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2013年03月のねっとわーく

過去のネットワーク
福原 とも子さん 37歳 栄村秋山郷観光協会
 生まれも育ちも秋山郷。「出身は屋敷です」。19歳の時に小赤沢に住む4歳年上の清二さんと結婚。「実家から車で5分ですが、地区一番の都会に嫁に行きました」。子どもは男3人。19日に末っ子が秋山小を卒業。「感動しましたが自分の子が卒業した以上に、残った4人の在校生がどんな学校生活を送るかが気になります」。同小は秋山地区全120世帯余全員がPTA。子どもは地域で育てる意識が強い。「年配の方は1番の先生。親が見ている以上に子を地域の人が見てくれます。こんな温かい所は他にはありません。先輩たちのように、子どもたちを見守り続けたいですね」。秋山に生まれた子に願うこと。「この地域で育った自分に自信を持って欲しいですね」。

 7年前から秋山郷観光に関わる。「最初は急に頼まれて始まりました」。苗場山の登山情報、民宿紹介、紅葉状況など広報。ブログやツィッターでの発信も。「仕事を通し繋がりはどんどん広がっています。冬はスキー場にいるんですが、ウェブを見てわざわざ会いに来てくれた人もいるんですよ。ありがたいです」。昨年、マイカメラを新調。春からは新緑の様子など秋山郷情報を発信する。「カエデ類は新緑の時期、赤くなる『春紅葉』があるんです。2週間ほどの短い期間ですが、下手な写真ですが撮って春をもっとアピールしたいですね」。おすすめシーズンは5月の連休明けという。「山菜が一番美味しい時期。泊まれば山菜ごっつぉが必ず出ますよ」。5月には苗場登山も始まり、忙しくなる。

 高齢化が進む秋山郷。地元の婦人会では最年少。「Iターンでも、Uターンでも色んな人が戻ってくれば嬉しいです。ただ一番欲しいのは20代のお嫁さんかな」。
(2013.03.29)

渡邊 泰成さん かたくりの宿 31歳
 かつての小学校が温泉宿となり、情緒ある雰囲気が人気の『かたくりの宿』管理人となり4年目。「本当に津南に来て良かったです」。深い自然、今も残る昔ながらの民俗。「宝物がいっぱいだと実感しています」。今冬は除雪隊に入り、唯一の生活道路を守る仕事に一役。「雪庇落としの時、父と同じ世代の人や70歳ぐらいの人も10b余の崖なども平気でひょいっと登る。都市では考えられません。ワイルドな方たちと一緒に働かせて貰いました」。4月から宿の経営者に戻る。「宿を通し、この地域をもっと盛り上げたいですね」。

 元々は西の人間。「兵   庫の宝塚市出身です」。京都造形芸大彫刻学科を卒業後、長野・北アルプスの常念岳の山小屋で2年余勤務。お金を貯め、スペイン・バルセロナに留学。「若いアーティストたちに無償で貸してくれるアトリエがあるんです。そこで展覧会やグループ展を開いたりしていました」。2年半過ごした情熱の国で、パートナーの真紀さんと入籍。「日本大使館に2人で婚姻届を出しました」。スペイン語、英語も覚えた。「最初はまったく喋れませんでしたね。話す機会はありませんが、スペイン語の方が得意です」。その後インドに半年滞在。この時、今の職場から声がかかった。「日本に帰ったら、自然に囲まれて過ごしたいと思っていたんです」。帰国後、すぐに秋山郷に入り管理人に就任。地域住民を一番の先生に、日々学んでいる。

 苗場山や鳥甲山など名山、河岸段丘を作りだした中津川。北限と南限の植物が混在する植生。アカショウビンなど珍しい鳥。マタギ文化など、魅力が詰まった秋山郷。「うまくPRしてファンを増やし、大好きなこの地を元気にしたい」。
(2013.03.22)

竹中 想さん 32歳 まつだい農舞台
 道の駅まつだいふるさと会館わきにそびえる、現代アートの拠点・農舞台に勤め5年余。大地の芸術祭で取り組む『棚田バンク』の担当。都市住民、地元民らが協同し棚田を守るプロジェクト。「今は71枚の棚田を保全しています」。出身は世田谷区で、農業は素人からのスタート。「代掻きなどまったく知らず、地元の方にすごく怒られましたね。今はようやく作付けなどの流れがわかった気がします」。日本の里百選にも選出された、美しい棚田が残る松代地域。「地元の人が長年守ってきた歴史があり、今の景観があります。棚田を耕すことで、繋がりや文化なども耕すという感覚がありますね」。雪国の人柄と環境に魅せられている。

 日大芸術学部卒。専攻は絵画。卒業後、一時は服飾関係の卸問屋に就職。だが芸術に関わりたい思いから退職。芸術祭こへび隊に志願し、越後妻有へ。「世田谷では十日町の雪が毎年運ばれ、幼い頃遊んだ記憶があります。昔から縁があったんですね」。その後NPO越後妻有里山協働機構の職員募集があり、迷わず申し込んだ。「実は1回落ちたんです。諦めず次の募集があった2回目で合格しました」。望んでいた芸術に関わる仕事。「めちゃくちゃ、やりがいがありますよ」。農舞台スタッフとして「地元の方々も、もっと気軽に遊びに来てもらえるようにしたいですね」。日々美術史、民俗学などの本を手に取り、勉強に励んでいる。

 剣道4段の腕前。「体力には自信があり、今、役立っています」。昨年から室野の一軒家を借り、集落に仲間入り。地元青年会にも入る。「同世代が多く飲み会とか楽しいです。地域の話を聞くのも面白いですね」。ちなみにお嫁さん大募集中だ。
(2013.03.15)

草村 慶子さん 62歳 松之山
 絵を描くのが一番の趣味。中学2年時に美術教師に進められて以来、もう50年余。地元の愛好者が集う松之山美術同好会は所属34年目。「人物画が好きなんですが、風景画や静物画も描きます」。心を集中し、キャンパスに向かう時は何もかも忘れる。「人ならその人の生き様、風景なら大地の生命力、草花なら力強い生きる力を描けるるよう考えます。何もしなくていいならずっと描き続けられますね」。地元の特養ホームでの絵画ボランティアを月1回行い、入居者と共に筆を取る。「絵が苦手な人も没頭し、その生き生きとした顔を見るのがすごく励みになります」。お気に入りの題材は美人林、地元の茅葺き民家など。「津南にも行きますよ。三箇地内の豊船橋から見る信濃川の眺めは大好きです」。目標の一つは、十日町市展での市展賞だ。

 子どもと触れ合う職をと小学校教諭、保育士免許を取得。保育士で旧松之山町に就職。32年間務め2年前に定年退職。今は市教育センターの相談員。「不登校の子や保護者の相談を受けたりしています」。様々な悩みを持つ子どもたち。「独りで悩むのが一番よくありません。気軽に相談しに来てほしいですね」。大地の芸術祭にも興味があり、00年の第1回から協力。自宅近くのはなれを作家やこへび隊の宿泊所として無償提供したことも。「芸術祭は地域の繋がりを深めます。アーティストが入ることで、地域住民がより話し、より距離が縮まり、感性も高まる。今後も協力していきますよ」。

 子どもは4人、いつの間にか孫は6人。「子4人が揃った絵は昔描いたので、今度は孫全員の絵を描こうと思っています」。生まれ育った松之山、そして関わる人すべてを愛している。
(2013.03.08)

丘山 司郎さん 77歳 松之山
 「一言でいうと、変なオジサンです」。松之山に移住し9年目。車はもたず、携帯もない。冬の今、晴れた日は徒歩とバスで松之山スキー場に通う。「ありがたいことに元気です」。俳句、詩もたしなむ。東京松之山会の会報『カントリーポエム』の常連投稿者。「ファンもいると聞いています。嬉しいですね。毎日、退屈することは何もありません。寝る前も明日はいいことがある、といつも感じています」。心も体も健康。

 長年、英語教師を務めた。三条実業高時代はバスケ選手、インターハイベスト8にも輝いたスポーツマン。大学からの誘いもあったが卒業後は織物問屋に勤務。ただ学問したい気持ちが強くなり、1年で退職し上京。予備校に通う。「一番できなかったのが英語で、悔しくて勉強したのがきっかけですね」。青山学院大を卒業後に教師となり、最初の赴任地は津南の外丸中。「今も教え子たちが顔を見せてくれます」。安塚高校松之山分校にも3年間勤務。授業にオール英語の2分間スピーチを取り入れた。「英語はまず喋ることが大事。英語で俳句を作る授業もしましたね。世界では詩を学ぶ導入として、俳句を学ぶんですよ」。すっかり松之山が気に入った。「春の山菜、夏の山登り、秋のキノコ、冬のスキーなど自然が豊か。最後に住むならここかな、と」。学ぶ意欲も衰えず、65歳で中国・吉林省の大学で1年間の日本語教師に赴任。「英語というスキルは世界を広げてくれましたね」。

 信条がある。「自分がやりたいことは思った時にやらないと一生後悔が残る。チャンスは逃せばもう来ない」。大学進学、英語教師、海外赴任、松之山移住。すべて自分を信じた結果。そして辿り着いた幸福な日々。
(2013.03.01)


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