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2011年05月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
被災三度の十日町病院、一日も早く、「地元の本音を」村松議長発言 波紋呼ぶ  5月27日号
 県立十日町病院の中核病院化による改築問題は、地元十日町市が建設場所を決め、経営主体を県が決める段階に入り、一方で同時進行の形で今年、新十日町病院の整備基本計画づくり取り組む段階に入っている。この中、地元としては3人目の県会議長に就任した村松二郎議長は、「県立病院全体のあり方を先ず論議すべき。十日町だけを切り離し、公設民営をぶつけている」、さらに「なぜ県立でできないのか、民営化の推進役にはなれない。医師や医療スタッフの確保から県立の方がむしろ早くできる」など、今月15日の十日町記者クラブ会見で述べ、この発言が波紋を呼んでいる。

 3度の大震災を経て、建物の安全性を不安視する地元にとって、早期改築が地域の悲願である新十日町病院。泉田知事の「公設民営」方針に沿う形で地元が建設場所を決めたなか、真っ向から対峙する村松議長の真意はどこにあるのか、関係者に聞いた。


 唐突感を抱くが、『県立病院全体のあり方を先ず論議すべき』は、村松さんが最初から言っていること。ただ、地元が建設場所を決めたこの段階で、あえて知事方針に対抗する言葉には驚いた」。上越市から十日町・津南選挙区に鞍替えした前回の県議選で村松氏を支持した関係者は話す。

 今月20日、新潟県は「平成27年6月開院」を明記した『魚沼基幹病院 整備基本計画』を発表した。泉田知事はこれまでの発言の中で「魚沼基幹病院と同時開院をめざす」と新十日町病院について話している。


 今年1月、十日町市で開いたタウンミーティングで同知事は、「県が責任を持ち、公でできないことを民営でやる」と公設民営方針を確認し、「十日町地域の医療活動全般に県が責任を持つ。皆さん、期待して下さい」と、新十日町病院への取り組み姿勢を見せた。

 地元はこの知事発言を、どう受け止めたのか。3月市議会で関口市長は、知事方針に沿う姿勢を明らかにした。「県立病院の再編問題であり、魚沼と十日町は初めて県立以外となるわけで、泉田知事の政治生命をかけた大きな決断。私がやるんだからと、知事が言っている以上、私も知事方針に沿う取り組みでいきたい」。公設民営を市として受け入れる姿勢を明確に示した。

 「建設場所は地元が決めて下さい」との知事方針を受け、昨年ようやく建設場所を決めた十日町市。2代前の滝沢市長時代から、新病院の建設場所が二転三転した経過がある。このため関口市長にとっては、『今度は、県が運営主体を決める番』と県にボールを投げ返した形になっている。十日町市は機会を取られ、県に取り組みのスピードアップを求めている。

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 今回の村松議長発言、すでに県病院局や知事にも伝わっているようだ。『同時開院』の魚沼基幹病院の整備基本計画は、20日発表された。今年は新十日町病院の整備基本計画に取り組む方針だ。関係者は話す。「3度の大きな地震にあっている十日町病院。耐震補強したが建物への不安感は大きい。早期改築が地元の願い。民営化には課題もあるが、今は県の最高責任者である知事方針で進めることが、早期改築につながるのではないか」。中越地震後の耐震補強は、震度7に耐える補強ではないようだ。県意向を受け、地元主導で改築の必要性を強力に訴える取り組みが求められている。


 村松議長は本紙取材に対し、「選挙中も同じことを話した。新十日町病院は、最終決着としてよりよい病院が早くできればいいわけである。この問題、右ならえで皆がそっちを向くことがいいのかどうか」と改めて問題提起する。 

 「私は地域の代弁者ではなく、代表者として自分の考えを述べている。十日町の市長は、望んでその方向を向いているのではないと思っている。誰かが、本当にそうなのかと言うことが必要。言うべきことはしっかり言う、私の政治姿勢である。異論があるということが、大事なのではないか」と基本的な姿勢を示す。

 では、地元はどう取り組めばいいのか。「地元自治体は、早期改築を積極的に求め、経営主体は県の考え方でいいですと、地元が一生懸命取り組んでいる姿勢が大事ではないか」、さらに「今の医療体制を変える必要があるのか、そう思っている人もいる。県立県営だから県が関わるわけで、民営化の場合、今度は地元の問題となる。地域にはまだ様々な意見がある。地域の人たちは、本当はどう思っているのか、県営がいいなら、県営で改築してほしいと、はっきり言うべきだろう」と、地元での論議不足を指摘し、地元要望を明確にする必要を強調している。

写真・今月20日県発表の魚沼基幹病院の完成予想図(県ウエブサイトより)

シリーズ連載「3.12県境地震 復興の足がかり」 見える被害 見えない被害  5月27日号
 「見える被害」、「見えない被害」。水田や畑に入った地割れ(クラック)。耕作が本格化し、被害の深刻さが増している。「水を入れたが、溜まらない」、「畦が落ちた」、「田が水平にならない」。津南町や栄村の農家から声が上がっている。

 25日。栄村森区の山にある整備された田。30年以上、村委託で重機を使った田直しを行う高橋健さん(54)は、石灰を水で溶いた白い液を幅1aほどのクラックに流し込んだ。「入るなー。相当深いぞ」。小型重機で掘る。割れ目が白く浮き出た。田の表土から約80aの深さまで達した。

 村内の田を熟知する高橋さん。「普通の災害と地震被災が違う。表面を修復しただけでは、地中の地割れはそのまま残る。水を入れても、すぐに漏れるだろう」、さらに「恐いのは2次災害。その田だけではなく、人家や水路への被害につながりかねない。中越地震では、そうした災害も発生したと聞く。しっかり修復する必要がある」。

◇◇ ◇◇

 栄村産業の基幹、水田農業の被害対策に、村が乗り出した。村内8集落(森、青倉、横倉、雪坪、小滝、志久見、野田沢、原向)の水田16ヵ所、菅沢の畑2ヵ所、1a〜5aほどの地割れ掘削調査を、25日から3日間行った。18ヵ所すべてを克明に写真記録し、7、8月に来村する国(関東農政局)の災害査定官に提示し、災害復旧範囲の拡大を求める。

 国の農地災害復旧には基準がある。地割れ深さ41a以上、直線150b以内で事業費40万円以上と定められている。

 今月17日、関東農政局の災害査定官が来村した。本査定前の状況視察だ。農地災害を担当する村産業建設課の災害第2係の森川浩市係長は、村の窮状を訴えた。

 「限られた村の財源。いかに村負担、村民負担を少なく、農地を復旧するか、これが最大の課題です」。
その参考となり、自信となったのは、長年、栄村など中山間地の棚田などを調査し、効率化の対極にある山間地の水田営農を研究する信州大の木村和弘教授のアドバイス。さらに7年前の中越地震で被災し、復興を果たした小千谷市の被災者の言葉だ。

 木村教授は「地震災害には、見える災害と見えない災害がある。地割れをあまく見てはいけない」と警告した。その言葉を受け、今月18日、村内小滝で田のクラックを掘削調査した。50a以上の深さに達していた。

 中越地震で同じように水田など農地被害を受けた小千谷市真人の細金剛さん。「見えるクラック以上に、地中の地割れは深刻。中越では表面を埋めただけで作付けしたため、その後、水漏れや翌年は水がたまらず、再工事をした所が多くある。さらに地割れが広がり2次災害も発生した。今回、栄村でも同様の被害が出ていると聞き、何か協力できればと思っています」。

◇◇ ◇◇

 「村民の負担、村の負担をいかに少なくするか」。森川係長は関係者協議の中で、一つの方針を決めた。『クラックは深さ21a以上を国の災害復旧対象に』。17日来村した災害査定官にも打診した。「中越地震では深さ31a以上が国の対象になった。栄村は全村の田の8割が被害を受け、この農地被害をしっかり直さないと、今後の米作りに問題が出かねない」。  

 クラックや沈下の田は、内畦で作付けできるようにした。村は、この内畦の範囲内すべてを災害復旧対象にするよう国に要請する。
この復旧面積の拡大は県も見込み、13日までの栄村の農地関係被害調査で約920ヵ所、19億3千万円を見込んでいる。災害復旧の農家負担は10%。だが「限りなくゼロになるように働きかけている」。国事業に該当しない復旧は、村小規模事業で対応(農家負担20%)。これも「限りなくゼロにしたい」と、村は農地復旧に本腰を入れている。

◇◇ ◇◇

 ジャズをこよなく愛する高橋健さん。重機を扱いは、スイングの世界。全村の田、それを耕作する人、すべてを知る。「高齢化が現実だが、今回の復旧はいかに個人負担を少なくするか、これにかかっている。この災害で、農業離れを加速させてはならない。こうした山間地での農地被害をしっかり助ける助成制度が必要だ」。日焼けしたひげの顔に、力がこもった。

       ○
 シリーズ連載 「3.12長野新潟県境地震 復興の足がかり」の1部は今回で終了します。震災の地が、どう変わっていくのか、夏に予定の2部で報告します。

写真・石灰水を流し、クラックの深さを測る高橋健さん(25日、栄村森で)

植えて残そう秋山郷「石垣田」、来月初の企画ツアー  5月27日号
 全国農村景観百選の秋山郷「結東石垣田」を次代へと、新たな動きがスタートした。2年前発足の石垣田保存会「けっと」(中村由美子会長、25人)企画の1泊2日田植え体験ツアーを来月14日から19日の6日間開く。メンバーは「先人たちが築いた石垣田を守る契機にしたい」と期待する。
 
 中津渓谷の岩山だった同地。結東住民は、天保の飢饉(約160年前)で支援した佐藤佐平治翁の救援金を積み立て、岩を切り出し水田化。明治初期に120枚余、約10fの棚田が完成。手積みの石垣と自然景観が歴史を感じさせる人気スポットに。だが高齢化で休耕田が増加。さらに豪雪や地震で石垣の一部が崩れ、維持が課題に。
 

 そこで「石垣田ファンを増やそう」と同会と町が連携し初企画。秋の収穫体験も予定。同所8枚の棚田約20eでコシヒカリを作る滝沢一義さん(73)は「年々休耕地が増えるが、崩れた石を積むなど保全が難しくなっている。人が来ることでご先祖様が作った石垣田が残るきっかけになればありがたい」と話した。
 
 同ツアーは萌木の里に宿泊。山菜採りやアスパラ収穫、結東のブナ林散策なども行なう。鉄道利用者は十日町駅から送迎。料金は1万6千円(18日のみ千円増)、参加者5人以上で実施。申込は出発10日前までに農協観光рO25(232)7778。

 

ふりーたいむA 「池田亜也さん、地域医療を考える」 写真・文 桑原悠
 こんにちは、2回目の連載です。皆さんに「取材させて下さい」と頼むと、「私でよければ喜んで!」と言ってくださいます。若い人もどうやら言いたいことがあるようだ、私は私でこの人どんな人だろう?と知っていく過程が楽しく、両者の利害が一致して毎回、何やら盛り上がっています。
 

 今回取材したのは池田亜也さん(23・豊郷)。現在、東海大学健康科学部看護学科の4年生。2年間浪人したと聞き、ピンときた。「多分、医学部を目指していたんだろう」と。医学部は2、3年の浪人がフツウの世界である。しかも必ず合格するとは限らない。私の勘は当たり、亜也さんは初め医者になりたかったと知った。今は目標を看護師に切り替えたが、どうもただの看護学科の学生じゃないのだ。
 

 聞けば池田さんは、福島第一原発のメルトダウンに危機感を覚え、学内で「被災地支援と原発の安全を考える会」を立ち上げたらしい。強調していたのは、「まず知ることから始めよう。これは他人事ではない。物事を知る=自分の身を守ることでもある。そのうえで自分達の知恵が活かせる医療方面から長期的な支援をする学生団体にしたい」ということだった。惚れそうになった私。同じ津南っ子を名乗っていることに誇りを感じたのであった…。 
 

 私達は十日町津南地域の深刻な医師不足をどう解決したらいいかについても話し合った。池田さんは、仕事環境や医療スタッフ全体の不足を問題に挙げた。それが一人ひとりに過剰負担を強い、この僻地で医療に従事したい人をさらに遠ざける悪のループがあるようだ。なるべく医者にかからなくてすむような健康な地域づくりも必要だということに私も同意した。というところで今回は終わり。

写真・東海大看護学部の池田亜也さん(東京で、桑原悠撮影)

雪国情景を世界にアピール、津南ロケ作品公開  5月27日号
 津南オールロケの3D短編映画「はしれ!」(西川文恵監督、主演・片岡華子)が来月16日から東京のミニシアター5店で開く映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア2011」上映が決まった。同祭は米国アカデミー賞公認。グランプリ作品は同賞短編候補となるアジア最大の短編映画祭。3D部門は東京シネマート新宿で来月17日〜24日、午後7時から上映される。
 

 同作は7分余。見玉不動尊や新潟の橋50選猿飛橋、中津地区の田園など自然に包まれた空間を少女が走り抜ける爽快作。西川監督が適地を探すなかで交流あるNPO雪の都GO雪共和国が津南を紹介。河岸段丘や秋山郷渓谷など特徴的な自然環境にひかれ昨夏撮影。同監督は「清涼な空気と美しい風景の津南は3D映像にぴったり。世界中から多くの方が集る映画祭で津南の魅力を発信します」とメッセージを寄せている。

写真 津南で撮影する西川文恵監督(昨年秋)

ひまわりで放射能吸収、「サンリオ」も協力。津南、十日町らのNPO連携、東北支援で  5月20日号
 被災地の津南、十日町から、被災地の東北へー。この夏、福島原発事故で放射性物質で汚染された東北地域を支援する「ひまわりプロジェクト」が行われる。

 セシウムなどの放射性物質を吸収する植性があるひまわりを栽培し、汚染地の東北にひまわりの種を送り、地元と一緒に植付け活動をする計画だ。同プロジェクトには「キティちゃん」で人気の『サンリオ』が協力し、全国を巻き込んだ一大プロジェクトが、ここ津南、十日町から発信される。すでにサンリオグループ企業と企画検討を進めており、津南町、十日町市、小千谷市、魚沼市などで12fのひまわり栽培が決まり、放射性物質を吸収する15f分の「ロシアひまわり」の種子も確保している。


 津南で同プロジェクトを進める関係者は、「ひまわりで知られる津南。中越地震で全国支援を受けた地が、今度は東日本震災で大きな被害を受け、特に放射性物質の汚染に苦しむ東北の人たちを支援したい」と活動の広がりを期待し、参加を呼びかけている。

 同プロジェクトには福島原発の当事者、東京電力も協力する方針だ。今月11日、同プロを進める津南町のNPOみずもりファーム(藤木正喜理事長)、東京日本橋の活動グループ代表、参院・森裕子氏などが東京電力本社を訪問。立地企画部と原子力立地本部新潟担当者などと懇談。同プロジェクトを説明し、東電側も事業への協力姿勢を見せた。


 計画では、今夏、津南町、十日町市、小千谷市、魚沼市などに12fほどに、来年用の種が取れるひまわりを植える。すでに各地のNPOなどと面積確保を進め、12fのめどがついている。

 ここで取れた種を、サンリオの「キティちゃん」デザイン袋に入れ、安価でコンビニなどで全国販売する。売上を義援金に贈ると共に、種を来年、福島など放射性物質の汚染地域へ行き、地元の人たちと一緒に植える。セシウムなど放射性物質を吸収したひまわり(特に茎や葉などが吸収)は、放射性廃棄物として適切に処理。ただ、これまでのデータでは、種には放射性物質は含まれず、ひまわり油が取れ、再活用できるという。種は継続的にまき、汚染地の浄化を数年行う計画だ。


 津南で取り組む藤木理事長は、「我々も被災者ではあるが、東北は地震、津波、さらに原発事故で三重苦の世界。特に放射性物質の汚染は深刻。ひまわりの津南として知られる地として、そのひまわりで支援活動ができる。活動の輪を広げ、全国的な支援運動に広げたい」と話す。毎年行う津南のひまわり広場で使う種は、一代交配(F1)のため、次年度用の種には向かない。このため同プロジェクトは、種が採取できる「ロシアひまわり」の種を確保し、15f分を用意している。同プロジェクトの問合せはNPOみずもりファームрO25(765)4483(藤木園芸)へ。

写真・津南のひまわりで東北を支援。サンリオのキテイちゃんが一役をかう(昨年8月の津南ひまわり広場)

シリーズ連載 3・12県境地震 復興の足がかり  「中央商店街の再生」森商店街  5月20日号
 国道117号から飯山線森宮野原駅に通じる県道。両側に立つ商店の高さが段違いになっている。激震は、この森商店街を直撃した。

 駅前の衣料品店「かねく」。店の奥に「お茶飲み処」があった。店を訪れた人は、買い物を済ませると、ここでくつろぐ。全国の絵手紙仲間と交流する絵手紙が、ところ狭しと飾ってあった。特にお年寄りに人気。人が日と呼び、話題がつきない。

 かねくの店先。激震で道路との段差がつき、今も10a余り開いたまま。側溝はひび割れ、激震のすごさを物語る。30坪の店。激震で商品は倒れ、散乱状態に。「道路の被害を見ると、家も相当被害を受けているはずだが…」。判定は一部損壊。震災後、津南町の親戚方へ避難。今月17日から2坪の仮設店舗を自宅前に設け、営業を再開。「店をどう再生するか、難しい問題だが、できるところからやるしかない」。

◇◇

 森商店街。栄村商工会にも入るが、「森商工振興会」という地元商店だけの組織がある。

 35年前、森商店街で「共同店舗構想」が浮上。経営者も若く、店数も今よりあったが、実現には至らなかった。9年前、栄村役場庁舎改築に合わせ、地元商店街を庁舎建物に入れる複合庁舎構想があった。だが、「商店街がひいたわけではないが、実際の設計段階になったら、その構想はなくなっていた」。商工関係者のひとりは話す。役場庁舎新築は、最後のチャンスでもあった。

◇◇

 そこに発生した今回の震災。「災い転じて…にしたいが」、栄村商工会の安藤勇会長。高齢化し、後継者問題が深刻な今の商店街を思うと、言葉が続かない。

 「村は、ここ森地区にも村営住宅を建てる方針だ。その1階に商店が入れるような建物にできないか。設計段階から検討してほしい。今のままで良いと思っている商店主は少ないと思うが、一歩がなかなか踏み出せないのが、現状だが…」。森宮野原駅周辺には余地がある。特にJR用地は、公共的な活用の場合、提供する方針だ。今回の震災で、その余地利用が浮上している。

 村が予定する村営住宅。まだ建設場所など決っていないが、生活の利便性などから見ると、駅周辺も候補の一つだ。「地元商店街の再生との関係を、ぜひ考えてほしい。同時に、地元からも声を上げていくことが必要。今回の震災を、新たな発展への契機にしたい」。

◇◇

 被災した商店街の再生。森商店街の人たちは、15日の日曜、中越地震で被災し、再生した長岡市の東川口商店街に行ってきた。飯山線の乗換え駅で知られるが、新幹線開通の平行在来線駅となり斜陽気味だった。

 7年前、中越地震で壊滅的な被害を受けた東川口商店街。復興に立ち上がったのは地元の経営者。歩道スペースを確保し、商店街を一新した。毎月第3日曜に「よってげてぇ ふれあい市」と震災後、毎月開き、すでに50回を数える。

 森商店街から参加した商店主は、「やはり後継者がいるということは、一歩も二歩も前に出る気力が出る。ここ森商店街を見ると、後継者問題がかなり深刻。だが、このままというわけにはいなかい」。

 1業種1店の森商店街。それだけに「日常の買い回り品には便利で、森に行けば用が足りると言われた。この商店街は、そういう性格の商店街が、一つの方向性ではないのか」。商店主は話す。

◇◇

 震災で森地区にあった栄村森林組合は全壊。今は白鳥工場に事務所を移している。さらに森区には独自の公民館がない。今回の震災を機に、公民館建設も課題になっている。安藤商工会長は話す。
 「震災は、この森地区の再開発のチャンスでもある。商店街、公民館など地元負担を最小限に抑えた事業化が可能かどうか、皆でアイデアを出し合い、なんとか再生したい」。

 知恵とアイデアの出しどころだ。国や県の助成事業など情報を集め、まず一歩を踏み出したい、と考えている。

写真・被災した森商店街(19日)

津南産芋で焼酎「つなん雪美人」、JA津南町が特産化へ  5月20日号
 良質なサツマイモ類ができると地として知られる津南町で、生食出荷と共に加工品開発が進んでいる。JA津南町は、町内生産農家の協力を受け、昨年試験栽培した紅芋類の「ときまさり」を使った芋焼酎を試作し、14日から店頭販売している。紅芋特有の香りとすっきり感が好評だ。限定1200本の試験販売で、JA津南町では、「評判がよければ、さらに栽培面積を増やし、生食生産と共に、加工品分野にも乗り出したい」と、新たな営農展開に乗り出している。


 芋焼酎は、九州が知られるが、移用する芋は多収獲穫品種を使用している。今回、JA津南町が試作した紅芋系の「ときまさり」は、生食用で人気のベニアズマ同類種。このため、「イモのうま味と香りを、そのまま焼酎に」と長野県内の芙蓉酒造(佐久市)に製造委託。今月初め、試作品ができた。JA関係者などの試飲会では、「香りがいい。イモ焼酎だが、すっきり感があり、これからの夏シーズンには最高」と高い評価が出た。


 JA津南町の瀧澤勝組合長は「農業者の高齢化で休耕地が増えているなか、実は津南町はツマイモ栽培の適地であることは以前から言われ、良質なイモができることで知られている。この立地条件を活用し、市場でも品薄のサツマイモ類の栽培、出荷に力を入れる。同時に生食出荷できない規格外品によ加工も考えたい。今回の焼酎試作は、その一環。予想以上に旨い焼酎ができた」と話す。

 同農協が登録商標を持つ『雪美人』に津南をつけた「つなん雪美人」とネーミング。原料1dから1200本(720_g)の試作品ができた。限定品となっている。JA津南町Aコープ店舗で販売中。1本1260円(税込)。問合せはJA津南町生活センターрO25(765)3218

夢ある復興ビジョンを、長野・阿部知事がバックアップ約束  5月20日号
 被災地5度目の訪問となった長野、阿部守一知事と栄村村民が直接対話する「栄村の復興を考える会」を14日、栄中学ランチルームで開き、村民130人余が参加。参加者からは「子どもや若い人たちが住み続けていきたくなるような夢が描ける復興プランを、ぜひ描いてほしい」など、震災から2ヵ月が過ぎ、ようやく前を向き始めている村民の姿が、そこにあった。

 考える会は、参加者全員が意見を書き出す「ポストイット」方式で意見集約し、先月20日に長野県が設置した東日大震災支援県民本部の内山二郎運営委員長が参加に意見を求め、課題を浮き彫りにした。


 参加者からは「お年寄り、若者、子どもたちが一緒に暮らせる集合住宅と共にIターンやUターン者も暮らせる住宅が各地区にほしい」、「栄村が持つ資源や産業をうまくコーディネイトできる人材の育成を」など積極的な意見が多く聞かれた。

 意見交換に加わった阿部知事は「20世紀型の先進地は東京や大阪だが、21世紀の先進地は長野県にしたい。高齢化が進む大変さはあるが、一方で他地区の先進モデルとなることができる」と、今回の震災を機に、栄村を復興モデルとして全面的にバックアップする姿勢を見せた。

写真・阿部知事(右)も意見交換に参加し、被災地の復興で意見を交わした(14日、栄中学で)

東京から無料バスで農業体験、十日町市が「グリーンライナー」運行 5月20日号
 農業体験直通バスで地域の活性化にと、東京・世田谷区と十日町市を結ぶ無料直通バス「グリーンライナー」の運行が今月14日から始まった。今後、10月末まで毎月第2、第4の週末に往復運行される。
 

 同市が若手職員を対象に実施した「職員知恵出し会議」で提案され実現。第1便は14日午前11時に十日町駅西口に到着。利用条件となっている棚田や里山保全のボランティアや田植えなどの農業体験参加者ら34人が降り立ち、関口市長らから花束や記念品を受け、にっこり。世田谷で松代地区の農産物販売なども行っている金野とよ子さん(64)は「すでに松代地区との交流は10年になりますが、無料直通バスが運行されるとは夢みたい。ありがいですね」と喜んでいた。申込み、問合せは同市観光協会рO25(757)3345。HP専用サイトからも申込みできる。

写真・東京・世田谷から到着したグリーンライナーの第一便、14日、十日町駅前で

新緑真っ盛り、新潟の橋50選、見倉橋  5月20日号
 ◎…新緑最盛期を迎えた津南町秋山郷。長野県北部地震の影響もあり行楽客の入りは今ひとつだが、絶景の中津川渓谷をブナやカエデなど広葉樹の新緑が彩っている。特に新潟の橋50選の見倉橋、猿飛橋、前倉橋は雪融けの中津川急流と新緑のコンストラストが楽しめる。
 

 ◎…長さ約50b、幅1b余の見倉橋。毎日映画コンクール・日本映画大賞など世界各国映画祭で絶賛の映画「ゆれる」(西川美和監督、06年)の舞台となり、世界デビュー。あのオダギリジョー、香川照之も渡った吊り橋だ。かつては見倉集落と結東を繋ぐ生活道、さらに旧中津峡小に向かう児童の通学路。現在の橋は42年前に設置、2度の修理を得て今の形になった。2人の子どもを育てた山田キワさん(77、見倉)は「雨の日も風の日も子どもたちは吊り橋で学校に通った。特に冬は見倉、結東のしょがそれぞれ道踏みして歩く道を確保したっけ。大変だったな」。今は観光スポットに形を変え親しまれている。

東京電力西大滝ダム水利権更新問題  「下流を同じように」、試験放流求める  5月13日号
 東京電力の西大滝ダム(飯山市、信濃川発電所=津南町三箇)の水利権更新問題で、関係流域の長野県と新潟県は3月10日に国土交通省から意見聴取を受け、長野県知事は3月末に、新潟県知事は4月初めにダム下流5市町村に意見照会している。野沢温泉村は3月末に「問題なし」と回答しているが、他の4市町村は今月末までに県へ回答する方針だ。同問題は当初、JR東・不正取水で水利権問題に直面した十日町市が、「関係流域で意見を協議したい」と提案したが、事務レベル会合を一度開いただけで本格協議には至らず、結局、5市町村が個々に県回答することになり、流域市町村で同問題に対する温度差が現れる結果となっている。


 県からの意見照会は、長野県が3月24日にダムがある飯山市、下流の野沢温泉村、栄村に、新潟県は4月5日に津南町と十日町市に意見照会している。両県とも回答期限は設けていない。
今回の水利権問題は、西大滝ダムの下流約23`にあるJR東・信濃川発電所宮中取水ダムの不正取水による水利権取り消し問題で、地元十日町市とJR東との関係作りが先例になっている。東京電力は「更新である」と取り消しとの相違を強調している。

 この水利権問題では、昨年10月7日の東電の更新申請提出を受け11月24日、十日町市の呼びかけで津南町、栄村の事務レベル会議を津南町で開いている。だが、本格協議には至っていない。
結局、「自治体個々の考え方があるようだ」と、県回答の足並みは揃わず、水利権問題の利害関係の難しさが表出した形だ。


 すでに回答したのは野沢温泉村。県の意見照会の1週間後、3月30日に「問題なし」と富井俊雄村長名でスピード回答した。同ダムを持つ飯山市は、先月27日の市議会全員協議会で「構造物などに変更がないことから、特段の問題はない」と市当局が説明。19日に東京電力を招き、市民説明会を開く。「市民説明会後に市としての回答をまとめる」(道路河川課)の方針だ。 

 一方、栄村はまだ提出していない。今後の河川利用を視野に、「放流量は通常毎秒20d以上」と東電申請の維持流量毎秒20dに「以上」を要求。更新期間20年は「10年間」と短縮要望、さらに水利使用規則に条文化している「10年間の測定結果の報告」の3項目を要望し、更新申請に条件付で同意する方針。島田茂樹村長は「今後ラフテイングなど河川利用が予想されるため水量確保を求めたい」と話す。

▼▼

 信濃川発電所など4ヵ所の水力発電所を持つ東京電力と関係深い津南町。県の意見照会には、要望を添えて同意する見通しだ。要望では「関係市町村との連絡調整に留意し、適切な管理を」、「西大滝ダムに魚類の迷入防止泡の設置、魚道改善を」、「信濃川中流域水環境改善検討協議会の意見を反映するため、河川管理者は流量変更が必要と認める場合、水利使用者へ指示する」の3項目。上村町長は「中流域協議会の提言は意義あるもの。毎年チェックし、河川環境を監視し、流量変更できる条文と理解している」と毎年開く中流域協議会の意義を強調する。


 一方、JR東・宮中ダムの不正取水問題、さらに清津川分水問題で東京電力と交渉中の十日町市は、「下流ですることは、上流でもするべき」が基本姿勢。JR東との交渉で5年間の試験放流を導き、5年後に再度、維持流量、取水量を協議する場を約束させた。今回の西大滝ダム問題でも、十日町市はこの姿勢で臨み、流域自治体と連携をはかったが、本格協議は至らなかった。
 
 同市は、県回答を「やむなしと考える」と更新に同意の方針。だが要望事項では、下流のJR東の5年間試験放流を、上流の西大滝ダムでも行うべきと強く求める。関口市長は下流と上流の関連性を重視し、「同じ川であり、連動の意義がある。5年後に(宮中ダムは)変更の可能性があり、同じように検証できるよう取り組むべき課題だ」と、河川環境や流域地域との共生に対する東京電力の取り組み姿勢を問うている。


 西大滝ダム問題では、中流域協議会メンバーの大熊孝新大名誉教授が、「年間の総放流量を変えずに、サケ遡上期や渇水期など変動型で放流できないか」と提案を出しており、国も東京電力に検討を指示している。今回の流域市町村の回答を両県がどう判断し、国へ報告するか、大きな関心が集まっている。


 西大滝ダム水利権更新問題=昨年末、30年間の水利権期限を向かえた東京電力は10月7日更新を申請。「最大取水量は従前と同じ毎秒171・133d、維持流量毎秒20d(従前は毎秒0・26d〜19・71dの変動流量)、更新期間平成42年までの20年間」。国は新潟、長野両県に意見聴取。両県は下流5市町村に意見を聞き、国への回答の参考にする。地元市町村の意見が更新申請に大きく影響する。

写真・雪解け水で水量を増している西大滝ダム(今月9日)

シリーズ連載 3・12県境地震 復興の足がかり 「絆つなぐ 情報発信」  5月13日号
 久々の五月晴れとなった8日。栄村小滝。自宅全壊などで地区外生活の住民も参加し、共同作業が行われた。連休の4日に第1号が発行された『小滝通信』が話題になった。春を告げるゼンマイのカラー写真が目を引く。「通信を見たら、ゼンマイ取りに来たくなったな」、などなど。

 小滝通信『あちゃ お茶のみこらっしゃい』。パソコンでA4サイズに記事、写真を編集するのは今年の区長、樋口正幸さん(52)。「みんなの思いをつなぎたい。小滝の絆かな」。16戸の皆が再び顔を揃え、暮らせるように、願いはひとつだ。

◇◇◇
 
 3月12日午前3時59分。激しい揺れは、それまでの日常を、一瞬にして奪った。栄村公式ウェブサイト(HPホームページ)は、前日11日のアクセスカウンターは79万6571。地震発生の12日夜、いっきに83万596に跳ね上がった。だが、「とても更新できる状況ではなかったが、いっきにアクセス数が増加。画面が変わらない事で、『ただ事ではない』と感じてくれたのではないか」(HP担当者)。

 村職員全員で被害状況把握に飛び回った。栄村がどうなっているのかHPに載せ、発信する余裕はなかった。村の被災写真がHPに載ったのは3週間後だった。村広報の発行もストップ。震災後初めての広報が来週18日に出る。

◇◇◇

 震災から2日後。いち早く栄村の被災状況と住民の様子をインターネット配信したのはNPO栄村ネットワーク。同NPO理事の松尾眞さん(61)は、3月14日から毎日、震災レポート「栄村の状況」を発信。これを同NPOウェブやブログ、ツイッターに毎日配信しているのは大阪に住む女性。京都精華大の准教授、松尾さんの教え子、イラストレーターの乾紗英子さん(26)。早朝から夜9時、10時過ぎまで村内を巡り、その日の村や村民の様子や課題をレポート。日付が変わった頃、乾さんに送り、ツイッターなどに配信。このリアルタイム情報が、後に被災地・栄村を全国ネットに広めた。 

 「実際にこの地に立って、震災の大きさを感じました」。乾さんは10日、初めて震災の地を踏んだ。村内を巡り、地元の人たちと会い、お茶飲みした。「皆さん、これだけの震災を受けたのに、気持ちが温かいですね。これからのレポート配信に、さらに力が入ります」。震災から49日後に再開した森宮野原駅前の吉楽旅館に宿を取り、翌日朝、復旧まもない飯山線経由で大阪に戻った。

◇◇

 NPO栄村ネットワークのレポートは、国内ばかりか外国でも見られている。ツイッターのフォロアーは8百人余りだが、その中には「長野県知事 阿部守一」の名も。「他にも国会議員やマスコミ関係者がいます」。この8百人から、情報は無限大に広がる。マスコミ関係者がよく見ている。特に長野県内のメディアの情報源となり、被災地・栄村報道を質的にも高めた。

 インターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」で、栄村地震関係を検索すると3百件余が出る。被災直後に動画投稿された栄村住民の様子は、3日間で1万5千件を越えるアクセス数となり、NPOレポートが発信元のネット映像は、その後急増した。
レポート配信は、メディアへの露出度を後押した。TVや新聞の報道の度に、平行するように義援金が次々と寄せられた。11日現在、約7千件、4億2千万円になっている。

 
 当初、『忘れられた被災地』と言われた県境地震の被災地。故郷の震災情報が得られなかった東京栄村会のひとりは話す。「村のホームページには何も被害状況が出ていなかった。知り合いから栄村ネットワークのレポートを知り、以来、ずっと見ている。情報と今後の課題がとても分かりやすい」。同会も義援金を送っている。
全国紙やTV報道も大きな要素だが、NPO栄村ネットワークのレポートが、大きく影響したのは間違いない。菅直人首相からの栄村役場への直接電話も、NPOレポートがきっかけだったという。

◇◇◇ 

 千曲川に向かって広がる棚田状の水田。震災で亀裂が入り、米作りできない田んぼが三分の一ほどある小滝。だが、16戸のムラは、立ち上がった。「小滝復興プロジェクトチーム」を作った。メンバー12人。「30代を入れた。これからの小滝を担っていく世代と共に、これからの小滝を作り上げたい」。メンバーの樋口利行さん(64)は話す。

 小滝通信は、区民に呼びかけている。『復旧はもとの形にもどすこと。復興は以前よりもよい形にすること』。震災復興のモデルの一つが、ここにある。

写真・震災後、地区を離れる人たちにも情報をと「小滝通信」を発行(先月24日、小滝公民館で)

来年秋、飯山線にSLが走る、だが「なぜ津南まで来ないの?」  5月13日号
 JR飯山線に40年ぶりにSL(蒸気機関車)が走ることが決った。JR東・新潟支社は来年秋、長岡―十日町間にSLのイベント運行を決めた。今後、関係の長岡市、小千谷市、十日町市などで沿線協議会を作り、運行整備を進める方針だ。だが、十日町駅より以南の津南町や栄村から、「なぜ十日町止まりなのか」と声が上がっている。


 全国のSLを追いかけ、写真記録し、個人コレクションでは全国的にも知られる津南町の高橋徹さん(58)、津南駅業務委託)によると、飯山線で最後にSLが走ったのは昭和47年10月1日。当時は「C56 129号」が走った。このSLは現在、飯山駅に展示されている。


 今回走るSLは、C56より10d余り軽い「C11」(約50d)を予定している。JR東によると、栃木県の私鉄「真岡鉄道」が所有するC11を借り上げ、2012年秋に長岡―十日町間を2日間程度、運行する方針だ。今後、沿線協議会を作り、運行するための線路整備、給水施設、沿線の警備など協議会で取り組む方針だ。
なぜ、十日町止まりか。JR東では、「列車ダイア、給水施設、警備体制、炭ガラ置き場、線路改修などいろいろな要素で、今回は長岡―十日町間となった」という。今回のSL運行は、JR東の宮中取水ダムの不正取水問題の共生策の一つに上がっているもの。ただ運行区間は明記していない。


 飯山線の線路状態をよく知る高橋さんは、今回の震災後の整備で路盤が丈夫になったという。「震災復旧後、再開にあたり相当の重量がある機動車が入り、線路を試験運行し調査した。重量的には充分と思う。やはり、支社変更が影響しているようだ。津南町は今からでも運行実現の要望をすべきだろう。まだ1年ある。共生策は流域全体に関係するはず」と話す。長年、SLを追った高橋さん。
「運行が決ったことは画期的なこと。おそらく想像以上の誘客となるだろう。40年ぶりの運行は、それだけで魅力いっぱいだ」と歓迎している。

写真・来年秋に走るSLと同型のC11(昭和46年10月、只見線で、高橋徹氏撮影)

友好交流の韓国ヨジョ郡かた防災テント寄贈  5月13日号
 友好交流の韓国・ヨジュグン(驪州郡)から支援物資が津南町に先月26日に届いた。船便でコンテナが送られ、なかには18平方bの大テント5棟が。町では「大変ありがたい。大切に使います」と今後緊急災害時や町防災訓練などで活用。感謝を込め今夏7月23日開催予定の津南夏まつりに合わせ、キム・シュンソク郡守ら一行を招く方針だ。
 

 14年目となる国際交流。3月12日の長野県北部地震を知ったヨジュグンの行政職員らが寄付金を募りテントを購入し贈呈。震災見舞状には「11万人の驪州郡民は津南町と日本が一刻も早くこの災害を乗り越えられるよう願っています。驪州郡も口蹄疫で苦しみました。交流再開時はお互いの苦労話をしながら友情を深めましょう」と添えられている。なお恒例の相互交流ホームスティは8月2日から5日、津南町から10人余がヨジュグンに旅立つ予定だ。

思いやりと自立を、川西高ふれあいの丘分校で対面式  5月13日号
 「共に生きる道を」と昨年度、十日町小から川西高(片岡克教校長、生徒217人)に移設した小出高養護学校ふれあいの丘分校高等部(平野正史校長、生徒35人)の今年度の生徒同士の対面式が2日に行われ、「お互いが学校行事に参加して楽しい学校生活をおくっていこう」とエールを交換した。
 

 片岡校長は「一般高校への併設は県内ではここだけでモデル校として注目されている。お互いを尊敬しあいながら楽しい学校生活を」と呼びかけ、平野校長は「対面式を開いていただきありがたい。ここでの高校生活を貴重な宝として最大限生かした活動をしていきたい」と話した。また両校の生徒代表が「昨年度以上の交流を続けていきましょう」と呼びかけあった。今後、文化祭などの学校行事で交流を深めていく予定だ。
 

 対面式後、川西高生徒を対象に講話も行われ、養護学校の堀井利衛子主任は「大切なのは、相手の心をイメージして思いやること。それがみんなの成長につながっていきます。一緒に自立をめざしていく仲間として交流を」と話した。

被災地に笑顔を、活動グループが花見会  5月13日号
 ○…「震災なんかに負けてらんねぇ」と7日、震度6強の激震が襲った栄村森地区児童公園で復興祈願花見会が開かれ、同地区や青倉地区などから被災者百人余が参集。天候にも恵まれ、豚もも丸焼き、特製おでんなどボランティアが用意した料理を肴に杯を酌み交わすとみなにっこり。住宅が半壊し5日にようやく自宅に戻った森地区の齋藤龍男さん(67)は家族3人で来訪。「地震で気分が落ち込んでいるなか、みんなの笑顔みると元気が出る。ありがたいね」と笑顔がこぼれた。
 

 ○…活性化グループ・Wa(福原章子代表)と栄村復興支援機構・結いの共催。長野県北部地震から2ヵ月余、被災者の気持ちを盛り上げようと企画。Waは震災直後から栄村の避難所で炊き出しを継続実施。メンバーが津南町の企業や飲食店などを回り協力を募ると快諾を受け、この日の飲食物や燃料など用意。熊本から贈られてきたというスイカもあり、季節はずれのスイカ割りを行なうと子どもたちは大喜び。Waに協力する根津サヨ子さん(正面)は「被災で疲れている方の笑顔が見られて良かった。みんなが少しでも協力すれば色んなことができます。元気が出る活動を続けたいですね」と話した。

新連載  「桑原悠のふりーたいむ」 @  ただいま修行中  太島里実さん
 この連載企画は、首都圏に住んでいる津南、十日町出身の若者へインタビューをし、「あの子、今なーしてらんだべ?」という皆さんの声に、都会にいる若者が応えるという形で、「農村と都市の交感」ができないかという筆者の思いから始まった。(なお、なぜ「首都圏」かというと、新潟方面を除けば東京方面に出ていく若者が比較的多いことに加え、筆者が現在東京住まいであるという物理的な理由がある…。)


 さて、記念すべき第1回は、太島里実(23・大割野)である。現在、東京都千代田区立スポーツセンターで働いている。ここは指定管理者制度によりミズノが運営している施設で、里実はトレーナーとしてお客さんの安全管理や指導を行なっている。さぁ、「太島里実の今」をご覧ください。
 
 東京は大手町。耳慣れた会社や役所のビルが立ち並ぶ場所で仕事をしている。3・11の地震が起こった時、このスポーツセンターは押し寄せる帰宅難民の避難所になった。区の防災課から毛布やらビスケットやらが送られてきて、里実はそれを配ったり避難者の名簿を書いていたそうだ。この施設は四月中は営業時間を短縮していたが、現在は通常に戻った。
 
 里実は、中・高・大学でバレーボールに熱中した。「バレーのスポ少があればいいのに。もっと小さい頃からやりたかったな」と言うほど好きだ。「女子大生」ともてはやされる時期には、「はい」と「すいません」しか言ってはいけないという体育会の上下関係のなかで鍛えられたという。スポーツをしている人の爽やかさがある一方で、私が中学時代から知る柔和でのんびりした彼女も変わらず、しっかり同居していた。
 
 私は里実から出る言葉を待った。訥々と、「本当は…、ここで経験を積んでから体育の先生になりたいです。」と言った。教育実習で少し躓づき考えた末、今の仕事に至る。しかしやはり別のやりがい(つまり体育教師!)を求める自分に気づいた。しばらくはここで修行。それは文字通りの修行らしく、「秋にベンチプレスの大会に出るんですよ。鍛えています!」と言いながら、大男が表紙の専門雑誌を見せてくれた。い、いろんな経験をもった先生になりそうだなぁ。

写真・東京・大手町のスポーツジムでトレーナーを務める太島里実さん

「ふりーたいむ」は、津南町出身の桑原悠さん(東京大大学院2年)のコーナーです。津南、十日町出身の同世代を取材した記事です。隔週掲載の予定です。
                        津南新聞社

シリーズ連載「3・12長野新潟県境震災」 流通の要・国道117号被災 観光経済を直撃  5月6日号
 直下型の震度6強の激震は、国道に架かる橋も直撃した。住宅被害が大きい栄村青倉。集落と千曲川の間を走る国道117号。津南側から青倉に入ると、栄大橋、青倉橋、北沢橋と連なり、青倉トンネルに入る。

 震災発生後、この3つの橋は一時的ながら全面交通止になった。長野と新潟を結ぶ大動脈がストップした。栄大橋は護岸と橋が30a余り開き、青倉橋、北沢橋は両岸と道路間に段差ができ、橋のつなぎ目が損傷するなど被害が出ている。

 特に大きな被害が出たのはトンネル手前の北沢橋。橋脚中央部に、切断するようなヒビ割れが入り、部分的ながら鉄骨が見える。飯山市の北信建設事務所の調査で、3つの橋で北沢橋の被害が大きいことを確認している。ただ耐久度調査で一般車両通行に支障がないため、片側交互通行を先月28日解除し、普通車は通常通行できる。だが、「8d以上の大型車は通行禁止」となっている。

◇◇
 
 地元農家の産物を直売する「つなん食彩館」は3月31日オープン。国道117号沿い、津南観光物産館敷地内で、その相乗効果が期待される。同物産館経営のフジミヤ、宮沢金作専務は、震災の影響の大きさを話す。「例年なら3月下旬から大型観光バスが入るが今期はゼロに近い。シーズン中は毎月10台余の観光バスが入るが、復旧工事が遅れ、夏シーズンにかかると大きな痛手」。 

 今回の震災で大手旅行エージェントはルート変更しており、復旧後それが戻るか心配する。「JR飯山線は、あれほどの災害を50日以内でえ全面復旧した。ここは国道であり、国ができないわけないと思うが…」。地元から国へ強力な働きかけが必要だ。

 同様に観光物産館の3セク、栄村物産センターまたたび(社長・島田茂樹村長)。道の駅登録で休憩所となっている。藤木きく子店長は震災後の来場に感謝している。「地震後、長野県内や上越や長岡などから激励に訪れていただいています。業績は例年を下回っていますが、ありがたいことです。一日も早く大型車が通れるように復旧してほしいです」。心配はやはり復旧が夏シーズンにずれ込むこと。「観光経済に大きな打撃です。関西圏のお客様も増え、観光バスは大型が多く、このルートを通れない影響は大きいです」と復旧の望む。

 一方、地元で観光会社を営む森宮観光は、観光商品そのものの変更を迫られている。山岸博之社長は話す。「信州方面はルート変更し、上越経由で時間はかかるがルート沿いの観光メニューを増やすなど対応している。ただ地域の観光経済としては、大型観光バスが通れない影響は大きい。早急な復旧をお願いしたいし、夏までには復旧させてほしい」と、やはり大型バスの通行止の影響は大きい。

◇◇

 復旧の見通しは、どうか。地元栄村では、飯山市の北信建設事務所に期待するが、なかなか復旧工事が進まない状況だ。被害が深刻な北沢橋は、橋脚中央部にヒビが入る損傷。関係者によると、橋脚そのものを下から積み上げる工事が必要で、復旧工事は4、5ヶ月程度を見込む。村では「地元として県や国に要請している。できる限り早く復旧してほしい」と切望する。

 地域の観光経済、流通経済大動脈、国道117号の大型車通行止は、これから流通の最盛期を向かえるなか、観光シーズンの夏場にずれ込みと、震災で冷え込んでいる地域経済が、さらに冷え込むことになり、早期復旧に向け、沿線自治体、関係者の連携運動が求められる。

写真・被災した国道117号の北沢橋。橋脚中央部に亀裂が入った(今月3日)

激震で山崩落、津南町辰ノ口の現場空撮を公表  5月6日号
 ◎…県境地震で大規模な土砂崩れが発生し、一時的に通行止めとなった国道353号、津南町辰ノ口地区の発生当初の空撮写真が明らかになった。崩落は通称、烏帽子形山の山頂付近からいっきに大量の土砂と雪が崩落し、国道までにあった約1・6fの水田を大量の土砂で埋め、国道をふさいだ。1日には通行復旧した現場を筒井副大臣、泉田知事が初めて視察し、上村町長の説明を受けた。


 ◎…現場は急峻の山肌が谷に沿って続き、崩れた土砂は扇状的に国道に押し寄せ、道路を埋め、同地の水田を大量の土砂で埋めた。同地に15e余の水田を持つ地元の小野塚正直さん(64)は、被害の大きさに驚くと共に、いつ復旧するのか心配する。「これまで小さな崩れはあったが、これほど大規模な土砂崩れは初めて。2年間は米は作れないと町から言われているが、早急に復旧してほしい」。さらに今後の梅雨時などの豪雨災害が心配されるが、県では上流域に高さ12・5bの砂防ダムを設置する方針で、その前段として国道側に土のう堰を作り、災害発生に対処する計画だ。

写真・地震発生当日の3月12日撮影。津南町提供

国の全面支援を約束、仙石副長官が栄村、津南町、十日町市視察  5月6日号
 菅内閣の実力者、仙石由人官房副長官が5日、長野新潟県境地震の被災地を訪れ、栄村で中条川上流の大規模土砂崩落現場や横倉仮設住宅の設置状況を視察し、津南町では体育館の天井損傷の上郷小、十日町市松之山中尾の地滑り現場など被災地を見て周り、地元市町村長などから震災復興の要望を受けた。


 阿部知事と島田村長が同行の栄村では、島田村長が仮設住宅55戸設置や農地被害126箇所など被災状況を説明。震災復興に取り組むNPO栄村震災復興機構・結いとの意見交換では、NPO側から「雪が多い農山間地での震災は住宅復旧で済む都市部震災とは大きく違い、公的資金が投入できない復旧復興が多い。国と県で震災復興基金をぜひ設置し、支援してほしい」と要望。仙石副長官は「東北地域比べ、栄村被害は関心が薄い状況だったが、激甚災害指定、財政支援などもれなく適応できている。再生を日本全体で協力していく」と国としても支援を約束した。


 津南、十日町地域では泉田知事と関口市長、上村町長が同行。被災地視察後、十日町市中里支所で懇談会を開いた。 泉田知事や関口市長、上村町長は「地震に雪融けが加わり被害が拡大している。地震被害として対応を」と仙石副長官に強く求めた。さらに上村町長は高齢化が進む実情から「被災した高齢者世帯の自宅復旧は難しく公営住宅入居を望む方もいるだろう。だが町営団地は30年余前に建設し耐震基準も違う。(国が定める)建替え認定時期を前倒しし、被災者用住宅と合わせ建設できるようお願いする」など要望。一方、関口市長は「神社や集会所など地域コミュニティ施設も被害が大きい。復旧に有効な支援策はなく住民独自で再建は難しい。新たな基金創設を」などと求めた。

写真・栄村の大規模土石流現場を視察する仙石副長官(5日、左公報は阿部長野県知事)

福島へ支援の新成人も、津南町と十日町市で成人式  5月6日号
 津南町の成人式は3日、ニュー・グリーンピア津南で開き、該当者116人(男64、女52)のうち91人が出席して開いた。上村町長は「今日の成人式は忘れ得ない式典になる。津南も大きな被害が出ている大震災で絆と思いやりの大切さを改めて思い起こさせてくれた。これからの人生、辛くなったら津南の大自然を思い出してほしい」と新成人を励まし祝った。今回の成人対象者には、自衛隊勤務者もおり、被災地の福島へ出動し、欠席した新成人もいた。
 

 一昨年から20歳の満年齢後と共に5月開催で、女性は大部分がきもの姿で男性も羽織、はかま姿もおり、会場は華やかな雰囲気に包まれた。新成人代表では半戸友之さんが「今までの20年の経験は後悔することは何ひとつない。信頼される大人になりたい」、高橋友真さんは「若者が少なく少子化が進む津南で、町を盛り上げる1人の社会人になりたい」、津端しおりさんは「思いやりの大切を育めたのは津南の風土と地域の方々の豊かさのおかげと感謝します」と3人が新成人を代表して言葉を述べた。
 
 会場では町明るい選挙推進協議会が先の県議選の投票に行ったかなどを問う模擬投票を行い、新成人としての義務意識を促した。

ソチ五輪へ、「由貴」支援、後援会で小林選手が報告会  5月6日号
 「次のオリンピックをめざす努力の時期。一つひとつの練習を大事にし、五輪への道を繋げたい」と強い決意を語った。津南町出身でソチ五輪出場をめざすクロカン・小林由貴選手(日野自動車)の報告会は27日開催。会場のぐるめかん大勝でサポート組織「ユキんこクラブ」(小林三喜男会長)メンバーら17人余に小林選手は夢舞台に向けた意気込みを語った。
 

 昨季はスウェーデンでのワールドカップ(W杯)など10大会に出場。特に昨年末にフランスW杯は15`フリーで自己最高位28位となり、30位以内に与えられるW杯ポイントを初獲得。今年1月のアジア冬季競技大会は得意のフリー10`で3位となるなど、着々と実力を伸ばしている。「得意の長距離フリーは良いのですが、1番の課題はクラシカルの技術。基礎技術をアップするため、オフシーズンもスキー三昧で行きます」と小林選手。地元津南を拠点に走り込みや苗場登山などトレーニングを積む予定だ。
 

 なおサポート組織の同クラブは昨年11月に発足し現在は60人が加盟。小林選手に遠征費補助として25万円を贈った。大口和哉副会長(33、芦ヶ崎)は「夢の五輪をめざし努力する姿が、津南のスキーを盛り上げる力となる。協力していきたい」と話す。同クラブメンバーは随時募集。会費1口3千円。問合せは事務局の志賀直哉さんпi765)2866。

カヤ葺き職人、津南町駒返りで170年の民家を  5月6日号
 地域でも珍しくなった茅葺き民家。居住者の以来を受け、年季の入ったベテラン職人たちが3年前から葺き替えに挑戦している。津南町駒返り、石沢今朝松さん(82)は築170年余の古民家。日当りの悪い北側屋根が傷み、茅葺き職人が少ないなか70代を中心とした手仕事士に依頼。茅葺き屋根の修復に取り組んでいる。


 職人はなじょもん館の竪穴式住居復元に関わるメンバー。最恒例の桑原弘さん(82、十二ノ木)をはじめ、宮沢幸一さん(78、卯ノ木)、石沢寛さん(77、駒返り)、石沢政春さん(70、同)、松本文子さん(49、鹿渡)の5人。高さ約10bの茅葺き屋根に登り、先月27日から作業。木材で足場を組み、長さ2b余のカヤを屋根に刺し込み木槌でしっかりと隙間なく押し込む。昔ながらのやり方だ。元バス運転手でまとめ役の宮沢さんは「3年でようやく慣れて来た。形や勾配を整えるのは難しく、昔の人の技術には本当に驚く。茅葺き職人はもうほとんどいないが、雪国の伝統的な茅葺き民家は残したいな」と話す。5人は来年も継続し石沢さん方の屋根葺き替えを行なう予定で、完成は2年後を見込んでいる。


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