初めての雪国生活は昭和57年から3年間の旧松代町の松代小・小屋丸分校。あの59豪雪も体験。「校庭は4bの雪。正月明け、2百b先の学校まで、胸まで埋まりながら行ったが、だんだん埋まり、近所の人が助けてくれ、初めてカンジキというものを履いた」。群馬・高崎市出身にとって、雪国は未知の世界だった。
進学先の新潟大が教職への道となった。「数学と社会が得意という受験には不利の状態だったので、決まった大学が、結局その先の進む道になりました」。高校時代、柔道に取り組む。「全国トップクラスの高校だったので、私なんかとてもとても。牛と戦っているようでした。組んでも全然動かないんですよ」。今の体格に面影が残る。
新採用は見附・名木野小。マイホームも見附。三箇小赴任の前年、あの見附水害と中越地震に遭遇。三箇小に校長赴任し3年目。校舎わきには50余の盆栽の鉢が並ぶ。「親父の影響ですね。大工仕事も好きなんですよ」。松代時代に採ったケヤキの寄せ植えは30年余になる。落葉樹から針葉樹、実がなる木など多種多様。竹細工で作る昆虫は、今にも動き出しそうだ。
子どもたちに新学期早々、その年のキーワードを話している。「1年目は、努力の向こうに幸せがある。2年目は、明るく、元気に、楽しく、です。3年目の今年は、なりたい自分から、なれた自分、です。三箇の子たちは、何事にも一生懸命頑張ることに、本当に真面目に取り組んでいます」。
いよいよ山菜シーズン。「学校の周りでも取れます。特にウドが好きですね。職員の人たちや近所の皆さんが差し入れてくれます。ありがたいです」。自分で料理し、一献が至福の時間。