「悔しい。でも全力を出し切った」。この日、硬式野球創部35年の歴史に幕を閉じた―。津南中等教育校への再編で来春、創立57年の歴史に幕を閉じる津南。3年生だけ11人で挑んだ「最後の夏」が終わった。泣き崩れるナインを前に、中島孝太主将は「敗れはしたけど、最後の最後でいい試合ができた」と胸を張った。
甲子園をめざす第89回全国高校野球選手権・新潟県大会。台風と中越沖地震の影響で、順延されていた試合は23日再開。津南は五泉市営球場で新潟東と対戦。試合は手に汗握る接線となった。2回、新潟東打線に3長短打を浴び2点を取られたが、その後、再三のピンチも堅守で無失点。しかし、相手投手の切れのある変化球に手こずり、好機での1打が出ずに津南は0―2で惜敗した。津幡潔監督は「相手投手の調子がよすぎた。あれでは打てない。津南はミスひとつなく、すばらしい試合をしてくれた」と振り返り、「閉校を飾るにふさわしい闘いぶりだった」とナインひとり一人と握手、健闘をたたえた。
この日は津幡監督の42歳の誕生日。選手たちは「試合に勝って誕生日を祝ってやろうぜ」と意気込んだが叶わなかった。宮島郁巳投手が「全力で投げたけど、打たれて申し訳ない」と話すと、津幡監督は「勝敗でなく、すばらしい試合を見せてくれたことが一番のプレゼントになった」と目を真っ赤にしながら微笑んだ。
「母ちゃん、負けちゃったけど一生懸命やったよ」。自宅に戻った富井裕也は、仏壇の前に座って手を合わせた。母親は中学2年の時、病気で他界。小学4年から野球を続けてきた裕也少年が、野球で活躍するのを楽しみにしていた母だった。 多感な中学生時代。入院先の長岡日赤に父親と何度も見舞いに足を運び、快方を願ったが叶わなかった。父親の康雄さん(52)は「悲しさを野球に夢中になることで紛らわせていたようだ。野球があったから乗り越えられたんだろう」と話す。
チームではムードメーカー。今大会でも、落ち込みそうな選手に絶えず声をかけ、元気を与え続けた。渾身のヒット1本も打った。母の遺影を前に「最後の夏」を報告した富井。「津南高で野球ができて本当によかった。最高の仲間だったよ、母ちゃん」。