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2007年04月のねっとわーく

過去のネットワーク
原 ヤイ子さん  60歳 津南町鹿渡
 国内有数の豪雪地を走る飯山線。その越後鹿渡駅前がマイホーム。国鉄マンの夫・富壽男さんと結婚、十日町市から嫁ぎ36年が過ぎた。当時、駅前には生鮮食品店、酒屋、豆腐屋、雑貨屋、温泉宿などがあり、雰囲気ある駅前だった。今は温泉宿が残るだけになった。「変わりましたね。寂しくなりました」。駅員がいなくなり、駅業務を地元が受ける委託駅に。10年間ほどその業務を受けた。

 「あの頃は松之山へのバスが走っていましたから、松之山の人たちもこの駅を利用し、朝夕は通勤通学の人たちで賑わいました。おかげで屋号や子どもたちの顔も覚えられ、地元の人たちとの付き合いも深まりましたね」。駅周辺の四季の移ろい、人間模様など、思い出いっぱいの同駅も、今は無人化。「寂しいですね」。
 
 三箇小の用務員さんを務め16年。「子どもたちに囲まれていると、元気をもらっているようです。幼かった子どもたちも今はお父さん、お母さんです。それだけ自分も年を取ったんですね」。同校赴任の多くの先生方とは、今も交友がある。「子どもたちに元気づけられ、先生方にも恵まれ、感謝しています」。花作りが好きだ。卒業式のステージ前には、いつもサクラソウが満開。これを毎年育てている。5月には種をまき、夏の暑さをしのぎ、冬の寒さで開花を調整する。「その日に満開に咲いてくれるようにしています。大切な卒業式ですから」。
 
(2007.04.28)

大山明雄さん 52歳 三箇小校長
 初めての雪国生活は昭和57年から3年間の旧松代町の松代小・小屋丸分校。あの59豪雪も体験。「校庭は4bの雪。正月明け、2百b先の学校まで、胸まで埋まりながら行ったが、だんだん埋まり、近所の人が助けてくれ、初めてカンジキというものを履いた」。群馬・高崎市出身にとって、雪国は未知の世界だった。
 
 進学先の新潟大が教職への道となった。「数学と社会が得意という受験には不利の状態だったので、決まった大学が、結局その先の進む道になりました」。高校時代、柔道に取り組む。「全国トップクラスの高校だったので、私なんかとてもとても。牛と戦っているようでした。組んでも全然動かないんですよ」。今の体格に面影が残る。

 新採用は見附・名木野小。マイホームも見附。三箇小赴任の前年、あの見附水害と中越地震に遭遇。三箇小に校長赴任し3年目。校舎わきには50余の盆栽の鉢が並ぶ。「親父の影響ですね。大工仕事も好きなんですよ」。松代時代に採ったケヤキの寄せ植えは30年余になる。落葉樹から針葉樹、実がなる木など多種多様。竹細工で作る昆虫は、今にも動き出しそうだ。
 
 子どもたちに新学期早々、その年のキーワードを話している。「1年目は、努力の向こうに幸せがある。2年目は、明るく、元気に、楽しく、です。3年目の今年は、なりたい自分から、なれた自分、です。三箇の子たちは、何事にも一生懸命頑張ることに、本当に真面目に取り組んでいます」。
 
 いよいよ山菜シーズン。「学校の周りでも取れます。特にウドが好きですね。職員の人たちや近所の皆さんが差し入れてくれます。ありがたいです」。自分で料理し、一献が至福の時間。
(2007.04.20)

高橋哲人さん 57歳 津南町船山
 昨秋、新採用赴任した川西中で受け持った学年の卒業30周年記念同窓会に招かれ、懐かしい顔ぶれと再会。「忘れないですね。私が初めて持ったクラスですから。校歌も忘れません」。その川西中に春の移動で16年ぶり3度目の着任。新採用の昭和49年、2度目は平成3年。「教え子がPTA世代ですよ。孫に教えているようなものです」。教頭で理科を担当。10日、初めての授業で話した。「部活もそうだが、練習しないと上達しない。勉強も同じ。コツコツと日々の努力が大切」。これまで子どもたちに何度となく言ってきた言葉。「でもね、これがなかなかできないんですよね」。
 
 前任地は小千谷・千田中学。教頭で4年間在職。着任2年目の10月23日。あの中越地震。当日は文化祭だった。「反省会を市内で開き、開宴しようとした矢先でした。全く動けなかった」。テーブルの上の料理は引っくり返り、襖が倒れ、テレビは落ちるなどめちゃくちゃ。学校に駆けつけるとプールの水は抜け、グラウンドにヒビが入り、真っ暗な校舎で非常ベルが鳴り、学校も大きな被害を受けた。「先月やっと体育館の修復が終わりましたよ」。
 
 理数系が好きで東海大理学部物理学科に進み、教職課程で4年の時、津南中で教育実習。大きな感動を受け、教職への道を決めた。新採用時代、「今じゃとてもできないが、教務室の机の上に生徒を座らせ、説教したこともあるが、その生徒から年賀状が届くんです。私にとっても忘れられないい思い出です」。上郷中赴任時代、卓球部を中越大会優勝に導いた。自身も中津中時代、卓球で中越大会出場した。昨年3月から家族になった猫・愛子。「こいつがまた可愛いんですよ」。リフレッシュは土日農業の野菜作りだ。
(2007.04.14)

中沢美佐子さん 45歳 津南町中深見
 クリクリのまん丸の目が愛らしいパグ。昨年6月、家族の仲間入りした。「主人が前から、犬ならパグと決めていたんです。家に来た頃からパグと呼んでいたので、それが『パッ子』になりました」。1歳を迎えたばかりのパッ子。愛嬌たっぷりの顔と仕草を振りまいている。「初めての犬なんですが、家族の雰囲気が変わりましたね」。パグ効果が、早くも出ている。
 
 川西出身。「前から津南はいい所と思っていましたが、自分がその津南に嫁ぐとは思ってもいませんでした。これも縁なんでしょうか」。会社員だった夫・政明さんの上司の紹介で出会う。「津南の人ということだったので、行ってもいいかなと、決めました。本当に津南は良いところですね」。あれから19年。二人三脚の歩みは、今のユリ栽培につながっている。
 
 5年前、ユリ栽培を始めた。同時に農業生産者で作る毎週土曜直売市「たっぴたっぴの会」に入会。さらに国道117号沿いで毎日開く直売市『よらねぇかい』にも参加。「友だち関係が広がりました。楽しいですね。津南は自然の良さもありますが、人柄が良い人が多く、お互いが助け合う気持ちが強いように感じられます。ですから、人と会うのが楽しいですね」。
 
 冬場は夫婦でスキー場で働く。今冬の小雪、「やはり雪国の冬は、しっかり雪が降った方が、地域に元気が出ますね」。時間があった先月。美佐子さんの誕生祝をかねて能登半島の旅に行ってきた。「その2日後ですよ、あの能登地震は。びっくりしました。本当に幸運でしたね」。時間を見つけ津南めぐりをしたいという。「まだまだ知らない所ばかりです。津南は本当に良いですね」。
(2007.04.06)


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