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2010年09月のねっとわーく

過去のネットワーク
中島兼信さん 90歳 津南町小池
 今年2月の誕生日で満90歳。運転免許の更新に行ってきた。愛車は軽トラック、現役ドライバーだ。毎朝5時からのゲートボール練習に出かけている。「毎日というわけにはいかないが、週に1、2回は行っているかな」。63歳になったのを機に家業の農業すべて息子に引き継ぐ。「老人クラブに入って、誘われて仕方なく入った」ゲートボールクラブ。その出会いが、それまでの生き方を変えるきっかけになった。
 

 3年前、妻に先立たれてから、ゲートボールを通じて知り合った友だちのありがたさを感じている。「この地区でも皆がやっていたが、みんな止めてしまった。今も続いているのは、我が師である半戸さんのおかげだな。勝敗にこだわるやり方では続かないと言われ、人との出会いを楽しむようになった。おかげで楽しい仲間がたくさんできた。だからゲートボールが楽しい。皆さんのおかげだね」。 
 

 厳しい戦火を5年間経験。東南アジアの9ヵ国を転戦。昭和22年に復員。「あの戦争は何だったのかなー」。侵略戦争と言われると、素直にうなずけない。復員の年末、27歳で結婚。「当時は当たり前だったが、顔も知らない相手同士の結婚だった」。60年間、苦楽を共にした妻・静江さんを3年前、肝臓ガンで亡くす。結婚当時、1・3fを耕す。旧上郷村では2番目の耕作面積だった。「この急坂を馬を引いて登ったんだが…。余りにも農業が変わりすぎたな」。
 
 父親の豊吉さん、自分、息子の一具さん、3代に渡り酒とは縁がない。「今の農業、どこか何かが欠けている。こんな農政では、米の作り手がいなくなってしまう」。米づくり一筋の農民魂が健在だ。
(2010.09.24)

半戸義昭さん 62歳 ゲートボール監督
 5年前から開く「もちつきゲートボール交流会」。今年も11月13、14日に一回目を開く。「昨年まで2回開いていたが、今年は3回開くことになるかもしれないな」。津南産の美味しいもち米でつく「もちつき」。年々交流の輪が広がっている。県内はもちろん東京、群馬などから一回に60人ほどが参加する。「いやー、楽しいですよ。一泊の予定だからゆったりできます。お昼にかけて餅つきです」。すっかり「年末は津南で餅つき」が各地のゲートボール仲間の合言葉になっている。
 

 始めたのは40代。「そうですね、当時は一番若かったですね。すっかり面白さにはまってしまいました」。現在は指導員、監督として町内チームや選抜チームを全国へと導いている。これまでに北海道、山口、四国での全国大会に出場している。津南の選抜チーム女子「ビューティ津南」、男子「山伏」を引きつれ、毎年全国をめざしている。


 メンバーには「90歳の現役選手」もいる。雪消え後から10月末まで、晴れた日は毎日朝5時から城原グラウンドで朝練習している。90歳のメンバーも毎朝.軽トラを運転して駆けつける。「あの人は80歳になってから、とても上手になりました。見習いたいですね」。


 中子の池は、子どもの頃は遊び場だった。「夏を泳ぎ、魚釣りをした。妙法牧場へ行く途中なら見る風景画好きですね」。日本とは思えない田園風景が、眼下に広がる。その対岸に桜が植えてある。その桜が春に開花、その風景を求めカメラマン多数が訪れる。「すっかり名所になってしまった」。雪消えの時期により、微妙な風景を見せる。「中子の池、何度見ても、いい景色だ思いますね」。
(2010.09.17)

中沢正市さん 70歳 津南町十二ノ木
 9月16日と17日は、生涯で忘れられない日だ。昭和36年、日本に大きな被害をもたらした「室戸台風」。3歳で父を、19歳で母を亡くした正市さん。早くから中沢家の大黒柱として働いた。21歳になって6日しか経っていなかったあの日。「忘れられない日です。16日に室戸台風の直撃を受け、家の屋根を飛ばされた。近所の屋根も飛び大変だった」。その翌日、実は結婚式だった。「どうすると聞かれましたが、計画通り教会で式を挙げました」。正市さんは18歳で仕事先の親方の進めもあり、洗礼を受けた。5歳上のカトさんは十日町市土市生まれ。「あれから来年で50年。本当に早いもんですね」。
 

 きょう10日が70歳の誕生日。若くから職人の道に入った。「指物師(さしものし)」と呼ばれる家作りで技を求められる職人。居間の書院や欄間など、家に趣ある雰囲気を作り出す和の世界を演出するのが指物師の仕事。「菱形の書院などいろいろ作った。親方たちのおかげで職人としてやって来られた」。60歳での定年退職。その後始めたゲートボール。「おかげでいろいろな友だちができた。毎日が楽しいですよ」。ねんりんピック全国大会で水戸へ、ゲートボール全国大会で四国・徳島へと出場している。
 

 70年の人生で実は8回入院している。4年前、胃ガン手術を受ける。術後が長引き75日間入院。だが「毎日のように友だちが顔を見せてくれた。おかげで前向きにいられた」。退院後、知り合いから「お前、本当に入院してたんか、と言われるほど元気でした。皆さんのおかげです」。高校生の孫たちに囲まれ、日々を送る。「今が一番しあわせだな。お前には心配かけ通しだったな」。来年、金婚式を迎える。
(2010.09.10)

鈴木チヨさん 70歳 津南町船山新田
 姉弟は6人。「私は四女です。下が待望の長男で、その下が五女です。皆が元気な頃が懐かしいですね」。13歳離れた兄妹。すでに長女と次女は鬼籍に入ってしまった。その唯一の男である長男は、昨年の衆院比例区で国民新党から出馬した反り目国さん。全国特定郵便局長まで努めた。「あの時はびっくりしましたね。小さい頃は女の姉妹に囲まれていたせいか、親が男の子の物を買ってやるのに、女の子の物を欲しがりましたね」。6人姉弟、懐かしい思い出がいっぱいだ。
 

 津南町農協退職後、いろいろな頼み事が持ち込まれている。アスパラ収穫のアルバイトもその一つ。5月中旬から夏採りの9月20日頃まで行う。真夏の炎天下、人の背丈ほどに伸びたほけたアスパラの下に夏採りはある。それを中腰で収穫。頭と顔をすっぽり覆うため、汗の量が違う。ひと畝が百bの畑もある。「午前中の収穫ですべてを着替えますね。でも、収穫を終えて顔を出した時、心地良い風が吹くと、なんとも気持ち良いですね」。


 同じ汗でも、ゲートボールの汗は緊張感の汗。先日29、30日、燕市で開かれた全国出場をかけた県大会に出場。惜しくも3位。所属の「ビューティ津南」が過去2回全国出場し、4年前の山口大会では3位となった。個人的には3回全国出場している。「大会で顔見知りになった人たちと再会できると、話も弾みます」。
 

 孫たちからは「ばば」と呼ばれる。松代小学校勤務の長男夫婦の子が2人、町内に暮らす次男夫婦が2人の孫。「本当に孫は可愛いですね」。歌の通りを実感している。今週末、船山新田の祭り。「また皆が集まります。賑やかですよ」。
(2010.09.03)


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