栄村青倉生まれ。18歳から結婚する24歳までの6年間、東京のそば屋へ出稼ぎに。その時の苦労談を当時の水内村公民館報に書いたことがある。「あの頃の公民館の担当が今の高橋村長。その体験談が載った公民館報は今も持っています」。青年団活動を活発にしようと公民館報を発行。その仲間が犠牲になったのが、昭和36年2月発生の青倉大雪崩。11人が犠牲に。「仲良かった友だちも亡くなったんです。村議だった父親はその時区長で、大変だったことを覚えています」。
今年、金婚式を迎えた。夫・勉さんは冬場、静岡など各地へ出向き、土木の重機オペレーター。身重の時も、子2人が小学に上がるまで連れて夫について行き、現場作業員30人余の朝、昼、晩の食事を作り、同じように現場仕事もした。「冬場、17年間しました。新潟の中ノ島に行った時は、入学前の娘と1歳にならない息子を連れて行った。現場30人のご飯作りを1人でやった。今考えると本当によくできたと思いますね」。長女が入学後も、長男を連れて出稼ぎした。家に帰ってきたある日。「引出しの中に娘の作を見つけました。『母が出稼ぎに行く日の朝は、布団の中で泣いていました』と書いてあったんです。涙が止まりませんでしたね」。
とにかく現場仕事が好き。農協女性部が20年前に始めて「ふれあい味噌」造りも、そのスタートから関わる。シルバー人材センターも、人が人を呼ぶように『つねさんが行く所、人が集まる』といわる。昨年のシルバー20周年大会で表彰を受けた。「自分が何かしたわけではありません。みんなのおかげ。とにかく『仲良く一生懸命』です」。新年1月、その仲間と氷川きよしコンサートに行く。