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2011年06月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
全国モデルに、小学校、特別支援学校、発達支援センターを一体化で新築、十日町小学校  6月24日号
 特別な支援を必要とする子たちも一緒の校舎で学べ、さらに発達支援センターを併設する全国でもモデル的な小学校建設に、十日町市が今年から取り組む。市教育委員会は20日、3年計画で建設する校舎概要を発表した。校舎はすべてバリアフリー化し、普通教室は広い廊下のオープンスペースを挟み支援学級教室とつながり、雪国ではめずらしい屋上にプールを設け、校舎内の3箇所に中庭を設けるなど地元関係者の熱い思いが込められた校舎となっている。


 新校舎は、十日町小学校、十日町特別支援学校、発達支援センターを一つの校舎に入れた総合的な教育施設。2階建て延べ7937平方b。総事業費約20億円を予定。計画では今年と来年で小学校棟、特別支援学校棟、発達支援センター棟を建設し、25年度までに屋内体育館、グラウンド、校庭整備などを行う計画だ。工事契約の承認は来月13日の臨時議会に提案される。


 校舎は、教室廊下側は開放できる可動式を導入し、必要に応じて間仕切りを可動し独立の部屋になる。廊下は広く、オープンスペースとして活用。校舎中央に3つの中庭が設けられ、玄関前に広いエントランスホールを設け、特別支援の子たちと小学校児童が一緒に休み時間などで自由に交流できるようになっている。関口市長は「市民の熱い思いで実現した。小学校の子たちと支援が必要な子たちが交流できるのは、お互いにとって良い効果を生むのではないか」と期待感している。市では今後、独自で臨床心理士を同校に設置する方針だ。


 小学校と特別支援学校、さらに支援センターの一体化は、地元関係PYAなど関係者で作る「十日町小学校校舎を実現委員会」(森本忠彦委員長)が取り組み、県外視察や県、市への直接要望し、実現を求めた。新校舎は木材を多用し、十日町産杉100本を使用するほか、玄関上部には太陽光発電パネル(1・6b×0・8b)20枚を設置し、約6KW(一般家庭2軒分)の発電を行い、校舎の電気料金の軽減に役立てる方針だ。建設費には国補助のほか合併特例債を活用する。

写真 全国モデルになる十日町小学校の完成予想図

シリーズ連載 「絵本とおもちゃ」 江村かおる
 藍(あい)色が濃から淡にグラデーションする積み木。ペア・クラーセン作の「セラ」。
組みようによってはツリーになったり、奥深いトンネルになったりと、世界が無限に広がる。直線が作る立方体が、曲線を感じさせたり、深浅を感じさせたり。『遊びの天才』、子どもたちにかかれば、それこそ宇宙に飛び出すかも。テーブルの上で、次々と組み替える津南町の江村かおる(48)。「面白いですよ。何度やっても飽きませんね」。『おもちゃ』と言うには、奥が深い積み木たち。「おもちゃです。おもちゃは、とても面白いものですよ」。          
(敬称略)

△△△

 新潟市の幼稚園時代、祖母が和裁する姿を見て育った。すーっと糸を通す、その不思議さをじーっと見ていた。父親の仕事関係で佐渡、長野市など転々。小学3年から高校卒業までの9年居た長野市が、津南に来るまでの最長。「津南で、その9年を超えたんです。未知の世界に入っているんですよ」。
津南暮らし13年目、最長記録を更新中。とはいえ、「もう動きませんよ。家もできましたから」。

 ドアを開けると、絵本や木の積み木やおもちゃが、目に飛び込んでくる。『からころツリー』。ビー玉を木のてっぺんかた転がすと、音階の違うを音が出しながら転がり落ちる。絵本『All Colore(オール・カラー)』は、その色紙から、動物や鳥、くだものなど鮮やかな原色が飛び出す仕掛け絵本も。そこは、「絵本とおもちゃ」の館。一歩入ると、「かおるワールド」だ。

△△△

 ものを創る。子どもたちが小さい頃。「手の込んだものではありませんが、いろいろ作りましたね。娘ふたりの頃、こいのぼりも作りました」。きれいな布を求め、子たちが好きな色のうろこを、一枚一枚を縫いつけ玄関に飾りました。娘たちと楽しみましたね」。ビニールをかぶって、洋服のように遊ぶ娘を見て、さっと着られるピンクのドレスを作ったら、「それはもう、嬉しそうに遊びましたね。お姫さまごっこです」。その娘たち。長女はバックパッカーで6ヶ月かけ世界一周、次女はワーキングホリデーでカナダにいる。
なぜ、手作りなのか。「自分で作ったものは、どうやって作ったのか分かりますですから、直しも簡単にでき、作り直しがすぐにできます。手作りは、エコですね」。

△△△

 女性17人でつくる「おはなしおかあさん」のメンバー。絵本や手作り人形を持って、小学校や保育園、福祉施設などへ出向き、読み聞かせなどを行う。「面白い本、面白い本と求めていったら、こんなになりました」。本棚にぎっしり、1000冊はあるという。
「子どもは絵本が好きですよ。大人が読んでも面白い絵本も多く、年齢を重ねて分かるのが絵本、本当に面白いです」。落合恵子の「クレヨンハウス」にもよく行ったが、最近はネットを活用。「便利になりました。でも困っちゃいますね。ネットは次々と面白そうな本を紹介してくれます。区切りをつけるのが大変です」。

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 3月12日、長野新潟県境地震。その5日後から、被災地栄村の避難所へ絵本や手芸品を持参しボラ活動。いまも仮設住宅へ行っている。子どもたちに絵本を読み聞かせ、時には手品も。お年寄りと一緒に手芸品「ふくろう」作りなどもする。
「皆さんの笑顔で、こちらが元気をいただいています。読み聞かせを聞く子どもたちの笑顔が忘れられませんね」。

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 子どもたちの言葉に、ハッとさせられた。絵本に外国のことが出てきた。「外国へ行きたいねー、と言ったんですよ。そしたら…、『行けばいいじゃない』とさらりと言うんです。あー、そうだなと、納得しちゃいましたね。言葉なんですね」。
人間は、知っている言葉で動く、という。ならば、「きれいな言葉をいっぱい入れ、いっぱい楽しむのがいいですね。それには絵本ですよ。単純で洗練された絵と言葉、本当に面白です」。

 夢がある。「小さな声で言いますが、お店をやってみたいんです。おもちゃと絵本のお店。楽しそうですよね」。

写真 原色の木のおもちゃと絵本千冊がある「江村かおるワールド」

震災復興  基本は「なぜここで暮らすか」、復興ビジョン作り始まる  6月24日号
 「こんな栄村を我々はめざす、という方向性が必要だ」。県境地震から100日が過ぎた被災地、栄村で18日に震災復興ビジョン懇談会、21日には車座座談会が開かれ、村民レベルでの復興への取り組みが本格的に始まった。共に7年前の中越地震の被災地、旧山古志村、旧川口町から同時の役場担当者や住民を招き、栄村民と意見を交わした。


 18日の懇談会は震災で休業のさかえ倶楽部スキー場レストランに地元民ら50人余が参加。中越地震の震災から6ヵ月後に復興プラン『帰ろう 山古志へ』を作った旧山古志村企画課長の青木勝氏は、「ムラの暮らしを守ること、それは集落機能を維持すること。栄村にはそれを再生させる地域力がある」と、合併しなかった栄村が持つ伝統の力での復興を呼びかけた。


 同懇談会では、同じ被災地の村内に住みながら、他集落の被災状況を知らない住民が多いことも分かった。復興への村民意識を高める前に、県境地震で栄村がどんな被害を受け、どう復旧が進んでいるのか、リアルタイムで村民に知らせる情報伝達と村の現状への共通理解が課題で浮上。さらに復興への取り組みを具体的にどう進めるか、特に行政と住民との関係作りが大きな課題になっている。
7年前の中越地震で、同様な問題に直面した山古志の青木氏は、

 「日本における災害対策の中心は市町村にある。市町村が取り組みを進めないと災害対策は進まない。それがこの国の仕組み」と中越地震での体験を話す。さらに「2千人余の山古志の復旧に何千億円の復旧事業が投入された。国や国民の皆さんに、『山古志に帰ろう』という意思表示を認めてもらうことが必要。『あんな山奥にそんなに金をかけてどうするんだ。1世帯5千万円支給し、6百戸で300億円ですむ』という考え方もあった。だが、実は中山間地を守ることが、この国の国土を守ることになるということを、我々はしっかり発信することが必要。山を守り、川を守る、実はこれが最良の災害対策になり、一番安価な国土保全策となる。これを訴えたのが『帰ろう 山古志へ』の復興プランだ」と、自立を歩む栄村の自力に期待した。

桑原悠のふりーたいむ  龍源寺の桑原賢龍さん  
 津南に帰省して桑原賢龍くん(25・船山)に会った。朝4時45分の龍源寺。賢龍くんから坐禅の作法を教わって、30分ほど坐禅を組んだ。頭の中を空っぽにするように言われたが、それが難しい。朝ご飯のこと、10本のレポートのこと、家族、恋愛、将来のこと…かえって頭の中が賑やかになってしまった。坐禅が終わってから賢龍くんに聞いた。

 私「どうしたら何も考えないでいられますか?」

 賢龍「何もしない、何も考えないという時間は普段あまりないですよね。だから、あえて坐禅の形にはめられるのがいいかもしれない。あの空気を味わう感じで」
 
 ポイントは、呼吸を意識することのようだ。東京に帰ってからも続けている。思い付いた時だけど。
 
 
 賢龍くんは今、十日町の真浄院を手伝っている。この春に総持寺(横浜市鶴見区)で修行を終えて帰ってきたばかりだ。お父さんの行弘さんはこれを、「お山を下りる」と表現していた。今は弟の真龍くんが総持寺で修行中だが、たまたま一時帰省していて彼とも会えた。修行中は3ケ月毎に寮舎(部署のこと)が替わる。寺中の鐘・太鼓を取り仕切る「鐘司寮」をはじめ、興味深い話ばかり。だが聞き慣れない用語が頻出して何度も聞き返した。
 

 日本社会における仏教の立ち位置について聞いてみたい気がしていたら、賢龍くんがその話題を出した。「お寺にはお葬式や法事の時だけじゃなくて、日常でも悩みがあったら来ていいんですよ」と言った。この格好だと近所の人には、「もう賢ちゃんて呼んじゃだめかな」と言われるけど、別に賢ちゃんでもいいよと笑っていた。
 彼は長年剣道を続けていてスポーツ少年団でも教えているので、興味を持ったみんなは行ってみるといいよ!

写真・文  桑原悠(東京大大学院2年)

前小林町長が叙勲、「苗場山麓開発は津南の宝」  6月24日号
 「この苗場山麓開発で誕生した大きな財産があったから、自律の道を決めることができた」。昭和46年、当時の村山正司町長の命を受け、町議を辞し、町開発課長補佐に就き、後に全国のモデル事業となる国営苗場山麓事業に取り組み、成し遂げた。町長3期目、着工から40年、完工式を迎えた。

 津南の礎となった山麓開発。「地権者の同意をもらいに冬場、出稼ぎ先まで出向いた。この事業が決った時、皆が大きな希望と夢を持った。津南の大きな財産である」。


 平成の大合併。町長4期目。枠組み論や誘い水など、様々な局面に出くわした。「津南はこの広大な資源がある。必ずや自律できる」。信念を持って臨んだ合併協議。「自律の津南」に全国から視察が相次いだ。「新潟県は合併が進みすぎた。人間も個性がないと面白味がない。自治体も同じ」。自律の選択は「町民皆で決めた自律。津南の資源がこれから必ずや生きていくはずだ」。

 町長5期20年。津南町政史上最多。昨年の7月8日退任。「1週間前から、何か寂しいような、そんな感じだったな」。津南町森林組合長は現職。町長在職中、全国水力発電市町村協議会副会長や全国自治体病院所在市町村協議会副会長など全国がつく要職を数多く務める。日本赤十字代議員などは今も在職している。


 長年支えた妻、雅子さんは病気療養中。「辞めたら家内と京都、奈良の神社仏閣めぐりをと思っていたが…」、震災後、雅子さんは次女の家で暮らす。「家内には申し訳ないと思っている」。
在職中、「大事な町の財源」と片時もタバコを手放さなかった。「酒の肴がタバコだったな」。5期の最後、食道ガンが見つかり手術。以降、「止めたと言っていいな」。だが、つい手が伸びる。

 5期20年。掲げたのは『1にも2にも健全財政』。苗場山麓開発を共に進めたパートナー、根っからの阪神ファン同士の瀧澤秀雄元助役(副町長)の存在が大きい。「彼がいたから、私は務められた。憎まれ役に徹してくれたからこそ、私の20年間、健全財政が維持できた」。

 20年間の歩みを記した本「故郷が人を育み 人が故郷を育てる」が今月末、出版される。叙勲祝いは開かず、出版記念の集いを開き、感謝の場を設ける計画だ。
 

歴史遺産の石垣田で田植え、初の企画ツアー実施   6月24日号
 全国農村景観百選に挙げられている秋山郷「結東石垣田」を全国にアピールしファンを増やそうと、石垣田保存会「けっと」(中村由美子会長、25人)が企画した「石垣の棚田で田植え体験と山菜料理ビッフェディナー」ツアーが18、19日に開かれ、8人が石垣田の歴史に触れ魅力を満喫した。
 

 明治初期に農家の手で作り上げた石垣田。豪雪や地震などで石垣の一部が崩れるなど維持管理が課題になっているなか、「人が来ることで、先祖が作りあげた石垣田を守っていくきっかけになれば」と田植え体験ツアーを企画。東京葛西から参加した高田ルミ子さん(47)は「秋山郷ファンで年2回ほど訪れています。こんなに素晴らしい景観の所、何とか後世に残していきたいものですね」と話し、初めてという田植えに挑戦していた。
 

 期間中、ツアーとは別に写真愛好家の団体も見られ、保存会メンバーのひとり、山田龍一さんは「石垣田の棚田は本州ではここだけ。カメラマンが来るように一度足を運べば魅力が分かるはず。何とか守り続けていく仕組みをつくりたい」と今後も企画を立てながらファンを増やしていきたい方針だ。

写真 秋山郷の石垣田で田植えをする参加者

貴重な文化資料も被災、栄村に文化財レスキュー  6月24日号
 震災で歴史的な資料の散在、処分が心配されている。栄村に17日から3日間、秋山郷常民大学の講師を務め、同村と親交深い大学教授など文化財レスキュー団が訪れ、全壊の土蔵などを調査した。調査では古文書や民具類など貴重な資料多数を確認した。村教育委員会は「村で保管する場はなく、貴重な資料でもあり、当面、個々で保管してほしい」としている。震災後、すでにかなりの文化的、歴史的資料が震災ゴミとして処理されたもようで、「もっと早く調査していれば」など、惜しむ声が聞かれた。


 今回、被災した文化財調査に訪れた研究者は、秋山郷常民大学講師の白水智・中央学院大教授を中心に、信州大、明治大、神奈川大、中央大、神戸大など大学関係や新潟県歴史博物館、長野県立博物館、富山県、岐阜県など行政の学芸員など21人が来村。3日間、3班に分かれ、森、平滝、月岡、坪野、柳在家、泉平、志久見の7地区の土蔵11棟に調査に入った。


 調査は主に震災で壊れた土蔵を中心に、収蔵品などを調査。多くが全壊や大規模半壊状態で、このまま処分する家が大部分のようだ。調査では100年以上前の木製の農耕民具や多数の古文書を確認した。村教委は「村で保管できるのがいいのだが、場所がないのが現状。しばらく各戸で保管してほしい」と、文化財保護を求めている。

写真 全壊の土蔵から運び出した民具資料

外国からも津南体験、米国ノースカロライナから  6月24日号
 ◎…15年前から交流する米国ノースカロライナ州サウスローリー市のローリー校で日本語教師を務める「ウイリアムみさこ」さんが今年も学生を連れてやってきた。21日から3日間、津南町に滞在し、なじょもんで縄文を体験、地元産100%のそば粉の手打ちそばを味わい、秋山郷では、最奥の切明で川原を掘って温泉に入る体験など、津南地域ならではの体験を行った。学生らは「自然がとてもきれいですね」などと感動していた。
 

 ◎…今回は中学生3人、高校生2人、大学生1人とみさこさんの7人。21日のなじょもん体験では、縄文人のアクセサリー「勾玉(まがたま)」作りに挑戦。昼食は、そば栽培、収穫、臼引きまですべ行うNPOかねさま蕎麦の直営店、津南駅のそば店で、同NPO理事長の滝沢元一郎さんの手打ちそばを賞味。高校生のレイチェル・リッチさん、ブリトニ・ジョーダンさんは「そば大好きです。とっても美味しい」と、上手にはしを使い、打ちたて、ゆでたての手打ちそばを食べた。
ウィリアムみさこさんは「ぜひ今度は津南からノースカロライナへ来て下さい」とさらなる交流を期待している。

写真 NPOかねさま蕎麦店で手打ちそばを食べる米国からの学生
(22日)

新十日町病院、2年後着工計画を国に提出、県地域医療再生計画に「新築」明記  6月17日号
 県立十日町病院の中核病院化に伴う改築が本格的に動き出した。県福祉保健部は今月初め、「新潟県地域医療再生計画(案)」を公表し、意見を求めた(パブリックコメント)。10日で締切り、16日までに国へ同再生計画を提出した。県はこの中で、『救急医療ネットワークの構築』の中で、二次医療を担う地域中核病院の整備・拡充として「十日町病院新築予定」を明記し、県立病院の改築スケジュールに正式に上げていることが明らかになった。関口市長は「県が初めて具体的な考え方を示した。改築に向かって少しずつだが、着実に進んでいる」と同再生計画実現への強い期待感を述べている。


 この地域医療再生計画は、都道府県単位で医療提供体制の整備を国が支援する計画で、国の地域医療再生基金から交付金を出し、県計画に定める事業を実施する。
新潟県がプランした計画では、三次医療を担う医療機関として、救急救命センター整備で「魚沼医療圏」と「県央医療圏」を上げ、魚沼圏での基幹病院整備を主軸として整備する方針だ。
十日町病院が含まれる二次救急の医療機関では、地域中核的病院の整備・拡充の項目で、「十日町病院新築予定」と「村上総合病院移転新築予定」、「糸魚川総合病院救急外来棟整備予定」の3拠点病院の整備をあげている。 


 この再生計画について。県は地域医療再生基金の交付金は50億円規模をめざしている。一方国は、今回の県計画を平成25年度までに着工する事業を採択条件にしており、今回県が国に提出した再生計画は、25年度までの着工が義務付けられる計画となっており、事実上、新十日町病院の25年までに着工が決った形だ。
県がまとめた地域医療再生計画によると、十日町病院新築や魚沼基幹病院整備を含む救急救命ネットワーク整備事業では、事業総額447億3千万円を見込み、国の再生基金から23億円の交付金を要望している。


 関口市長は市議会で「今後、国の採択も必要だが、十日町病院の改築は、少しずつだが着実に進んでいる。県と市など地元自治体で役割分担し取り組み、市としては病院周辺整備などに取り組み、一日も早い改築を実現したい」と積極姿勢を見せている。なお十日町消防本部のまとめでは年間2420件の救急要請に対し、十日町病院への搬送は1840件、76%を受け入れ、救急救命の拠点となっている。

写真・救急救命の拠点、安心のより所の十日町病院。ほぼ全室に明かりがつく(14日)

新ライフスタイル 「夏はファーマー、冬はインストラクター」 大谷美晴  6月17日号 
 人生を変えたのは、ニュージーランド(NZ)への1年間のワーキングホリデーだった。幼稚園の先生を6年ほど務め退職。「自分探し」の旅に。NZへ行く前の自分と、1年後、NZ滞在を経験した自分。「価値観が大きく変わった」。群馬みなかみ町生まれの大谷美晴は、変わった。          
(敬称略)

◇◇

 朝8時。日よけ帽子に上下の作業服。今日も津南町の天上原アスパラ畑に、津南町農業公社のスタッフと共に向かう。「弁当持参です。いまはアスパラが美味しいですね」。町が新しく農業に取り組む人に、一時的に提供する「ファームハイツ」で独り住まい。夕方6時、その日の作業が終了。トレーニングを兼ね、クアハウス津南でランニングやパワートレーニングを行い、温泉に入り、帰る。今年4月中旬からの日課だ。
農に取り組むのは、冬のため。苗場スキー場の「藤島スノーボードスクール」(http://www.naeba-boardschool.net/)のインストラクターを務める。次冬で4シーズン目に入る。夏は農業、冬はインストラクター。二つの顔を持つ。「冬のための農業です。でも、この津南が気に入りましたね」。自分流のライフスタイルをめざす。

◇◇

 「視野の狭さに気が付きました」。NZの1年間の収穫だった。それまでは、堅実な人生設計を考え、その道を歩んできた。「正解は一つしかない、人はこうあるべきだというような感じでしたね」。ターニングポイントとなったNZでのワーキングホリデー体験。なにが、自分を変えたのか。「ひと言で言えば、世界の広さを実感として感じた、ということでしょうか」。
旧月夜野町(現みなかみ町)の生まれ。短大卒後、幼稚園の教諭に。スノーボードはこの頃、友だちと楽しむ程度だった。退職後のNZ行きが、その後の歩みを変えた。帰国後、2年ほどOL生活を経験したが、次第にスノーボードへの時間が、生活を占めるようになった。

◇◇

 「カナダへ行こう」。突然の決意。すぐに実行に移した。29歳の時。英語はNZ行き前から独学で取り組み、さらに習得のために。現地でスノーボードのインストラクターのライセンスにも挑戦。全くの初心者を指導するレベル1指導で、感じた。「自分は、教えることが好きなんだということを、改めて気づかされました」。資格取得。だがアクシデントなどで帰国。友人の紹介で苗場スキー場でのインストラクター生活が始まった。

 スクールの校長は、津南町出身の清水太志。農への取り組みをアドバイスしてくれた。「ウィンタースポーツのインストラクターは、多くがそうですが、春になると仕事探しなんです」。シーズンのオンとオフ、厳しい現実が、そこにある。
「農業は初めてですが、自分に合っているように感じます。大変さと辛さはありますが、冬のためと思うと、すべてがトレーニングになります」。苗場ではアメリカや中国、ロシアなどからの外国人とキッズ(子ども)を受け持つ。SAJのインストラクター資格を持つ。

◇◇

 先日、野菜料理をした。「煮物もしました。自分で、料理が上手になったなと思い、実家に帰り、スーパーで野菜を買い料理したら、美味しくない。私の腕が上達したんじゃなくて、津南の野菜が美味しいんですね。このうまさ、最高ですね」。そんな新発見の日々だ。
 自分と向き合える農の時間が好きという。「農作業していると集中できます。黙々と、という感じがいいですね。でも、日焼けするんですよね」。朝陽を浴びた笑顔が、まぶしい。

突然の駐車料金徴収、来場者に不信感、竜ヶ窪  6月17日号
 毎年3万人余が訪れる津南人気スポットの名水百選「龍ヶ窪」。今月1日に突然『駐車料金バイク1百円、乗用車2百円、マイクロバス以上5百円』と看板が置かれた。町民や町観光協会に事前告知はなく、情報発信もないまま始まった突然の料金徴収に行楽客減少が懸念されるが、地元からは「環境保全には料金徴収は必要」との声もある。
 


 県内や関東などからのリピーターが多い同地。来訪し戸惑う姿が見られた。6年前から通う習志野市の鈴木一朗さん(68)は「地元の方に紹介を受け気に入り毎年来ているが、泊まった津南の旅館も料金のことは何も言わなかった。足が遠のいちゃうな」と驚いた。一方、町観光協会は「突然の料金徴収はまったく知らなかった。せめて事前に教えてくれればホームページで告知できたのだが」と印象悪化を懸念する。
 

 同地一帯約8・4fは県自然保護地区。これまで遊歩道整備や龍ヶ窪対策委員会(内山隆委員長)への管理委託費など町は毎年百万円余を予算化。だが近年来場者が増加、遊歩道の地肌が剥がれ樹木の根が露出するなど環境悪化。さらに町財政の緊縮もあり、整備財源確保をねらいに今期からの料金徴収を決定。町は埋め込み式の料金箱を2機設置。週末など管理人滞在時は管理棟で徴収し、年間百万円余の収入を見込む。担当の町税務町民課・高橋誠一郎班長は「事前周知は地元の対策委員会以外に考えていなかった。料金は環境保全に使う。委員からは客足は減るが本当に自然を好きな人が来るようになる、という意見も多い」と理解を求めている。

写真・料金徴収を始めた竜ヶ窪。「あまりにも突然すぎる」の声も

震災復興 被災の130年古民家、栄村青倉の住人「住み続ける」  6月17日号
県境地震で住宅が大きな被害を受けた栄村。地震から3ヶ月が過ぎ、住民は住みなれた家を修復するかどうか選択を迫られている。被害の大きかった青倉集落では各所に業者が入り、取り壊される民家、修復のため足場が設置された住宅が見られる。築130年余の古民家に住む島田常太郎さん(70)方は土壁が剥がれ家が傾くなどで大規模半壊の認定を受けたが、修復を決めた。「避難生活中は何も考えられなかったが、帰宅後に専門家から直せる可能性があると聞き、それなら直そうと強く思ったんだ」と話す。


 村役場担当者などと相談を重ね、国支援金など含め約180万円の補助が受けられると知った。「だが実際は修復の半額にもならず、持ち出しも多いと思う」。幸い、家を支える柱6本のうち5本は無事。床を剥がし石の基礎のずれを直すなど、日々修復されていく我が家を見守るのが嬉しい。「でもこの地震で家は潰れず、先祖が守ってくれたと感じ、より愛着が湧いた。住み慣れた家で一生を過ごしたい」と想いを語る。 


 修復後に楽しみにしていることがある。20年余前から交流が続く、絵手紙作家の山路智恵氏から新調する自宅ふすまに絵手紙を書いてもらう約束をしてもらった。「座敷に白いふすまを用意し、この地震を忘れないような絵手紙を書いてもらおうと思っている。それを眺めて暮らしたい。地区の名物になればもっとおもしろいかな」。完成の日が待ち遠しい。
 
栄村の住宅被害は今月1日現在、全壊33、大規模半壊21、半壊169、一部損壊480棟となっている。

写真・築後130年余の島田常太郎さん方。大規模半壊だが、修復を決めた

震災の上郷中校舎、年度内使用を断念、来春閉校、卒業式は母校で  6月17日号
 県境地震で被災、体育館など校舎が大きく損傷し立入禁止が続く上郷中だが、「耐震化工事には半年以上の時間がかかり今年度の授業再開は難しい」と町教育委員会から方針が出された。県境地震後、上郷中(中川久男校長、23人)は津南中校舎を間借りし授業。来年3月の閉校となるが、最後の1年間を他校舎で過ごすことになる。保護者からは「最期の年、思い出作りのためにも校舎に戻れることを望んでいたのだが」と残念がる声が上がっている。
 

 再開困難の判断は専門業者による報告書による。先月設計士が調査に入り、地質や校舎の現状から『再び大きな地震があれば復旧しても同じ被害が出る』と報告。耐震化工事には診断、構造設計、着工まで半年以上の時間がかかるとされ、今年度の授業再開は難しいと判断。先月27日に町教育委員会で方針を示し、了承を得て10日に開いた上郷中臨時保護者会で桑原正教育長、小野塚均次長が説明。15日付文書で桑原教育長、上郷中、津南中両校長名義で保護者に通知した。
 

 上郷中校舎は昭和55年に1階に教室、2階が体育館となる体育館棟を建設。だが国耐震基準が変わる前年に建設となり現行法の基準は満たさず、平成4年の上郷直下型地震でも大きな被害を受けた。一方、直下型地震後新設の音楽室など特別棟は耐震基準を満たしており、県境地震でも損傷は少なかった。保護者のひとりは「直下型地震の後、住民の避難所にもなる体育館棟を耐震化していれば子どもたちも最後の年を母校で過ごせたのだが」と残念がる。
 

 文化祭などの準備や卒業式などは特別棟で行ないたいとの要望も出ている。桑原教育長は「国災害復旧は元に戻すのみで耐震化は含まれず、断腸の思いだが、今年度中の授業再開は難しいと判断した。ただ特別棟の使用は可能であり、使う際は津南中校舎からのバス移動など支援していく」と話す。
 なお上郷中校舎の復旧工事は行い来月末の完成をめざすが、教室棟の耐震化工事のメドは立たず、閉校後の校舎利用にも影響が及んでいる。

写真・被災した新耐震基準前の上郷中体育館棟、年後内授業再開を断念、保護者同意を得た

 

東京電力西大滝ダム導水管が被災、発電力45%ダウン  6月17日号
 震度6強の激震で大きな被害が出た県境地震で、飯山市の東京電力西大滝ダムから津南町鹿渡新田の信濃川発電所まで水を送る導水管(約21`)が、地震で損傷し、復旧工事が行われている。導水管は2ヵ所で損傷し、津南町寺石地区では、地中の直径6・5bの導水管を掘り出し、損傷箇所の修復彩業を進めている。東京電力によると、今月末には復旧し、現在の半分以下になっている信濃川発電所を、電力不足が見込める夏までにフル稼働したい方針だ。


 東京電力によると、震災による損傷は4月17日、夏場に向けての巡視点検で発見。送水を止め、導水管内を歩いて点検。損傷は栄村青倉と津南町寺石間で見つかり、復旧工事を進めている。損傷箇所発見後、東電は地元関係集落に工事概要などを知らせた。町には4月28日、説明に来庁している。   


 導水管は2本通り、一本で送水し、このため信濃川発電所の最大発電力16万9千`hが、今回の工事で7万6千`hとなり、フル発電の約45%に落ちている。東電では、「電力不足が予想される夏場までに再開したい」と復旧作業を急いでいる。今回の損傷で約21`の導水管からの漏水は確認されていない。

写真・損傷した導水管を掘り出し、復旧工事が進む(11日、津南町寺石で)

県境地震から3ヶ月、自宅外に避難、いまだ228人、進まない住宅再建  6月10日号
 県境地震から3ヶ月。被災地は、幹線道路の補修は進むが、田畑など農地復旧は遅れ、応急対応で見切り田植えを行う姿が見られる。震災の一般住宅の再建は進まず、9日現在、津南町で12世帯44人、十日町市で23世帯58人が自宅以外で避難生活を送る。震度6強の栄村は、5月末から仮設住宅入居が始まり、今月18日には2次入居開始。仮設は2年間住める。全55戸の仮設に村民126人が暮らすが、一方で住宅再建には多額の費用がかかる。国の再建費用、義援金などは新築費用の5分の1以下程度。震災被害が住民の暮らし再建に重くのしかかっている。


 震度6弱の津南町。国道117号沿い、信濃川に架かる田中橋近くの小下里地区、清水友吉さん(90)夫婦と長男夫婦は、地震発生の3月12日午前3時59分。激しい揺れで飛び起き、すぐに家の外に出た。30分後に再び激震。「グラッと家が川側に傾いた。危ないと思ったが、倒れずに止まった。家の中はめちゃくちゃ。何もかも壊れたな」。清水さんは、あの時を振り返る。

 発生2日後、危険度応急判定が来て「赤」だった。その後の被害判定は「全壊」。さらに困ったのは、「この場所には建てられないと町から言われた。基礎の石垣にヒビがいくつも入り、この場所では建築許可は出せないと言われた」。清水さんは、すぐに土地を探したがなかなか見つからない。近くの不在地主の荒地を交渉。だが東京都市部の感覚で、「とんでもない地価を言われた」と困惑。「他に住む所はない。何とかしなくては」と交渉したが、ほぼ提示に近い価格で渋々購入。住宅建設以外に用地確保と、震災で思わぬ大きな出費となり、家計を圧迫している。

 
 大きく傾いた家は地震から1週間後に解体。すぐに建築確認申請したが、「もう1ヵ月以上になるが、業者は全く手をつけない。お盆には入れると思ったんだが…」と一向に始まらない新築工事に苛立ちを見せる。

 被災した家は、材木業の清水さんが選りすぐった木材を使い30年前に新築。「田中に一本しかなかった大きなモミジやケヤキを使ったが、地震で柱にヒビが入り、すべてだめだった。電気製品もすべてだめ。今度は全く一から揃えることになる」と話す。今は4人で大割野の医師住宅の空室で避難生活している。

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 津南町は先月末現在の被害状況をまとめた。総額25億5千万円。道路関係や上下水道など建設課関係が18億円と多く、農業施設、観光施設、商工関係は3億9千万円、ゴミ処理施設など1億6千万円、小中学校教育関係9千3百万円などとなっている。
一方、9日現在の自宅以外への避難者は、町の把握で町内空施設などに12世帯44人。住宅再建に取り組む世帯もあるが、先行き不安を口にする避難者もいる。「町は集合住宅や震災公営住宅を作る気がないのでしょうか。何も情報が届いていません」などの声が出ている。

写真・新たな自宅用地を確保した清水さん。震災が家計経済を圧迫している

復興住宅、来冬までに4地区に、栄村島田村長が方針  6月10日号
 直下型激震の直撃を受け、大きな被害が出ている栄村は、震災から3ヶ月をむかえた。仮設住宅は横倉50戸(119人)、北野天満温泉5戸(7人)設置され、今月18日から2次入居が始まり、9日現在、村役場に避難している1人が仮設入居することで、震災発生後、ようやく避難所がなくなることになる。だが一方で、住宅再建が大きな生活圧迫の要因になっている。特に再建資金。今月中旬以降、義援金配分が始まるが、国の再建費用、義援金を含めても新築費用の2割程度にしかならず、高齢化する村民からは集合住宅などの建設を望む声は大きい。


 先月9日。島田村長や村議会震災復興特別委員会は、7年前の中越地震の被災地で、震災復興住宅や集合住宅を建て、村民の地元離れをくい止めた旧山古志地区を視察した。

 この視察を踏まえ、島田村長は8日、取材に答え、「村内の4集落(森、青倉、横倉、小滝)に恒久住宅(震災復興住宅)を建てる方針だ。用地は地元に任せている。来年の冬前には入居できるようにしたい」と、具体的な建設場所と入居時期を明らかにしている。ただ仮設入居者にアンケートを取り、その結果を基本に震災復興住宅の建設場所、戸数を決める方針だ。


 一方、今後の復興の柱となる「復興計画(復興ビジョン)」づくりは、今秋10月頃から取り組む方針。「村だけでなく、県の協力も受け、村以外からも参加してもらう」と村民代表などを含めた検討委員会を設置し、策定する方針だ。その基本方針は「新しい発想というより、独自施策を20以上取り組んできた震災前の栄村の日常を先ず取り戻し、防災計画も見直し、この村に暮らし続ける『みどり豊かな心のやすらぎのむら』を作る計画にしたい」と話している。

写真・ようやく復旧工事が始まった国道117号、北沢橋(工事道路を造成)

外国で合弁企業、名古屋に直営店、「ごはん」6次産業化認定で事業拡大  6月10日号
 有機栽培やもち加工、イチゴ栽培に取り組み、米輸出でも実績を持つ津南町の「株式会社ごはん」は、国の6次産業化法の2011年度認定事業の指定を受けた。今後5年間の事業計画では、米有機栽培をさらに拡充し、同社農産物を扱う直営店を名古屋に開き、国内ではまだ市場に出ていない新品種の市場化をめざし、さらに米輸出では台湾で合弁企業を立ち上げるなど、意欲的な事業展開をめざす。大島知美社長は「この魅力ある資源を持つ津南の底上げにつなげたい」と話す。すでに中国では「魚沼」や「新潟こしひかり」などの商標登録を取取得している。


 同社の6次産業化認定事業は「津南産農産品を活用した総合プロデュース」。認定期間は5年間。この間、同社事業に対する国補助率の変更ができ、有利に事業展開できる。『有機栽培米の生産、販売を拡充し、中国や東南アジアへの販売を強力に進める』事業では、4年前から取り組む台湾での米販売実績が背景にある。今月と来月、現地の華僑グループ関係者と連携し、展示会出品する。将来的には合弁企業を創設し、中国も視野に米や加工品など直接販売する計画だ。すでに中国で「魚沼」「新潟こしひかり」「コシヒカリ」の商標登録を昨年と今年取得している。


 加工分野事業では、昨年5月から製造、販売のスイーツ「やわらか餅」、大豆や豆腐使用飲料の開発に取り組む。一方で、果物分野で国内市場にはまだ出回っていないイチゴの新品種「初恋」(商法登録済)の生産を本格化する。すでに5千株以上の試験栽培を地元で行い、市場リサーチも平行して行い、市場化をめざす。

 今回の同社認定事業の注目は、有機栽培や新分野の事業化による生産品を直接提供する直営店の開業。すでに名古屋で既存の飲食店でのテスト提供している。直営店も名古屋を第1号に東京、大阪を予定する。「名古屋で成功すると、どこへ行っても成功する」という。名古屋店は来年12月オープンの計画だ。同社の有機栽培米、もち製品、味噌、トマトジュース、雪下ニンジン、豆類などをオリジナルレシピで提供する方針だ。さらに直営店や生産品と、地元FM局やラジオアナウンサーとの連携で消費者ニーズを掘り起こし、新たな需要の創造をねらう。


 今回の総合プロデュース事業について大島社長は、「今回の事業認定は津南農地の有効活用につながる。このメリハリある自然環境は、生産販売の大きな魅力だ。この事業展開を津南の底上げにつなげたい」と話す。事業計画には24時間、365日操業の野菜工場プランもある。同社の事業拡充で、各分野の独立も視野に入れ、地域産業創造による雇用拡充につなげたい方針だ。すでに米輸出のための精米工場、薫場施設の誘致などを泉田知事に直接要望している。

 6次産業化法の北陸農政局管内の認定は6団体。新潟県内では3団体。ごはん以外では、共同出資会社「キャラ・コ」(協賛事業者、藤木演芸)の農産物付加価値づくりの加工食品の開発、販売事業が認定を受けている。(後号で詳報)

写真・新品種いちご「初恋」5千株以上を試験栽培する「ごはん」

新ライフスタイル 「木暮茂夫」 報道写真家、茅葺き職人、無農薬米氏栽培 
 竹下内閣が倒れ、総辞職した1989年6月3日。引き継いで発足した宇野内閣。組閣写真を撮るため、木暮茂夫(53)は、国会の赤じゅうたん階段に並んだ閣僚にカメラを向けていた。「帰りの車のラジオで、天安門事件を知った」。事件が起る直前、5月末まで中国にいた。天安門事件取材で7日には中国へ飛んだ。「TIME(タイム)」誌や共同通信社などの契約カメラマンで世界47ヵ国を歩く。  

 十日町市松之山の戸数2世帯の「中立山」。といっても、もう1世帯は別荘利用。この地に暮らし10年。今はカメラを手にしない。「この自然を前にして、人間は謙虚になるなぁ」。県境震災で壊れた明治27年建設の我が家の修復に忙しい。

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 タイムの契約カメラマン時代、国内の週刊誌、雑誌も手がけた。サンデー毎日で木暮が企画した『絶滅危惧職』は1年年半続いた。煙突掃除屋、活版印刷屋、駄菓子屋、瞽女(ごぜ)、ストリップ小屋、流しのギター職人などなど、リストアップした300種の70職を連載した。

 「忘れられそうな手仕事職人。時代の変化に背を向ける人たちだが、自分の仕事への誇りは、誰にも負けない人たちだった」。その中に、茅葺き職人もあった。この時、自分がその道に入るとは、木暮は思ってもいなかった。

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 カメラを手に世界を歩いた。次第にテーマが見えてきた。『中央アジアの遊牧民』、『ボルネオのオランウータン』、『新宿のホームレス』。ホームレス取材が、松之山移住へのプロローグとなった。

 「米一合キャラバン写真展」は、ホームレス支援活動から生まれた。ドキュメンタリー映画カメラマンの小林茂との交友から、新潟県でもキャラバン展を開き、集まった米を新宿に送った。
それは偶然だった。「米どころを回って見ようと、地図を見たら、国道なのにクネクネした道があったので、入ったんだが…」。国道405号。津南町の樽田を抜けて、松之山へ。国道とは名ばかりの道。「ひたすら、クネクネ道だった」。ふっと視界が開け、見ると眼下に茅葺き民家が4戸、小さな田んぼに囲まれていた。「タイムスリップしたようだった。衝撃にも似た感動だったな」。ここが中立山。

 ここに暮らしながら、ここを記録しようと、考えた。
この頃、マスコミ、メディアの世界に身を置き、この世界の欺瞞(ぎまん)と虚業に嫌気が差していた。「ちょっと行って写真を撮り、取材して、分かったような事を書く、これでいいんか、虚業だろう、そんな感じで、ちょっと荒れていた頃だった」。松之山行きを決めた。

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 絶滅危惧職で知った「茅葺き職人」。松之山移住を決め、「家の修理も必要になるだろう」と長野・小谷村の茅葺き職人を訪ね、基本を学ぶ。

 2001年。明治27年に建った茅葺き民家に移り住む。中立山暮らしが始まったが、カメラに手が伸びない。4戸の家を小さな田んぼが囲む。「この田は、ここの人たちが守ってきた大事な田。これから誰が守るのか、俺だろう、となったんだな」。

 中立山の日常が、なんと、も心地よい。「ツンドラ地帯の3千bの高地で、子どもたちが凍った通学路を歩いている世界を見てきて、ここ中立山は3b、4bの雪の上を買い物かごを下げて歩くおばちゃんがいる、この世界はすごいと思う。この国に、こういう地域があること自体が、自分の中ですっぽり抜けていた。ここだな、と感じたわけなんです」。

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 築後163年の民家。移住前に基本的な技術を学んだ茅葺き。地元や津南の仲間と「奥越後茅屋 KAYAYA」を作り、各地の茅葺き屋根の修復を手がける。我が家の屋根も。「うちは茅屋根と杉皮ぶき、木端、トタンの4種類の屋根。どうですか、なかなかいいでしょう」。家の前の池に、どっしり座った茅葺き民家が映る。

 この10年で4戸が2戸に。「隣りのばあちゃんがいなくなる時は、寂しかったな。家に灯りがつかないほど寂しいものはない」。70eの田はすべて無農薬栽培。いま、カメラはほとんど手にしない。「写真を撮ることより、この田を残していくことのほうが大切でしょ。ここの人たちが、営々と受け継いできた田んぼ、これが大切なんですよ」。妻の久美子さんと、40数枚の田んぼを、守る。

桑原悠のふりーたいむ 「柳沢篤志さん」
 日々やる事に追われて、最近の私は大学のある本郷界隈から外に出られない。そういう時に、津南中学校時代に生徒会長だった柳沢篤志(24・卯ノ木)が来てくれて、十年ぶりに再会した。偶然にも前回の池田さん同様、彼も医療専門職。

 桑原|今どこに住んでるの?どこで働いてるの?
 柳沢 住んでるのは目黒区自由が丘。女の子が好きな街。仕事は渋谷区広尾の日赤で看護師をしてるよ。救急病棟にいる。
 桑原|救急病棟って…ドラマに出てくるようなイメージで合ってる?
 柳沢|ドラマでは救急外来がよく出てくるよね。俺がいるのはさ、一次・二次救急の患者を扱う救急病棟。25床ある。もっと重症な、命の危険がある三次救急の患者はEICUに行く。そこは8床。一般病棟と違って、救急病棟の看護師は患者の日常生活の援助より、先生の補助という役割の方が大きいんだ。急変もありうるし、小さい異常も察知しなきゃいけない。そういう意味でミニドクターかな!
 桑原|あっくんて、中学の時から医療の仕事に就きたいと言ってたね。
 柳沢|そうそう。昔からそう思ってた。中三の時の入院もきっかけ。
 桑原|昔から優しかったよね。生徒会長としても、みんなの意見を調整しながら進めるタイプのリーダーだったよね。でも当時は一人で仕事を抱えすぎてなかった?
 柳沢|そうかも。みんなに仕事を振るのができなかったんだよな〜俺。今もそうかも。
 桑原|当時の思い出は?
 柳沢|先生に「遊んでる暇ないよ」と言われて、昼休みも毎日生徒会室にいた。おかげでパソコンのスキルが身についたのはよかった!何かを企画をするのは大変だけど、大事なこと。悠もがんばってよ。

…と励まされた。当時のわが生徒会長は、今でも生徒会長らしかった。ありがとう!
  写真・文=桑原悠
   (東京大大学院2年)

復興への合唱、つなん合唱隊  6月10日号
 「地震で家に戻れなくなったにも関わらず、元気をくれたのが歌であり、一緒に合唱する友がいたからです」―。長野・新潟県境地震で延期となっていた「つなん合唱隊」(板場麻実代表、71人)の1周年&千の風音楽祭出場記念発表会が5日、町文化センターホールで開かれた。3百人余りが詰めかけたなか、「地震に負けず頑張っていきましょう」などと呼びかけ、千の風音楽祭で特別賞・千の光賞を受賞した課題曲「千の風になって」など次々と披露。会場からは「地震被害を乗り越えての姿に心を揺さぶられました」「涙と元気をもらいました」など感動の声があがっていた。


  同合唱隊は2年前の秋、元津南中教諭の池田芳幸さん(51)を指導者に設立。今年2月に新潟市で開かれた千の風音楽祭に出場し、特別賞を受賞。舞台では千の風音楽祭の発表そのままに、黒のスーツと胸にヒマワリのブローチをつけて登場したつなん合唱隊。県境地震で未だに自宅に戻れないメンバーも2家族いる。そのひとり、江村ひろみさん(49、子種新田)は「歌には不思議な力がある。あんな大変な時にも歌いたかった」と舞台で挨拶。また教員住宅などから通学している江村美弓さん(上郷中2)と石沢ほたかさん(同)は「緊張したけど楽しかった。一生の思い出になります」と喜んでいた。発表会には十日町市のコーラスグループ・がちょうの会も友情出演。つなん合唱隊と合同で「上を向いて歩こう」や「翼をください」など合唱、会場を盛り上げていた。
 会場に置かれた義援金箱には2万3千円余りが寄せられ全額、津南町と栄村に寄贈した。

国体選手がコーチ、津南中等バレー部活動で熱血指導  6月10日号
 中高校、大学とスポーツトップレベルの学校を経験した女性が、子どもたちの指導に当たっている。津南中等校の石坂江里子教諭(26)。バレー部監督2年目、22人の生徒たちに豊富な経験を活かしスポーツする心や技術を伝える日々。「今は毎日が充実しています。バレーを通し人から応援されるような人間性を高め応援したくなる、愛されるチームにしたい」と思いを話している。
 

 長岡市出身。旭岡中時代3年で全中出場。センターで活躍、スカウトの目に止まり全日本の強化選手に選ばれ強豪の宮城・古川学園に進学。インターハイ3位などの原動力に。日体大進学後も競技を継続。日本代表で活躍した大山加奈、現日本代表で主将も担った荒木絵里香選手は同期でライバルだった。2年前の新潟国体では県強化チームに選抜されたアスリートだ。
 

 転機は大学4年の教育実習。子どもたちに体育を教えることに喜びを感じた。「生徒の時は、先生にいつも抑えられ、好きではなかったんですが、教える立場となり、先生には子どもたちを変える力があると気付きましたね」。大学卒業後、別業種に就職するが教師の夢を諦めきれず職を辞し、教員採用試験に合格。県立高等養護学校を得て2年前に同校へ赴任した。
 

 いつも心がけている。「スポーツや勉強、ただそれだけできればいい訳ではありません。あいさつなど人間として成長が必要。運動神経はよくない私が先生、監督、仲間と出会えたから今があります。子どもたちの人間性を高めるようにしたいです」。バレー部の指導に熱が入っている。

生産額5.5億円、全国シェア13%、ゆきぎに森林組合なめこ工場  6月10日号
 生産工程で「人の手に触れない日本一のなめこ生産施設」として大手流通から評価される十日町市松之山の「ゆきぐに森林組合」(組合長・村松二郎県議、本所・上越市大島区)の新工場が完成。8日、竣工式を行い本格稼働に入った。年間千4百d、生産額5億5千万円をめざす。同じ敷地に隣接の同組合とJA十日町、民間の松之山きのこの3者連携で平成17年に建設した工場と合わせると年間10億円産業が見込まれ、両工場で国内シェア13%を占め、全国トップクラスのなめこ生産拠点となる。
 

 新工場は、鉄筋鉄骨一部2階建て約4千6百平方b。総事業費約21億円をかけ、きのこ培養、発生、パッケージの一環生産体制を作った。廃菌床は、高圧殺菌用に導入したバイオマスボイラーの熱源として利用する一方、栽培では省エネ対策としてLEDを使用。このLED栽培は全国初となる。稼働に伴う新規雇用は30人程度としている。
 
 式典で村松組合長は「なめこは松之山の緑多い空気を吸って育つ。3月の地震で隣接の施設が大きな被害を受けたが、新施設と共に日本一のおいしいなめこを作っていきたい」と挨拶。泉田知事は「県産キノコは全国2位、なめこは3位。今回の施設で2位に浮上したのでは。新工場が家族の笑顔、地域の元気に必ず結びつけてくれるはず。さらに第3、第4の工場を」と激励した。

震災復興 国道117号栄村地区、大型車通行止め、夏休み前に解除か  6月3日号 
 震度6強の県境地震の直撃を受け、橋脚が損傷し、8d以上の大型車通行止など重量制限の通行が続く国道117号、栄村青倉地区。新潟と長野を結ぶ流通、観光の要のルートだけでなく、北陸と中京、関西との定期便アクセス道でもあり、同区間の通行規制が地域経済に大きな影響を与えている。管轄する長野県は被災後、連続して連なる栄大橋と青倉橋、北沢橋の被害詳細調査や耐久度調査を行い、被害が深刻な北沢橋の改修工法を検討。先月末までに工事発注し、「夏のシーズンまでには交通規制を解除できる」(飯山建設事務所)と、夏休み前には大型車の通行再開が実現する見通しとなった。


 今回の県境地震は、局地的な直下型激震で、栄村青倉、森地区などが特に大きな被害を受けた。流通の大動脈、117号も各所で被害を受け、特に3つの橋が連なる青倉地区が激震の直撃を受けた。地震発生後、同区間は全面通行止となり、すぐに片側交互通行ができるようになったが、発生から1ヵ月半後の4月28日、大型車以外の通常通行ができるようになった。

 津南側から栄大橋、青倉橋、北沢橋と続き、青倉トンネルに入る。県の調査では、栄大橋は、激震で橋げたが川側に動いたが、すでに鋼材で支える応急工事を施している。青倉橋は、橋台と橋脚に被害を受けているが、ボーリング調査を実施し通行に支障なく通常通行が可能。


 北沢橋が重症だ。橋を支える橋脚中央部に、橋脚を切断するように真横にヒビが入った。飯山建設事務所によると、「橋脚のコンクリートが損傷したが、内部の鉄筋は被害を受けていない」という。亀裂部分では一部の鉄筋がむき出しになり、震災の激しさを物語っている。

 管理する長野県飯山建設事務所によると、北沢橋の復旧は、橋を支える支柱を設置し、「橋脚全体を下部から鉄筋とコンクリートで巻いていく工事で橋脚補強する」方針だ。先月末までに工事発注した。同橋両端に工事看板が設置され、「復旧工事9月23日まで」と記れているが、同事務所によると「表記の工期は契約上の期間。大型車の通行は夏のシーズンには間に合わせたい」と、夏の観光シーズン、夏休み前には大型観光バスなど大型車の通行が再開される見通しだ。

写真・激震で橋脚中央部に亀裂が入った北沢橋

シリーズ連載「新ライフスタイル」  英会話講師、ジャズシンガーの福原美恵さん(津南町秋成)  6月3日号
 「クラィ ミー ア リバー」。スローなリズム、マイナー調のメロディが雰囲気を醸す。いま、福原美恵(津南町秋成)が一番好きな曲だ。    

 「先生によく言われます、あなたは人が選ばないような曲を選びますねと。こういう曲調が好きなんです」。月に一度、東京・渋谷のジャズボーカルスクールに通う。ここの先生とは20年以上の付き合いだ。

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 甲府の進学校に通っていた高校3年の時。「自分の身になるものを、もっと英語を勉強したいと、決めました」。交換留学生の選抜にチャレンジ、留学のチャンスを得る。3年の1学期終了後、アメリカ・ワシントン州の公立高校へ留学。「そこは人口3百人くらいの村でしたが、ホームスティをしながら通いました。今もそこのお父さんとは、電話で時々話してます」。

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 3歳から始めたピアノ。高校で入った吹奏楽部。「本当はクラリネットなど可愛い管楽器をやりたかったんですが、先生から『ピアノをやっているなら耳がいいからベースを』と、ウッドベース担当になりました」。このウッドベース担当が、ジャズへのプロローグとなった。

 甲府第一高校は、県会でも有数の伝統校。吹奏楽部内にジャズのビックバンドがあり、楽器編成が決っており、ベースもそのメンバー。「吹奏楽部の定期演奏会でビッグバンドも演奏するんですが、これが楽しかったですね」。ジャズへの魅力が増した。


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 ワシントン州の高校へ1年間の留学。吹奏楽部、さらにビッグバンド活動が役立った。留学先の高校のマーチングバンドのメンバーに入り、いっきに友だち関係が広がり、英語もグンと上達。帰国後、高校2学期から復学し卒業。英語をさらに勉強するため大学も英文科に進み、卒業後は貿易会社へ。日常的に英語でのビジネスに身を置いた。24歳で結婚。「子育ては田舎で、と私は決めていました」。夫の家がある津南へ移住。今春で津南暮らし9年目になる。翌年から英語を生かし「ECC 英語学習」を自宅で開設。今年から十日町教室も開く。

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 大学卒業後、「ちょっと音楽とは離れましたが、自分の身体一つで音が奏でられるボーカルに魅かれました」。社会人となり、ジャズボーカルスクールに通う。以来、20年余り。津南暮らしを始め、2度ほどコンサートを開いた。

 こよなく愛する歌手は「エラ・フィッツ・ジェラルド」。すべてが好きだ。「音楽は私にとって身体の一部であり、生活の一部ですね。車を運転していても、今日はこの曲、などといろいろ選曲しています」。

 月に一度通うジャズボーカルスクール。好きな曲を自分風にアレンジし、先生のアドバイスを受ける。「その時々の自分がよく分かりますね」。音楽は、自分を映すミラーでもある。
ジャズボーカルのシンガー、さらに英語講師、娘2人の母であり、東京まで新幹線通勤する夫の妻である。さらにさらに、ジャズをこよなく愛する人間でもある。

芸術祭の企画商品、国内外の7部門でデザイン賞  6月3日号
 地域特産品を全国1万人余の作家がパッケージデザイン、新ブランド化を図る「Rooots リデザインプロジェクト」。第4回大地の芸術祭で取組みを開始、現在地元13社21品目を商品化。昨夏の瀬戸内芸術祭でも取り組まれ全国が注視するなか、このほど「日本パッケージデザイン大賞2011」(応募作976点)で6品入選。うち1商品が全国で43点しかない入賞作に選出。企画のNPO越後妻有里山協働機構は「受賞を地元企業発掘と全国アピールの契機にしたい」と積極姿勢をみせる。
 

 同プロジェクト商品はこれまで日本最大級のデザイン審査会・グッドデザイン賞やアジアデザインアワード金賞など、国内外7賞を獲得。大手企業や広告代理店の受賞が多いなか地域発の商品入賞はまれ。担当の同NPO・桑原康介さん(30)は「10年、20年使っても古びない、地域に根付いた商品化がねらい。取り組みに問合せも多く、妻有のノウハウは世界で通用する。商品を世界に発信したい」と話す。第5回芸術祭に向けた商品化説明会は7月に開催予定だ。
 

 なお受賞作は今月13日まで東京・松島銀座で展示。さらに17日から羽田空港国際線ターミナルビルで大地の芸術祭特設コーナーが約50日間設置される。
 ▼受賞作=アルコール飲料部門銀賞・「天神囃子」▼入選作=「棚田天水米コシヒカリ・農の舞」(以上2商品は越後妻有)、「綾菊・特別純米」、「和三盆・うみのうた」「かな泉・讃岐うどん」「えびせんべい」(以上瀬戸内)。

初の女性観光協会長、尾池三佐子さん(農家民宿サンベリー)
「津南には宝がいっぱい。この宝を皆で大切にしていこう、という自覚を皆で共有できたらいいですね」。

 「津南の宝」、真っ先に上げたのは『ひと』。「面白く、興味深く、魅力ある人がいっぱいいますね。自然の魅力と共に、それが津南の宝、魅力になっていると思います。そういう人たちが皆、津南の案内人になれば、津南は面白く、楽しく、行ってみたい、住んでみたい町になるでしょうね」。


 21年前、千葉・船橋から家族で移り住み、「8月から22年目に入ります。早いですね」。生まれは九州・福岡。転勤族の父、九州各地を回り、10歳で東京へ。結婚後、船橋で暮らし、「田舎で暮らしたい。農業をしたい」と津南へ移住した。

 「最初の10年ほどは、観光気分でした。町のあちこちへ行き、人に会いましたね」。今では、分からないことは尾池さんに聞けば、と言われるほど津南地域を良く知る。「地元の人たちは、余り町内のよその地区へは、知り合いや何かがない限り行かないようですね。ですから秋山郷へ行ったことがない人も結構います。先ずは、津南再発見でしょうか」。

 4年前、津南町観光協会理事となり2期務めた。「今期で辞めようと思っていましたが、私のところに回ってきました」。12年前、野菜など農産加工品を作る農家の女性らで直売グループ「たっぴの会」を立上げ、5年間会長として切り盛りした。5年前、自宅で「農家民宿サンベリー」を開業。船橋時代から取り組む染織や手作りパン体験などを提供し、「つなん原染織工房」も主宰する。

 サンベリー利用者から「農業をやりたいです」や「津南で暮らしたい」などの声がここ数年、多く聞かれるようになった。「無責任に、どうぞとは進められませんが、情報や体験談を話しています。特に今回の震災で、世の動きとして、暮らしへの見直しが始まっているように感じますね」。今年2月の真冬、サンベリー宿泊三度目の30代家族が、『決めました』と。「ここ津南地域で暮らすことを決めたと言って来ました。津南を気に入ってくれたことは嬉しいことですね」。

 津南町観光協会としては初の女性会長。「女という意識はありませんが、イベントに追われるのではなく、もっと人と人が話す時間を多く取りたいですね。情報が共有できますし、それが観光やこの町を訪れた方への情報となり、この地の雰囲気になって出ると思います。もっと地元同士で、お茶飲み話しをしましょう」。
(おいけ・みさこ、農家民宿サンベリー、つなん原染織工房、1948年3月生まれ、津南原)


 津南町観光協会の新年度総会を27日、雪国で開き、新年度一般会計予算1320万円を決め、役員改選では初の女性会長に尾池三佐子氏が就いた。理事14人は、再任8人、新たに6人が人選され、新体制をスターとした。

 新役員体制▼会長=尾池三佐子(農家民宿サンベリー)▼副会長=宮沢金作(フジミヤ専務)小林幸一(津南まるごと博物館)▼理事=石沢哲(山源木工)樋口明(ニュー・グリーンピア津南支配人)中山弘(町議員)山岸博之(森宮交通社長)樋口チセ(セブンイレブン店長)中沢幸男(森林組合理事)高橋政徳(商工会長)石橋優美子(スノーランド取締役)恩田稔(町議員)中澤幸男(町地域振興課係長)本山佐利(観光協会事務局長)

写真・初の女性会長の尾池会長

芸術祭品が被災、復旧基金呼びかけ  6月3日号
 大地の芸術祭作品の地震被害が明らかになった。約200点の恒久作品のうち全壊3、半壊2、一部損壊10の計15作品が損傷。他にも若干の修復が必要な警備損壊は15作。今夏開催予定の「大地のまつり」前に修理を急ぐが、全壊作品の復旧メドは立っていない。
 
 
 震源地に近い松代・松之山地域で最も被害が大きく、「オーストラリアハウス」(松之山浦田)、風の砦(松代室野)、「自然と文化の出会う公園」(同)と屋内外3作品が全壊。人気の宿泊施設「夢の家」(松之山上湯)、「収穫の家・米との対話」(同)は半壊し使用できない状態。一部損壊は「儀明劇場‐倉」(松代儀明)や旧東川小を使った一番人気のクリスチャン・ボルタンスキー製作「最後の教室」も壁に亀裂が入るなど被害が。津南町では登り窯を移築した「ドラゴン現代美術館」(蔡国強、上野)のレンガ一部が崩落。陶器作りの「かささぎたちの家」(金九漢、同)もひびが入った。
 

 損壊アート作品は行政と協議し修理を急ぎ、さらに先月20日創設の「越後妻有アートネット災害復興基金」への寄付を募り修復する計画。だが全壊作品復旧は未定だ。NPO越後妻有里山協働機構の関口正洋事務局長は「具体的な修繕方法は行政と協議中だが、アートを活用した里山の復興や地域振興が大地の芸術祭の原点。災害と向き合い来年の第5回開催へ、復興過程を含め発信を続ける」と話した。

写真・被災した津南町の蔡國強作品「ドラゴン現代美術館」

シーズンイン、残雪たっぷり苗場山  6月3号
 ◎…苗場山(2145b)、鳥甲山(2037b)、佐武流山(2191b)は1日山開き。小赤沢の苗場神社で神事、玉串に代わり苗場山にちなみ稲苗を奉納。山伏装束の見玉不動尊・池田名順住職が笹葉につけた熱湯を80人余の参集者にふりかけ、シーズンの安全を祈願。記念登山者に秋山郷産カツラの木で作った手作り御守を贈呈。20年余前から製作の名物。今年の記念登山者は17人。北名古屋市の本田英男さん(69)は山開き登山3回目。「雪原が広がる苗場山に登ると癖になる。今年はどんな風景を見せてくれるか楽しみ」、さっそくオリジナル御守を身に付け山頂に向かった。
 

 ◎…昨年は過去最高の3700人余(前年6百人増)が山頂の「苗場山自然体験交流センター」に宿泊。民間ツーリスト利用の50代登山者が多く好調。3月の県境地震直後に若干のキャンセルはあったが、今夏の予約は例年並。経営の苗場山観光・中沢茂社長(62、小赤沢)は「大地震の影響を考え今年の目標は2500人とした。だが苗場山のよさである一面に広がる大パノラマの湿地帯を、地震に負けずアピールしたい」と話す。宿泊予約は秋山郷観光協会рO25(767)2202。

写真・シーズンに備え物資をヘリで荷揚げする(26日、苗場山頂)

初勝利で北信越大会出場、県立津南中等校軟式野球部  6月3日号
 めざすは「てっぺん」―。県立津南中等校・軟式野球部の高校課程(新井翼主将、11人)は7日に長野・中野市で開く第12回北信越地区大会に出場する。メンバーは「夏本番を前に強豪と戦える大きなチャンス。もちろん優勝をめざします」と週3回の練習に熱が入っている。
 

 創部5年目。高校課程は今春初めて高野連に加盟。先月24、25日の新潟市ハードオフエコスタジアムでの県予選大会に出場。県内4チームで争い、一回戦安塚高松之山分校に10対0で勝利。実は5学年4人、4学年7人のチームにとって公式戦初勝利。決勝は新潟商業高に10対0で敗れたが準優勝で北信越大会出場を決めた。
 

 練習は中学過程の14人と共に白球を行う。センターを守る5学年の新井主将は「野球部のテーマは天下統一。めざすは常に頂点。守備からリズムを作るのが持ち味。初勝利でみな気合は十分」と手応えを話す。守備の要の捕手だが県決勝は高熱で欠場の4年、大島翔太選手は「決勝に出られずチームに迷惑をかけた。借りを北信越で返したい」と気合十分で優勝をめざす。


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