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2010年02月のねっとわーく

過去のネットワーク
滝沢彩乃さん 24歳 中島歯科医院
 カップルの門出、結婚式のすべてプロデュースするブラダルプランナーとして3年間、新潟市の「ブライダルステージDuo(デュオ)」で、ふたりの晴れ舞台を企画、演出全般を担当した。「3年間で100組ほど担当しました。長い場合は1年前から、式全般についての取り組みが始まります。二つとして同じ式はありませんから、感動あり、クレームありなど、本当にいろいろでした。とても良い経験になっています」。式を担当したカップルの中には、今も交流する組もいる。
 

 高校一年の時、5歳違いの姉の結婚式が、Duoで開かれた。「いいなぁー、という感じと共に、とても感動しました。それがブライダルプランナーへの道でした」。国際エアリゾート専門学校でブライダル全般を学び、希望通りDuoに就職。だが、早朝から深夜まで時 間が不規則となり、「自分の時間が全くといっていいほどないのと、いずれ津南に帰ろうと考えていましたので」。昨年5月津南へ。両親との3人暮らしが始まっている。いまの中島歯科医院では、受付と歯科診療助手を務めている。


  大の温泉好き。「津南に帰って、この地域の温泉はすべて行きました。松之山温泉が気に入っていますが、毎日行くのは津南駅のリバーサイドです。温泉はリフレッシュにいいですね」。友だちと行くが、ひとりでもよく行く。これから行きたいのは日光の温泉地。クアハウス津南のトレーニングマシンにも挑戦したいという。
 これから結婚式をあげるカップルへ。「自分たちのこだわりを大切にし、安易に妥協しないほうがいいです」。自分のブライダル計画は、「そうですね、30歳までには結婚したいです。いつも自分が素でいられる人がいいすね」。
(2010.02.26)

桑原光希さん 23歳  十日町地域消防西分署
 高校3年の時に聞いた救急講座で、「この仕事を」と進路を決めた。東京の専門学校卒業後、採用3人に100人の応募があった十日町地域消防の消防士試験を受ける。高倍率の難関を突破。今春4月で3年が過ぎる。「高校の時に聞いた救急講座は、退官した消防士の方の講義でしたが、かっこよかったですね。実際に消防士となり毎日が勉強です」。
 

 専門学校時代に中越地震、就職後、消防学校での研修期間中に中越沖地震が発生。「ちょうど2回ともその時、東京に居ました。中越沖地震の時は、消防学校の全員が柏崎へボランティアに行きました。現場の大変さを学びました」。研修後、本部に配属。その後、津南の南分署、昨春から川西の西分署に勤務。分署長以下16人の3交代勤務。「春になると多発するのが山火事です。一日に2、3回発生したこともあります。春先は充分な注意が必要です」。
 

 中学、高校の6年間、柔道に取り組む。現在2段。津南町柔道スポーツ少年団の指導員を務める。毎週2回、勤務後、小学生から高校生まで20人余を指導する。「子どもたちと一緒にやることは、楽しいですね。自分のリフレッシュにもなります」。毎年7月に開く県消防救助大会にも出場している。「署内選抜があります。春から訓練が始まります。その時期に合わせて体を作っていきます」。
 

 小学時代からデッサンが好きになり、人物画などを描いている。特定の人ではなく、イメージしながら描いていく。「ピカソが好きですね。なかなか本物を見ることはできませんが、いずれは本物を見たいですね。どちらかというと抽象画が好きです」。三兄弟の長男。「三人三様です」。
(2010.02.20)

石橋祐太さん 十日町地域消防本部 22歳
 今月23日まで県立十日町病院で実施研修に取り組む。救急外来や外科外来、病棟などで医師や看護師の指導を受けながら、患者と接し、医療現場を身をもって体験。点滴実習も行う。研修は1ヶ月余り続く。昨年4月、十日町地域消防本部に採用され、消防士の第一歩を踏み出している。
 

「人の命に関わる仕事がしたい」。高校時代、進路を考える中で、歩む道を決めた。「最初はドクターをめざしましたが、これは無理と感じ、消防士をめざしました」。だが、最初のチャレンジは、はじき出された。先生のアドバスイなどから救急救命士を知る。「どういう仕事をするのか、その時は知りませんでしたが、救急医療の最前線で働く仕事を知り、専門学校へ進みました」。


 新潟医療技術専門学校で3年間みっちり学ぶ。3年の卒業間近に国家試験を受け、合格発表は採用後の4月中旬。「専門学校で学んだことは基本でしかないという事を、現場に出て痛感しました」。半年の消防学校での研修後、本部に配属。初出動は幼児が誤ってコインを喉に詰まらせた現場。だが、心配停止状態の事故負傷者への出動は、現場の重さを知らされた。「学んだ事が、実際の心配停止状態の人を前にして、やるべきことが頭からなくなっていました。先輩の指示でなんとかできましたが、自分が情けなくなりました」。先輩たちが通ってきた道を体験。
 

 過酷な業務とリフレッシュするのがラフティング。昨年5月、利根川の上流、水上で初体験、以来50回ほど体験。「川の救急専門のレスキュー3の人や元日本代表の人など、新たな出会いが広がっています。ライフセービングもやっていますが、もっと実体験を積んでいきたいです」
(2010.02.12)

桑原令子さん 75歳 津南町陣場下
 この人の声に、お世話になった人は数知れないだろう。昭和42年から津南町役場の電話交換オペレーター(交換手)を務め、役場庁舎新築後も『はい津南町役場でございます』と明るい声でつないでくれた。「有紐(ゆうひも、電話をつなぐジャック)の頃は本当に忙しかったですね。当時の十日町電電公社管内で、津南町役場の交換手は2番目に大変だと言っていました。懐かしい時代ですね」。退職後も管財担当で5年ほど勤務。村山正司氏(故人)、石沢九十郎氏、現職の小林三喜男氏の3代の町長に仕えた。
 

 パートナーの務さんは、新潟県農業普及改良所など農政畑を歩み、糸魚川市にある西頚城農業改良普及所長で退職。「技術者ですから、几帳面の人です。記録をしっかり取ります」。務さんは10代で洗礼を受けたクリスチャン。「桑原家は代々、熱心にお寺様を信仰しています。でもお父さんは、自分の時はこうしてくれと、資料をまとめているんですよ」。芦ヶ崎出身。6人兄妹。男1人の5人姉妹。「弟は56歳で他界してしまいしましたが、姉妹は皆おかげさまで元気です」。昨年の母の三回忌で久々に全員が合わせた。
 

 静岡にいる看護師の長女。これまで毎年夏休み、その子たちが来ていた。「夏休み中いるんですよ。孫たちといると楽しいですね。でも今年は小学6年になり、来れないようです。ちょっと寂しいですね」。だがパソコンでメール交換している。夫婦個々のパソコンを持ち活用している。4年前に家族の仲間入りした三毛猫のミーコ。「よその人が来ると、押入れに入って出てこないんですよ」。暖房機前の手作りのキルトマットが指定席。「動物は癒しの種ですね」。
(2010.02.05)


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