4年前の5月。「初めて飛行機に乗った。80を過ぎて、まさかこんな良いめに会うとは思わなかったな」。20年余り務め、今の時々、声がかかる温泉宿・雪国の年一度の家族旅行で北海道に行った。若い頃、親しんだ短歌で、その時の思いを詠っている。『筆舌につくせぬおもひ胸におき初の飛行機雪国の旅』。雨だったが、雲の上に出ると太陽が眩しかった。「本当に、良い想い出をいっぱい作ってもらった」。長年の経験で作る幸枝さんの「赤飯」と「五目御飯」は評判だった。その味は今も受け継がれている。
戦後まもない昭和25年。出征経験を持つ夫・金松さんは、戦争の後遺症か、病弱気味で入退院を繰り返し、平成2年に他界。ひとり息子を大学まで出し、大手企業で働く。「冬はお互いに心配なんで、帰らなくていいと言っているが、春夏秋と来て、畑仕事や家の周りの片付けなどをしてくれるが、それ以上に近所や地域の人たちに助けてもらっている。この間も秋成の消防団の人たちが、家に入る道路の除雪をしてくれた。本当にありがたいことだて」。
秋成地区では、「ひまわり会」が毎月1回、公民館で集いを開き、昨年9月からは毎週1回、「健骨体操教室」を公民館で開く。「世話になってばっかりで」と感謝しているが、幸枝さんも恵福園へのボランティア活動に毎月参加している。「幸い足が丈夫なんで、ちょっとはお手伝いになると思って」。
日記代りに家計簿を毎日つけ、他にも新聞やテレビ、ラジオなどで気になった言葉や思いを「雑記帳」に書く。「独り言だな」。もう何十冊にも。毎年の年賀状、一枚一枚、毛筆で書く。「冬はやることがないからな」。