大きな自然石で組まれた中庭の池、雰囲気ある鐘楼、木立に囲まれた境内。「ここが子どもたちの遊び場だったんですよ。今は子どもの姿を見ることがないですね」。変わる世の常を、ちょっと心配している。「これだけの自然に囲まれた津南でも、外で思いっきり遊ぶ子が少なくなっています。地域にあった伝統行事も、その姿を変え、消えつつあるようです。なんでも省略、省略が気になりますね」。
36歳の10月、その話は突然来た。「宗門に入らないか」。生家である町内小島の曹洞宗久昌寺の父から言われた。駒沢大経済学部卒後、東京の信用金庫勤務のサラリーマンにとって、突然の誘いだった。すでに結婚、子どもも2人。津南出身の妻・由美子さんの思いを感じつつ、病魔に倒れた父を見舞う。『本家をなくすことはできない』。このひと言で決断。津南町船山の曹洞宗「船秀山・大龍院」の跡継ぎとして翌年、宗門に入る。「普通の家に生まれた妻にとっては、大きな決断だったでしょう。よくついて来てくれたと思います」。
能登半島の門前町「総持寺祖院」で3年間修行。大龍院住職・駒形一英住職が昭和63年、75歳で死去。第21世住職に就き、大龍院住職に。「地域の皆さんに溶け込めるように」と始めた御詠歌指導。全国の指導者40人に選ばれ、66歳まで全国各地に指導に出向いた。「集う機会が少なくなり、年代を超えた集いの場になっています」。今も毎週集いが開かれている。
駒大時代、吹奏楽部でアルトホルンに取り組み、4年間大会などに出場。「自分だけ良ければではなく、気持ちを合わせる、心を合わせる禅の心に通じています」。第22世となる和貴さんと宗門に生きる日々だ。