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2008年01月のねっとわーく

過去のネットワーク
藤木稔さん 55歳 津南町岡
 毛並みふさふさ三毛猫の「ミケ」は、15歳になる長寿。「俺が寝ていると、ゴロゴロとノドを鳴らして枕元にきて、『布団に入れてくれー』と、ぺろっと顔をなめるんだ。寝る時は、いつも俺のところに来るな」。食事などの世話は妻の綾子さん。『この人がいない時は、下の居間で寝るんですよ。私のところには来ないんですよね。この人がいいようです』と笑う。
 

 藤木家の冬。居間のコタツは猫たちに占拠されている。ミケのほか、その子どもで10歳になる「レオ」と「ノア」の指定席はコタツ。「動物は多くがそうだが、子のほうが強くなり、親が遠慮するようになる。コタツに子が入っている時は、ミケは入ろうとしない。けなげですな」。
 

 親子関係では、父・善平さんとの忘れられない思い出がある。長野の下高井農林高への入学式の日のこと。「朝といっても真っ暗だったが、入学式の朝3時に起きて、森宮野原駅まで家から凍み渡りしながら駅まで歩いて行った。これはいつになっても忘れられないな」。父は8年前に他界。あの入学式当日の父との思い出は、歳月の流れと共に鮮明に記憶としてよみがえる。高校3年間の下宿生活も忘れがたい思い出。今も当時の仲間と行き来している。
 

 昨年10月、次男が結婚。長男夫婦は『味噌汁が冷めない』所に住んでいる。男の子2人の孫。この春、新入学を迎える。「息子2人とも独立し、親としての役目を果たしたかなと思っている。2人とも良い嫁さんに恵まれ、感謝の気持ちでいっぱいだ。本当にありがたいことだ」。
 
(2008.01.25)

中沢義信さん 77歳 津南町見玉
 男2人の孫が小さい頃、毎年7月上旬、ホタルを見に行った。といっても自宅周辺。棚田の小道で電灯を点滅すると、「あたり一面、ホタルがわいてくるように、とにかくすごい数だ」。まさにホタルの乱舞。中学と高校生になった2人、一緒に行くことはなくなったが、『じいちゃん、ホタルを見に行こう』の孫の言葉は今も耳に残る。
 

 津南町の上水道会計が一本化される前まで、見玉地区の水道料は無料だった。湧水に恵まれている。今も月額基本料金だけ。その清冽な湧水が集落内の水路を流れる。この幅30a前後の水路に岩魚がいる。「俺たちが小さい頃はこの水路が遊び場で、魚採りをよくした。今もいる。魚採りが好きなんで時々採るが、1匹採ったら充分。小さいのは放す」。自宅の池には50a級のイワナが数匹いる。「この川にはサンショウウオもいたが、最近いなくなった。農薬のせいかな」。
 

 木挽き職人から大工、屋根職人を長年務めた。「年取って、高い所がだめになった。若い衆が気を使ってくれるのが悪くての…。今は田んぼが仕事だな」。2年前に金婚式を迎えた。水沢出身の文江さん。頼もしき妻だ。「俺は長いものがだめなんだが…」。これまでマムシを何匹も捕っている。夫婦しか知らない武勇伝も多い。


 秋成尋常高等小学校の「見太田分校」が見玉にあった。小学校の頃、秋山郷で伐採した木を積んだ木炭自動車が走っていた。「ここの三寿屋は燃料補給所で、『おまえら、このハンドルを回せ』なんて言われ、ぐるぐるハンドルを回しエンジンかけをさせられたな」。見玉の自慢は「水と空気だな。夏は天国、冬は雪が多いが、いい所だな」
(2008.01.19)

涌井友司さん 72歳 津南町大割野
 車が好きだったこともあり、長距離ドライバー道へ。昭和27年に普通免許を取り、34年に大形免許取得。大手運送会社の長距離運転手として、関東、関西、四国方面を中心に走った。「あの頃は、ツーマン(2人)体制で、交代で運転した。今のように高速などなく、舗装道路も少なかった。寝ている相方を気づかって、デコボコ道はゆっくり運転したし、お互いを思いやりながらの運転だったな」。


 長距離ドライバー歴38年余。「ワンマンになったのは、20年くらい前からかな。深夜便がほとんどで、眠くならないようにラジオをかけ、タバコを吸っていた」。緊張感の連続の長距離運転。まだ本四架橋がない頃、四国にも度々行った。往復3日かかった。荷物を届けた後は休むが、眼が冴えて眠れない。「酒を飲んで寝ていたが、運転に支障があるとだめなんで、15年前に酒はいっさい止めた」。業務上、必要な荷物を積み上げる「はい作業免許」、「玉がけ免許」、「フォークリフト免許」などを持つ。米出荷時期は、運転し、60`の俵の運び出す業務などを行った。「あの頃の力仕事のおかげで、今もこうして体が丈夫なんかな」。
 

 後輩で同じ穴山のユキさんと結婚し45年になる。17年前、ユキさんの健康を気づかって大割野に移転。「穴山に通って畑仕事をしているが、夏はやっぱり涼しくていいなぁ」。運送会社を定年退職後、配送関係の仕事をしたが、今は13年目になるシルバー人材センターの業務が楽しみ。「じっとしているのが、どうも駄目なんだな。体を動かして働くのが楽しみだな。仕事へ行けば、仲間もいるし、新しい仲間も出来るし、楽しい」。
(2008.01.11)

内山清 さん  78歳  津南町芦ヶ崎
 関越自動車道の小千谷トンネル、小出のトンネル、国道353号の豊原トンネル、さらに253号の薬師トンネルなど、昭和50年代に開通したトンネルの現場で働いた。それも「火薬類取扱保安責任者」として。トンネル掘削に欠かせない責任者だ。以前は、発破技士の資格を持っていたが、導火線から電気式に代わった頃で、同51年、火薬責任者資格を働きながら所得。


 トンネル工事が随所で行われ、忙しく現場を回った。「ちょうど浅間山荘事件やいろいろな爆破事件があった後だっただけに、火薬の取扱は厳しかった。保管庫の責任者のわけで、抜き打ちで警察などの立ち入れ検査があったりした」。その現場で必要な火薬様式にもとづいて用意するのが仕事。坑内に入る仕事ではないが、管理者責任は、大変だった。
突然発病した喘息で、現場を離れた。


  家の近くを流れる石黒川。「子どもの頃、岩魚取りをよくしたもんだ。家の池にまで入ってくることもあった。あれは小学1年の時だった。セギを止めて魚とりをしていて、止めたまま帰ってしまい、水が来なくて、米か粉を引いていた水車が回らなくなり、孫じさにこっぴどく、叱られたな。その夜、孫じさに連れられ、提灯とバケツを持って、水車小屋に行き、水路で岩魚を13匹も取った。叱られたが、楽しかったな。木の実もいっぱい食ったな。今の子は、金のかかる遊びばっかだな」。
 

 同じ芦ヶ崎から嫁いだセイさんと2年前、金婚式を迎えた。地元の仲間とゲートボールをし、8年ほど前からシルバーセンターに登録し、書道も始めた。「おかげで元気になった。何にもなかったが、子どもの頃は、楽しかったなぁ」。
(2008.01.08)

津端茂雄さん 67歳 津南町外丸本村
 昨年9月に手術。「1年経ったから、そろっと行くかな」。8月から山行が再開した。同月下旬、涸沢から前穂高、奥穂高と縦走、9月には唐松岳から五竜、鹿島槍へ。10月には北八ヶ岳の蓼科山から浅間山麓へと、いずれも山仲間と行った。先月は、毎年登っていた富士山へひとりで行ったが、「立っていられないほどの強風だった」ため、2回チャレンジしたが、無理はしなかった。「また行きますよ」。家で待つ弘子さん。『好きでやっていることですから、心配しても、しょうがないですね』と送り出している。
 

 津南高校時代から初めた山登り。すでに50年になる。「この年になると、同級生の多くがゴルフをやっているが、それより山の方が、自分に合っているかな」。トレードマークは、菅かさ。農作業などに使う『全天候型雨かさ』だ。「これが一番いい。やぶに入っても、かさが枝などを押しのけてくれるし、軽くて涼しい。俺たちの仲間はこれを使っている」。今も津南山岳会のメンバー。「今は、若い人が少なく、我々がいろいろ教えてもらったことを、次に伝える人がいないのは、ちょっと寂しいな」。
 

 今はないが外丸中学時代には、一学年120人もいた。「子どもが少なくなった。だから、この地域でも、跡継ぎが帰ってこない家が多い。そういう自分もそうだが、こっちに帰っても、勉強したことなどを生かせる仕事がないのでは、しょうがない。なんとかしたいもんだ」
 2歳になるダルメシアンの「珠白」。たましろ、と読む。「家では、たまと呼んでますよ」。散歩がトレーニングになっている。以前行ったカナダ・アメリカ。「機会があれば、向こうの山にも登ってみたいですね」。
(2008.01.07)


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