毎日、カンバスに向かう。戦後まもなく杉並に建てた家の2階居間から、満開の白梅が見える。ときおりメジロが姿を見せる。ソフアーわきに30号の絵。右下に「―49 T Takahashi」のサイン。昨年7月19日、100歳を迎えた高橋勉。(敬称略)
新潟師範で絵を学び、中国・大連芸大でさらに学ぶ。だが終戦。引揚げの混乱をくぐり、昭和21年(1946年)、生まれ故郷の津南へ。ふるさと十二ノ木の自宅から見える信濃川対岸の風景。1949年の春。この30号の絵が、いま手元にある一番古い絵だ。「敗戦の混乱で、描いた絵はすべて没収された。日本に持ち帰ったのは、ポケットに入っていた絵の具のチューブ数本だけだった」。その持ち帰った絵の具で、ふるさとを描いた。
毎日、1、2時間、絵に向かう。1階のアトリエでは絵画教室を開いた事もある。そのアトリエに、一枚の自画像がある。
その顔は、自分であり、自分ではない。「ただ、絵の具で対象を描くというのは絵ではない。何かを描きたくなり、描かなくていられないということが、必ずあるはずだ」。自分と向き合う時間だ。
日本にシュルレアリスムを持ち込んだ画家・福沢一郎氏(1992年没)とは大連で出会った。引揚げ後、偶然、東京の中央線の電車内で再会した。『おまえ、生きていたのか』、『一緒にやろう』。同志で獨立美術協会を結成し、美術文化協会、さらに今も続く新象作家協会を立ち上げる。「人はある時、無茶をする時がある。がむしゃらに何かに向かう、そういう人間が少なくなっている」。
高橋は昨年、「次代を担う子たちのために」と、自作の76点(30号〜120号)を津南町に寄贈した。誕生月の昨年7月、100歳記念展を津南町で開いた。
ふるさとに贈った絵には、原爆を思わせる黒い雨、三島由紀夫の自死に寄せた作品、津南の先人たち縄文人を思う「縄文幻想」など、前期のシュルレアリスム作品、具象をとことん追及し、見る者にストレートに訴える作品など、高橋の生きざまがそこにある。
いま、「オニ(鬼)」を描く。「親の子殺し、子の親殺し。人の中に潜むオニ、だれでも持ちえているオニ。自分の内なる不可解さと向き合う、その一面がオニだ。人間そのものがオニ。社会現象の一つを自分の潜在意識に結びつけることで、どんでもない自分に出会う。そのために、自分と向き合う」。
世情への感覚は、いちばん弱い存在、子どもにも向く。
世界各地での災害、紛争が起き、多くの子たちが犠牲になっている。4年前、その思いを描いた100号の大作『天災一過』は、新象作家協会第50回記念展に出品、大きな反響を呼んだ。
子たちへの思いは強い。「子どもの描くものは面白い。描きたくなるものがあるから、子どもは描く。だから子どもの絵は面白い。優劣をつけてはだめだ。描いた絵を飾る、人に見てもらう、これが大事なことだ」。
昨年3月、長年連れ添った妻、壽満子さんを亡くした。「つねに生死。死というものから生を考える。自分の人間的な内なる部分考えることになる」。
毎日、アトリエでカンバスに向かう。「健康のためだな。自分の未知なるものが引っ張り出される、これが絵の面白さ。我が人生、小説よりの奇なり、だな」。
写真・毎日カンバスに向かう高橋勤。「自分と向き合う毎日だ」、100歳の画家は熱い(2月末、東京杉並の自宅で)