
新象作家協会50回記念展を昨年、東京都美術館で開いた。その新象作家協会の創設メンバーで、97歳の今も現役の画家として筆を持つ津南町出身の高橋勉氏(東京杉並区、1910年生まれ)。中国・大連で出会った画家・福沢一郎氏とは、その後の獨立美術協会、美術文化協会設立などで共にし、新象作家協会の立ち上げに中心メンバーで加わる。福沢氏亡き後、同協会に関わりながら創作活動を続ける。「私の感性がリアルな現象によって触発され、潜在意識と交感する時、テーマが呼び起こされる」と、3年前の中越地震や世界的な紛争、天災などをテーマに創作を行っている。今月17日、東京杉並の自宅・アトリエを訪ねた。
「目に見えないものを描く。人と同じものを描かず、独立的なものを。日本人が持っている好奇心が異常な燃え方をした」。1935年、中国・大連で福沢氏らの獨立美術協会展を見る。「前衛作品を見せられ、ガクッときた。特にシュール(シュルレアリズム=超現実主義・過剰なまでに現実)の絵を見て、腹を決めた。あの展覧会が私にとって大きな衝撃となった」。
大連時代に描いた絵は、敗戦ですべて没収。1953年、現在の閑静な杉並に自宅兼アトリエを建てる。「周りには家がなかった。小さな小屋だった。近所の子どもに絵を教える熟もやった」。大連から持ち帰りが許されたのは、わずかな絵の具など画材。「今もしぼり出された絵の具を、記念にとってある」。東京で家族と共に新たな生活が始まった。
自宅の居間には、引揚後、津南に帰った時に描いた50号の『ふるさと』がある。「これは、十二ノ木から外丸の山を見た風景。大連から持ち帰った絵の具で描いた。今残っている一番古い絵かな」。
アトリエは、建てた当時のまま。描きかけの大小の作品が並ぶ。襖1枚の大きさの作品『天災一過』。昨年、東京都美術館で開いた新象作家協会50回記念展に出品し、反響を呼んだ作品。「今も問合せは時々くる。災害の被害者はいつも子ども。感じてくれればいい」。
画集に、今の心境に通じる言葉がある。『困窮の中に身を置き。なぜ筆を折らなかったのか、それはただ、私の心の中に、描かせようとする何かがそうさせた、というほか言葉がない。これこそが人間の業というものかもしれない』。120人余の会員の新象作家協会。50回記念展で若い会員が飛騨高山のロッキングチェアを贈ってくれた。「毎日5時間は、絵を描いている。自分をそうさせる何かがある」。
高橋氏は2000年10月、縄文がテーマの百号の大作など48点を津南町に寄贈。同年に記念展開催。5年後には津南町なじょもん開館で記念展。「絵を一つの箱・建物に収めることが約束になっている。津南の役に立つ、教育の役に立つと受けた以上、それを何らかの形で実現してもらいたいという思いがある」。作品は町内岡の収蔵蔵に保管されている。
写真・今月17日、東京杉並の自宅アトリエで