日本一高所を走る県道の乗鞍スカイライン。標高2千7百b余。その舗装工事を担当した。「35年くらい前かな。結婚まもない頃だった。山小屋を貸し切り、2ヵ月間泊り込みだった。最後は雪のなかの工事だった。おかげで最高の景色を見ることもできた」。天然記念物の雷鳥が近寄ってきたり、ご来光、一面の雲海、雪景色など、長期滞在だからこそ見られた山の絶景を堪能した。
山好きは、長野・松本勤務時代に始まる。富士山から南、中央、北アルプスの多くの山に仲間と登った。「花のシーズンがやはりいい。実は一番好きなのは地元の野々海高原(標高1100b)。年に10回は行く」。春のブナ新緑から秋の紅葉まで、山の幸をいただきながら、高原を散策する。「あそこにはいい湧水がある。今でも水を持ち帰り、お茶や水割りに使っている」。
18歳入社の日本鋪装(現NIPPOコーポレーション)。入社の昭和39年、新潟地震発生。「本社に居たが、その日のうちに新潟へ行った。水や物資を積んだトラックの荷台に乗って行った。大きな石油タンクから黒煙が立ち上っていた」。17年前の阪神大震災の復興にもかかわり、復旧作業を担当。4年前の中越地震でも道路など普及に関わった。「地震で始まり、地震で締めくくったようです」。退職後、グループ会社の社長に就き、県内現場を駆け回っている。
業務上、全国各地に勤務。「人との出会いが良かったな。今は、その人たちと物々交換交流だな」。魚沼米を送るとミカン、お茶、りんご、鮮魚などが全国から届く。「ずっと家を開けていて、おんぶに抱っこだった。今度はおっかー孝行だな」。妻・寿子さんと夫婦旅行でもと思っている。