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2008年05月のねっとわーく

過去のネットワーク
桑原綾香さん 23歳  中島歯科医院
 保育園から高校まで、津南のジャズダンス教室「スタジオJ&A」に通う。毎年11月、町文化センターホールでのダンス・フェスティバルに出場していた。「悦子先生が、いつも笑顔で、楽しかったです」。高校以来、ご無沙汰しているダンス。「最近、体がなまってきているので、また始めようと思っています」。さらに津南小時代、大口悦子先生が行った茶道体験がずっと思い出としてあり、「茶道もやってみたいです」。
 

 「津南に帰りたいと思っていました」。ちょうど、中島歯科医院開業によるスタッフ募集を親から聞く。新潟市のアパレル関係の販売担当をしていたので、「まったく違う職種なので不安もありましたが、将来のことを考え決めました」と応募。採用が決まり、中島歯科医院開業時からスタッフとして働く。これから歯科助手や歯科医療事務などの資格にもチャレンジしたいという。
 

 久々の津南暮らし。「同級生も帰りたいという人が多いです。この町はリラックスできる雰囲気がいいですね。やさしい人が多く、住みやすい町です」。それだけに、さまざまな分野にチャレンジしたいという。そのひとつが英会話。「外国に行ってみたいですね。勉強しても、実際に話せるかどうか。きっと何も話せないかもしれませんね」。さらに、やはりフアッションにも関心がある。「落ちついた色調が好きです」。カジュアル系のスニーカーにデニム。「どこかに、さりげなく女性らしさを出すような感じです」。
そこで課題が。「デニムのインチを維持しなくては…、ですね」。クアハウスのトレーニングマシンでのエクササイズに挑戦したいと考えている。「とにかく、いろいろチャレンジしたいです」。
(2008.05.30)

中島大和さん 30歳 中島歯科医院
 両親は共働きだった。何かと世話してくれた祖母。「おばあちゃん子だったんです。小学低学年の頃でしょうか、おばあちゃんが歯を患い、子どもながらに『おばあちゃんの歯を治してやる』などと思ったんでしょう。その思いが、形を変えながらもずっとあり、今に至っています」。小学、中学と医療系の道に進みたいと思い、高校から家を離れ国際情報高へ。日本歯科大新潟校で歯科医に。横浜で勤務医を3年間。昨年5月、前から考えていた津南での開業、それも「自分が小さい頃からお世話になった地元で」。津南駅前に「中島歯科医院・デンタルスタジオ」を開業。「皆さんのおかげで、いいスタートができました」。
 

 出会いは国際情報高1年の時だった。同じクラスになった長岡出身の美江子さん。専攻は共に医療系。大和さんは歯科医師、美江子さんは東京女子薬科大卒後、薬剤師に。大和さんが大学5年の時、学生結婚。「生まれ育った地元に恩返しを」と津南での開業タイミングは長女の新入学。神奈川生まれの保育園年少の長男、津南で誕生し今年11月に1歳を迎える次男。「人のために、といつも言っていた両親。津南での開業は、両親への親孝行と思っています」。
 

 アイボリーホワイトの院内、常緑植物が清潔感を出す。デンタルケアの基本を話す。「予防が大切。定期的に来られる親子が増えています。治療は当然としても、日頃からの予防のお手伝い、それが私たちの役目でもあります。子どもさんが、何の抵抗もなく来てくれるのは嬉しいですね」。中学、高校、大学とバスケットボールに取り組んだ長身。「おばあちゃん子でしたから、お年寄りが好きなんですね」。
(2008.05.23)

駒形正美さん 71歳 大龍院住職
 大きな自然石で組まれた中庭の池、雰囲気ある鐘楼、木立に囲まれた境内。「ここが子どもたちの遊び場だったんですよ。今は子どもの姿を見ることがないですね」。変わる世の常を、ちょっと心配している。「これだけの自然に囲まれた津南でも、外で思いっきり遊ぶ子が少なくなっています。地域にあった伝統行事も、その姿を変え、消えつつあるようです。なんでも省略、省略が気になりますね」。
 

 36歳の10月、その話は突然来た。「宗門に入らないか」。生家である町内小島の曹洞宗久昌寺の父から言われた。駒沢大経済学部卒後、東京の信用金庫勤務のサラリーマンにとって、突然の誘いだった。すでに結婚、子どもも2人。津南出身の妻・由美子さんの思いを感じつつ、病魔に倒れた父を見舞う。『本家をなくすことはできない』。このひと言で決断。津南町船山の曹洞宗「船秀山・大龍院」の跡継ぎとして翌年、宗門に入る。「普通の家に生まれた妻にとっては、大きな決断だったでしょう。よくついて来てくれたと思います」。

 
能登半島の門前町「総持寺祖院」で3年間修行。大龍院住職・駒形一英住職が昭和63年、75歳で死去。第21世住職に就き、大龍院住職に。「地域の皆さんに溶け込めるように」と始めた御詠歌指導。全国の指導者40人に選ばれ、66歳まで全国各地に指導に出向いた。「集う機会が少なくなり、年代を超えた集いの場になっています」。今も毎週集いが開かれている。


 駒大時代、吹奏楽部でアルトホルンに取り組み、4年間大会などに出場。「自分だけ良ければではなく、気持ちを合わせる、心を合わせる禅の心に通じています」。第22世となる和貴さんと宗門に生きる日々だ。
(2008.05.16)

鈴木正人さん 40歳 津南町相吉
 学生時代にバイトでこつこつ貯めた資金で、津南町役場就職記念にホンダ「ビート」を求めた。660CCの軽自動車ながらスポーツタイプのオープンカー。車高が低く、道路を滑るように走る臨場感を抜群。すでに18万`走破。「これで北海道を走りたいとフェリーに乗せ、4回も行ってきました」。17年目のビート、まだまだ現役。「ホンダ販売店に行くと、メカニックの人たちからは、大切に使ってくれてありがとうと、喜ばれますね」。
 

 生活費を切り詰め求めたビート。学生時代も「ギリギリ生活でしたが、それが楽しかったです」。津南高時代、先生のアドバイスなどで新潟大農学部に進む。「これ以上、親には負担をかけられない」と学生寮「五十嵐寮」に入る。授業料の免除制度も受ける「生涯忘れられない寮生活の4年間でした」。全国からの仲間との日々は、さまざまな体験、価値観のぶつかり合い、かけがいのない仲間づくりの時間でもあった。
 

 その仲間、青森の友だちが昨春、泊まりに来た。「ちょうどアスパラシーズンで、それを食べた友だちが『こんな旨いアスパラは初めてだ』とびっくりしていました。津南ではこれが普通だと言うと、『これが普通とは、なんと贅沢なことか』なんて言っていました。やはり外の見方というのは、多いに参考になります」。
 一昨年に結婚。「一度、一緒にビートで北海道を走りたいと思っていました」。昨年7月実現。1日7百`走り、ほぼ道内を一周した。「ひたすら走っていましたが、よく付き合ってくれました」。今月1日の40歳の誕生日、数字型のバースデーキャンドルを買ってきてくれた。
(2008.05.09)

関谷泰さん 39歳 津南町赤沢
 8aほどに育ったトマトの苗が、ハウスの中にびっしり並び、春陽を受け、小さな葉を広げている。「今月10日頃、畑に定植します。今年もいよいよ始まります」。雪消えと共に春耕がスタート。加工トマト、グリーンアスパラ、スイートコーンなど1・5fの畑作と共に、同じ面積のコシヒカリ作りに家族3人で取り組んでいる。
 

 12年間、東京の民間会社で働き、家業の農業を引き継ぐため津南に帰ってきた。4歳違いの兄、3歳違いの妹の3人で兄妹会議を開き、決めた。「自分が家に帰り、農業をすることになりました。小さい頃から農業の手伝いをしていた子で、嫌ではなかったですね。自分のペースで仕事ができるので、これもいいかなという感じです」。
 

 だが、作物は待ってくれない。「自分の都合に合わせては、良い物ができません。作物の生育状態に合わせて、仕事をすることが大切です。手をかければ、かけてだけ、作物は応えてくれます。ただ、天候具合にもよりますが」。体力勝負のところもあるが、小中高校と取り組んだアルペンスキーで鍛えた体が活躍する。「高校までアルペンをしましたが、それからは全くしていません」。
 

 時間ができると、仲間とツーリングに行く。ヤマハ・マジェスティ250で出かける。「最近、全然乗る機会がありません。また仲間で行きたいですね」。近くの温泉にはよく行く。農作業中、ラジオをかけながら仕事をする。これから収穫の旬を迎えるアスパラ。東京時代の友だちに時々送る。「美味しいと、喜ばれますね。収穫が田植え時期を重なり、忙しさが増します」。旬のアスパラ、茹でて、何もつけずそのまま食べるのが一番旨いという。
(2008.05.02)


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