18歳から60歳まで、冬は出稼ぎに行った。「ただ途中の10年間は、機屋に行った。だが、不景気になり辞めさせられ、また出稼ぎに行った」。出稼ぎは、埼玉や東京の学校や郵便局の暖房ボイラー技術者。11月初めから3月末まで。「かあちゃんは、雪が大変だというが、こっちは分からない。帰る頃には雪も少ない。その実感が分からなかった。国会の先生方が雪が分からないのと同じだな。この雪があるから良い水がある。恵まれた地域だと思う」。
忘れられない光景がある。8人兄弟。「母親に抱かれた乳飲み子の妹が、次第に弱まり、母親が悲しそうに『この子は、明日までもたないな』と言った。翌日、亡くなってしまった」。今の恵まれた社会を思う。「昔は、医者に行くこともせず、弱い子は、そのままだった」。芦ヶ崎小高等科で、みっちり農業を学んだ。「とにかく農業を仕込まれた。離れた学校田まで裸足で行く。5百人余りの学校の糞尿を、畑まで2人一組で運ぶ。坂では時々、桶をひっくり返し、頭から浴びた。そんなことが何度もあったな」。
清冽な湧水、高原地の涼風。真夏での国道117号沿いとは2度余り違う。「災害もないし、これだけの自然がある。感謝の気持ちを忘れてはならない。大変なこともあるが、この地を否定しちゃいけない。住めば都なんていう単純な気持ちではなく、ここに暮せることに感謝する気持ちが大事だ」。4年前から栽培するフキ。1ヶ月で約1d出荷。アスパラ、トウモロコシ、枝豆など出荷している。
健康づくりの一つは果実酒。梅、かりん、ニンニク、コク、さらに薬酒になるオトギリソウ。「人間はもっと、人間らしく生きるべきだ。便利さに頼りすぎだ」。昭和32年、テイさんと見合い結婚した。「とも白髪」の年齢になった。毎朝、灯明をあげ、線香を上げ、手を合わせる。「人と人との出会い、つながりを大切にしたい」。