小学2年生から70代まで33人が教室に通う桑原習字教室。「地域の子どもたちが少なくなりましたね」。多い時は83人もが通った。一方で最近、一般の大人が少しずつ増えている。「もう20年以上も通って下さる方もいます。筆を持つことが楽しみになっているようです」。金曜と祝祭日以外、教室も開く。
高校から教室に通い、書道の専門学校へ進んだ教え子は、帰郷のたびに必ず顔を出す。「作品を持参し、あれこれと話してくれます。教室に通っていた頃のままの素直さで、アドバイスを聞いてくれます。その子が来春、津南に帰ると言っていました。嬉しいですね」。
6年前の中越地震。その震源地、旧古志郡東山村(現小千谷市南荷頃)の出身。「あの地震で実家は全壊です。壊れた家の片付けに行って以来、訪れていません」。新潟第一師範女子部(長岡師範)卒後、新任で当時の秋成小学校へ。伴侶と出会い津南の住人に。津南中などで国語を担当。師範時代に学んだ習字の実績から書道部顧問に。「教科や部活を通じて筆を持つ必要性が多くなり、勉強しました」。研修先で師範時代の恩師、中俣天游先生と再会。『やるなら本気でやれ』とアドバイスを受けた。
日本書道教育学会の創始者、石橋犀翠先生など著名な講師の合宿などに参加し、師範検定に一発で合格。「練習して、気がついたら夜中の2時になっていたこともあります。試行錯誤の連続ですね」。
雅号は「雅翆(がすい)」。教書本から課題を半紙に書き、毎週手本として受講者に渡している。「なんでもコンピューターで出来るようになりましたが、書は、そこに思いが入ります」。