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2010年11月の津南新聞「トピックス」

過去の津南新聞トピックス
川辺のアルバム(2) 「渡し舟の悲話、夫婦共に流される」 栄村小滝 11月26日号
 名の通り、千曲川が大きく蛇行し、流れが滝のように続く栄村小滝。この川にひとつの悲話が伝わる。
 飯山線・横倉駅が対岸に見える小滝。だが、そこに橋はない。上流の月岡、箕作を、ぐるっと遠周りしないと横倉駅には行けない。
 
 大正15年の飯山線開通後、ムラで話し合い「渡し船を」と中古船を求める。最初の船頭は樋口忠太郎が務めた。川幅約2百b、渡し舟は小滝地区の「生活道路」になった。
 

 惨事は突然だった。昭和10年9月11日。秋収穫が始まる前だった。その日、忠太郎に代り妻・ともが船頭をした。増水気味の川。岸の杭にかけてある綱が船の命綱。何かの拍子で、その綱が外れ、舟が流された。『舟が流されたー』の叫びを聞いた忠太郎はすぐに川へ。下流で舟を見つけたが、妻の姿はなかった。
 水が入った舟の近くに人らしい姿が。忠太郎は、周り人たちが止めるのを振り切り、川に飛び込んだ。だが、それっきり忠太郎の姿は見えなくなった。見えた人らしい姿は、舟に積んでいた背負い荷だった。
 
 後日、下流の津南町田中で妻ともの遺体が上がったが、忠太郎は、その後も見つからなかった。
 忠太郎の曾孫にあたる正幸(52)は、昨年亡くなった父・茂祐から、この悲話を聞かされたことがある。「詳しくは知らない。千曲川は子どもの頃、よく遊んだ」。我が家を新築。片付け時にサケを突いたという銛(もり)が出てきた。歴史の語り部が少なくなり、「なんとか記録しないと」。

      ◇◇◇
 
小滝地区の最長老、樋口好男は来年2月で90歳。眼が弱っている以外、自分ですべて行う。父・仙蔵から聞かされた渡し船の惨事など歴史の生き証人。
 
 大正10年生まれの好男。小学校の頃、目にしたサケ漁を覚えている。「木を組んだ足場が川にせり出し、その上で柄の長い網ですくっていたな。サケは川の端を上る。網を何度も何度もすくう。一日やって一匹か二匹だったな」。採ったサケは小滝で売る。だが、「貴重品なんで高い。どこの家でも買えるものではなかった。父親が買ってきて食ったが、うんまいのなんのって」。スジコはそのまま生で醤油をかけ、ご飯に乗せて食った。「いやー、うまかったな」。
 
 昭和48年、妻46歳の登美を病気で亡くす。以来独り暮しの好男。シベリア抑留も経験。6人兄弟の一番の頭。6番目の妹・てる子が小滝に嫁ぐ。好男は語る。「発電所ができて川が変わった。人の暮しも川から離れたな」。

      ◇◇◇

 悲劇の渡し舟は、忠太郎夫婦の犠牲後、ムラの当番制になり、昭和28年まで続いた。当時21戸あったが今は16戸。傾斜の段丘に沿い集落内を小路が走る。川が見えないムラに、川と共に暮した歴史がある。
(敬称略)
写真・渡し舟は住民の「生活道路」だった(昭和40年代、野沢温泉村七ヶ巻地区、著書・千曲川の今昔より)

後利益、大わらじ新調、津南町の子之大権現  11月26日号
 ○…装いも新たに、伝統大わらじ―。津南町貝坂の「子之大権現」。祈願すると足腰の病気や痛みを取るご利益があると伝わる鎮守に飾る長さ約2mの「大わらじ」を3年ぶりに地元保存会が新しく作り25日に奉納。世話役の大島鹿十郎さん(73)は「権現様は昔、善光寺街道の東通りで、見玉不動尊などに向かう人が多かった。今は大わらじを飾る神社も少ないから津南の名物になれば嬉しいね」と想いを話す。大わらじが奉納されるとさっそく「あれは何だ」と足を止める人が見られた。
 

 ○…地域でも珍しい子之大権現は寛政8年(1796年)建立と伝わる。健脚祈願に地元はじめ南魚沼や十日町などからわらじや脚絆など奉納。戦前まで大わらじを飾っていたが途絶え3年前、保存会が伝統を復活。メンバーは70代から80代の10人。わら仕事のベテランたちが荒縄を組みわずか3日間で完成させた。メンバー最年長の大島正知さん(86)は「この前の道を見玉や秋山郷に通じる秋山街道と昔は言ったな。街道を行く健脚祈願のために権現様ができたのだろう」と由縁を語ってくれ。

環境大賞に滝沢寿一さん、苗場山頂湿原を定点観測  11月26日号
 第11回住み良い町づくり・妻有ショッピングセンター(妻有SC)環境大賞の表彰式を20日、ラポート十日町で開き、今期の環境大賞には、苗場山など高層湿原で環境調査に独自で取り組む津南町の滝沢寿一さん(62・高校講師)が選ばれ、妻有SC同友店会の高橋俊之会長から表彰を受けた。
 同環境大賞は、十日町市・津南町エリアで環境美化や保全などに地道に取り組む個人や団体を表彰し、活動をバックアップする妻有SC独自の活動。同SC加盟のイオン・ジャスコ関係者も「全国的にも例がない素晴らしい活動」と称賛し、活動継続を支援する。
 

 審査は、同友店会代表と地元新聞社代表ら18人で作る審査委員会が選考。表彰式で高橋会長は「11年の歴史の環境大賞、これまでに65の個人と団体に環境賞、11の団代個人に大賞が贈られている。活動の励みになることを願うと共に、地域がさらに住み良い環境になることを願っています」と受賞者の活動に感謝の言葉を送った。
 
 大賞受賞の滝沢さんは10年余り前から苗場山頂付近の高層湿原の水中動植物など希少生物を独自に調査し、環境変化との関係を調べている。「これを契機に調査項目を増やし、さらに環境変化を調べ、いずれ研究報告書にまとめたい」と話し、大賞奨励金10万円は研究機材の購入資金にあてる方針だ。
 

 環境賞受賞者は次の通り。
▼庭野建作氏(80・十日町市、20年以上ゴミ拾い活動)▼内後子供会(同、阿部久司代表、45人、消防署通り整備)▼南雲敏夫氏(川西・自然活動通じ環境保護)▼蒲生区(松代、山岸清司区長、20人、早稲田大と交流し荒廃地整備)▼松里小学校(松之山、丸山公一校長、児童40人、学校周辺やブナ林整備)▼津南町商工会工業部会(津南、樋口賢一郎部会長、毎年20人前後で県境まで国道6`環境整備)。

清津峡に響くオリジナル演歌、地元作曲・作詞  11月26日
 「瀬音うれしい清津峡、命をあげるあなたゆえ…」。日本三大渓谷・清津峡を題材に、県作詞作曲家協会に所属する地元のふたりが演歌調の歌をつくり、その新曲お披露目会が23日、清津館で開かれた。四季に彩られた風景をあざやかに唄った「哀愁の清津峡」は作詞が十日町市四日町の小杉軍平さん(72、ペンネーム・杉たいら)、作曲が同市宮中の吉楽勝太郎さん(75)、唄は南魚沼市在住の俵ひかりさんが担当し、CDも発売した。
 

 発表した唄は「哀愁の清津峡」はじめ、温泉旅館の女将や夫婦を題材にしたという「ふたり星」(唄・大空葉子)や「絆」(唄・大杉ひろし)、さらに清津峡渓谷の眺めにヒントを得たという「男の門出」(同)。20年ほど前から作詞に取り組んでいる小杉さんは「地元に愛される唄になってもらえれば」と話し、唄のモデルでもある清津館の女将・桑原静子さんは「胸にジンときました。昔の思い出が蘇るようです」と目を潤ませていた。
 
 お披露目会には地元の歌を聞いてみようと70人余りが参集。地元歌手が情感込めて新曲を次々に歌うと「いい唄だ」「心に沁みる」などと声が上がり、拍手が沸いた。同協会の早川たけお事務局長は「全国に発信する一番いい唄ではないか。期待している」と評価。小杉さんと吉楽さんは「こうして発表できるなど夢のよう。いずれ大勢の歌い手を招き、ディナーショーの形で楽しめるようにしたい」と話した。CDの問合せは小杉さん(рV52・3320)吉楽さん(рV63・3590)。

山田大地快走、北信越中学駅伝で津南男子6位入賞  11月26日号
  北信越5県(新潟、長野、富山、石川、福井)のトップランナーが出場する第4回北信越中学校駅伝は23日、県大会上位チーム男女とも36校が出場し、松本平陸上競技場をメイン会場に開催。新潟からは県大会2位から5位までの男女8チームが出場。県大会準優勝の津南男子は、キャプテン山田大地の大会新の区館賞の走りなどチームワーク力で臨み、5位の小千谷と同タイムながら着差で6位入賞した。
 

 北信越大会は、男子は新潟以外、女子は石川、福井、新潟以外、全県が来月の全国大会出場校が出場する北信越エリアのトップを決める大会になっている。会場は松本空港のすぐわきで、飛行機の離発着が行われるなか、同競技場周辺コースで選手は懸命にタスキをつないだ。
 

 男子は津南、中里、小千谷、上越北城が出場。津南は後半追い上げの選手エントリーで臨んだ。1区は各校トップ級選手が揃うなか山田凌(3年)はトップと47票差の30位で2区藤ノ木祥真(2年)へ。6人を抜き順位をあげ3区へ。高橋開(3年)は区間5位の走りで8人抜き。4区はキャプテンでエースの山田大地(3年)。「最初から行きました」と区間新・区間賞の走りで10人抜き一気に6位。5区富澤勇太(3年)は確実にアンカー村山純平(2年)につなぎ、最後のトラック勝負で小千谷に抜かれるが、追いすがり同タイムゴール。着差で6位となった。
 
 津南男子・山田キャプテンは「津南中チームでの最後の駅伝だったので、楽しく、思いっきり走ろうと声を掛け合った」。目標としていた全国出場に少し及ばなかった悔しさを北信越で発揮し、昨年に続き入賞を果たした。山田選手は新年1月の都道府県駅伝へのエントリーが決まっている。
 
 男子順位@中央(福井・全国出場)A川中島(長野)B駒ヶ根東(長野・全国出場)C津幡南(石川・同)D小千谷E津南F中野平(長野)G上田第二(同)Q中里(太島健斗、丸山輝久、富井寿大、藤田拳、服部風馬、南雲貴裕)。

十日町女子・滝沢すみれ力走、北信越中学駅伝  11月26日号
 女子は新潟からは十日町、広神、小須戸、中之島が出場。十日町1区はエースでキャプテン関口悠(3年)。各校トップランナーが集まるなか、トップと27秒差の13位で2区高橋花菜(同)へ。強豪校に押されながらも3区中島碧(1年)へつなぎ24位に落ちながらも4区池田朱里(2年)が区間13の走りで順位を挽回。アンカー滝沢すみれ(2年)は、「先輩と走るのは最後」の思い出最初から飛ばし、区間5位の力走を見せ、さらに順位を上げて19位でゴール。
 

 昨年、1年生ながら全国駅伝2区を走った滝沢すみれ。「全国で自身がつきましたが、山口はアップダウンコース、ここは平坦のスピードコース。自分の課題が見つかりました。このメンバーでは最後だったので、とにかく必死で走りました」と、順位は不満が残るものの達成感を話した。
 
 女子順位@雄山(富山・全国出場)A広神(新潟)B菅野(長野・全国出場)C鉢盛(長野)D更北(同)E富山南部(富山)F野田(石川)G小須戸(新潟)
R十日町。

新連載 「川辺のアルバム」 懐かしい吊り橋
新連載「川辺のアルバム」@

 津南町田中地区と対岸の国道117号を結ぶ田中橋。

 昭和29年建設の「吊り橋」は昭和55年3月m姿を消した。

 現在、この姿は、かつての吊り橋があったたもとにある
 温泉宿「しなの荘」の玄関ロビーに掲示されている。

新連載「川辺のアルバム」@、 『吊り橋渡って嫁入り』  11月19日号
 時には轟轟と、時には滔滔と、時には音もなく流れる川。「川の流れのように…」、歌詞にある自然そのままの流れ。一本の川の名が、県境をはさみ「千曲川」から「信濃川」に変る全国でも珍しい川が、目の前を流れている。川は人の生活を支え、産業を支えた。豊富な水量を使った発電事業が産業を底上げした。一方で、流れるべき水が減った川は、その姿を一変した。環境がキーワードの時代、河川環境に多くも目が向いている。その川と共に暮した流域の住民たち。その歴史のアルバムを開いてみた。(敬称略)


 吊り橋があったたもとに「船場」「橋場」「橋元」と橋と船に関係する屋号を持つ3軒が並んでいた。
 津南町田中地区。対岸の国道117号と結ぶ県道の田中橋。昭和54年11月完成。それまでは、上流百bほどにあった信濃川で唯一残る吊り橋が、田中地区の生活橋だった。
3年前に亡くなった清水源平の家は「橋場」。吊り橋 のすぐわき。長年連れ添った6歳違いの良子(73)は、この吊り橋を貸切バスに乗り、渡って嫁いできた。角隠し、白無垢。昭和33年の20歳の秋、9月13日のこと。
 

 吊り橋の幅は約3・5b。バス一台がぎりぎり通れる橋。源平の父・啓一郎が用意した貸切バス。親戚など一緒に乗って嫁入り。橋のたもとで源平が花嫁・良子を待っていた。  
 「嫁いだ時のことはよく覚えていないが、あの吊り橋は、思い出深いね。冬、ムラの仕事を受けて道踏みをした。橋の向こう側、小下里までが仕事。橋の上にいっぱい積もっていると、大変だった」。橋から山側約5百bに飯山線・越後田中駅がある。「あの頃の始発7時5分に通学、通勤の人が間に合うように道踏みした」。一冬の道踏みのムラ委託費は千円だった。
 

 信濃川の川幅は、この田中橋(154b)付近でぐっと狭くなる。そのため増水時、いっきに水位が上がる。「向こうの小下里側の崖に石の窪みがあって、それを目印に水かさを見ていた。それを越える大水の時は、橋の下の田や畑の作物を急いで採ったものだ」。川辺の暮らし、川が生活そのものだった。
 吊り橋の下に田んぼがあった。増水のたびに田に水が入った。「そうだな、二度ほどハゼ(稲を干す木組みのやぐら)ごと流されたことがあった。せつなかったな」。源平と守った田んぼは今は畑になり、その面積も小さくなった。

          ◇◇◇
 
 吊り橋と茅葺き民家。昭和40年代から吊り橋が姿を消すまで写真家の人気スポットになった。国道側の対岸から見ると、手前に信濃川、その上に吊り橋、その背後に茅葺き民家が広がる風景が人気を集めた。家電メーカーの広告写真に使われたこともある。
 吊り橋を渡り終え、国道への坂道を登り、振り返ると我が家が見えた。特に冬の晴れた朝。雪が積もり、まだら模様の吊り橋。こんもり雪を載せた茅葺き民家の家並み。「いいなぁー」と良子もパチリ。昭和50年代初めの頃の1枚そ写真が居間に飾ってある。
 玄関を出ると、目のまえに川がある。「毎日、川を見てますよ」。

写真・「この前から吊り橋だった」と清水良子さん(11月18日、田中の自宅前で)

「5年ごとの検証必要」、西大滝ダム水利権更新で津南町議会が県要望へ  11月19日号
 「20年間は長いという感想は聞いている。河川法には10年目で検証する規定がある」。東京電力西大滝ダムの水利権更新問題で16日、津南町議会と同社信濃川電力所幹部とが初懇談し、
黒河内淳副所長は、更新申請20年間への疑問に答えた。一方、議員からは「魚道の改善や河川環境の検証から20年の申請は長い。5年ごとに検証を」と申請期間の変更を求めたが、同社の黒河内淳副所長は河川法での10年目の検証を説明し、申請通り20年間更新を進める方針を示した。だが町議会は今後国や県に「5年間の試験放流を」の要望書を提出する意向だ。
 

 同ダム下流域で同社と懇談したのは先月20日の栄村ネットワークに次ぐ。議会では初めて。同社から6人、町議会から11人出席(5人欠席)。議員からは、生物多様性の観点からダム建設前の川の状況との比較など指摘。中山弘氏は「川が変ってからの10年間の試験放流、モニタリング調査は無に等しい。20dを流し、それをどう検証するのか」、さらに「東京電力は尾瀬の環境保護に積極的に取り組んでいる。それを信濃川で出来ないのか」など東電の取組み姿勢を求めた。
 

 黒河内副所長は「中流域調査は継続している。仮に更新許可が下りた場合、その後のフォローが必要と考える。どうフォローするか社内で検討する」と説明。試験放流の平均値毎秒7dの約3倍の毎秒20d放流は「発電事業に影響する大きな流量。河川環境改善の取組みは継続していく」と述べたが、申請内容通り進める意向を示した。
 
 さらに東電は、国土交通省主導で11年前に設置の「信濃川中流域水環境改善検討協議会」提言にふれ、『試験放流は効果があった』と説明。だが中流域報告書は『学術的な見地』と前置きし、『効果があった』とは明言していない。町議の藤木正喜氏は「河川法では河川環境の保全、地元意見を聞くとある。なぜこれに従わないのか。地元との共存を言うなら更新20年間はない」と問題視。同副所長は「20年間は長いという感想は聞いている。河川法には10年目の検証規定がある。具体的には不明だが、国から早期の許可を求めたい」と既定方針を示し、論議は平行線だった。
 

 町議会は今後、議会内の意見集約を行い、県と国へ更新期間20年の短縮、放流量20dの検証を求める要望書を提出する方針。さらに流域の栄村議会などへ連携を求め、住民運動へと広げたい意向だ。

小林前町長、総務・知事・農政功績者でトリプル表彰  11月19日号
 町政史上最長の在職となり今年7月、5期20年を努め退任した津南町の前町長、小林三喜男氏(75)は、長年の町政功労により10月に総務大臣表彰、11月には県知事表彰、さらに小林氏が町職員在職時代から心血を注いだ国営苗場山麓開発事業への尽力が評価され先般、農林水産省北陸農政局の農政功績者表彰を受けるなど、長年の功労が高く評価され、トリプル受賞している。
 
 10月の総務大臣表彰は、全国5人のひとりとして町長在職20年が評価され、先月の知事表彰も地方自治功労で長年の町長職を通じての地方自治貢献への実績が高く評価された。
 

 「この受賞は格別の思いがある」という農政局の農政者功績表彰。昭和40年代初めから構想が持ち上がり、30年の歳月と570億円という巨費が投じ、1860fの整備を完工した全国有数の国営苗場山麓農地造成整備事業。
 
 30代の若さで町議に付いた小林氏。時の村山正司町長(故人)の命を受け、苗場山麓開発担当の特命を受け町職員に。「地権者の農家の主(家主)を印をもらうために冬場、出稼ぎ先の飯場まで何度も出向き、承諾をもらった。将来の津南農業を夢見て、これはなんとしてもやり遂げなければという思いだった」、さらに「かなり強引な時もあったが、事後報告で村山町長に話すと、『お前らしいな』と言われたが、津南にとって大きな財産を残すことが出来たと思う」と話す。座右の銘は「温故知新」。町長在職中、多くの要職についていたが、今は津南町森林組合長のみ。盟友であり日本食研・大沢一彦会長と共に『日本一の森林組合』作りに取り組んでいる。

写真・抱負を語る小林さん(津南町森林組合で、11月17日)

新彗星を発見、十日町勤務の村上茂樹さん、8年前に次ぎ2個目  11月19日号
 ○…新彗星を発見―。独立行政法人森林総合研究所十日町試験地に勤める村上茂樹さん(48)と、静岡県のアマチュア天文家がほぼ同時に新しい彗星を発見、「池谷・村上彗星」として国際天文学連合が認めた。村上さんにとっては8年前の発見に続き2個目の発見で、「見つけた時は驚いた。これからも新しい彗星探しを続けていきたい」と話している。
 

 ○…新彗星は土星の近く、おとめ座の方角で、地球から約3億6千万`離れている。静岡・池谷薫さんは3日未明、村上さんは4日午前4時13分に中里倉俣地内の観察ポイントで発見した。村上さんは十日町に赴任した平成13年に口径46aの反射式天体望遠鏡を自作。市内20カ所余りを観察ポイントに彗星探しを続けて来た。中学時代から天体観測が好きだったという村上さん、「定年後はオーストラリアなどに住んで天体観測したい」と話している。

冬の夜にイルミネーション、LED8000個   11月19日号
 ★…闇夜を照らす光の競演―。今年も残り1ヵ月余。冬の夜空を彩ろうと、津南町各地でイルミネーションが輝いている。船山新田の月岡和明さん(54)方では今年も8千球のLEDで自宅前を装飾。16日から点灯、ツリーやサンタブーツなどクリスマスを先どる光の競演に車を止め見入る人が増えている。
 

 ★…6年前に保育園に入った孫を喜ばせようと電球装飾を開始。年々LEDを増やし、冬夜を光で彩色。月岡さんは「暗い話が多いなか、見た人が少しでも和んでくれれば嬉しい。ただ孫も大きくなったので、今年でLEDを増やすのは最後かな」とにっこり。孫への愛情を込めたイルミネーションは毎日夕方5時〜午後8時頃まで点灯。新年3日まで続ける予定だ。

津南町は魅力いっぱい、芦小学4年が手作りパンフ  11月19日号
 「竜ヶ窪など津南は良い所がたくさん。一度来て下さい」と子どもたちの想いが詰まった冊子が完成した。芦ヶ崎小(内山恵子校長)の4年生7人は今年度の総合学習で地域のシンボルである名水百選・竜ヶ窪や沖ノ原ひまわり広場、さらに紅葉の秋山郷など調査しまとめた手作り冊子やカレンダーを15部製作。児童たちは「一生懸命調べました。津南に来る人が増えればいいな」とわくわくしている。
 

 総合学習テーマは『竜ヶ窪PR大作戦』だったが、津南全体を紹介しようと構想が膨らんだ。4班に別れ家族や関係者から話を聞き、インターネットなどで調査。半年間かけ観光名所と雪下ニンジン、アスパラなど特産品を載せた写真付冊子、竜ヶ窪に住む竜神が表紙の手作りカレンダー、竜ヶ窪紹介ポスターの3点を作成、18日の保護者参観で初発表。竜神を描いた石田健くんは「自分のイメージだけで竜が飛ぶ姿を描きました。校長先生にも褒められたよ」と嬉しそう。高橋奏さんは「竜ヶ窪、ひまわり広場も津南の大切なもの。もっと色んな人に知ってもらいたいです」と満面の笑み。
 

 担任の保刈梢教諭(28)。新潟市出身、今年4月に赴任。「津南に来て初めてこんなに良い観光資源があることを知りました。残念ながら新潟市では知られておらず、これはもったいないと思い取り組みました。子どもたちが地域に自信を持つきっかけになれば」とねらいを話す。冊子は町観光協会、道の駅さかえ、竜神の館、芦ヶ崎郵便局などに配布。さらに道の駅新潟ふるさと村に贈呈。同小ホームページにも掲載する予定だ。

住宅密集地で昼家事、初期消火が効果、だが犠牲者が  11月19日号
 3年ぶりに住宅火災で犠牲者が出た13日の津南町での火災は、町中央部の民家密集地で発生し、あわや隣家などへの延焼が心配されたが、土曜の午後、昼間という時間帯で、地元消防団の迅速な出動と初期消火活動で延焼を食いとめた。
 

 この火災は13日午後1時50分頃発生。町内大割野の丸山よ志子さん(85)方から出火。木造2階延べ約144平方bを全焼、1時間半後に鎮火した。この火事で同居の長女・信子さん(53)が焼死体で見つかった。よ志子さんは外出中で無事だった。当初身元判明が出来ず、15日に司法解剖を行い16日に判明した。
 丸山さんは母と娘のふたり暮らし。近所の住民によると、信子さんは病気がちで外出する姿を余り見たことがないという。信子さんは2階の自室で見つかり、同室の燃え方が激しく、出火原因は調査中だ。
 

 住宅密集地での今回の火災。燃えた住宅と1b余の至近距離の斉藤輝夫さん(68)は「外に出たら隣の家の2階から火柱が出ていた。まさか中に人がいるとは思わなかった」という。119番通報した隣の建設会社事務員は「ボンと大きな音とバリバリと弾ける音が聞こえ、外に出ると2階から火柱が出ていた。すぐに通報した。恐かった」と話している。
 
 一報後、地元消防団が駆けつけ消化活動。幸い現場から20bの所にホース付消火栓、30bの場所にポンプ車用消火栓があり初期消火を行い、同時に隣家の斉藤さん方との間に放水、延焼を防いだ。斎藤さんは「消防団の皆さんのおかげ、感謝したい」と話している。

思い結集「シンフォニーホーム」、十日町総合高が建築甲子園で全国ベスト8入賞  11月12日号
 楕円形のオープンキッチンから居間が見渡せ、車イスが通れる広い廊下、温かみを出した丸い子ども部屋など、家族が自然に交流できる夢の家―。県立十日町総合高校(星野光章校長、全校576人)のデザイン・インテリア専攻の学生13人の共同制作「シンフォニーホーム〜人と自然と交響の家」が2010年「高校生の建築甲子園」で全国ベスト8に入賞。さらに個人出品作が日本インテリアデザイナー協会理事長賞、福岡県産業デザイン協議会長賞を受賞するなど、同校でトリプル受賞を達成した。
 

 新潟県内の総合高校の先駆けとして1995年に開校。進路に合わせ多分野の選択ができ、1年生から進路先の専門学習ができる。今回の「建築甲子園」は日本建築士会連合会、都道府県建築士会が毎年開催。同校の作品応募は初めて。3年のデザイン技術とインテリア計画の教科を取る生徒13人が、同展テーマ「地域の暮らし」に添い、同教科講師の樋口正弘教員(51)の指導で今春から取組んだ。

 大学進学めざす長津美沙紀さんは「高齢者が多いこの地域をテーマに皆で意見を出し合い、車イスが通れる広い廊下など作りました」。グラフィックデザイナーをめざす金子博美さんは「自然の中で家族が触れ合う交流を大切にしました」など美術部や漫画同好会など部活動の技も活用した。

 受賞の家には、個人受賞の「360度キッチン」(内山温美さん、日本インテリアデザイナー協会理事長賞)や「スマートBook机」(水落史さん、福岡県産業デザイン協議会長賞)のアイデアも入れた。樋口教員は「生徒の思いがよく出ている作品。受賞は大変嬉しい。デザインが本稿の伝統になれば」と話している。

写真・全国入賞した3年生13人と作品(同校で、11日) 

清津川分水問題、十日町市と南魚沼市が協定、放流増は「影響ない範囲」  11月12日号
 清津峡の上流域で清津川の水を発電取水後、南魚沼市の魚野川に流している東京電力・湯沢発電所の分水問題で10日、泉田知事、十日町市・関口市長、南魚沼市・井口市長は県庁で、魚野川流域の水資源確保を前提に、清津川の水量を増やす内容の協定書に調印した。発電開始から87年、分水問題解決への一歩をようやく踏み出した。だが、魚野川流域の水資源確保の実現は、ダムやため池構想が前提と見られ、県が進める事業見直しとの整合性もあり前途は厳しい。南魚沼地域の水資源確保が清津川の流量増に直結する構図となり、分水問題は南魚沼市と県で作る検討委員会の行方にかかり、下流域の十日町市はその具体化を見守る形となる。
 

 調印した協定は3項目。@魚野川流域の水資源確保の抜本的に解決する検討委員会を県と南魚沼市で年内に設立A暫定措置として清津川への試験放流の増量を検討B新たな試験放流量が合意された際はいつでも流量変更が可能。ただ覚書では「試験放流量は抜本的解決が実現するまで見直しは行わない」とあり、十日町市にとっては、県と南魚沼市の検討委員会が早期の抜本策の実現を望んでいる。
 

 一方、今回の協定・覚書で清津川の水量がどう増えるかがポイント。覚書では「試験放流の増量は、南魚沼側に支障のない範囲」とある。この支障のない、影響のない範囲について井口市長は「農業用水はこれ以上減らしては困る、六日町地域の地下水への影響、流雪溝の水源確保問題、流量の減少による河川環境の変化、大幅に水量が変ることなれば当然、漁協も影響を受ける。影響という範囲となると、これらが含まれ大きな課題となるだろう」と従来の変らない立場と姿勢を見せた。


 協定調印後、井口市長は「小異を捨てて大同に着いた。十日町市とは互尊、互恵、互助を忘れず話し合いたい。道は必ず開けるはず」と話し、関口市長は「十日町市と一緒に一歩前へ進もうという井口市長に感謝したい」と述べた。一方、県はこの「影響のない範囲」を県がどう調整するかが課題。試験放流量は事務レベル協議で具体化するというが、抜本策について泉田知事が言う「大きな宿題を背負った」ことになり、より県の責任が重くなった。

写真・泉田知事の仲介で協定を結んだ関口市長(右)と井口市長(10日、県庁で)

西大滝ダム魚道、改善へ、地元高水漁協が県に要望書  11月12日号
  東京電力信濃川発電所の西大滝ダムの水利権更新の許可申請を先月7日に提出した同ダム魚道の改善を協議する第3回西大滝ダム魚道構造検討会」を4日、飯山市のホテルで開き、ダム放流方法の改善、魚道構造の改善、上流部の放流ゲートの改良などの改善案が示され、同検討会の同意が得られ、具体的な改修設計に入ることになった。
 
 同会(主査・富所五郎信州大名誉教授、委員9人)の協議では、幅4・5b、長さ188・8bのコの字型魚道の構造改善について検討。これまで魚道入口脇のゲートを開け放流していたが、水圧などの影響で魚類の魚道進入を困難にしていた可能性を指摘され、「最寄りではなく、さらに隣りのゲート放流と合わせ、サケ遡上期の放流方法を改善する。
 
 さらに、魚道本体では、階段状の流下水量の厚みを増し、小型魚、大型魚、底生魚用の3タイプの流れに改修し、落差緩和と共に遡上しやすい魚道に改善する。
上流部の放流ゲートは、鋭角部に丸みを持たせ、気泡防止を施し、同様に大型、小型魚類の遡上しやすい魚道に改修する。
 

 改修後の検証ついて東京電力信濃川電力所の黒河内淳副所長は「改修工事は影響が少ない冬場に限られるだろう。改修後は東京電力でも何らなの形でフォローしていく。必要に応じて検討会を開いてきたい」と方針を話している。 
 
 一方、この地元の高水漁協・相澤博文組合長は、コの字型魚道の抜本的な改良を望みながらも、「高水漁協では常時放流毎秒20dを良しとする方針だが、5年後との検証を申し入れた。5年ごとに漁協、協議会、東電がデータを持ち寄り協議する場を持つ。これを要望した」と話す。さらに今月1日には、理事会を開き、東京電力が申請した「許可期間20年」を問題視し、長野県に「許可期間は10年」とする要望書を高水漁協として提出した。

写真・西大滝ダムの魚道(手前)、改善方針が決まった(今月9日)

銀座めざマルシェへ出品、特選開発組織作りスタート  11月12日号
 こだわりの米商品を―。地域素材を使ったオリジナル商品が並ぶ、フジテレビの朝の情報番組「めざましテレビ」プロデュースの物産館「銀座めざマルシェ」に出品をと、地元農家や食を扱う業者が連携し新たな商品作りが進む。津南オリジナル商品展示期間も決定、来年1月7日から10日に、同館2階の甲信越エリアで試作品を販売。商品動向を見て今後に繋げる方針。
 

 町と地元業者が連携し特産品開発研究会を先月立ち上げ、津南の「コメ」をベースにした新商品開発に先月から取組み、第3回会議を10日に開催。津南産米を使った「おかき」や「焼あんぼ」、津南米飼料で育てた「にいがた地鶏のジェルスープ」、地酒とトマト・雪下ニンジンジュースのお酒「ベジカクテル」、伝統漬物「二五八漬」、ご飯で作るワッフル「ごっふる」の6商品を試作。さらに改良を進め同館に出品する計画だ。
 
 
 研究会は町生活改善グループやJA津南町女性部、津南醸造、町森林組合、加工販売所許可を持つ個人経営主など15人余参加。食に関わる職人たちが試作品を考案。研究会発起人の株式会社ごはん・大島知美社長は「津南オリジナル商品が都心に並ぶのは大きなチャンス。今までは個々の業者で商品開発をしていたが、新たな魅力ある特産品作りに向け町全体で連携し動く必要がある」とねらいを話す。 
 
 銀座めざマルシェは眠っている地域素材を求め、めざましテレビのアナウンサーらが試食・改善提案などし同館で試作販売。その様子も同番組で放映するなど、食を通じた地域活性化を図っている。

もっと交流を、三箇住民が鎌倉初訪問  11月12日号
 都市との交流と閉校校舎利用で地域活性化を図る三箇地区(144世帯)。三箇校舎で生きる力を学ぶ体験を開く横浜国立大付属鎌倉小とさらに関係を密にと6日、同小文化祭に住民10人が参加。同小児童も売り子になり、収穫した新米コシヒカリおにぎりや自家栽培野菜など持ち込み自然豊かな津南をアピール。横浜国立大教授や松尾崇鎌倉市長とも懇談し交流促進と来訪を呼びかけ。同小・甘利修副校長も「津南のイベントや取組みの情報発信など、いつでも協力する」と確約。同大学生の三箇訪問案なども出され、交流は新たな段階に入っている。
 

 トラックに荷物を積み、5時間かけ同小を初訪問、保護者とも初対面。「津南での体験を喜んでいて、今でも楽しそうに話す」「今度親子で遊びに行きます」などと感謝を伝える保護者が多かったという。来年に同小が三箇生活体験を行うかは未定だが、希望者への農村体験や同小文化祭出店など継続交流する方針。世話役の恩田稔さん(59、鹿渡)は「訪問で受入れ側の顔が見え、安心感が生まれたと思う。地区の高齢化も進み学校もない今、鎌倉小児童や大学生が定期的に来てくれれば生活に張り合いが生まれる。地元が元気になる仕組みを作りたい」と受入組織発足を急ぐ。
 
 なお、同小で来年1月29日に開くシンポジウムで、三箇生活体験の研究報告を行い、児童の心の変化や取組みを紹介する。恩田さんは地域代表講師として参加する予定だ。

県中駅伝、津南男子惜しくも準優勝、吉田がアベックで全国へ  11月12日号
 社会人や大学駅伝のトップランナーを輩出する十日町・津南地域の底力を示す結果となった。第20回新潟県中学校駅伝は5日、長岡市の越後丘陵公園特設コースで男女442チームが出場し、男女とも吉田が優勝。来月19日、山口県で開く全国大会に出場する。津南男子は一時トップに立つが、昨年同様にアンカー逆転で準優勝。今月23日、長野・松本市で開く北信越大会に中里、女子・十日町と共に出場する。
 

 男子は前評判通り、序盤から十日町、津南の争いとなり、津南は1区とアンカーが転倒したものの、出場全選手3`(1区除く)で唯2人10分を切る2選手を擁しながら、27秒差で昨年に続き再び全国キップを逃した。
 
 津南は1区山田凌(3年)の転倒を後続が徐々に押し上げ、2区藤ノ木祥真(2年)が区間トップで順位を上げ、3区高橋開(3年)も区間2位の走りで3位へ。4区村山純平がつなぎ、県中学トップランナーに育っている5区山田大地(3年)は「トップに出て、富澤を楽にしてやりたかった」と最初から飛ばし、1`過ぎで先を行く小千谷、吉田を抜き19秒差をつけトップでアンカーへ。中越大会前に骨折し、県大会に間に合わせてきた富澤勇太(2年)は、1`過ぎでぬかるみに足を取られ転倒。追う吉田に越されるが、終盤まで食いつき粘るが、ラストで引き離され27秒差で惜しくも準優勝。吉田は全国出場組が残る力を見せ、ラストで逆転劇を再び演じた。
 

 念願の男女全国出場した吉田の斎木勝紀コーチ(26)は「津南の追い上げは実力通り。男女ともベストの走りをした結果。昨年の全国(男子40位)のリベンジをしてきたい」とアベック優勝を喜び、全国への意欲を話している。3年ぶりの全国をめざした津南・高橋哲成監督は「2人の転倒は予想外だったが、感動的なレースをしてくれた。最後で吉田が一枚上だったが、津南の走りは最高だった」と選手を称えた。

 1年の時、先輩に連れられ全国大会に行ったキャプテンの山田大地選手。「悔しさをあるけど、気持ち良く走れた。気持ちを切り替えて北信越を走りたい」とメンバーと笑顔を交わした。
 
 【男子】@吉田(柳恵汰、柳大地、柳暁人、宮崎大樹、林昴平、春日耀介)A津南(山田凌、藤ノ木祥真、高橋開、村山純平、山田大地、富澤勇太)B小千谷C上越・城北D中里(太島健斗、丸山輝久、富井寿大、藤田挙、服部風馬、南雲貴裕)H十日町N下条
 【区間賞】▼2区藤ノ木祥真(津南)▼3区富井貴裕(中里)▼5区山田大地(津南)▼6区春日耀介(吉田)
 
 【女子】@吉田(児玉美希、斎木愛里紗、大熊百合菜、酒井梨奈、斎木美月)A広神B十日町(関口悠、高橋花菜、中島碧、貝沢美聡、滝沢すみれ)F十日町南G下条
 【区間賞】▼1区関口悠(十日町)▼2区三輪美空(南)▼3区大熊百合菜(吉田)4区酒井梨奈(吉田)

小学生全国駅伝に津南小・米澤君出場、来年3月大阪で  11月12日号
 第13回全日本小学生クロスカントリーリレー大会に津南町と十日町市の小学生チームが出場することが決まった。先月17日、小千谷・白山運動公園で開いた新潟県全域から参加の小学生大会で十日町市と津南町の選手が上位を占め、出場権を獲得した。今月3日には同チーム内で選考レースを同じ小千谷市白山公園で行い、トップのタイムで津南小6年の米澤利樹君(12)が出場を決めた。全国大会は来年3月20日、大阪府で開かれる。
 

 この全日本大会は、陸上協会を持つ市町村の小学生が出場。十日町市陸上協会には津南町に含まれているため、県選考会には津南の小学生も出場。米澤君は、県大会と選考会とも約2・2`コースでトップタイムの好成績で新潟県代表となった。
 
 津南小4年の時から体育サークルに入り、夏は陸上と水泳、冬はクロスカントリースキーに取り組む。6年の担任であり、十日町陸協メンバーである瀧澤慶太教諭(26)との出会いが、全日本につながった。
 

 今年7月頃から毎朝5時に起き、瀧澤先生と共に約30分ほどランニング。この日課を大会前まで続けた。「ちょっと眠かったけど続けた。全国へ出られてよかった」と今も自主的に走っている。2・2`のベストは7分50秒。瀧澤先生は「朝が苦手だったようだが、その苦手を克服したことが、この結果につながった。何かつかんでくれると思う」と今の時間を見つけ、一緒に走っている。早朝ランニングのメンバーは惜しくも全国出場はできなかった。
 

 全国出場メンバーは次の男女8人。レースは男女交互に6人が走る(数字は学年)。
 男子=米澤利樹(津南6)、中嶋竜之介(吉田5)、渡邉大虎(千手6)、横山徹(吉田6)。女子=服部智子(川治6)、石澤真希(田沢5)、濱野愛美(吉田5)、遠田望(川治6)

八箇峠トンネル、3年後完成、開通メドはまだ  11月5日号
 関越道と北陸道を結ぶ地域高規格道「上越―魚沼快速道路」の六日町―十日町間の八箇峠道路・八箇峠トンネルは六日町側着工に次ぎ、今年8月から十日町側も着工、3年後にトンネル本体が完成する見込みだ。先月29日、十日町側のトンネル掘削現場が公開され、関係者がトンネル内に入り、掘削現場を視察した。
 

 八箇峠道路は全長9・7`。同トンネル約2・84`。(十日町工区約1・21`、六日町工区約1・63`)。これまでに十日町側134b、六日町側1・2`を掘削。今年度は約24・6億円の事業費がついている。
 
 29日に十日町で開いた十日町側着工祝賀会には自民系の国会議員など多数が出席したが、政権政党の民主の議員は代理出席。地元代表し関口市長は「昨年31億円、今年は24億円に削減され厳しい状況にある。高速ネットワークが取り残された地域であり、欠くことのできない社会資本。早期開通を強く願う」と出席の国会議員らに切望した。

写真=八箇峠トンネル十日町坑口、この先2・8`が六日町坑口

連載「川はよみがえるか」、河川法「河川環境の整備と保全」、整合性に疑問  11月5日号
 「信濃川中流域の減水区間では、西大滝ダムおよび宮中取水ダム地点での発電取水により減水が生じ…」で始まる提言書。1997年の河川法改正を受け、国土交通省が主導し99年にできた「信濃川中流域水環境改善検討協議会」(以下中流域協)。10年間の調査や協議を経て2009年3月、冒頭の言葉で始まる提言を出した。   (敬称略)

 
 東京電力は西大滝ダム水利権更新において、この提言を尊重し先月7日、「社内準備が整った」と更新許可申請した。中流域協は提言で「西大滝ダム下流毎秒20d以上の河川流量を確保すべき」としている。ただ、提言の前書きには取り組み姿勢を求めている。「本提言における学術的な検討を踏まえつつ、多くの関係者による検討・取り組み等、河川環境と水利用の調和に向けた努力が今後も継続される必要がある」とある。

 今回の更新許可、この「多くの関係者による検討・取り組み」がされているのか、特に流域住民との検討・協議はどうか。これまでの東京電力の取り組み姿勢を見る限り、大きな疑問府がつく。河川法にある「河川環境の整備と保全」をどう考えるか、流域住民の意識も問われている。

□■□□

 先月20日、西大滝ダム直下流域の栄村住民を主体としたグループと東京電力信濃川発電所幹部との懇談会が、津南町大割野の同社信濃川総合制御所であった。今回の水利権更新関係では初の住民懇談となった。
 同制御所の黒河内淳所長は、今回の水利権更新に対する東京電力の基本姿勢を示した。

住民=30年前と今回の間に重大な変化があった。1997年の河川
  法改正。治水、利水に「河川環境の整備と保全」が加わった。
黒河内所長=改正は意識している。期間更新であって、新たな事柄
  が付加されたとは認識していない。環境という側面は当然意識
  している。新たに維持流量というものを盛り込ませた。
住民=中流域協提言は「河川環境の改善を多くの関係者の参画で行
  うべき」とある。水利権更新の時しか住民との協議の機会はな
  い。もっと積極的に情報公開し、流域地域と話し合うべきだ。
黒河内所長=行政は地域を代表する組織。その行政の長に説明し
  た。(流域と)協議しなければならないというものはない。

 確かに30年前の更新期では、維持流量という規定はなく、今回申請と同じ最大取水171・133dだけの申請許可だった。
 だが、河川法の改正は劇的に河川環境のあり方を問うている。これを受けるように東京電力は企業行動憲章(2005年4月6日制定)を掲げた。その中に「環境問題への積極的な取り組み」と「地域社会の発展への貢献」がある。さらに「広く社会とのコミュニケーションを」も明言している。企業理念を自ら問われる状況になっている。

□■□□

 6年前、生まれ故郷の津南に帰り、あらためて津南地域の自然の素晴らしさに感じ入っている岡村昌幸(50)。JR東・宮中ダムの不正取水で、川への問題意識がさらに強くなった。
 宮中の上流約25`にある東京電力西大滝ダム。その直下流域の慢性的な渇水状態が気になっていた。「津南を外から見ていたが、ここで暮すようになり、この自然資源の大切を痛感している。この資源を守らなければ、と思う」。西大滝ダムから県境を越え、川を活用する事業化の「千曲川信濃川親水協議会」のメンバーに入り、事務局を努める。ラフティング活動もその一つ。「全国的に注目を集める場所になっている」。大きな誘客要素に育てたい。

□■□□

 東京電力と栄村住民の懇談に参加した京都生まれの松尾眞(60)。NPO栄村ネットワークのメンバー。大学准教授の顔を持つ。
 今回の西大滝ダム水利権更新は河川法にある『河川環境との整合性を確認する必要があるもの』(平成14年11月27日付、国土交通省水政課長、河川環境課長通達)に該当するという。
 この通達では、「河川環境の改善に向けた取組みが合意された場合」は、「合意内容に設定された効果の検証期間」。一方、「合意したものの、放流量が決まらない場合」は『合意形成を図るための調整期間(1年〜5年)』とされている。
 つまり、合意された場合は効果の検証期間となり、中流域協がいう継続的なモニタリングによる検証となる。流量が未定の場合は調整期間内となる。だが、東京電力は「20年間」を申請している。松尾は指摘する。「法的な瑕疵(かし)を含め、多くの問題がある」。


今回の更新許可に対し、流域から疑問視する声がすでに監督官庁に届いている。東京電力の申請が、すんなり通る状況ではない。国が西大滝ダムの更新許可をどう扱うか、流域住民は大きな関心を持ち、見ている。

写真=東京電力信濃川発電所(右)、上流約21`の西大滝ダムから導水管で送水される。

クマ異常出没、ナラ枯れ影響か  11月5日号
 県内でツキノワグマの被害や出没が頻繁化するなか、津南町でも人身被害が出た。1日午後4時頃、津南町駒返地内できのこ採り中の十日町市在住52歳男性がクマに襲われた。現場は民家から2百b余離れた雑木林。体長約1bのクマに右ひざと左腕を噛まれ、上村病院に搬送。全治10日間のケガを負った。男性は友人とふたりで山に入り、クマが突然襲ってきたという。町は「町内できのこ採り中の住民がクマに襲われケガをしたケースは過去にない」(税務町民課)とする。津南小では翌2日朝、駒返り児童集団登校中に保護者が同伴し警戒。町猟友会も今週末まで近隣巡視を強化し対応している。
 

 津南町は現在まで17頭を捕獲(昨年5頭)、うち5頭を奥山放獣。今年は7月下旬から多くの目撃情報が寄せられ、沖ノ原や天上原、米原などでスィートコーンやデントコーン被害が続出。今回男性が襲われた近隣では卯ノ木原で8月31日、米原で10月12日に各1頭を捕殺。町鳥獣害対策協議会による捕獲用檻でも先月16日に米原で1頭を捕獲し殺処分するなど、頻繁に出没している。
 
 原因は何か。クマの生態に詳しい県鳥獣保護員の中山弘さん(58)は「県内全域でナラ枯れが広がり、奥山で冬眠前に栄養を蓄えるためのドングリがなく、食料を求め来ている。クマも飢えて気が立っている。今後は柿をねらいに民家付近まで来る可能性がある。ナラ枯れの影響は来年もっと酷くなる。奥山にブナやナラを植林するなど、早急に対策と保護を考える時期だ」と警鐘を鳴らしている。

お年寄り生活を支援、お母さんグループが家庭料理宅配  11月5日号
 家庭の味を次代に―。秋山郷に続く国道405号沿い、津南町中深見の野菜直売市・ごっつぉ市に31日、津南食材を豊富に使った惣菜部がオープン。伝統食など低価格で販売、さらに20日から地元中津地区、大割野地区を対象に手作り料理の配送開始。将来的には全町配達を行なう方針。伝統食継承と、独り暮らしや高齢者世帯の食を支える両面で強い味方になりそうだ。
 
 
 販売品はしょうに芋や五目御飯、干しわらびの酢の物など、長年食べ継がれて来た野菜中心の伝統料理がメイン。レシピは今春発刊の津南郷土料理集など活用、旬の伝統食と主婦の知恵が生み出すアレンジ料理を提供。配達は毎日3品余をワンコイン(5百円)で各戸に届ける。なお津南全3670世帯のうち65歳以上の独り暮らし世帯は410世帯、高齢者は471世帯と24%を占め、家庭の味を毎日格安で提供するサービスとして関心が集る。
 

 取り組むのは主婦や農家など、家庭の味を守り続けるお母さんたち12人。同市惣菜部「段丘風の郷生産組合」を立ち上げ、旧JA津南町中津支店の1階を改装。木目調の内装にし、安らぎ空間を演出。観光案内休憩所も兼ねる。富沢春江組合長は(62、船山新田)は「核家族化が進み、昔ながらの料理を食べる機会が減ってきました。伝統食を将来に残すため、また配達で家庭でゆっくり津南の食を楽しんでもらいたい。惣菜を作り届けるのは私たちの生きがい作りでもある、新たな挑戦です」と意欲。
 
 営業時間は仕事帰りに寄れるよう、午前11時から午後6時。冬季間は野菜直売市も店内で開き、白菜やニンジンなど越冬野菜を販売。毎週水・木曜定休。ごっつぉ市рO25(765)5715。

恵福園友の会、長年の活動で緑綬褒章  11月5日号
「少しでも入所者の手助けになれば」と地域のお母さんたち5人による「おしめたたみ」。その活動の輪が広がり、昭和60年にボランティアグループ「恵福園友の会」が結成された。以来24年、実人数で205人が同ボラに参加し、現在は会員51人。地域別などで班編成し、班ごとに毎週火、木、土曜にタオルたたみや洗濯物たたみ、車イスの清掃、また月1回、シーツ交換などの活動を行っている。
 平成10年に県知事表彰、昨年9月に厚労大臣表彰を受けている。「会員全員が思っていることですが、施設職員や入所者らから喜んでもらえること、これが一番。継続は力なりで、続けて行くことが大切ですね」。
 「
 受賞はこれまでの活動に対してのこと」。そこで、特に貢献して来た会員らに「会から感謝状を渡してほしい」と切望。「友の会の活動が、人間としてのすばらしさ、感謝することの大切さを学ぶ場にもなっているんです」。(緑綬褒章)

赤沢神楽舞台がNGP津南にお目見え  11月5日号
 ◎…伝統の赤沢神楽の舞台がニュー・グリーンピア津南にお目見えした。3日、同地の芝生広場斜面を活用し、赤沢からステージを移設。芝生斜面には同津南職員手作りの間伐材を使ったベンチも作られ、オープンステージでは秋山太鼓や津南合唱隊、さらに赤沢神楽などが上演され、オープニングを祝った。
 

 ◎…神楽舞台の木材は一度限りのため上演後、希望者に払い下げる。入札で落札したNGP津南は「コンサートなど皆さんから活用を」と、舞台材で野外ステーを作った。駐車場脇の芝生傾斜からステージを見られるように設置。長さ12bの杉丸太4本、8b8本を組み見事なステージが出来上がった。ステージ前の斜面は自然の客席となり、木製ベンチ40個余を置いた。樋口明支配人は「野外ライブなど地域の皆さんから活用いただきたいです」と話している。

桜の名所、地区で新たに30本植樹、中子の池湖畔  11月5日号
 標高6百b余の高地にあり、残雪と桜の開花が重なり、さらに水面に映る春の桜が幻想的な風情を醸す「中子の桜」。シーズンは関西や東北など遠方からもカメラマンが訪れる、津南の春を象徴する人気スポット。この名所を維持しようと31日、中子集落住民がソメイヨシノ30本を植樹。「将来、立派な花を咲かせてくれよ」と願いを込め、高さ約4bの若木を植えた。
 

 昭和33年に農業用水利用を目的に中子溜池(面積10・8f)が完成。その2年後、記念にソメイヨシノやかすみ桜など40本余を植樹。現在は20本余が花を咲かせる。10年余前、写真雑誌に同地が取り上げられ観光客が一気に増加。今春は1500人余が来訪。
だが一方、鳥被害や虫が入り込むなどで樹勢が衰え、満開の花が咲く期間が減少。同集落は名所を守ろうと連携、県「緑の百年物語」事業補助を受け植樹。この日は20代の若者から80歳まで30人余で作業。同池ほとりに住み、50年余桜を見守る山本光夫さん(80)は「人気は年々増すが桜も老いてきた。無くなるのは惜しい名所。今回の植樹で20年もすればより魅力ある場所になる。地元の若者の協力もあり植樹ができた。今後もずっと残して欲しい。我々も桜も世代交代だな」と感慨深そうに話した。


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