「短歌に出会えて本当によかった。短歌が私を幸せにしてくれた、と言ってもいいくらいです」
中学生の時、主婦の友に投句して入選したのが、短歌との「出合い」。以来、楽しみとして詠ってきたが、本格的に学び始めたのは、20年ほど前に誘われて入った同人「砂丘」からになる。
「自分の性格でしょうか、歌をつくるのが好きなんですね。子どもの時から詩みたいなのを書いていました」
8年前に夫が亡くなり、脱力感におそわれた。
「何かをするという気力を失い、まるで浮き草といった感じの時でしたね。その時、指導を受けている短歌の先生から短歌があるじゃないかと叱られたんです。ああそうか、私には短歌があるんだと。悲喜こもごもを短歌で表現できるんだと」
本紙の新年文芸・短歌で最優秀賞の太田信文学賞を獲得した。
「うれしいです。が、私がこんなすごい賞をもらっていいのか、ちょっと戸惑ってしまいます。でも賞より、ぜひ多くの方から、歌づくりの楽しさを味わってもらいたい、本当にそう思います。津南の多くの人たちが歌づくりを楽しむ、そんな風になればなあと思います」
作品はー花の宿予約せしとぞ遠つ国の夫(つま)告げくるる吾が初夢にー。選者の萩原光之氏は「作者の亡き夫への愛情の深さがこのようなすぐれた歌を生み出した」と絶賛している。
「歌づくりを楽しませてくれているのも、その世界を深め、広めさせてくれているのも指導に当たっている萩原光之先生のお陰です。萩原先生なくして私の短歌はない、といっても過言ではありません」
出身は東京。昭和19年、 疎開で父親の出身である津 南町樽田に。小学3年生の 時だった。
「樽田、大好きです。まるでターザンみたいに育ちました。それが良かったんだと、本当に思っています」
独学で準看護士の資格を取り、名古屋などの病院に勤務した後、大割野病院(現津南病院)に。
「好きな言葉は『忍』。そして『生きた歌を』という言葉。これからも、日常の喜怒哀楽を、日記を書くように詠っていきたい」