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2010年03月のねっとわーく

過去のネットワーク
小林美久さん 24歳  十日町市中条中学
 上空3千bからの落下。「最高に気持ちいいです」。セスナ機から飛び降りるスカイダイビング。大学4年の卒業旅行で、兵庫の飛行場で友だちと初体験。「今度は5千bから飛びたいですね。国内ではできないので、機会を見つけ、ぜひ外国で飛びたいです」。
 

 保健体育の教諭をめざしている。大学卒業後、新卒での教員試験チャレンジは、残念ながら。中学、高校の教員免許を生かし、十日町市立中条中学で学習指導助手を務める。4月から3年目に入る。高校免許も持つが、「中学がいいです。中学3年間は、一番生徒が変化する時期で、子どもたちの成長を間近で見られ、体験できます。この一番多感な時期である中学の先生になりたいです」。
 

 12月末から3月中旬まで、休日なしの状態だった。中条中学ではクロカン部を担当。毎週のようにスキー大会があり、22日が「今月初めての休みでした」。クロカンは自分も小学時代から中学、高校と取り組んだ。「好きなことに取り組む、クロカンが好きで取り組んでいる子たちです。続けることの大切さを、生徒には体験してほしいです」。部員とは友だち感覚。「いろいろな相談も受けます。その信頼関係が嬉しいですね」。
 

 教諭をめざす理由のもう一つ。「この地域で暮らしたいですね。この自然が好きです。特に山が好きです」。十高時代の部活。夏のトレーニングは毎週のように山登り。「南魚沼の山は、ほぼ登りました。富士山、鳥海山、白馬などによく登りましたあの頃の体験が、今に通じています」。大学時代、壁を登るクライミング、ヒップホップダンスにも取り組む。「何事にも正面からぶつかっていく、そんな先生になりたいです」。
(2010.03.27)

江村祐介さん 24歳 津南中学校講師
 毎日、中学生と向き合う中で、ますます思いを強くしている。「難しい世代ではありますが、教えたことが素直に跳ね返ってきています」。08年4月から講師として母校の津南中学の赴任し、2年間が過ぎ、「教師になりたい思いが、学生時代より強くなっています」。新潟県の教員採用枠は狭い。4、5人の採用に150人前後が応募しているが、「教えたことが出来た時の生徒の笑顔。これをずっと見続けられる人生を送りたいです」、現場を経験し、教師への熱き思いは、さらに熱くなっている。
 

 中学時代、出会いがあった。体育の大島誠教諭。今は十日町・吉田中。2年から初めて陸上短距離。ハードル競技に挑戦し、3年の時、長崎で開いた全国大会出場。『どうだ、体育の先生にならないか』。大島先生の言葉が、高校時代、大学時代のベースとなり、今に通じている。その短距離、100bのベストは11秒6。
その高校時代の短距離仲間と今年5月、長岡市陸上競技場でも中越選手権に、後輩ら4人と共に100b×4人のリレーに出場する。「まだ学生の後輩もいますが、今は個々に練習しています。どうなるでしょうか」。中学の体育授業などでランニングしており、100b11秒台を維持している。


 最近始めたことがある。アコースティックギター。「まだ数ヶ月です。気晴らしですね。気持ちの切り替えになります」。なかなかギターを手にする時間はないがリフレッシュになっている。「ちょっと気になることがあると、どんどん挑戦していきます。自分の可能性は、いろいろやってみないと見つけられませんから。すべて挑戦あるのみ、ですね」。日頃、生徒に話している言葉でもある。
(2010.03.20)

小坂井祐子さん 24歳 三箇小学校養護教諭
 25日は卒業式。創立120年の三箇小にとって最後の卒業式。その最後の最後に校歌を歌う。そのピアノ伴奏を担当する。「昨秋の閉校式でも伴奏しましたが、最後は涙で譜面が見えなくなりました」。卒業式で子どもたちが歌う「旅立ちの日に」、子どもたちオリジナルの歌詞が入る。この曲も伴奏する。「緊張しますが最高の思い出になるようにしたいです」。


 見附市生まれ。幼稚園時代からピアノ、小学1年から日本舞踊(花柳流)、習字を習い3段取得。「何でもやりたがったようです。日舞は祖母がやっていましたから」。一転して中学3年間は陸上長距離。高校では茶道。ここで進路を決める出会いがあった。「茶道部の顧問が養護教諭でした。何でも相談でき、とても影響を受けました」。恩師の小野塚博子先生とは今も交流する。大学では養護教諭カリキュラムと共に栄養士資格への教科も取り、「毎日ぎっしりの授業でした」。栄養士資格が給食だより作りに役立っている。養教の初任地の三箇小。「この2年間で三箇が大好きになりました」。
 
 昨秋の閉校式で学校脇にタイムカプセルを埋めた。皆が20年後の自分へのメッセージを書いた。「もう一つ秘密の物を入れました。20年後の8月、皆で集まるのを楽しみにしています」。教職員皆が何役もこなす。見やすく楽しい毎月の給食だより、子どもたちの学校生活の記録写真など担当。「本当に素直な子どもたちからこの2年間、私は多くのものをもらいました」。
 
 今月28日、全国リコーダー大会に出場する三箇の子たち。「初任地がこの三箇で良かったです。一緒にカラオケに行く友だちも出来ました。三箇のことは忘れません」。
(2010.03.13)

貝沢明日香さん 24歳 県立六日町病院看護師
 オギャーと生を受けた瞬間から、静かにこの世を去る最期まで、人の一生に毎日関わっている。県立六日町病院の内科、小児科、産婦人科の病棟を担当。中学時代に決めた進路、看護士となり4月で4年目に入る。『おまえには無理、やめたほうがいい』と両親に反対され、なおもめざした看護士。「あの時の親の言葉が分かってきましたが、だからこそ、やりがいでもあります」。笑顔が回りの雰囲気をパッと明るくする。「おまえさんが来ると元気が出る、などと入院されている方から言っていただくこともあり、こちらの方が元気をもらっています」。
 
 両親とも看護士。父・藤男さんは県立十日町病院の看護士だった。骨髄異型性症候群を発症し、骨髄移植を行うが平成18年4月3日、家族に看取られ他界。48歳の若さ。「私が20歳の時です。看護士になり、自分の希望を血液内科と書きました。お父さんが苦しんだ所です」。自分にできることはと骨髄バンクに登録。「多くの人がドナーを待っています。皆さんもご協力を」。
父が亡くなる前年に求めた愛犬レオ。「交通事故に遭い、歩けなくなりました」。だが友人特製の歩行具で前足だけで歩く。「レオも頑張っています。自分もと思います」。看護士に就き、両親のすごさを実感している。「両親を尊敬しています」。母・真由美さんが、良き先輩であり相談相手だ。
 
 いま沖縄の海に夢中。2年前、初めてスキューバーダイビングに挑戦。「青い世界、どこまでも見通せる透明感、世界観が変わりました。今年も行きたいです」。週に一度は家に帰る。「三箇大好きです。ほっとしますね」。 
(2010.03.06)


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