昭和52年4月1日付の人事異動。「企画課長・高橋彦芳」、「企画係長・島田茂樹」。このコンビが、栄村の産業の一つ、観光事業への布石を作った。
『課長、係長と4年間一緒だった。栄村の観光事業の草創期で あり、その後、人気を集めた都市との交流拠点「ふるさとの 家」などを始めた時期でもある』
選挙戦で課題に上がった栄村振興公社は昭和61年4月発足。赤字体質からの脱却が大きな課題。
『観光業全体が減少傾向にある。公社経営は専門的なアドバイ スを受け、取り組みたい。かつて観光人会議や観光関係記者ク ラブなどと交流していたが、情報発信する側の人や団体ともっ と交流し、観光事業、誘客を伸ばしたい』
企画係長時代「広報さかえ」を創刊。月刊で295号(4月号)を重ねる。第一代編集長として33号まで担当した。
『村の動きや村民のことなど、住民が共通理解を持つことが村 づくりには欠かせない。自分が暮らす村の動きを知ることは、 村への愛着につながる住民要望や意見に応える「村民要望お答 え係」(仮称)を総務課内に設け、村長と語る日も作り、集落 懇談会を開いていく。女性懇談会も要望に対して動いていきた い』
自律の栄村。『自然を愛し、環境を整え、美しい村を創ります』など6項目の崇高な理念を掲げる栄村民憲章。昭和51年、村制20周年を記念に制定。この憲章づくりを担当し、草案を作った。
『あの憲章どおりの村づくりが目標。それを、さらに具体的 に、村のあるべき姿を描く「むらづくり条例」を制定したい。 住民代表と検討委員会を設け、研究に入る。自律の村の基本を 条例化することで、人が変わっても、村の歩むべき道は、この 条例により示されることになる』
高橋彦芳村長の側で、その行政運営を見てきた。村長選では「高橋村政の継承」を全面に。島田氏にとって高橋村長とは。
『師としての存在。ずっと一緒だった。自分とは格が違いすぎる が、多くを学ばせていただいた』