中国、タイ、フィリピン、韓国などのお国自慢料理がテーブルに並んだ。いつもの年の瀬の恒例行事。津南町公民館の「ことばのキャッチボール」忘年会。でも、なんだか雰囲気が違う、と津南中等校5学年の長男を持つマリリンさんは感じた。
「みなさん、しおどき、という言葉が日本にはあります。20年間、皆さんと楽しい時間を過ごしてきましたが、私はもう年です。この12月末で、私の役目を終わりにしようと思います」。日本語の先生で、親代わりで、なんでも相談できる山下克利先生の言葉を、みんながきょとんとして聞いたが、じわーっと涙が流れてきた。
何も身寄りもなく、日本語もほとんど分からず、結婚で津南の住人になり、二人目の子を生み、初めてキャッチボールの存在を知った韓国からの由来さん。「まだ元気なのに。ずっとくればいいのに…」、それだけ言うと、涙があふれ、とまらなくなった。
なんでも話せた、なんでも相談できた。子のこと、
夫のこと、姑のこと、学校のこと…。とても人には言えないことでも、「山下先生だから話せたんだよ」。また涙があふれた。
じーと聞いていた山下先生。こらえられなくなった。メガネ越しの目は、涙であふれた。「だから今日は、…」言葉が続かない。
「辛い時の涙は、赤い色をしている。血涙(けつるい)という。涙を流したあとは、さわやかである。私の頬っぺたにも涙が流れた。この20年間、私が教えたのではなく、私の方が教えられた。これは私、山下の財産です」。
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「荒れる中学校」が各地に見られ、津南中学も例外ではなかった。校長で赴任した山下さん。いつも運動靴。徹底的に生徒と向き合った。問題を起こした子が入れられた鑑別所にも行った。「私の大事な生徒だ。早く返してほしい」。同所の職員が驚いた。この言葉が、子たちの心に染み込んだ。
津南町教育委員長時代。結婚で外国から移住する女性たちが増えた。「言葉が分からない」、「姑とうまくいかない」など、ぽつぽつと相談が持ち込まれた。マリリンさんもその頃、相談に訪れた。そして県内の先駆けとなる「ことばのキャッチボール」が誕生。20年前のこと。町内はじめ十日町、中里、川西、松之山、塩沢、栄村、遠くは守門村からも女性たちが集まり、毎週顔を合わせた。
いつしか「津南のお父さん」と呼ばれ、女性たちに子が誕生し始めると「津南のおじいちゃん」になった。言葉にできない悩みを抱え、山下さんの顔を見るなり泣き崩れた女性も。母国の中国へ帰ると決めて、最後に山下さんと会い、中国行きをやめた女性。その時、その時は涙、涙、涙だった。
毎週水曜と木曜。自宅の小千谷から通った。時には相談が長引き、津南に泊まることも。夜中に自宅の電話が鳴ることもたびたび。「私は、津南が好きだから。皆さんが好きだから。続けられたんですよ」。
テーブルに並ぶお国自慢の手作り料理。思いが、その一品一品に込められている。「先生、さよならじゃないよ。いつでも、先生は私たちのそばにいてくれるよ。先生の言葉は忘れないよ」。
来春、これまでキャッチボールに参加した百人余に呼びかけ、「山下先生に感謝する集い」を開く事になった。「先生、こればかりは私たちの言う事を聞いてね」。
照れ笑いの山下先生、また目が潤んだ。