昨年9月に手術。「1年経ったから、そろっと行くかな」。8月から山行が再開した。同月下旬、涸沢から前穂高、奥穂高と縦走、9月には唐松岳から五竜、鹿島槍へ。10月には北八ヶ岳の蓼科山から浅間山麓へと、いずれも山仲間と行った。先月は、毎年登っていた富士山へひとりで行ったが、「立っていられないほどの強風だった」ため、2回チャレンジしたが、無理はしなかった。「また行きますよ」。家で待つ弘子さん。『好きでやっていることですから、心配しても、しょうがないですね』と送り出している。
津南高校時代から初めた山登り。すでに50年になる。「この年になると、同級生の多くがゴルフをやっているが、それより山の方が、自分に合っているかな」。トレードマークは、菅かさ。農作業などに使う『全天候型雨かさ』だ。「これが一番いい。やぶに入っても、かさが枝などを押しのけてくれるし、軽くて涼しい。俺たちの仲間はこれを使っている」。今も津南山岳会のメンバー。「今は、若い人が少なく、我々がいろいろ教えてもらったことを、次に伝える人がいないのは、ちょっと寂しいな」。
今はないが外丸中学時代には、一学年120人もいた。「子どもが少なくなった。だから、この地域でも、跡継ぎが帰ってこない家が多い。そういう自分もそうだが、こっちに帰っても、勉強したことなどを生かせる仕事がないのでは、しょうがない。なんとかしたいもんだ」
2歳になるダルメシアンの「珠白」。たましろ、と読む。「家では、たまと呼んでますよ」。散歩がトレーニングになっている。以前行ったカナダ・アメリカ。「機会があれば、向こうの山にも登ってみたいですね」。