京都・福知山市出身。「未だに車は京都ナンバーです」。津南に来て4年目。「未だに悪い人と出会っていません。みんな気さく」。関東の友人と共に町内の寿司屋に行くと、たまたま地元蔵元の専務が後ろの席にいて話を聞き『遠くからよく来たな』と自社の地酒をおごってくれたエピソードも忘れられない。「人があったかいんです。落ち着きますね」。今は津南に家が欲しいと思うほど、すっかり馴染む。
元々はスノーボードをするため新潟にやってきた。「中学、高校はバスケ部だったのですが、スノボにはまって。高卒後はサラリーマンを3年間続けました」。だがプロボーダーをめざし職場退職。妙高市の全日本ウィンタースポーツ専門学校に進み、3年間しっかり技術を学び卒業。夏場に実家や横浜で働き稼ぎ、冬はスノボ中心の生活。「主にハーフパイプを取り組みました。28歳の時にプロ資格も取ったんですよ」。いまは競技の一線からは離れ、冬はスキー場スノーパークを整備する『ディガー』で活躍している。
津南との縁。「働いていたかぐらスキー場の職場仲間に、相吉の方がいたんです」。移住を誘われ、意を決し住居と職探し。「実は雪があればどこでもよかったんですが」。新規就農制度の紹介を受け、ユリ栽培の農事組合法人・友里に就職。「雇ってくれたことが嬉しくて、やっていたらいつの間にか楽しくなっちゃって」。健康的に焼けた肌。今ではすっかり農業者の顔。もともと風など自然環境を相手にするのがスノボ。農業とも繋がるものがあります」。
スノボ、バスケ、農業。津南に来て、仲間の輪はどんどん広がっている。「今後は町のイベントなどにも積極的に関わりたいですね」。