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2009年09月のねっとわーく

過去のネットワーク
関谷博美さん 津南町割野(須坂市出身)
 母が自分を育てたように、我が子も、そう育てている。「下の子は、まだ母乳です。あと半年くらいでしょうか」。長男も1歳半まで母乳で育て、3歳までしっかり育てた。次男は1歳。「この子も3歳まではしっかり見ます。上の子の時もそうでしたが、お腹にいる時は、早く保育園に出そうと思っていましたが、実際に子どもと毎日関わると、もう可愛くて、ですね」。今春、長男は保育園入園。「泣いて、行くのを嫌がると思っていましたが、『いってきまーす』と出かけて行きました。嬉しいのですが、ちょっと寂しくなりましたね」。
 

 社会人まで実家の須坂市を離れたことがなかったが、結婚を機に津南暮らしが始まった。栄村生まれの治さんとは、中野市での男女混合バレーボールチームで出会った。治さんの職場は十日町。「通勤にいいかなと津南に決めました。雪は多いですが良い所ですね。地域の皆さん、いい人ばかりです」。だが、6年前に暮らし始めた当初、知人、友だちは一人もいなかった。「ダンナは仕事。一人ぼっちで寂しかったですね。でも長男が生まれ、すぐに町の子育て支援センターに行き、それから友だち関係が広がりました」。朝6時前に家を出て、帰りは夜9時頃の治さん。「子どもたちと会うのは寝顔だけですね。でも、家族のために頑張ってくれています」。
 

 この連休、須坂に帰ってきた。久々の孫たちに須坂の両親も大喜び。「もう少し子どもたちが大きくなったら、またバレーボールを始めたいですね。それにママ友との飲み会も」。結婚前、病院で医療事務職として働いていた。「そうですね、できれば資格を生かし、また働きたいです」。
(2009.09.25)

桑原歩美さん 上村病院看護師 28歳
 9回ツーアウトからの驚異的な粘りで1点差まで攻め寄った日本文理高。この夏、甲子園を、新潟を暑くさせた高校野球。「もう感動でした。私を新潟県民にしてくれてありがとうと、ダンナに言いました」。あの日、病棟のどのTVも決勝戦に釘づけ。帰宅後、頼んでおいたビデオを見て、またまた感動。「高校野球大好きです。あの一生懸命さ、次の何が起るかわからないドラマが待っている、最高です」。
 

 福島市出身の両親が、埼玉時代に暮らした八潮市生まれ。「人と関わる仕事、一生関われる仕事を」と看護師をめざし、戸田中央医療グループの看護学校へ。ここで津南町民となる出会いがあった。「お互い学生同士で、共通の友だち仲間での合コンでしょうか、知り合ったのは」。卒業後、横浜市にある同グループ病院に勤務。夫・良明さん、「誠実で優しい人です」と津南行きを決め、同時に現在の上村病院へ。結婚の前年、初めて津南を訪れた。「トトロが出てきそうな町が第一印象でした。自然がいっぱい、良い所ですね」。
 
」 八潮市時代、中学、高校の6年間、吹奏楽部でトロンボーンに取り組む。部員50人前後で吹奏楽コンクールにも出場。横浜時代の病院でも音楽部に入り、今の上村病院音楽部にも所属。だが、来月で2歳になる長男が誕生する9日前、義母は急死。仕事、家事、子育てと、時間に追われる日々。「音楽部は休止状態です。でも最近少し時間で出来るようになりました」。 11月初め、楽しみしているライブがある。大好きな女性ソロ「Superfly」ライブが新潟県民会館であり、友だちと行く。「パパが子どもを見てくれます」。着メロにし、時には自分でも歌う。
(2009.09.18)

江口紗綾さん ゆり栽培  十日町市干溝
 小学時代から生物が好きで、そのまま大学へ進み、筑波大で植物遺伝学を専攻、トマトの遺伝子組み換えなどを研究。さらにそのまま現場志向で、実家でユリ栽培に取り組む道を決めた同大学の学友、裕(ひろし)さんと出会い、そのままパートナーとなる。いま毎日、津南町沖ノ原の畑に通う。「小学校の時に思った方向に、そのまま進みましたね。子どもが保育園に行き始めた今年4月からが、私にとっての本格的な農業です」。


 結婚4年目。まったく雪を知らない静岡・磐田市生まれ。初めて津南に来た冬が、あの18年豪雪。「家の周りに雪が一面に降ることなど、見たこともなかったですから、えーッという感じでした。あの雪を経験してから、もう雪は大丈夫です」。磐田というとサッカーのジュビロ磐田。「あのゴン中山さんと同じ美容院に行っていました。最近はあまり成績がよくないですが…」。裕さんも高校までサッカーに取り組む。新潟に来てからアルビレックスVSジュビロの試合は、ふたりの間に熱が入る。
 

 ユリ栽培はまだまだ初心者。「師匠は彼です。厳しいですが、優しいです」。裕さんの父は法人経営で大規模ユリ栽培。別に独立事業で取り組む2人のユリ栽培。7月から10月のシーズン中、18棟のハウスで約4万本を出荷。将来は6万本をめざす。「大変ですが、面白味がありますね」。理系の探究心がうごめく。
3歳からピアノを学び、中高時代は吹奏楽部でフルート。子育てと仕事、1歳10ヶ月の長女・奏音(かのん)ちゃんがもう少し大きくなったら、「一緒にピアノをやりたいです」。ミシン裁縫や編み物で子ども服を作る。「この服も作りました」。
(2009.09.11)

小野塚あゆみさん 28歳 町立津南病院看護師
 介護福祉士でありケアマネージャーである母の働く姿を見てきた。「小学校の頃からでしょうか、看護師になろうと思ったのは。中学、高校とそれ以外は考えませんでした」。高卒後、埼玉医大短大で看護師をめざし卒業後、同大付属病院、さらに東京医科歯科大付属病院などを経て、町立津南病院へ。外科外来を担当。朝8時半から翌朝8時半までの24時間勤務の当直もあり、1ヶ月サイクルで勤務シフトが決まっている。
 

 小学校の登校班の先頭で下級生をリードした先輩と結婚。「驚きでした。3歳違いですから、小学校以来はほとんど話しなどしていませんでしたから」。運命的な再開でもあった。1歳10ヵ月の長女と家族3人で十日町市でアパート暮らし。「大変ですが、この時間も大切だと思います」。民間の営業職の夫・宏さんの存在が大きい。当局勤務の時は、食事、お風呂、寝付かせるなど、すべてを行う。「子どもができる前から協力的でしたが、子どもができてから、さらに協力してくれます。すごく感謝しています」。上段の実家による時は、長女はおじいちゃんとお風呂に入る。
 

 体力が求められる看護師。中学から高校1年の足を負傷するまで陸上短距離に挑む。「今はスポーツなどの時間はありませんが、育児のストレスは仕事が癒してくれ、仕事のストレスは家族が癒してくれます。夜、川の字で眠る時、あー幸せだなーと感じますね。こういう幸せを感じなれることは、自分が恵まれていることと思います」。 仕事で心がけていることがある。「外来はその時その時ですから、笑顔での対応を心がけています」。不安いっぱいで訪れる病院。看護師さんの笑顔に救われる。
(2009.09.05)


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