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2008年02月のねっとわーく

過去のネットワーク
大島正義さん  61歳  津南町貝坂
 42年間の単身赴任生活に昨年3月、ピリオドを打った。全国各地に営業所を持ち、海外にも事業展開しているNIPPOコーポレーション(前日本鋪道)に在職中は、北は秋田、南は長崎まで全国各地に赴任した。「横浜勤務時代には、東名高速の第1期、川崎インターと環七間を担当した」。入社は東京オリンピック、新潟地震の翌年の昭和40年。高度経済成長の真っただ中の頃。「いちばん経済が良い時代だったかな」。


 富士山の裾野地区に昭和41年にトヨタが建設したテストコースも担当。「最大斜度42度のコース作りは、大変だった。表層舗装が流れ出したこともあった」。新潟のビッグスワン(現東北電力スタジアム)のトラック、フィールドも担当。道路舗装だけでなく、陸上競技場やテニスコートなど、あらゆる舗装関係が業務の会社だ。
 

 入社時、「3年ぐらいで帰るかなという気持ちで家を出たが、仕事の面白味というのか、あきなかったし、やりがいがあった」。同じ集落内のハルミさんと結婚。単身赴任は続いた。だが、33歳の時、父・正吉さんが55歳で突然の死去。「朝、草刈りに出てそのまま倒れ、それきりでした」。夫婦で話し、米と葉タバコ農業に区切りを付け、「仕事を続けた方がいい」と話し合った。「家を守ってくれ、ありがたかった」とハルミさんに感謝している。
 

 定年退職。待っていたように地区役員などが回ってきた。昨年12月から町民生委員。担当の約百戸を受け持つ。18歳から初めた囲碁、「なかなか相手がいませんね」と対局相手を求めている。今年12月、ハルミさんが定年退職。「ふたりで中国に行こうと思っている」。これまでの苦労への感謝旅行だ。
(2008.02.29)

大島ハルミさん 59歳 津南町貝坂
 今年4月末、川崎で美容師をする次女に、初孫が誕生する。「楽しみですね。ダンナさんも美容師で、家族と一緒に住んでいるため、ダンナのそばがいいと、帰って来ないんですよ。ちょっと寂しいですね」。31年連れ添う夫・正義さんは、昨春、42年間の単身生活を終え、家に帰ってきた。「結婚後、3年間で祖父、義父が相次いで亡くなり、夫は単身赴任。母と祖母、私の女3人で4人の子どもを育ててきました。男手がなかったので、ムラの人たちのおかげですね、ここまで来られたのは」。今年12月、40歳から務めた今の会社を定年退職する。「定年後が楽しみです」。
 

 仙台で暮らす長女は、学生結婚し、今春、東北大大学院を卒業。「理系なんですよ。化学科の方で、元素研究とかなんとかをやっているようです」。高校時代の苦労を知っているだけに、親としてもひと安心。大学1年の時、東京から家まで歩いてきた長男は、千葉市で会社員。「学生時代、自転車で北海道一周や四万十川をきれいにする会などに入っていたようです」。4人目の次男が家を出た時は、寂しさが増した。「その時はなんともなかったんですが、1ヵ月後、ガクッと来て、こたえましたね」。大学卒業後、警視庁に入った次男。
 

 4人の子たち。「そうですね、次男が大学卒業後、皆が顔を揃えたのは、昨年の次女の結婚式ですね。それぞれが自分の世界で頑張っている証しなんでしょうか」。定年後の楽しみは、読書と山歩き。「半日は畑仕事をし、半日は本を読む、そんな時間もいいですね。山をぶらっと歩くのも好きです」。昨年、夫婦で日光へ行ってきた。「これからは、ふたりの時間を作って行きたいですね」。
(2008.02.22)

桑原ひろみさん 27歳 津南町貝坂
 高層湿原が人気の「尾瀬」で2シーズンほど、山小屋で働いたことがある。尾瀬ヶ原にある「東電小屋」。尾瀬では古い山小屋で、90人ほどが泊まれる。5月から10月中旬ごろまで、スタッフ10人が毎日の来館者の世話を行う。「朝靄(もや)のなか、白い虹ができるんです。幻想的です。早朝の青空と白い虹、残念ながら、この光景は見られませんでした」。真っ赤に染まった朝焼けの燧ケ岳、忘れられない光景の一つだ。休日には燧ケ岳にも登り、尾瀬を満喫した。「私は10月中旬頃の尾瀬が好きです。小屋仕事をしている時、10月23日に雪が降ったこともあります。また行って見たいですね」
 

 休耕していた畑があったので、親戚のアドバイスなどを受け、切花栽培に3年前から父・勝美さんと取り組んでいる。紫色が可憐なリアトリス、オミナエシを栽培。東京圏のお盆は7月13日。この高値の時期に出荷。


 昨年3月、アルバイトで箱根の保養所に行った。高校1年から家族になった愛犬の「チイ」も連れて行った。今年が12歳の「年男犬」。ある日、母親と電話で話しているの聞いていたチイ。その声に反応し、首輪を抜き、母の声もとめて何所かに行ってしまった。見つからず8日目に、地元新聞に折込みチラシを入れた。その日の朝、何本もの電話が入り、無事見つかった。「心配しました。この子は、人の言葉が分かるんです。家に帰ろうとしたようです。本当に良かったです」。
(2008.02.15)

中沢寛人さん 23歳 津南町源内山
 すべて自分の責任で、すべてができる、そんな魅力に魅かれ、21歳で農業の道に入る。「大変ではありますが、自分がすべての世界でもあり、手をかければ、それだけの結果が残る、得られるというやりがいを感じます」。農業2年生の師は、父・研二さんだが、地域には農業の先輩がいっぱいいる。父が営んできたコメ作り、加工トマト、ニンジン栽培を主体に営農する。


  昨年から、先輩の紹介で切花栽培にも取り組む。「株をわけもらい、昨年、初めて出荷しました。緊張しましたね。いろいろ指摘され、勉強になりました」。リアトリスという切花を出荷。津南原高原には、花作りの先輩が多い。「面白さを感じていますが、奥深さも感じます。すごい先輩はいっぱいいます」。津南町切花組合のメンバー。もちろん一番若い。視察などに行き、目下、勉強中だ。
 

 小学2年から遊び相手だった犬が3年前、乳ガンで亡くなった。「中越地震の時で、動物病院もバタバタしていて、ちょっと手遅れ状態でした。家族みんなで泣きました」。翌年、黒柴犬のコロが家族の仲間入りした。「やんちゃですが、可愛いですね。自分が抱っこしていると、じっとしているんです」。以前、熱帯魚の「レッドテールキャット」を飼っていた。5aの稚魚を30aまで育てたが、「水槽のヒーターが故障し、残念ながら、でした。餌で魚の色が変わり、また飼ってみたいですね」。
 

 こだわり性だ。「集中すると、きりがないですね。追求しても、追及しても終わりがない。農業は1年に1回だけの勝負。難しさはありますが、それだけに面白みを感じます。もっと経験を重ね、勉強したいです」
(2008.02.09)

桜井多門さん 50歳 津南町谷内
 生まれは旧北魚沼・守門。桜井家に代々伝わる「多衛門」からいただいた名前「多門」。由来など、よく聞かれる。5年前に亡くなった父のすすめもあり、40歳を過ぎた9年前、「農業への道」を決める。新潟県内の農業情勢をよく知る父。川崎で地質調査を担当していた息子に、『農業をするなら津南だ』と進言。その言葉を信じ、新規就農者に応募し、2年間の研修期間を経て、独立した。現在、カサブランカの球根育成、シャクヤクやナルコランなどの切花、雪下ニンジンなどに取り組んでいる。
 

 津南に暮らし始めた翌年、運命的な出会いで、長野・中野市出身ぼ真由美産を結婚。「ひとりの時と、気持ちの面で大きく違います。自分への責任感と共に、妻への思いが、仕事に取り組む大きな力になっています」。2人ともクリスチャン。思いを同じくするだけに、良きパートナーとなっている。時々、中野へリンゴ収穫に行くなど、出会いの縁を楽しんでいる。
 

 津南暮らしで「想定外」は、この雪。2年前の大豪雪。「まさか、これほど降るとは思いませんでした。でも、ニュースなどで、津南が出ないと、なんだか寂しいように感じますね。雪は大変ですが、雪の津南、これだけでも大きなアピールですね」。 20代後半の頃、演劇に取り組んだ。脚本から音楽、演出など、すべて自分たちで取り組み、年数回の公演を行った。「今は、見るほうがいいですね。でもなかなか見に出かける時間がありません」。 津南の自然と人の温かさを気に入っている。「この四季を通じた自然が、人や作物のすばらしさを育んでいるんですね」。
(2008.02.01)


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