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2006年09月のねっとわーく

過去のネットワーク
八重沢 一恵さん 58歳 津南町亀岡
 民間勤務時代、誘われて入った山の会。以来25年余り、山行が続いている。医師会メンバーなど多彩な仲間ができ、今も交流が続く。5月頃から初冠雪の9月、冬に入る11月頃まで、北・中央・南アルプスの3千b級の山によく行った。多い年は7回前後、四季折々の山を楽しんだ。「今も時間を見つけて、友だちと行きます。今年は苗場や妙高に行ってきました」。一歩、一歩の山行。「初めてまもない頃、こうゆうのが人生なんだな、などと感じ入った事もあります。今は、リフレッシュの山ですね。山の魅力は、登った人でないと分からない感覚でしょうか」。山を通じて出会いもあり、住所を教え合い、交流は続く。
 

出会いは数知れない。民間時代、花の産地・房総半島・千倉に行った時、花売りの年輩女性と出会い、交流は20年以上続く。「1年に一度、会いに行きます。最初に会った時に、何か感じるものがありました」。この写真は今春行った時の記念のツーショット。
 5年前、千葉から生れ故郷の津南へ。「津南の引力が強かったようです。2年前、住民票を移しました。友だちが『あんたが良い所と思って住所を移したんだから、良い所なんだろうね』と友だちが津南に関心を持ち始めています」。一人暮らしなどお年寄り対象のディサービスの世話役を務めている。「皆さんの喜ぶ笑顔が嬉しいです」。自家製の漬物やお茶受けなどを用意。調理師免許が役立っている。 山行で気に入った風景をカメラに収め、家でデッサンする。水彩画にも取り組む。「なかなか色を付ける時間がありませんね。老後の楽しみです」。広い友だち関係。アメリカや香港から『元気?』と連絡が来る。
(2006.09.29)

半戸 エミさん 77歳 津南町朴木沢
 町立津南病院に入って間もない頃。東京農大の学生2人が、近所の農家に研修に来た。慣れない土地と緊張感から発熱した。連絡を受けた半戸さん、すぐに駆けつけ応急手当。学生は5日間寝込み、回復して東京に帰った。「あれから35年たちますが、毎年2回、ミカンを送ってきます。いま学校の先生をしているようです。『退職したら、夫婦で遊びに来てください』と言ってるんですよ」。神奈川・湯河原で教職に就くその人、35年前の恩を今も大切にしている。半戸さんは旬の野菜や秋には新米を贈っている。「これも出会いですね」。
 昭和18年、東京・武蔵野にあった中島飛行機付属病院看護婦養成所を卒業、同病院に勤務していた。戦火が激しくなり翌年12月、飛行場が空襲を受け、近くの病院も被災した。「同期の人で負傷した人もいました。空襲で病院が壊れ、各地に疎開し、そのままになってしまいました」。終戦の20年4月、津南に帰る。23年に結婚。あわただしく戦後が過ぎた。町立津南病院には昭和45年入る。同59年婦長で退職、嘱託で平成2年まで勤めた。街でよく声を掛けられる。『婦長さん、元気でしたか』など、当時の同僚や病院でよく顔を合わせた人など。「本当に色々なことがありました。私の方こそ世話になってばかりでした」。今も当時の医師などと交友は続いている。
 2人の娘は千葉と浦和。学生時代、友だちを連れてスキーに来た孫たちは社会人。月に数回、ディサービスを手伝う。「先日、ディサービスで大地の芸術祭めぐりをしました。元気のうちは出歩いた方がいいでよ」。2年前まで書に取り組み、退職後は日記を始めた。「紅葉の時期、志賀から草津への温泉めぐりを、ディサービスで計画しています」。
(2006.09.22)

滝沢逸子さん 70歳 津南町田中
 その名は『田中美女会』。歌や踊りなど、福祉施設やお年寄りの集まりなどで演芸ボランティア活動をする。「7、8年前でしょうか、みさと苑に行った時、『なんて紹介しましょうか。やっぱり名前があった方がいいですよ』と言われ、職員の皆さんが『美女会がいいですよ』となり、以来、この名前です」。50代から70代の10人余りがメンバー。公演以来があると、10日ほど前から練習に入る。「この練習で集まるのが、また楽しいんです。公演も楽しいですよ。自分たちが楽しまなくては、見ている方も、楽しくないですからね」。趣味で始めた大正琴も、時には披露する。美女会の世話役として、歌好き、踊り好きのメンバーをまとめる。
 24歳で結婚。「長瀬中学校まで、冬場は1本の雪道でしたね。30分以上かかりました。同級生は50人ほどいました」。志久見川上流、栄村柳在家の生まれ。縁あって津南町田中へ。「親から言われました。おにぎり一個でも下へ行け、と。きっと、おにぎり一個で歩いて行ける距離でもいいから、下流に行けということなんだと思います。これも親心なんでしょうね」。当時、田中集落は、信濃川に架かる吊り橋が生活道路。「男衆は出稼ぎに行くので、除雪は女宗の仕事。吊り橋を除雪していると、軽くなった橋が、ふわんと浮き上がるんです。なんとも変な感じなんです」。
 給食ボラ、町社協ボラ、ディサービス世話、さらに書道などに取り組む。「いろいろやっていますが、それぞれの仲間の人たちと顔を合わせるのが楽しみです」。今春5月、長男夫婦が携帯電話を買ってくれた。「1ヵ月ぐらい毎日、嫁がメールをくれ、練習しました。今は高校生の孫とのメールが楽しみです」。
(2006.09.15)

清水寿子さん 58歳 津南町田中
 単身赴任の夫は、月曜の早朝出かける。朝昼の弁当、おにぎり6個、枝豆、ナス漬け、煮物、津南牛乳など金曜までの食材を持参。「おにぎりは冷凍し、いつでも食べられます。ようやく自分で洗濯ができるようになりました」。日鋪コーポレーション(旧日本鋪道)に勤務の夫・亀弥さん。現在は新潟鋪道に出向、上越市勤務。結婚当初、全国を転勤。新潟、富山、石川がエリアの新潟本社勤務の3年前までは、北陸各地を転勤した。
 愛知・東栄町生まれ。家業のクリーニング店を手伝う。125CCバイクに乗る「ヒサちゃん」。仕事に来ていた亀弥さんと出会う。「最初、清水ですと言うばかりで、名前を言わなかったんです。結婚が決った時、友だちから言われました。こんな縁起の良い2人はないと」。亀と寿。「これも縁なんでしょうか。父の祖母はツルといいます」。 
『雪は少々降る』と聞き、24歳で津南へ。翌年、総代を受けた。「お父さんが耕運機に乗せて、集落を回って屋号を教えてくれました」。夫は単身赴任、家を守った。「雪は少々どころか…。吊り橋も三里小学校も、お寺さんへも除雪に行きました。吊り橋は怖かったですね」。昭和54年、信濃川唯一の吊り橋は姿を消した。
 来年3月、「主人は定年を迎えます。『どうするの』と聞くと、『山菜取りだな』ですって。どこかに行きたいですが、主人は飛行機も船も駄目なんです」。新婚旅行で佐渡へ行ったが、下船後、歩けなかった。20年勤続のリフレッシュ休暇で香港に行った時、飛行機からフラフラで降りた。「やっぱり、山菜取りでしょうか」。50歳で調理師免許、55歳でヘルパー2級を所得。「60歳で、何に挑戦しましょうか」。
(2006.09.09)

和久井かつ子さん 64歳  津南町・好月
 40年ぶりに会う人など、かつての職場仲間で作る愛知のOB会が2年前、津南に来てくれた。その日は10月23日。あの中越大震災の日。「津南のコシヒカリが美味しいと、いっぱい買い込んで、バスに積んで宿泊先のグリーンピア津南に向かう途中で、地震に遭いました。でもバスの揺れで地震には気がつかず、到着すると真っ暗。グリーンピアの皆さんに良くしてもらい、みんな、思い出に残る旅だったと話しています」。今冬の大雪の時も、激励の電話や手紙をくれた。「嬉しいですね。これも人と人との縁、出会いですね」。
 『人との出会いが人生』、これがモットー。商売柄、さまざまな人との出会いがある。特に夏休みの8月は、思いがけない人が訪ねてくる。先日、『おーい、おかみはいるか』とお店に入ってきたのは津南高校の校長だった人。あるいは県外の会社社長が、『おれにも、なにか言葉を書いてくれ。社長室に貼っておくから』と、書を求めた人も。愛知で勤務時代、先輩の父が書家であり、その人に師事した書が、いま役立っている。季節に応じた言葉、モットーなどを和紙に書き、店内にさりげなくディスプレーの一つとして飾っている。「わざわざ会いに来てくださるなんて、本当に嬉しいです。元気になりますね。人との出会いは財産です」。
 自宅近くに畑を借り、野菜など栽培している。「旬のものを、旬のうちに食べる、これが健康の秘訣です。楽しいですよ、野菜作りは」。畑に一緒に行くのは1歳の孫・真申(まこ)ちゃん。  
文通で結ばれた好月2代目・健一社長、3代目も育っている。「まごごろ」。自分の生きた方、お店のモットーでもある。元気いっぱいの笑顔で「生涯現役」だ。
(2006.09.01)


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