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2005年01月の妻有に生きる


過去の妻有に生きる
板場 弘美さん  すみれ工房  45歳  津南町辰ノ口
「みなさん、本当に仕事に一生懸命で、私の方が学ばせてもらっています」
  精神障害者通所施設すみ れ工房。社会復帰指導員助 手として3年半、通所者と ともに作業を行っている。 通所者の作業リーダー役で もある。
 「通所者にとっては、すみれ工房が働く場であり、生きがいの場でもあるんです。みなさんが気持ちよく過ごせるよう、明るく接していきたいですね。初めて会った時は、お互いに緊張していましたが、今は普段通りの付き合いです」
 仕事は、リサイクル封筒づくりはじめ、自動販売機などで使うボタンのパッキン付け、木彫など。年末にはしめ縄の袋詰めといった仕事もあった。今月から恵福園でのシーツ替え作業も加わった。
 「お陰様で、これまで仕事が切れたということはありません。が、不景気なので、いつ仕事が切れるかと心配は尽きないですね。時間の制約や、ここでできる仕事かなど、難しい問題がありますから。提供できそうな仕事があったら、ぜひ連絡してほしいです」
 仕事のなかでも、作業工程を中心に見た場合、リサイクル封筒づくりに特徴があるという。
 「リサイクル封筒づくりは、それぞれが自分でできる分野を担当し、みんなの手が関わって完成しています。そこがいいですね。使用済みの角封筒を開くことから始まり、カットや糊付けなど、いろいろな工程がありますから。」
 同工房へは、登録20人のうち、1日平均10人余りが通う。作業所ではその通所者と職員との橋渡し役も務めている。
 「黙って仕事をしていても、同じ時間、同じ空間を共有しているわけです。ですから、顔の表情から『今日は楽しそうだな』とか『ちょっと体の具合が悪いのかな』といったことが分かります。きっと、私に対しても同じことがいえるのではないかと思いますが」
 出身は埼玉県羽生市。結婚後、28歳の時に津南へ。
 「子どもの時に雪に慣れていないせいでしょうか、やはり雪はまいります。山などない羽生の冬は空っ風が強く、『こんな風の強いところ、嫌だな』と思っていたのですが、その風が恋しいと思うこともあります。笑い話ですが」
 工房では空っ風どころか「ひまわり」の愛称も。
 「津南のひまわり畑のような明るい工房に。何よりそれが一番です」
(2005.01.28)

滝沢 慶太さん 20歳 信州大2年 津南町陣場下
   視覚障害や体の不自由な人たちのオリンピック「パラリンピック」。目の不自由な選手にとって、先導役になる「ガイド選手」は大切な存在。来月2月15日からスイス、ドイツでのヨーロッパ・スキーワールドカップ、3月7日からはアメリカ・メイン州でのスキー世界選手権出場のクロスカントリー選手のガイド選手として同行する。
 「選手の目となり、コース状況すべてを伝え、選手より常に前をいて、後ろを見ながら滑らなくてはなりません。自分もクロカンスキーに取り組んでいますが、同じスキーの世界ですが、自分にとって、とても勉強になっています」
   信州大1年の6月、教育実習先の松本市の「松本盲学校」で、鍼灸師教諭の小林稔さんと出会う。1998年長野オリンピック後のパラリンピックに感動し、クロカンスキーを始めた小林さん。ソルトレイク・パラリンピックに出場し、5位入賞。日本の第一人者。「一緒にやってみないか」、小林さんから声をかけられた。それから毎週3、4日、ローラースキーやランニングなど練習を積む。昨年2月、白馬大会に2人で初めて出場。背中に小さなスピーカーをつけ、口元のマイクでコース状況などを伝え、常に声を出し、後ろを見ながら走る。
 「当然のことですが、自分ひとりの時以上に気を使います。何メートルで上り、その先は下りなど、状況をできるだけ分かりやすく伝えます。パラリンピックは知ってはいましたが、自分がこの世界を実際にやるとは思ってもみないことです。人生観が変わるほどの経験をしています」
小学から中学、十日町高から信州大に進み、クロカンを続ける。中学の保健体育の教諭をめざす。信州大は、1年から教育実習を行い、様々な学校現場を体験する。14日から16日までマウンテンパーク津南での県高校スキーでは、母校・十高のサポートとして協力。来月5日のジャパンパラリンピックに小林さんと出場し、来月15日にはヨーロッパに立つ。
 「自分の人生のありように影響する出会いです。このガイド役は、人の夢を預かっていることでもあり、責任感が求められ、それだけにやりがいのあることです。障害を持っている人で、スキーをやりたい人は多くいます。ですが、ガイドする人が少ないのが実態です」
今月初め、日本障害者クロスカントリースキー協会から日本チーム選手の認定を受けた。これから2ヶ月近く、世界を回る。
 「小林選手は、来年のトリノ(イタリア、五輪開催地)をめざしています。夢を実現する手伝いが出来ればと思っています」
(2005.01.22)

滝沢 好美さん  39歳  津南町赤沢
「今は何でも撮っていきたい。写真は面白いが、やればやるほど写真というものの奥深さを感じている」
  カメラが手にしっくりと馴染んできた。会社勤めで、写真を写す機会は多いわけではない。しかし、眼はいつもカメラ感覚。
 「新春フォトコンや写真展などで目にしていた福原昇さんの作品を見て、『写真というのは面白いんだな』と感じたのが、そもそもの始まり。2年ほど前、福原さんの弟と同級生だったこともあり、自分の写真を見せたら『津南に写真の会、猫の眼があるから入ってみないか』と言われ、それから本格的に写真と向き合うようになった」
 写真は、朝早く起きて、近くの風景を撮ったり、イベントがあると、課題を決めて撮る。5月の十日町きもの祭りでのスナップ写真では、満足できる1枚が撮れた。当日の課題は「人に声を掛けて撮ろう」だった。
 「課題を決めているのは、ただ漠然とカメラをぶら下げていてもなかなか撮れないから。自分に課題を課すことで、シャッターが切れるようになる。今回は、それがうまく噛み合った。人物を撮るのは、植物と違って様々な反応があるので、撮りづらくもあり、また面白い」
 猫の眼に入会して、会の仲間などが持っているプロの写真集を多く見るようになった。
 「影響を受けますね。森山大道、橋口譲二、細江英公、どれもすごい。そんな写真を頭の隅に置きながら、自分なりの写真を撮っていきたい」
 県内外に知れ渡っている沖ノ原のひまわり畑。家の近くでもある。
 「ひまわり畑はじめ、河岸段丘、秋山郷など、津南地域は被写体の宝庫ともいえる。写真愛好者からどんどん来てもらい、写真を撮って行ってもらいたい。ひいてはそれが観光にも結びつくのでは」
 フォトコンの選者、遠田誠也氏と町内の写真愛好団体の交流も始まっている。
 「すごく勉強になる。写真の見方、考え方など、話を聞くたびにカルチャーショックを受けるといった感じ。写真を通して、本当にいい人たちと出会えた。これからも、さまざまな人たちと出会いながら、自分が感じた写真を撮っていきたい」
(2005.01.14)

鈴木 綾子さん  69歳  津南町船山新田
「短歌に出会えて本当によかった。短歌が私を幸せにしてくれた、と言ってもいいくらいです」
 中学生の時、主婦の友に投句して入選したのが、短歌との「出合い」。以来、楽しみとして詠ってきたが、本格的に学び始めたのは、20年ほど前に誘われて入った同人「砂丘」からになる。
 「自分の性格でしょうか、歌をつくるのが好きなんですね。子どもの時から詩みたいなのを書いていました」
 8年前に夫が亡くなり、脱力感におそわれた。
 「何かをするという気力を失い、まるで浮き草といった感じの時でしたね。その時、指導を受けている短歌の先生から短歌があるじゃないかと叱られたんです。ああそうか、私には短歌があるんだと。悲喜こもごもを短歌で表現できるんだと」
 本紙の新年文芸・短歌で最優秀賞の太田信文学賞を獲得した。
 「うれしいです。が、私がこんなすごい賞をもらっていいのか、ちょっと戸惑ってしまいます。でも賞より、ぜひ多くの方から、歌づくりの楽しさを味わってもらいたい、本当にそう思います。津南の多くの人たちが歌づくりを楽しむ、そんな風になればなあと思います」
 作品はー花の宿予約せしとぞ遠つ国の夫(つま)告げくるる吾が初夢にー。選者の萩原光之氏は「作者の亡き夫への愛情の深さがこのようなすぐれた歌を生み出した」と絶賛している。
 「歌づくりを楽しませてくれているのも、その世界を深め、広めさせてくれているのも指導に当たっている萩原光之先生のお陰です。萩原先生なくして私の短歌はない、といっても過言ではありません」
 出身は東京。昭和19年、 疎開で父親の出身である津 南町樽田に。小学3年生の 時だった。
 「樽田、大好きです。まるでターザンみたいに育ちました。それが良かったんだと、本当に思っています」
 独学で準看護士の資格を取り、名古屋などの病院に勤務した後、大割野病院(現津南病院)に。
 「好きな言葉は『忍』。そして『生きた歌を』という言葉。これからも、日常の喜怒哀楽を、日記を書くように詠っていきたい」
(2005.01.07)


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