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2009年02月のねっとわーく

過去のネットワーク
高橋寛奈さん 北里大保健衛生専門学院3年 23歳
 朝が苦手だ。そこで登場するのが「くぅ」。コーギーの2歳。「布団の上に乗ってくるんです。重くて、目が覚めてしまいます。親に起こされると、怒ってしまいますが、くぅだと怒れませんね」。ちょっと太めのくぅ、クリクリの目が愛らしく、短い足で後をついてくる姿は、家族の話題の中心だ。
 

 通学時間は約1時間半。魚沼市の北里大学保健衛生専門学院に通う。「冬はちょっと大変ですが、朝7時半に家を出れば、講義に間に合います。家からの通学の方が安心ですから」。毎日の車通学。「通学より朝起きるのが大変です」。
 

 2歳上の姉は、町立津南病院の看護師4年目。「姉の影響もありましたが、自分に与えられたチャンスに、チャレンジしてみようと思いました」。短大の英文科卒業後、北里大にさらに進学。4月から4年になり、第一目標の看護師、さらに保健師の国家試験へのラストスタートに入る。「病院を訪れる人は、特に入院される方は不安いっぱいだと思います。その不安を少しでも癒されるような看護師をめざしたいです」。1年後には、看護師と保健師の資格試験を同時に受ける。ほぼ同じ時期に2つの試験があるが、保健師は、看護師合格が前提となる。さらに専門の勉強をして助産師をめざす。「勉強は大変ですが、与えられたチャンスを生かしたいです」。
 

 3歳から高校3年までクラシックダンスに取り組む。「高校でやめましたが、とても良い経験をしました」。
動と静の世界。これからの医療の世界にも通じること。「やはり現場から学ぶことは多いです」。くぅも応援している。
(2009.02.27)

桑原美香さん 17歳 十日町高2年
 近所の小学生と保育園児の元気いっぱいの姉妹が時々、遊びに来る。「あの子たちのおかげかもしれません。将来は保育士になりたいと思っています」。進みたい進路を決めている。「子どもが大好きなんです。あの元気さがいいですね。そういう環境の中で仕事ができればいいと思っています」。地元志向だ。「できれば、津南で働きたいです」。
 

 3年前に家族の仲間入りしたトイ・プードルの「ぷー」ちゃん。モコモコ毛が可愛さを増し、愛嬌たっぷりの仕草で、お客さんを歓迎してくれる。「ちょっと骨太なんです。小さい頃は、ほんとにぬいぐるみでしたね」。学校から帰ると、全身で喜びを表し、迎えてくれる。「可愛いですね」。家では何かにつけて話題を振りまいてくれる。 
 

 来週から期末テスト。「早いですね1年は。4月から3年です。いよいよ受験です」。保育園から初めたジャズダンス、スタジオJ&Aに昨年末まで通った。テストが迫り休んでいたが、「また始めようと思っています。体を動かすのは気持ちいいですから」。人気のヒップホップ系にも関心がある。「やってみたいですね」。中学時代に英検3級を取得。「そうですね、英語をもっと勉強したいです」。
 

 将来も津南で暮らしたいと思っている。「実は冬は嫌いなんです、寒いから。でも、津南はいい所だと思います。このままの津南でいいと思います。あまり不自由は感じていません」。保育士になるための情報も集めている。目標とする保育士は、「子どもたちに人気で、やさしい保育士さんになりたいです」。4月から3年生。いよいよ進路、進学モードに入る。「2年の時が一番楽しい次期かもしれません」。
(2009.02.20)

中村和弘さん 45歳 理容室ヴィーナス
 店名の「VENUS」は、「ヴェナス」や「ヴィーナス」など色々な読み方がある。昭和33、34年頃に父・順一さんが東京から帰り開店。その父は、俳優・嵐勘三郎の付き人をしていた。「親父は俳優をめざして、東京に行き、嵐勘さんの付き人をしていたが、『お前は向いていない。手に仕事をつけた方がいい』と言われ、床屋になったようです。店の名前は星の名なんですが、嵐勘さんが考えくれたようです」。42歳で亡くなった父は、一度もそんな話はしなかったが、同じ理容師の母から聞いた。
 

 4歳違いの姉は、小学4年の頃から父の手伝いをしていた。「姉が後を継ぐのかな、と思っていた所、高校卒業後、進学、先生になっちゃいました。俺が継ぐのか…、でしたが、親父は『手に仕事をつけろ』が口癖でした」。父は中学1年の時に急逝。母が店を続けた。高卒後、理美容師専門学校へ進む。東京で修行中、今度は母・八寿子さんが急死。職場から引き止められるが、津南に帰った。25歳の時。「母には30まで帰らないと言っていたが、あの時、帰らなければ、きっと今、ここにいないでしょうね」。父の思いが込められたヴェナスが引き寄せたのかも。
 

 小学2年と保育園年中の娘2人。家族で年間通じてキャンプしている。川遊び、スキーなど。「自分たちの子ども頃は、クギ刺しなど地球相手の遊びばっかりだった。これだけの良い自然があるんだから、なんでも体験してほしいね」。小学4年の時、友だち2人で自転車で沖ノ原でキャンプしたことも懐かしい思い出。「柔道、剣道、空手の有段者だった親父は厳しかった。友だちの一緒に叱られたな」。わが子の言葉使いや悪い行いには「ケツをピシッですね」。
(2009.02.14)

桑原加津夫さん 45歳 ニューGP津南フロント
 都心から距離的にも時間的にも「旅感覚」を満たすリゾート地として人気を集めているニュー・グリーンピア津南。昭和60年冬オープンからすでに24年。そのオープン翌年から職員として働く。「当初はファミリー層が多かったですが、最近は団塊世代の退職などの関係で、シルバー層が多くなっています」。ニュー・グリーンピア津南は、東京都の各区や民間などと保養所契約を数多く結び、ファミリー層やシルバー層の誘客に取り組んでいる。
 

 喜ばれるのは、津南に来て『津南らしい体験』ができること。「少しづつ始まっていますが、津南の伝統食や手工芸品体験など喜ばれています。連泊が多いですから、滞在中、色々なメニューが求められ、今後の課題です。地域方々と連携し、様々な体験や津南の歴史や文化にふれる機会を作れたらと思います」。地元の人が観光ガイドとなるニュー・グリーンピア津南のオリジナル「ふるさと案内人」が好評だ。さらに、「バスで来られたお客様は、こちらでの自由行動の時など、レンタカーを求める方もおられます。わざわざ湯沢まで借りに行く場合もあります」。地元でのレンタカー取り扱いも課題のようだ。
 

 グリーンピア津南が開業し、地元は大きく変わった。「まず道が良くなりました。集落内に別荘ができたり、これもグリーンピア効果でしょうか」。入社後、3年ほど東京のグリーンピアをまとめる事務局勤務の経験を持つ。系列の北海道・大沼や鹿児島・指宿にも出張した。海釣りやゴルフが趣味だが、「なかなか時間がありません」。「お客様が笑顔で帰っていただけるような対応を心がけています」。フロント担当5人。真心をこめて対応している。
(2009.02.07)

樋口浩さん 46歳 ニュー・グリーンピア津南
 交通の難所、国道353号十二峠道路。「今のように道幅が広くなく、一本道だった。冬は特に大変だった」。グリーンピア津南は昭和60年12月開業。当時22歳。千葉・船橋市の自動車会社から転職し、開業から務める。「グリーンピアができたことは、地元に働く場ができたわけで、その意味では大きな効果があったと思います」。その年の秋、父親から一本の電話。「決まったぞ」。所得した自動車整備士の資格が役立った。
 

 55人乗り1台、40人乗り2台、マイクロ2台をホテル部車輌課職員5人で担当し、主任として課をまとめる。「大切なお客様の命を預かっているわけですから、責任重大です。特に冬は気を使います。今でこそ十二峠はよくなりましたが、以前はよく通行止めになり、八箇回りをしました」。最近はないが、県外の遠方まで送迎することもあった。今は県内が大部分。3年前に民間に移行。東京都内の各区と保養所契約を結び、シルバー層の誘客に力を入れている。自然たっぷりの津南観光の最盛期は春と秋。「皆さん、春の新緑と秋の紅葉は、とても感激しています」。
 

 休日を休めない職種がら、職場や農業関係の仲間と平日ゴルフによく往っていた。「最近、なかなか時間が取れず、行っていませんね。最近はゴルフより温泉めぐりです」。その仲間たち4人と、ほぼ毎年、海外旅行に行っている。昨年4月にもタイに行ってきた。「治安が良く、夜の街も気軽に歩けます。世界遺産は、やはり間近で見るとすごいです。今年も計画したいです。我々の旅行は突然決まるんですよ」。気が抜けない職務だけに、仲間との時間が最高のリフレッシュになっている。
(2009.02.02)


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