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2011年08月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
富井選手、全国中学陸上1500bで優勝  8月26日号
 富井寿大選手(中里中3年)、全国の頂点に―。全国中学校総合体育大会(19〜22日、奈良市)の陸上男子1500bに出場した富井選手はタイム4分1秒64の県新記録をマーク、全中初出場で初優勝した。全中制覇は、平成元年に小林雅幸(当時・南中3年)が男子3千b、同9年に上田瑠架(同・中条中3年)が女子1500bで優勝しており、3人目の快挙。 23日夕、十日町駅に降り立った
 
 富井選手は、同中吹奏楽部のお祝い演奏や同級生、地元住民ら50人余りから拍手や花束などを受け、「全中での優勝は、応援してくれたみなさんのお陰。ありがとうございました」とあいさつ。「オリンピック選手をめざして頑張りたい」と新たな決意を見せていた。
 
 予選トップの記録で挑んだ決勝。「3千b予選では、1秒差で決勝に出られなかったので、1500bは絶対、優勝したいと思っていた」と積極的なレースを展開。「スピードがある選手。ラストスパートなら負けない」(志賀洸介監督)という通り、ラスト2百b勝負で一気に抜け出し、人差し指を突き挙げゴールテープを切った。
 

 富井選手が本格的に陸上種目に取り組んだのは中学校に入ってから。志賀監督は「昨秋、駅伝で北信越大会に出場したのをきっかけに、力をメキメキとつけてきた」と話す。富井選手は「先輩であり憧れの選手でもある服部勇馬さんや弾馬さん兄弟と一緒に走ったり、ペース配分などの指導を受けた事も力になっています」と、仙台育英で活躍している「服部兄弟」が帰郷した時に指導を受けていることも、今回の結果につながったと話している。
 
 大会会場で声援を送った母・麻貴子さん(40)は「本当によく頑張ってくれた」と目を潤ませ、岸勝巳校長は「すばらしい活躍。快挙を讃えたい」と30日の始業式や来月3日の体育祭で報告会を開くことにしている。

写真・大会当日、十日町市に帰ってきた富井選手を多くの人たちが出迎えた(22日、十日町駅で)

十日町市にもホットスポット、保育園・幼稚園で高い数値  8月26日号
 県が先月行った全県の小中学校、保育園、幼稚園での放射性物質調査で、比較的高い数値が出た十日町市の保育園、幼稚園で市が独自土壌調査を行った結果、国規定の埋立て処分基準値(放射性セシウム8千ベクレル/`以下)を3倍以上も上回っていることが明らかになった。市では汚染土壌を排除し、保管している。


 国の基準以上の放射性セシウムが検出されたのは、愛宕幼稚園(園庭の草葉堆積物)2万7千ベクレル/`、白梅保育園(園庭の汚水枡汚泥)で1万8900ベクレル/`、西保育園(トイレ裏土壌)2700ベクレル/`)、同園(側溝汚泥)2800ベクレル/`を検出している。なお地上1bの空間線量はいずれも基準値以下となっている。検査は上越環境科学センターに依頼し、現場への立入を禁止している。


 一方、津南町の小中学、保育園の調査結果は、町ホームページに載っているが、線量が高いとされる地上10a観測で、津南中等教育学校グラウンドの0・116マイクロシーベルト/時間)が最高で、以外は0・06〜0・08マイクロシーベルトの数値となっている。津南町は土壌検査は行っていない。

写真・高い数値がでた市内の愛宕幼稚園

連載「震災復興を検証 明日を見る」 広域で危機管理担当者育成を  8月26日号
 地震、水害、豪雪。災害発生と共に、地元市町村は災害対策本部を設置し、住民の安否、被害状況の把握、ライフラインの復旧に当たる。

 3月の県境地震で発生直後から救急対応した栄村の村営診療所長、佐々木公一(72)医師は、体験から語る。
「危機管理担当者を養成し、研修や講習を日頃から積み、災害発生時、その人材が対策本部を運営するシステムが必要だ。例えば栄村に1人、津南町に2人、十日町市に4人いれば、災害時など、その人たちがチームを組み動くことができる。今度の震災で一番強く感じていることだ」。

 3月12日未明の激震。すぐに村営診療所に駆けつけ、その足で役場庁舎へ。近所の住民が集まり、負傷者の治療を、駆けつけた保健師と役場ロビーのテーブルを使い、救急対応した。「野戦病院のようだった。重症、重体の人がなかったのは幸いだった」。医療ボランティアも駆けつけた。だが、それも機能的に動くことができなかった。「個々の避難所回りも大切だが、来た医師がチームで医療テントを張り、診察や治療を積極的に行った方が効果的だったのでは。東北で救急医療で来日したイスラエル医師団のように、独自に医療活動した方が、緊急時は効果的だ。同時に、災害時の混乱状態でコーディネイトできる人材が必要だ」。

◇◇◆

人口2千2百人余の栄村や津南町、十日町市は全国的に見れば中山間地。その地を今回の激震が襲った。似たような山間地は全国にある。今回の県境地震での取り組みは、実は全国の山間地災害での救急医療モデルを作ることにも通じる。

 災害発生で市町村が設置する災害対策本部。その本部長には、多くが市町村長が就く。「だが皆、素人も同然。ならば災害など危機管理のスペシャリストを置けばよい。その人材を県や市町村の枠を超えて養成できるためにも、生活圏での連携が求められる」。
この取り組み、政府でも検討事項としている。この県境の地で実現すれば、全国初の事例となり、それが全国の山間地における防災モデルとなるだろう。

◇◇◆

 震災からまもなく6ヶ月。栄村で仮設暮らしが始まり2ヶ月が過ぎる。佐々木医師は、この仮設生活を問題視している。中越地震でも、仮設生活による孤独死や自殺者の問題となった。「これから冬を迎える。窓の雪囲いで部屋は暗くなる。屋根雪は一晩で相当積もる。隣りの物音がよく聞こえ、知り合い同士だが、かえってそれがストレスになるなど、仮設暮らしへの対策が急務だ。特にこれから向かえる冬対策が重要だ」。

 仮設住宅には2年間暮らせる。「行政は、『2年間も暮らさなければならないのか』という見方をした方がいい」。我慢の限界を超えると、孤独感が強まり、無力感から自殺者への結びつく場合が多いという。

 佐々木医師はこの夏、仮設暮らしの4人を熱中症で飯山日赤に救急搬送した。「エアコンを使うと電気代がかかるので、我慢していたという。独り暮らしの年寄りの気持ちを、行政はもっと考える必要がある」、さらに「この2年間、絶対に犠牲者を出してはならない。その取り組みを今すぐにでも始める必要がある」。

 高齢者は「買い物弱者」でもある。横倉仮設住宅に、早ければ9月中に日用品や生鮮費を販売する仮設店舗が開設される。だが、独り暮らし世帯にとって生活費がコストアップにつながる。自宅なら、自家野菜など豊富な食材があるが、仮説暮らしは食料品の多くが購入となる。「年寄りの孤独化をどうサポートするか大きな課題。生活への安心感を与える行政からの言葉が必要だ」。

◇◇◆

 深刻な人口減。統計、人口2200人余の栄村だが、村外移住者が増える懸念がある。

 「いい村は安心して生まれ、安心して死ねる村だ」。佐々木医師は、北海道への医師赴任の経験から『定住の安心』における地域医療活動の必要を痛烈に感じている。

 来年3月末、当初契約の3年間が満了する。「人口は少ないが、安心して子どもを生むことができて、安心して最期を迎えられる、そんな村なら、住みたい人が集まるかもしれない。そのためには何が必要か、これまで提案し、話してきた。それを、この村はどう受け止めているのか、私には聞こえてこない」。

 今回の震災を経て、住民、行政、医療機関、この間での言葉の少なさが、気になっている。

 シリーズ連載「震災復興を検証 明日を見る」は今回で終わります。住民、行政、支援団体、その「絆」に復興のカギがあるが、現場の声が、声として、しっかり届いているのか、疑問が残る。

写真・3月12日の地震後、役場庁舎に避難した村民。佐々木医師はこの奥で救急治療した(3月12日午前10時ごろ)
 

豪雨水害、十日町で水田被害深刻、復旧課題  8月26日号
 十日町市の豪雨水害が深刻だ。市対策本部は24日、最新の被害状況意を公表した。市内の総被害は6343ヵ所におよび、農地・農道・農業施設・林道被害が全体の85%を占め、特に水田被害は深刻で全体55%、3千5百ヵ所に及んでいる。被害総額は79億5千7百万円と3月の震災を3倍以上となっている。


 収穫期を目前に控えた水田被害が大きい。田被害3千5百ヵ所、680fにおよび、約26億8百万円の被害額に上っている。復旧は、国の激甚指定(国庫災)で農家負担が軽減されるが、「国庫災は復旧時期が遅れる可能性がある」と、来年の作付けに影響が出る可能性がある。一方、農家負担は国庫災より増えるが、復旧が早い市単独の災害復旧で行うかなど、農家現場は困惑している。


 これに対し関口市長は「市負担や農家負担を軽減するために、震災と同様な県の事業化を要望すると共に、国庫災対応のために、地域をまとめるなど知恵を働かせたい」と、農業者の負担軽減に取り組むと共に、来年への作付け対応にも取り組む方針だ。

写真・田に土砂流入し、今期の収穫が見込めない(十日町市中村地区で)

夏と冬の津南、そのギャップが魅力、鎌倉小が津南合宿  8月26日号
 ○…昨年、三箇校舎で全国でも先駆的な生活体験を行い、冬も雪国体験に来町するなど交流深まる横浜国立大学付属鎌倉小。23日から26日に同小児童23人余が来町。三箇校舎を拠点に津南巡り。秋山郷や大割野商店街を歩くなど関心を全町に拡大。津南ファンを増やしている。6年の田嶋純音さんは夏の津南初体験。「マンションとか高い建物がないのにびっくり。前に来た冬とイメージが全然違う。鎌倉も自然が多いけど、津南ほどじゃない」と興味深そう。
 
 ○…三箇生活体験を企画した教諭の多くは転任したが交流は継続。今年は希望者を募り児童は鎌倉から電車で4時間余かけ三箇校舎へ。公共バスと自身の足で津南散策。さらに上部組織の横浜国立大の学生も野外教育授業体験として7人が同行参加するなど、新たな交流の芽も育っている。同小の中田智規教諭(41)は「生活体験で津南に親しみを持った子も多い。住民の方も積極的に関わり、子どもの成長を促してくれる。信濃川、秋山郷などの自然も魅力的。継続交流できれば」と話している。

写真・津南町内を散策する鎌倉小の子たち

夫婦で全国デビュー、津南のトマト栽培農家・仲村さん、ジュースラベルに  8月26日号
 ◎…笑顔がまぶしい津南の若夫婦の写真付ボトルが全国販売―。飲料製造大手「カゴメ」トマトジュースの9百cペットボトルに、津南町堂平の中村農園・中村勝さん(32)、幸美さん(29)夫婦がトマトを持ち、満面の笑みを見せた写真がプリントされている。同商品は百万本限定、今月16日から販売開始。津南の若き生産者夫妻が全国のスーパーなどに並んでいる。
 
 ◎…カゴメは毎年、その年の採れたてトマトを詰めた初出しジュースに生産農家をプリントした特製ラベル付で販売。今夏、「未来を感じる仲良く夫婦でトマトを作る若い生産者」を探したところ、中村さん夫妻に白羽の矢。特製ラベルに載せる全国4農家のひとつに選出。実家である津南に帰り農業生活4年目の勝さん。加工トマト栽培は3年前からスタート。約20eの畑で出荷最盛期の今、幸美さんと共に毎日収穫作業で忙しい。「長岡に住む姉からも『載ってるよ』と連絡が来た。本当に売っているんだなと実感。まだ農業初心者だけどやりがいになる」と勝さんは照れくさそう。沖縄出身の幸美さんは「夫婦で全国販売のジュースに載るなんて一生の記念ですね」とにっこり。まぶしい笑顔がジュースの中にもたっぷり入っている。

 

伝統行事「がんがんぼー」、津南町寺石地区で「ねずみ送り」  8月19日号
 ○…カンカン、ドンドン、ブォー、「がんがんぼー」|。津南町寺石で送り盆後の17日、子どもたち総出による地域伝統の虫送りが行われた。同地区では「ねずみ送り」として今に伝えており、指導役の青年団員らを含め総勢30人余が鉦や太鼓を打ち鳴らし、ヨシで作ったご神体籠や花籠を担ぎながら「がんがんぼー」と大声をあげ地区内を練り歩いた。ホラ貝を吹いて2年目という涌井翔太君(上郷中2年)は「小さい頃から参加しています。伝統行事なので受け継いでいきたいです」と話していた。
 

 ○…ねずみ送りは、江戸時代に始まったといわれる夏に行われる行事。農作物の害虫は悪霊によってもたらされるとされ、そうした悪霊を追い払うため鉦や太鼓ではやしながら、村の田を一巡する。子どもたちの減少で一時途絶えたが、15年ほど前に地区青年団の主導で復活。「がんがんぼー」の大きな声が集落に響いていた。

写真・江戸期に始まったといわれる「がんがんぼー」。民俗行事の主役は子どもたちだ(17日、津南町寺石で)

「ひまわりの津南」に黄信号、入込44%減、魅力作り急務  8月19日号
 「沖ノ原ひまわり広場」の今夏入込数は前年比44%減の3万7千人と大きく落ち込んだ。過去10年で最低。関係者は東日本大震災や県境地震、先月末の水害の影響、さらにETC高速割引終了などが要因と見ているが、果たしてそれが原因なのか。
 
 22年目の同広場。今夏、ひまわり生育が早く、お盆前に開花最盛期を過ぎ、前年の30日間を23日間に短縮。入込み最高は7日の普通車995台(前年1557台)。団体はマイクロバス11台(同43台)、大型観光バス153台(同192台)と全体に大幅減。町観光協会は「水害で十二峠や八箇峠が一時不通となり、道路事情が悪いイメージが広がり、毎年多く来ていた下越、中越が水害に遭い、客足が遠のいた」(本山佐利事務局長)と見る。

 来場者はどう見ているか。神奈川・秦野市からの古谷祐一さん(68)は「初めて来たが、露店がもっとあれば活気がるのでは」、川口市からの上村静代さん(29)は「ここに来なければ求められないグッズがほしい」など。さらに「ひまわり関連のお土産、お菓子が少ない」、「50万本と聞いて来たが畑の面積が狭い感じ」、「星空がきれい。ここでキャンプなどできれば面白いかも」など、多くのヒントが聞かれる。

 同広場での関連企画も減少。以前は音楽ライブ、バーベキュー大会、トウモロコシ収穫体験など誘客企画を実施したが継続していない。新たな魅力作りが課題。同広場実行委員長の町地域振興課、石橋雅博課長は「天災などの影響で行楽客の動きは全国的に鈍い。他にもひまわり畑はあるが大地に広がるこのロケーションは他にない魅力。津南のひまわりが飽きられたとは思っていない。集客策は今後も検討する」と話している。

写真・今シーズンは前年比44%のひまわり広場(今月はじめ)

 

震災の文化資料を守る、研究者らが貴重史料を移動保存  8月19日号
 ムラの文化を救え―。県境地震で震度6強の激震で文化財を納めた土蔵や旧家が大きな被害を受けた栄村。同村で10年以上、歴史研究に取り組む研究者が「地域資料保全有志の会」(代表・白水智中央大准教授)を震災後立ち上げ、希少文化財の保全活動を継続する。今月7、8日、「民具大移動プロジェクト」を同村で行い、半壊の土蔵から文化財資料を村内保管所に移動。史料はムラの貴重な文化財として今後活用する。
 
 移管したのは廣瀬博明家(森)、市川修家(月岡)、滝沢英夫家(横倉)、斉藤春男家(坪野)の土蔵、桑原玲子家の旧宅(志久見)の民具や古文書など。特に廣瀬家はかつて「他人の土地を踏まずに十日町まで行ける」と言われた有力家。江戸時代の墨書のある木箱に納められた漆器やお膳、屏風など1万点を超える当時の民俗を知る文化財を所蔵していたが、地震で土蔵が半壊。取り壊しが決まり、保管場所確保が急務となっていた。地元住民や新潟史料ネットワーク、研究者など県内外90人余で作業。  白水代表は「一度失われたら元には戻らない貴重な史料が震災ゴミで捨てられるのは惜しい。何とか残したい。保全活動に今後も取り組む」と話している。

シリーズ連載「震災復興を検証 明日を見る」  市町村防災計画は役立ったか  8月19日号
 市町村防災の拠点は、役場庁舎だ。だが、東日本大震災による大津波は、その防災拠点の庁舎を飲み込み、災害対応にあたる自治体職員の多くが津波の犠牲になった。その東日本大震災から11時間後に発生した3月12日未明の県境地震。震源地の栄村は、2004年建設の防災拠点、役場庁舎が激震に襲われた。だが、机やイス、棚など備品類の散乱はあったが、震災対策本部として、近隣住民の避難所として機能を発揮した。だが、防災拠点が震災の直撃を受けるという非常事態に遭遇し、新たな課題が見えてきた。


 その日、3月11日は栄村議会3月定例会の最終日。新年度予算など原案可決。夜、懇親会を開いた。話題の中心は、その日午後2時過ぎに発生した東日本大震災。翌日朝、震災対応の課長会議を開くことにした。

 当番変更で、11日夜の宿直になった産業建設課災害第2係、森川浩市係長(51)。夜、総務課長から「明日朝8時半から、東日本大震災関係で課長会議を開くので連絡してほしい」と頼まれ、連絡を終え、床に就いた3時間後だった。

 12日午前3時59分。「ゴォーという不気味な音で目がさめ、次の瞬間、身体が宙に浮いた。と同時にガタン、ガタンという激しいタテ揺れで寝ている足元にテレビが落ち、棚の上の防災器具類が吹っ飛び、天井板が落ちてきた。タテ揺れ後のヨコ揺れが長く続いた。通用口から外に出ると、いきなり足が取られた。庁舎と道路の間が陥没していて、足がはまり転び、ひじを打った。その間も余震が続き、庁舎内はめちゃくちゃになった」。

 宿直は2人。この日は、新人職員と一緒。「最初、何が起きたのか分からなかった。散乱した庁舎内はテレビもラジオも駄目で、何処が震源地かも分からなかった」。発生から数分後、長野市の長女から携帯に電話。『お父さん、生きてる?。栄村が震源地だよ』。その時初めて栄村が震源地と分かった。

 その直後、役場内の電話がいっせいに鳴った。警報機器は発生後、鳴りっぱなし。2人しかいない庁舎は騒然となった。電話の大半は報道機関から。役場電話は4回線。受話器を置くとすぐに鳴る状態。消防や県など関係機関へ連絡できず、「いま何が起きているかさえも分からなかった」。


 栄村は村内全戸光ケーブル網が整う。だが庁舎内放送室が被災、当日夕まで使用できなかった。村民への連絡手段が失われた。さらに直後の報道機関の殺到。「予想していたが、あれほどとは思わなかった」。栄村は長野県庁とホットライン「衛星電話」を常備するが、「一般電話が使えない時に使用」(村防災担当)。今回使うことはなかった。情報受信と発信、災害直後対策に課題が残った。

 さらに避難所設置後の情報提供、伝達はどうだったか。「すべて区長に話が来ていたが、区長も被災者であり、そこまで自己犠牲は強いられない。避難所ごとに担当村職員もいたが、避難所で自治会的な組織作りを行うことで、避難所運営はもっとスムースにいったのでは」。村民のひとりは振り返る。

 村の防災計画では、第一避難所、第二避難所を指定しているが今回、使用不能となり、近隣施設に避難所を設けた。「自宅が危険で隣りの公民館は安全なのか、ということになるが、防災計画では安否確認のため先ず公民館など指定避難所に集まるとしている」。避難所の安全性確認も必要なっている。 
宿直で激震の直撃を受けた森川係長。「防災計画はあるが、もっと細かいマニュアルが必要。特に震災マニュアルを徹底する必要がある」。

▽▽▼▽▽

 県境を接する津南町。震源地近い上郷、外丸地域などで被害が出た。防災拠点の役場庁舎は、大きな被害はなかった。津南は全戸に「防災行政無線(広報無線)」を備えている。

 3月末まで防災拠点、総務課総務班長を務めた桑原司課長(56、税務町民課)。災害時の無線の効力を話す。「ケーブルなど有線の場合、寸断したらストップ。県庁とはパソコンでつながっており今回も随時、情報のやり取りをした」。地震発生後、広報無線で適時を状況や対応を流した。

 ただ、栄村と同様に指定避難所が被災、課題が残った。一方で中越地震後、集落単位で作った自主防災組織が役立った。現在、町内48集落(世帯カバー率80・1%)に自主防災があり防災備品も整える。避難所が使えずテントを張り、暖房器具や調理器具で対応した地区もあった。

 さらに桑原課長は今回の経験から指摘する。「津南の場合は部分的な被害だったが、全町的な規模での被害の場合、相当な混乱が予想される。想定は最悪の事態を考え、対応策を立てる必要があり、全町的な被害想定でのより詳細な災害マニュアルも必要だ」。

 津南町も防災計画はある。だがどこの自治体も災害時、マニュアル通りに行かない場合が多い。今回の震災で、防災拠点の市町村当局が、何を学び、それどう生かすかが、問われている。

写真・激震で机などが散乱する栄村役場内(3月12日午前10時過ぎ)

十日町水害、被害4000箇所、被害額130億円に  8月19日号
 7月のゲリラ豪雨で甚大な被害を受けた十日町市。河川や国県道の被害額は推定100億円を突破すると見られている。農地や水路など農業関係被害も30億円余りに増えており、住宅や市道などを除いた被害だけで総額130億円に上りそうだ。県十日町振興局地域整備部・中澤淳一副部長は「優先度を考慮しながら仮設復旧を急いでいる。被害額はまだ集計中だが、100億円余りを見込んでいる。道路より河川被害がはるかに大きい」としている。
 

 被害の大きい河川砂防では護岸崩落など422カ所、国県道被害は180カ所となっており、被害総額の7〜8割は羽根川、晒川、田川を中心とした河川関係。災害後、応急処置として流木や土砂の排出は行っているが、本格的な復旧工事はこれから。県では「復旧に向けた測量を急いでいる」としている。また、国県道は一時、92カ所で交通止めとなったが18日現在、主要地方道・小千谷十日町津南線の千手トンネル付近の道路崩落も応急復旧を行うなど77カ所で開通、交通止めは山間部などでの15カ所となっている。
 一方、農地や水路など農業関係では17日現在、農地1861カ所、ため池34カ所、水路585カ所、揚水機4カ所、農道805カ所などと被害は調査が進むにつれ増えており、推定被害額は約30億円。「山間部では道路が崩れて行かれない場所もあり、被害は2千カ所を上回りさらに増えている」(農林課)と話している。

写真・十日町市の晒川上流域の被害状況

震災復興に若い力を、被災の栄村で成人式  8月19日号
 ◎…3月の激震で大きな被害が出た栄村で15日、例年通り成人式を行い、該当者22人のうち18人が揃い、久々の級友との再会などを喜ぶ一方、震災のふるさと復興への思いなどを語った。出席者の中には、自宅が被災し、家族が仮設暮らしの新成人もいて、被災した生まれ故郷の1日も早い復興を願っていた。


 ◎…該当者は小学卒業時を基準にしており、栄中学卒業時は19人。実質的には1人欠席。毎年終戦の日の15日には開く栄村。夏らしいゆかた姿が目立ち、同中学卒業時の担任、山田晃教諭も来賓出席。長野県内の民放SBC合唱コンクール出場の思い出を語り、「君たちが2年の時、それまでの連続出場途絶えたが、3年になった君たちは、一致団結し、出場を勝ち取った。その力をこれからは社会で役立ててほしい」と激励した。


 ◎…新成人代表の森川なつ貴さんは「こうして無事に成人式を迎えられる幸せを強く感じている。私たちが栄村を担っていく番。責任ある社会人として歩みたい」とあいさつ。臨席の赤津議長は「皆さんの若い力がほしい。この村を背負って立ってほしい」と呼びかけた。島田村長は、震災の被害状況などを説明し、「村民は絆を大切に元気を取り戻したいと頑張っている。豊かの自然を後世に残したい」と述べ、新成人を祝福した。

師を招き思い出の地で交流会、三箇大まつり  8月19日号
 ○…地域活動が活発な津南町三箇地区で14日、三箇大まつりを開き、雷雨で襲われながらも住民150人余が交流した。絶叫大会、カラオケ、さらにキャンプファイヤーの火を囲み、からす踊りなど子どもからお年よりまで盆交流を楽しんだ。
 

 ○…この日に合わせ同級会も開かれた。48歳になる昭和50年卒業の11人が初めて全員揃い、恩師を招き杯を交わした。3年間三箇小に勤務した品田喜一郎さん(70、新発田市)。「卒業後30年余が過ぎても同級会に呼ばれ嬉しい。三箇は昔から結束力が強い。この力を残し続けてほしい」と懐かしい教え子との再会に感激していた。

サンリオが「ひまわり」で原発事故支援、津南町のNPOが呼びかけ
 ◎…サンリオ「キティちゃん」が福島原発による放射性物質の汚染対策に、一役買っている。津南町のNPOみずもりファーム(景山健理事長)が進める「笑顔ひまわりプロジェクト」のひまわりガーデンは6日から、ニュー:グリーンピア津南わきの農場約3・5fで開園し、ロシアひまわり50万本が咲き揃っている。来月11日からタネ収穫に入り、そのタネをキティちゃんデザイン袋に入れて、コンビになどで広域販売。その収益を福島に送ると共に、取れたタネは来春、福島エリアに植える計画。この原発被災地の救済運動に、サンリオが協力し、全国運動に広げたい考えだ。


 ◎…ひまわりは、研究の結果、放射性物質を吸収する植物で、「ひまわりの津南町」の同NPOが呼びかけ、今期、十日町市、南魚沼市などのNPOと連携し、約10fに作付け。さらに企業やグループを通じて新潟市など県内各所で栽培。同時に福島のNPOに呼びかけ、同地でも植え付け、実際に放射性物質の吸収状況を研究機関とタイアップし調査する。同NPO景山理事長(50)は「原発事故がライフスタイルを見直す契機になっている。津南発のひまわり運動が広がり、笑顔あれる復興支援につながれば」と話す。同ガーデンは入場料は百円。みずもりファームホームページhttp://mizumorifarm.com/

写真・咲き始めたひまわりガーデン。サンリオ「キテイちゃん」が支援に一役買っている(10日、NGP津南で)

十日町豪雨、農地1633箇所、被害20億円に、水田被害が深刻  8月12日号
 7月の豪雨で大きな被害を受けた十日町市では、10日から農地被害の実地調査に入っている。10日現在、農地の被害は1633ヵ所にのぼり、農道も729ヵ所、水路は501ヵ所など当初に比べ2倍以上に被害箇所が増えるなど調査が進むにつれ規模が拡大している。「県の協力を受け、山間地域の調査にも入っている。実際に回ってみると車で行けない所も多く、実態をつかむのはまだ時間がかかる」(農林課)と把握の難しさを話している。県境地震では約8億円の被害だったが、今回の水害では2・5倍の約20億円の被害に上るのではと農林課では見ている。

 一方、津南町では、10日までにまとめた農地被害は19ヵ所で面積は6・5f、水路や農道など7ヵ所となっており、想定被害額は約7100万円。「地震でクラックができ、それに大雨が降って崩れたところも多い」とし、「少しでも受益者負担軽減のため、補助率が大きい激甚災害エリアに含まれてほしい」(建設課)と話している。町として激甚指定の働きかけは行っていない。
     
 ○

  水田に土砂や流木が流れ込むなど特に大きな被害が出ているのが十日町市の羽根川沿い。
麻畑地区で水田60e魚沼コシを栽培している柳正明さん(83)は、「全部の田んぼに被害が出た。ここの田んぼなんか、土砂ですっかり埋まってしまった」と肩を落としている。
 
 羽根川沿いでは、切り立った両岸の崖が崩れ、小さな沢のいたるところから土砂が崩れ出て、水田や道路に積もった。生活道路は応急処置で排除が進んでいるが、農地や農道などはまだ手つかずのまま。柳さんによると「水路も崩れたところがいっぱいだ。田んぼに水がいかないのではないか」と不安を口にする。「何とか復旧させてほしい。これだけ大きな災害、国にお願いするよりしょうがない」、思いは切実だ。
    
 ○

 今回の豪雨災害で十日町市は7月29日に災害救助法が適用され、引き続き激甚災害の指定が確実視されている。
 生活関連では被害規模に応じて県災害救助条例、さらに国の災害救助法の適用となる。被災者に対し応急的に食料品や住居などを支援し保護するもので、炊き出しの費用や住宅の応急修理、障害物の除去の費用などが補助される。農林施設関係は含まれない。
 
 一方、激甚災害では農地などの災害に対し復旧費用が補助される。復旧費用(40万円以上対象)に対し国からの補助は農地の場合、一般の災害復旧補助50%から80%に引き上げられる。残る20%は、地元自治体が起債などで対応、国の交付税措置により受益者負担も5%程度から1%程度に軽減される。新潟・長野県境地震では、津南町や栄村、十日町市で激甚災害の指定を受けている。

写真・出穂まぢかの田に大量の土砂が入った。農家の落胆は大きい(10日、十日町市麻畑地区で)

連載「震災復興を検証・明日を見る」 災害時のNPO,住民組織の役割  8月12日号
 1月の大雪、3月の地震、7月の豪雨。新潟、長野県境は、この半年、立て続けで災害に襲われた。7月末の「ゲリラ豪雨水害」は、十日町地域で大きな被害が出た。3月の地震で激震の直撃を受けた県境地域。今回の豪雨で、震災の後遺症と見られる田畦の崩落、農道地滑りを引き起こし、栄村、津南地域でも被害が出ている。

 災害時、復旧から復興へ、どう結びつけるか、被災地の共通課題だ。3月の県境地震後、いち早く地元で震災復興支援の住民組織を立ち上げた栄村。震災2年前、栄村再発見プロジェクトなど、住民主導で新たな地域活動に取り組む「NPO栄村ネットワーク」を結成。そのNPOの呼びかけで震災から5日後、住民主体の震災復興支援組織「栄村復興支援機構『結い』」を立ち上げた。行政が取り組みにくい分野、あるいは行政をリードする形で震災復興に取り組む。

 災害時、行政の「守備範囲」には限界性があり、栄村で進む住民主体の復興支援活動は、災害から、どう地域再生を創り出すか、そのモデルとなる姿が、そこにある。


 7月中旬、国の災害査定官が被災地、栄村を訪れた。地割れしたある田んぼ。細かなヒビが畦まで伸びる。従来の災害復旧では、対象外程度の被害。『ここは、畦部分までしっかり修復する必要がある』。査定官から引き出したこの言葉。同NPOが村に要請し、地割れ田の掘り起こし調査を実施。地割れが地中90a余に達している実態を明らかにした。

 栄村の棚田を研究する信州大農学部・木村和弘教授のアドバイスを受け、村災害班が全村調査したデータが、査定官に震災被害の深刻度を知らしめ、「栄村モデル」を実現した。


 高齢化で田が作れない山間部の田を共同営農する青倉作業班、歴史を掘り起こす小滝古道復活プロジェクト、関東圏の大学に呼びかけ「援農」を通じた体験実習、あるがままの村の魅力を体験する旅企画「むらたび」など、同NPOが関わる村内活動は多い。

 京都の大学に栄村から通う同NPO理事の松尾眞(61、京都精華大准教授)。栄村と関わり6年、村民になり4年。震災発生からレポート「栄村復興への歩み」をネットを通じて発信。村内は全戸に手配り。そのレポートは今週末100号になる。

 『震災などの緊急時は従来の行政手法の延長線上では、災害復興はできない』、地震発生からの村行政の動きを見て、村民の多くが感じた。「震災復興と言うが、実は震災前からあった課題への取り組みでもある。ムラ作りのためには、より強い意識を持った者が動く必要があり、それがNPOという形だったり、住民組織という形になったりする。今回の震災でより具体的な形で現れている」。7年前の中越地震の地、山古志や川口から住民やNPO代表を招き、住民レベルでの震災復興の取り組み意識を共有しあった。

 さらにポイントは、若い世代を取り入れ、ニューリーダーを作り、地域活動グループと連携する。『問題、課題に直面することで、問題意識が生まれ、次の行動を作る』、現場が人材を育成する、そこにねらいがある。

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 気温35度、炎天下のグラウンド。地表面は40度を超える。汗だくになりながら子どもたちと遊ぶ大学生たち。住民組織「栄村復興支援機構『結い』」が企画した「子どもキャンプ村」。ボランティアの武蔵野大、長野大、信州大の学生たち。12日まで8日間、子たちを預かり、学習や遊びなど朝から夕まで過ごす。

 「親から喜ばれている。子どもの元気な笑顔が、こうした場の必要性の証しだね」。9日、子たちと学生と一緒にそば種植えした「結い」代表、相澤博文(64)は、日焼けした顔で笑った。

 「結い」は、長野県社会福祉協議会、飯山青年会議所、NPO栄村ネットワーク、NPO豪雪共和国で立ち上げた。家の片付け、高齢者の話し相手など幅広い被災者支援を行い、今週末で活動人数は3千人を超える。

 相澤は話す。「震災で住民の心に、ぽっかり穴が開いてしまった。結いの活動で、そこを何らかの形で埋めることができればと思う」。さらに、村が10月頃から取り組む「震災復興計画」への参加の必要を話す。「我々は直接、多くの村民要望を聞き、村外の声も聞いている。これを復興計画に反映させたい」。

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 県境地震の地。津南町、十日町市では見られない独自に震災復興活動に取り組むNPOや住民組織がある栄村。「震災復興は、震災前にあった地域課題そのものへの取組みでもある。強い意識を持つグループで地域づくりをリードする」。災害対応で、地域力が見えてくる。

写真・「結い」の学生ボランテイアと笑顔で遊ぶ栄村の子たち(8日、栄中グラウンドで)

津南から韓国へ、小中学生がホームステイ体験  8月12日号
 津南町と友好交流13年目の韓国・ヨジュグン(驪州郡)への派遣団は2日から5日に訪韓。過去最多の小中学生33人が現地家庭にホームスティ。隣国ながら情緒溢れる文化の国を五感で体験した。
 
 ヨジュグンは人口10万人余、農業と陶磁器が特産。首都・ソウルから車で1時間、ベッドタウンとして発展。交流締結から毎年相互ホームスティを実施。子どもたちは明成皇后生家やソボン書院で韓国マナーを学ぶ教室などに参加。夜は一般家庭に宿泊し英語や韓国語でコミュニケーション。昨年津南で同郡児童の受入れ家庭となり、訪韓2回目の涌井美波さん(津南中等校2年)は「習った英語だけでは足りなかったけど、身振り手振りも交え話しました。今度はもっと勉強して個人的に行ってみたい」と興味を深めていた。
 
 訪韓時、金錫易郡守は来月24日から10月23日まで同地で開く「陶磁器まつり」に津南町を招待。町はこれを受け、上村町長始め使節団を組み、ヨジュグンを訪ねる方針だ。

写真・韓国ヨジョグンでホームステイ先の家族と対面する津南の小中学生(2日)

越後つまり100`歩く、小学生が地域再発見   8月12日号
 ○…地域を歩き生きる力を育てようと、「第3回越後つまり百`徒歩の旅」は6日から10日に開き、津南・十日町地域の小学4年から6年の32人が参加。キナーレを発着点に津南町のひまわり広場や旧川西町のナカゴグリーンパークなど信濃川河岸段丘一帯を5日間かけ走破。宿泊は各地の小中学校舎。全員がそろいの菅笠を被り、励まし合いながら歩いた。津南から初参加の中津小5年の志賀世那君は「普段は車だから、歩くと全然イメージが違う」と地元を再発見していた。


  ○…全国22ヵ所で取り組まれる同旅。十日町青年会議所(JC)主催でスタート。今夏から実行委員会形式で行い、JC卒業者や地域企業なども協力。猛暑のなか医師も同行、健康チェック体制も整えた。上島友博実行委員長は「百`歩くのは大変だが、仲間と地元を歩くことで達成感が生まれる。今後も継続し、子どもたちの成長を助けたい」と想いを話した。

都市と新たな交流の芽が、三箇校舎活用で外丸小児童も  8月12日号
 ◎…津南、栄村と交流深める東京都中央区・城東小(小島敏光校長、70人)は恒例のサマーキャンプに8日から10日に来訪。23人が参加し、雪国の震災学習に栄村見学、夏の自然体験に石坂での川遊びなど実施。同小は平成18豪雪を契機に両町村有志で作るNPO法人GO雪共和国(相澤博文理事長)と縁が生まれ、夏冬のキャンプ、同小屋上での田んぼ作りなど、相互交流事業を続けている。


 ◎…今夏のキャンプでは外丸小児童13人を始め、津南町の小学生ら16人が一緒に石坂で川遊び。丸太や竹で作ったイカダで共に遊ぶなど、あっという間に友だちとなり、笑いあう子どもたち。城東小4年の照島明希さんは津南初体験。「自然がたくさんあって空気が美味しい。津南の子ともっと仲良くなりたいな」。一方、外丸小6年の田中真柚さんは「色んな子と話すのは好き。なかなか都会の子と会う機会はないので楽しい」と嬉しそう。都市と農村の新たな交流が芽吹き出している。


 ◎…東京駅徒歩1分の都心にある同小。ドーナツ化現象で児童数が激減。だが3年前から中央区特認校となり、全区内から入学可能に。学校説明会では津南・栄村の夏冬キャンプなどPR。これまで年間9人余と一桁の入学者が多かったが、今春は18人が入学と倍増。都心ながら自然体験に力点を置く小学校と注目を集めている。小島校長は「特認校、そして津南、栄村との交流効果が出ている。都市の保護者にとって自然体験は大きな魅力。地元の子どもたちとの交流もさらに深めたい」と積極姿勢を見せている。

目標はソチ五輪、カナダ留学の佐藤夏生選手(津南出身)、スロープスタイルで世界に挑戦  8月12日号
 2千bのコースで、ジャンプやレール、ボックスなど4つの関門を滑り、その技の難易度を競うスノーボード「スロープスタイル」が、3年後のロシア・ソチ五輪の正式種目に決った。この競技に取り組む津南出身の選手が、同競技の本場、カナダにいる。

 佐藤夏生選手。津南中卒業後、1年間の語学留学を経てカナダ・ウィスラーの公立高校に入学。18歳ながら、すでに世界大会に参戦している。夏休みで津南に帰った佐藤選手。3年後のソチ五輪への思いを語った。


 スノーボードでいま世界的な人気種目になっているスロープスタイル。競技人口もハーフパイプを上回り、IOC(国際オリンピック委員会)やFIS(国際スキー連盟)、TTR(国際プロ選手組織)などの連携で、次期オリンピック「ソチ五輪」の正式種目に決っている。

 夏生選手のカナダ留学は、英語など国際感覚を身につけると共に、同競技に取り組むため。スロープスタイルは高校入学前から取り組む。今年1月からのカナダ国内大会では6大会に出場、5大会で優勝。2つの世界大会にも出場し、一般選手部門で優勝している。夏生選手はプロ選手で、TTRランキング(1星スターから6スター、女子5スターまで)で4スターの実力を持つ。

 「カナダ留学4年目に入りますが、あっという間ですね。具体的な目標が見えています。今は、その目標の実現が第一です」。ホームスティ先では家族同然。大会優勝など親同然に喜んでくれる。   

 東日本大震災はカナダでも大きな関心。「日本は大丈夫かなど皆が声をかけてくれます」。チャリテー募金活動も各所で行われている。


 留学前の決意。『学業とスノーボードの両立』。6月で高校2学年が終了。昨年に続き「A評価」を受け、高校から優秀学生の表彰を連続受賞した。「3学年では、スノーボードに多くの時間を使いたいので、1学年、2学年でなるべく多くの単位を取りました。計画通り、今年は練習時間が多く取れそうです」。9月から3学年だ。

 ソチ五輪の前哨戦、ワールドカップ(W杯)。今年からスロープスタイルW杯が初めて開かれる。すでにFISポイントなどを取得している夏生選手はW杯出場できる。

 「オリンピックの正式種目になりましたが、日本国内での、この競技への取り組みが必要です。そのためにも世界規模の大会で実績を残すことが、競技への関心や選手育成強化になると思います」。12月開幕のW杯への参戦、さらに結果が、ソチ五輪への日本選手参加に大きく影響する。

 カナダでは、日本人コーチ、高石周さんが就く。来年6月、高校を卒業する。「卒業後は、カナダに残ります。より具体的な目標が見えていますから、その目標に向かっていきます」。今月31日、再びカナダに発つ。

写真・夏休みで津南に帰った夏生さん(6日、津南町で)

民主・岡田幹事長、水害被災地を視察、「激甚指定に」  8月12日号
 記録的な豪雨で河川や農地に大きな被害をもたらした新潟・福島豪雨の被災地を民主党の岡田克也幹事長が7日に視察。十日町市では「想像以上の被害。激甚災害の早期指定に向け、党として政府に働きかけたい」と姿勢を示した。
 

 岡田幹事長は、泉田裕彦知事はじめ党本部から7人、さらに西村智奈美、森裕子ら党県連から6人らとともに、氾濫した川原町の晒川や被害が大きかった羽根川沿いの中村地区や六箇山谷、田麦地区などを見て回り「被害の大きさと豪雪地帯であることを考えると、復旧工事を急ぐ必要がある」として激甚災害の指定を強調した。また晒川などへの治水ダムについて「ダムに頼らなければならない事もあろうが、いろんな方法を考えて早期に取り組むべきだろう」と話し、河床を下げる工事の優先を示した。
 
 国に激甚災害指定を訴えて来た泉田知事は「岡田幹事長から激甚災害が必要だとの考えを示してもらった。県としても被害の把握に努めたい」と語った。

十日町豪雨、時間雨量121_、市街地を激流が襲う、死傷者5人、床上下浸水727棟、災害救助法適用  8月5日号
 新潟県内で観測史上最高の時間雨量121_を記録した今回の「十日町豪雨」。氾濫した中沢川に車ごと転落し67歳男性が死亡、増水の羽根川に落ちた93歳女性が行方不明、負傷者3人など犠牲者が出ている。さらに市街地を流れる晒川、田川流域で護岸決壊し、住宅全壊、床上浸水、さらに流木が流れをせきとめ、一体に大量の泥水が堆積するなどこれまでの水害想定を大きく上回る被害が出ている。


 時間雨量121_は、29日午後8時50分までの1時間で市内小泉のアメダス観測。市街地でも同日、120_の猛烈な雨を記録。市内の過去最多は43_。3倍以上の豪雨が降った。市は30日、市長を本部長とする豪雨災害対策本部を設置、対応に乗り出している。
中沢川に29日夜、車ごと流され死亡したのは市内千歳町の村山英一さん(67)。行方不明は市内山谷の徳永トヨさん(93)。家族3人で避難途中に六箇橋付近で流され、息子と娘は下流で自力で岸に上がったが、トヨさんはいまだ行方不明。

 同本部のこれまでのまとめでは、31日のピークで32集落555世帯1500人が孤立、1日にすべて解消。避難者は31日のピークで11箇所に97世帯266人が避難し、3日現在27世帯81人が8施設に避難している。
避難勧告は3地区11世帯30人に今も出ている。

 これまでの調査では床上浸水99戸、床下浸水625戸、家屋被害では住宅全壊3棟、車庫など3棟、一部損壊住宅64棟、車庫倉庫21棟。旧郡部は調査中。最大で979世帯で断水状態が続いた上水道は今週末までにすべて復旧する見込み。

 一方、出穂時期が目前に迫る稲作被害が深刻だ。河川氾濫で田に土砂が入ったり、冠水し泥水に浸かるなど、収穫に影響が出る被害が各所で見られる。対策本部では3日現在で農地被害355箇所を確認し、水田被害は調査中だ。

写真・十日町市市街地・晒川が氾濫し、泥流が民家を襲った(30日)

十日町豪雨  「津波のようだった」大洪水で民家あわや流失  8月5日号
 「まるで津波のようだった」。29日から30日にかけて十日町地域を襲った豪雨で、十日町市中村では、集落に沿って流れる羽根川の氾らんで、民家の基礎部分がえぐられ、家が傾き、一体の出穂目前の田んぼは、土砂や流木に飲み込まれ、多くの田んぼが土砂堆積し、収穫は絶望的。住民は「年寄りから、大昔にあったというが、こんな大水は初めてだ」と、被害の大きさに、がっくり肩を落としている。


 国道117号と直交するように流れる市内六箇地区を流れる羽根川。国道から南魚沼側に約8`が中村地区(52戸)。隣りの山谷地区(26戸)との境に羽根川に架かる六箇橋がある。激流で押し流された流木が、六箇橋にひっかかり、そこに土砂を含んだ激流が押し寄せ、橋桁をもぎ取り、あふれた激流はすぐ近くの民家(福崎忠さん)を直撃。住宅の基礎をえぐり、家は上流川に大きく傾いた。
中村地区の総代、南雲純一さん(58)、副総代の南雲恵作さん(58)によると、激流は2回来たという。29日夜8時頃、豪雨で川の水位が上がり、地元消防団が出て、流域住民に避難を呼びかけた。その深夜、零時を回った頃から水位が下がったため、関係者は帰宅。だが30日早朝3時から4時頃、ゴーという音と共に激流がいっきに押し寄せてきた。


 「まるで津波のようだった。鉄砲水が道路や田んぼをいっきに飲み込み、あっという間に一面が川になった」。この2回目の激流で福崎さん方は、大きく傾いたという。同家の一家6人は避難して無事だった。総代の南雲純一さんは「こんな大水は初めて。昔あったと年寄りは言うが、改めて豪雨の恐ろしさを知った。地区でけが人がなかったのは幸いだった」と、激流の恐ろしさを語った。

写真・上流からの激流で基礎を抉り取られた民家。右は橋桁が流失した六箇橋(31日、十日町市中村で)

シリーズ連載「震災復興を検証」明日を見る  「被災の森商店街再生」 生鮮食品仮設店、「お茶飲み処も」  8月5日号
 県境地震から来月で6ヶ月。被災した道路や橋など公共インフラの復旧は進むが、住民生活の再建は、いまだ道半ば。住む家の再建、さらに暮らす集落の再建、住民の負担は、精神的にも、資金的にも倍加している。一方で震災で得た人と人の絆、災害時の応急対応など、後世への多くの教訓を得た震災でもあった。シリーズ連載「震災復興を検証―明日を見る」では、4回に渡り、震災の教訓、人のつながりなどを復興活動を通じて検証する。


 あれから146日、約5ヵ月が過ぎた今も、自宅外での生活を余儀なくされている人は、津南町で町内のアパートなどに7世帯30人、栄村で飯山市など村外へ43世帯82人いる。震災の後遺症はいまだ残っている。栄村は震災復興住宅の建設を打ち出し、被害が大きい森、青倉、横倉、小滝への建設を決めているが、要望により他地区への設置も検討している。

 いまだ震災による道路のでこぼこが目立つ栄村森地区。今月8日、震災で被害を受けた店舗を大規模改修した商店の一つが、再開する。

◇◇

 店先の地割れは、いまだ口を開けたまま。地震で突き出たマンホールは、周囲を舗装した「出べそ」状態。飯山線が、飯山ー森宮野原間で開通した昭和2年、その年に駅前に店開きした衣料・日用品店「かねく」。福島博(72)、さかえ(67)夫婦は、8日の再開にむけ、忙しい日々だ。

 あの日。さかえのひと言が耳に残っている。「お父さん、長ぐつを持っていこうよ」。3月11日、東日本大震災の惨状を夜遅くまでTVで見ていた。2階の寝室に行く時、さかえが言った言葉だ。
床に就いて5時間後、12日午前3時59分。「壁も床も戸も、すべてが激しく揺れた。階段はガラスだらけ。長ぐつが役立ったんですよ」。商品棚はすべて倒れ、居間の家具類も散乱し、出口をふさぐ。少し空いていた茶の間の小窓から、雪が積もっていた外に出た。

 「4月から6月の、何もしない時間は、どうにかなりそようだった」、ふたりは振り返る。役場の避難所から、さかえの実家、津南に避難。「このままでは、どうしようもない」。
5月17日。シャッターを下ろした店わきに、小さなプレハブ小屋を建てた。限られた日用品などを置いた。小さな店に、人が寄るようになった。「狭い小屋だから、中は暑い暑い。でも皆が寄って、お茶飲みをしていく。なんか、元気が出てきたな」。

 店の再建は震災後、すぐに決めた。「最初は迷った。だが、ここに暮らしていくことに変りはないんだと思い、とにかく住む家を直そうと。店の商品を片付けているうちに、なんとかなるかと思い、ならば、店を続けようと」。

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 森商店街は、今度の地震で大打撃を受けた。人を寄せた生鮮食品スーパーが全壊。各商店も被災。地元の森商工振興会は、「商店街再建の要を、生鮮食品店の再建」と決め、村商工会や村の協力を受け、駅前に仮設店舗設置を決め、そこに生鮮食品店の出店を促し、経営母体が決った。

 先月、被災商店街の再生のため国から中小企業庁の担当者が村を訪れた。仮設店舗を要望。その日の夜、補助事業決定のファクシミリが村に届いた。

 計画は、森駅前と横倉仮設住宅わきに生鮮食品を扱う仮設店舗を設置する。期限1年で、以降は村に無償で引き渡される。
栄村商工会の安藤勇会長は震災後、奔走している。「ようやく商店街に人の動きを作リ出すことができそうだ。生鮮食品店が人を引きつける。これを足がかりにまちづくり計画を進め、駅前はじめ全体の商業地づくりに取り組みたい」。

◇◇

 さかえは、震災から100日余り、15年間取り組む絵手紙が描けなかった。約3ヵ月ぶりに描いた絵手紙は、全国からの激励絵手紙へのお礼だった。「ありがとうね、元気だよ」。花や野菜の絵を添えた。震災後、励まし絵手紙は毎日届き、3百枚を超えている。
「かねく」は、お茶飲み処でもあった。「絵手紙のむら栄村」活動を支えるひとりで、店内には全国からの絵手紙を展示した。バス待ち時間、列車待ち時間、村診療所に来たお年寄りなど、店の奥にお茶飲み場があった。「それは当然作るよね。皆から元気をもらってきたので、また皆で元気になるためにもね」。さかえ自慢の漬物が、また出てくる。8日の開店では感謝を込めて「かねく商品券」を配る予定だ。

 店は3分の2ほどになるが、道路前にスペースができる。「そうだな、テントを張って何かやれるし、イスでも置いて、お茶飲みもできる。皆が気軽に寄れる場にしたい」。博の顔に、笑顔が広がった。
(敬称略)

写真・今月8日再開の「かねく」と福島博、さかえ夫婦(3日)






十日町豪雨  一時孤立の麻畑、田麦地区も被害甚大  8月5日号
 記録的な雨量となった先月27―30日の新潟・福島豪雨。十日町市では29日夜、同市小泉地区のアメダスで夜8〜9時までの1時間に県内観測史上最多の121_を記録、降り初めからの累計は八箇峠で565_を観測(2日午前10時現在)した。このため市内の至る所で河川が氾濫、羽根川や田川では護岸が崩れ、住宅が傾く被害が出た一方、晒川では流木や土砂が川を埋め、市道や住宅地に流れ込んだ。この雨で中沢川に車ごと流された男性が死亡、羽根川沿いでは避難中に高齢者の女性が川に流され行方不明となるなど人的被害も出るなど、大きな爪痕を残した。市は29日に水害対策本部を、また30日に豪雨災害対策本部を設置。29日には国の災害救助法が適用された。

 豪雨による土砂崩れで生活道路が寸断され28日以降、赤倉、長里、高倉の3集落33世帯86人が一時、孤立したが1日午後6時までに解消した。また避難勧告は28日から発令され、30日正午までに10地区153世帯443人に出された。2日現在、上川町や川原町、田川町1丁目の11世帯30人に継続している。

写真・麻畑地区の土砂崩れで土砂が家に中に流れ込んだ(31日)

十日町豪雨、幹線道路も流失、国県道に被害多数  8月5日号  
 土砂崩れや冠水などで生活道路にも大きな影響が出た。国道は253号山本交差点―八箇峠、353号宮中―鹿渡、403号室島―小脇など国道3路線、主要地方道では十日町川西線小泉―高倉や小千谷十日町津南線浅河原―吉田山谷など一般県道を含め18路線、市道は79路線の一部区間で相次いで交通止めとなった。このうち国道253号八箇峠は4日現在も交通止めとなっている。山間部を中心に市道などでは現在も交通止めが続いている。

 農地や農道、水路など農林施設への被害も、長野新潟県境地震で地盤が弱くなっているとこころに追い打ちをかける格好となり、農地で290カ所(十日町180、川西25、中里19カ所、松代20、松之山46)、農道が271カ所(十日町200、川西20、中里3、松代27、松之山21)、水路は199カ所(十日町160、川西15、中里1、松代10、松之山13)で被害を受けた。冠水で土砂に埋まった水田も多く、実態調査が進むにつれ魚沼コシを中心に被害は更に拡大するとみられる。

写真・県道小千谷ー十日町ー津南線の吉田山谷地区で(31日)

十日町豪雨、飯山線羽根川橋が流失、震災から災難続き  8月5日号
 十日町豪雨はJR飯山線にも大きな被害をもたらした。今回の豪雨で沿線の各所で土砂崩落や陥没などが発生、29日から同線は森宮野原駅ー十日町駅間が全面運休し、1日から代行バスが運行している。
同線で被害が大きいのは十日町市伊達地区の羽根川に架かる羽根川橋が橋台、橋桁すべてが増水で流出。線路が宙吊りになっている。橋の両岸は、増水で鋭くえぐられ、右岸側は隣接の田をえぐり取り、激流の勢いのすごさを物語っている。


 JRによると、同間の各所で豪雨被害が発生し、羽根川橋の架け替えを含め、復旧見通しは立っていないという。代行バスは同間を上下6便が走り、通勤、通学の足を確保している。なお十日町―越後川口間は朝夕運行し、日中は代行バス。上越線六日町―越後湯沢は代行バス運転。詳細は十日町駅(752)2327。

写真・橋台、橋桁すべてが流出した羽根川橋(31日)

樹齢1000年、松之山中尾の「亀杉」、地震と豪雨で倒伏  8月5日号
 樹齢千年といわれる県天然記念物、十日町市中尾(松之山)の「中尾の大杉(通称・亀杉)」が2日午後8時50分頃、轟音とともに倒れた。長野新潟県境地震と今回の豪雨が原因らしい。高さ30bの大杉は地区を通る県道を塞ぎ一時、同地区4世帯(9人)が孤立状態となった。
 

 中尾の大杉は昭和33年3月に県の天然記念物に指定。根周りは10b、高さ30bあり、全体像が亀の甲紋のように見えることから「亀の杉」として地域の人に親しまれて来た。
 倒木時、隣接する観音堂の屋根を壊し、下方にあった3塔の墓を倒した。地区民のひとり、高橋徳重さん(72)は「バリバリという雷のような大きな音がした。驚いて家から飛び出したら亀の杉が倒れていた」と驚きを話していた。

ひまわりウエディング、涙の祝福 8月5日コ号
 ○…「ひまわりに囲まれて結婚式ができ、本当にうれしい」―。国際ホテルブライダル専門学校の学生が企画した「ひまわりウェディング」が先月31日、津南町沖ノ原のひまわり広場で開かれ、加茂市の中村大さん(23)、光さん(24)夫妻がひまわりに囲まれながら挙式。ふたりとも「ひまわりに囲まれ、感激です」と、うれし涙を流しっぱなしだった。
 

○…10万本のひまわりが咲き誇るなかで行われた結婚式。同学核が主催し今回が7回目。都合で結婚式を挙げなかったという中村さん夫婦。奥さんの光さんが「ダメもと」で応募、みごと17組の中から選ばれた。式には2人の男児も出席。友人ら80人余りが見守る中で結婚指輪を交換。式の途中で通り雨に濡れながらも会場は盛り上がっていた。


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