お問い合わせへジャンプ!
広告掲載のご案内へジャンプ!
購読のご案内へジャンプ!
トップページへジャンプ! 今週の津南新聞へジャンプ! テーマ別掲示板へジャンプ! なんでも掲示板へジャンプ! 妻有に生きるへジャンプ! ねっとわーくへジャンプ! リンク集へジャンプ!
home > 今週のねっとわーく

2004年11月のねっとわーく

過去のネットワーク
江村 謙さん  27歳  津南町巻下
 小学3年からクロカンスキーに取り組み、中学、高校と全国各地の大会に出場。冬はクロカン、夏は陸上長距離と、「自分との戦い」の日々を過ごした。「知らない人から声をかけられ、『博巳さんの息子か』と、よく言われました。父はすごいと思います」。博巳さんは、長距離では全国規模の大会や駅伝に出場し、クロスカントリースキーでも活躍。後輩育成に取り組み、今も陸上や駅伝大会役員を務める。
 2歳違いの妹、弟の3人兄弟。みんなクロカンスキー、長距離に取り組む。今も現役の長女の恵さんは、自衛隊冬戦教に所属し、バイアスロン世界選手権に出場。次期オリンピック選手として有望視。現在、海外遠征に行っている。家の居間には、3人が活躍した選手時代の写真が掲げてある。「スキーも陸上もそうですが、自分との戦い。自分が苦しい時、どこまで頑張られるか、そこを頑張れば結果は出る。その精神面が大きく影響し、我慢強くなる」。あの時の苦しい練習、大会での思いが、今に通じているという。「でも最近、クロカンをやる子が少なくなり、ちょっとさみしいですね」。
 5年後の2009年国体。十日町・吉田がクロカン会場。「ぜひ、津南から国体選手を多く出したいし、出てほしいです」。国体開催の練習としてマウンテンパーク津南のクロカンコースが注目されるという。「雪質も同じで、アップダウンがはっきりしているので、切り替えしの練習になる」。今年、県レベルの大会が津南である。「県下一のワックススタッフ」といわれる6人組の津南のワックスマン、そのひとり。「ちょうどいい仲間が揃いました。自分たちがしてもらった恩返しです」。今の中学、高校生がちょうど2009年の国体世代。「続けること、必ず自分のためになります」
(2004.11.26)

田中 亜希子さん  津南町大割野  28歳
 今年6月初め、朝、仕事に出かける時、両親に告げた。「今日、入籍するから」。「えーっ」。驚く両親。その1ヶ月半後の7月末には、津南町の住人となった。「えーっ」と両親が驚くことは、小さい頃から時々あり、「私の変な行動には、親は慣れています」。高校時代、妹と吉本のお笑い芸人の追っかけをしたり、熱烈なファンだったジュビロ磐田の応援に、静岡まで毎週通ったりなど、「母の血筋でしょうか」という行動派だ。
 7月末、津南の住人となった数日後、夫の父が監督を務めるソフトボールチームの試合に、いきなり出場。「嬉しかったですね。小さな頃から父と野球をやっていたので、いつかは試合に出たいと思っていました。お父さんのおかげで、念願が叶いました」。実家は東京ドームのすぐ近くの文京区。後楽園球場の時代から、球場周辺が遊び場だった。「父から野球の特訓を受けていました。男の子に生まれて、野球をやってみたかったですね」。名前の「亜希子」は、「巨人の長島監督の奥さんの名前を、父がつけたんです」。
東京で知り合い、結婚した夫・義人さん。「結婚式は挙げていません。形式的なことは止めようと、2人で決めました。実は費用がなかったんです」。6月初めの突然の入籍は、津南での暮しの拠点、町営住宅に入居応募するため。「入籍、結婚は1年先と考えていたんです」。マイペースな2人は、共に自分の世界を持つ。高校からサッカークラブに入り、7年ほど取り組む。「メンバーが少なく、まだ一度も試合をしたことがありません。またサッカーしたいですね」。
 昨年2月、初めて津南を訪れ、スキー初挑戦。「あまくないですね」。今年、津南町テニス協会に入り、中学以来の練習に励む。「田舎暮らしを求めていました。窓から山が見えると、心が落ち着きますね」。
(2004.11.19)

志田 理史さん  津南町大割野  26歳
 小学4年から大学まで取り組んだクロカンスキー。今は選手をサポートする立場となり毎冬、ワックススタッフとなる。「自分たちがやってもらったことへの恩返しです」。先輩から後輩へ、さらにまた後輩へと、その活動は続く。今シーズン、津南で3つの大きな大会がある。中越中学、県高校、中越学童。公認クロカンコースでの全県レベルの大会。「今年は小雪といわれますが、津南は大丈夫でしょう」。すでにスタッフマンの動きが始まっている。
 中学時代の体育の恩師、武田良秀教諭と出会いが進路を決めた。仙台大に進み、中学と高校の体育教諭免許を取得。「武田先生からは、続けることが第一。楽しく続ける、これを学びました」。卒業後、小学からお世話になる地元の志賀スポーツ・志賀直哉さんに声をかけられる。「志賀さんからは本当にいろいろと学びました。特に高校時代、ワックス指導を受け、それが今とても役立っています」と感謝。大会には当時のクロカン仲間が集まり、「津南ワックスマン」グループが誕生。会場に駆けつけ、選手のためのベストコンディション作りを行う。「あの頃の仲間が揃っていて、声をかけると、集まってくれます。気心が知れ、あうんの呼吸です」。今年2月の妙高での県中学大会。メンバーは毎日通い、ワックスマンを務めた。中学3年の時、津南中が初出場した全国中学駅伝。「後輩に恵まれました。あの年から3年連続出場ですから、すごいです」と後輩を称える。
(2004.11.12)

江村 啓子さん  津南町割野   46歳
 楽しくて、賑やかな男3人の子たちも、「いつのかまにか、それぞれ自分の考えで歩き始めています」。次男は中学卒業後、今年4月から東京で学生寮に入り、専門の道を歩み始めている。あす6日、その高校で学園祭がある。「週末には自炊をしているようです。先輩などからいろいろ教えてもらっているようです」。今月1日、生活物資を送り、その中に最近はじめた絵手紙を1枚入れた。大きなおわんに豆腐が入った熱々味噌汁の絵。そのわきに『和輝の大好きなとうふ汁』のひと言を添えた。母の思いがにじみ出ている。
 中学時代の同級生同士で、この地震被害で奔走する夫・容安さん。小千谷に本社がある津南工場の責任者のため、被害が大きい小千谷に通う日々が続いている。次男が家を離れ、来春には高校3年の長男も、家を離れる。来春からは、夫婦と3男の3人に。「今年の春は、さみしくて、さみしくて。子離れできない親のせつなさを、実感しました。また来春、同じような気持ちになるんでしょうね。親としては喜ぶべき子どもの成長なんでしょうが…」と複雑な心境。
 3人の子たちは、サッカー、野球、水泳、陸上、駅伝、さらにクロカンスキーに取り組み、今も取り組んでいる。「おかげで、いろいろな場面を経験でき、多くの人たちと知り合いになりました。子どもたちに振り回されているようですが、思えば、幸せな親なのかもしれませんね」。大会会場では、「ガンバレー」の声がよく響く。「でも、子どもたちには聞こえていないようですよ」。
 今の栄村の職場に入り10ヶ月。「毎日、失敗の連続ですが、とても活気あふれる職場です。いい勉強をさせてもらっています」。6日の次男の学園祭に行く。会うのを楽しみしている。
(2004.11.05)


COPYRIGHT (C)2004 TSUNANSHINBUN-ONLINE. ALL RIGHTS RESERVED
!-->