大学院で学ぶ公共政策学の教授は、最年少知事で話題になった元岩手県知事で総務大臣経験の増田寛也氏。「絶対に当選しなさい」と激励をもらった。
告示後の26日、個人演説会を開いた。国の地方交付税と津南町の財政事情を説明。経験不足を指摘するように、質問が飛んだ。「津南町の税収が増えれば、それだけ地方交付税が減る。どうしますか」。
早大、今の東大大学院で学び、自分の理念として持つようになった『アイディアは地方から生まれる』を話し、答えた。「国のお金に頼ってばかりでは思考回路が停止します。なぜ税収が減るのか、少ないのかを考えるべきです」。
◇◇◇
「1144票」の内実は何か。有効投票数7451票の実に15・4%を桑原氏は得票。この票は、どこから来たのか、まぜ集中したのか。
4年前に比べ100票以上減少したのは4人の現職。前回トップ当選で今回次点の福原照男氏は395票減、最下位当選の草津進氏は174票減、根津勝幸氏162票減、大平謙一氏143票減。合わせると874票。この減票原因が、今回の1144票への「雪崩現象」を解くカギになる。
津南新聞社は投票当日、各投票所で投票を終えた60人余の有権者に聞いた。そこから、1144票の集中現象の一端が見えてくる。
「議員の活動が見えない。議会は何をしているのかと思う」。40代女性の声は、実は有権者の多くが感じていること。「3期、4期というが、経験が経験になっていない。町民のために犠牲になれるかどうかだ」。70代男性は、選挙のたびに聞かされる『浮ついた言葉』に嫌悪感さえ抱いている。
そこに登場した「社会経験ゼロ」で未知数の25歳。投票所で聞いた中に、様々な期待感が込められていた。「新しい風を起こしつつあるように感じる。ただ、津南町の人たちが若い人材を育てる気があるかどうか」と50代男性は指摘する。さらに40代女性「代わり映えのしない顔ぶれのなか、20代は新鮮で、何かやってくれるという期待感がある」、30代男性「期待感を抱かせただけでも、25歳の出馬は意味がある。町議選でこれほどワクワクしたことはない」と25歳効果を話す。
一方、手厳しい指摘もある。選挙結果が出た翌日、50代男性が語った言葉が印象深い。「得票で大幅に減票した人がいるが、桑原さんの大量得票は、その人たちに入っていた『ふらふらした浮動票』をそぎ落としたのではないか。つまり今回の得票が、その人の『真水』ではないのか」。選挙のたびに動く浮動票。それをあらゆる手段で集票するのが選挙戦。それを今回、『25歳効果』がそぎ落としたという。
期待感の集積の結果が1144票なら、大きなプレッシャーが25歳にかかる。だが、桑原氏は選挙中も話した。「税金も払っていない学生に何ができるのか」の質問に対し、「その通りです。私が出来ることから、一つひとつ実行していきます」。
津南の人たちは、この若き芽を、どう育てるのか。津南町の今への直視が求められ、将来を問われることになる。
写真・桑原悠氏は同級生中心の選挙戦を行った。(29日、津南町大割野で)